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第七話 身勝手な善意
しおりを挟む私は廊下の中を全力疾走する。もはやスカートを履いている事なんてお構いなしであった。
私にとって焦りなんてのは生まれて初めての経験だった。もちろん遅れそうとかそうした日常レベルの焦りはあるが、誰かが危機に瀕している何て事は今まで一度もない。一秒一秒が酷く重い。無事か分からない事がこんなにももどかしいなんて。
「くっ……」
こんな日に限ってアルベルトはいない。身体能力に優れる彼なら私よりも早く走れるのに。幸いだったのはモルガンの情報が思いの他詳細だった事だ。
ソフィアを連れて行った者達は主に下級貴族の者達だ。アンダーソン男爵家のコーディ、ロッシュ男爵家のカイル、彼らは特別扱いされている平民の生徒達を常日頃から疎ましく思っていたらしい。それが爆発して平民で最も優秀なソフィアが狙われたのでないかとモルガンは推測していた。
「なんて、なんて愚かな」
下級貴族と特待生の折り合いの悪さについて、話には聞いていた。下級貴族達にも優秀な者はいるが逆もまた叱りだ。玉に目を覆いたくなるほどに勉学が出来ない者もいたりする。そして特待生であるが、特待生は成績が優秀だからこそこの国立学校に編入してくる。
結果、特待生達よりも成績が下回る貴族達も出て来るわけだ。そこで負けられないと切磋琢磨するならまだしも、逆に特待生を排除に動こうとする者達もいる。モルガンの話だと今回もまたそのケースと思うのが普通であるが、それにしては強引に連れ出すという行為は性急すぎた。
何か、凄く嫌な予感がした。何かがずれている。そんな気が……
急ぐ中、後ろからついて来ているエルの声が聞こえる。
「ナタリア様、コニーが戻ってきました!」
「という事は……」
伝書ガラスのコニーがソフィアたちの場所を探り当てて戻ってきたという事!!
「ええ、後はあの子が案内してくれます。あの子について行ってください!」
「分かったわ!」
そして私はついにも目的地へと辿り着いた。そこは階下にある用具室であった。鍵さえ手に入れる事さえできれば人の隔離におあつらえ向きだ。舌打ちしつつ私は勢いのまま扉を開け放つ。
そこで見たものは攫った男共ではなく、一人の令嬢であった。
「あなたは……ウェンディ嬢?」
腰まで伸びる金髪に縦ロール、特徴的な髪だったから彼女の事はすぐに分かった。ウェンディは貴族では最下部に当たるフローレル男爵家のご令嬢だ。きらめく髪と目立つ色のドレスは少しでも自分を高位に見せようとする虚栄を感じる。
私としてもあまり仲良くはなりたくないタイプの令嬢であった。中にいるのは彼女だけではない。薄暗くてはっきりとは見えないが、彼女の奥にも何名かいるように見えた。
「奥には男が二人、女が二人です。男はモルガン嬢の情報通りコーディとカイルでしょう。女性の方は捕らえられているソフィア嬢と、もう一人はウェンディ嬢の友人、ハート男爵家のウェルチ嬢かと思われます」
エルが即座にそれを補足してくれる。彼女の視力の良さは折り紙付きだ。私は頷くと再度ウェンディに問いかけた。
「ウェンディ嬢、ここで何をしているのかしら?」
「ああ、ナタリア様、ようこそいらっしゃいました!」
私の来訪を受けてどこか光悦とした表情を浮かべるウェンディ、ねっとりとした視線が気持ち悪かった。不快感を振り切ってソフィアの事を尋ねようとした時、私はウェンディが手に持っている物の正体を知った。
その正体は鋏であった。今まさに使用した後だったのか、鋏には誰かの毛のようなものが挟まっている。
ぎょっとした私は慌てて床を見る。暗さではっきりとしないが床に散らばる何かを私の目は捕らえる。それはきっとソフィアの髪だったものに違いない。理解した瞬間私はウェンディの横を抜け、奥にいるはずのソフィアを探した。
「ソフィア?」
「ナタリア……様?」
用具室の奥、そこには取り巻きの男達に両手を抑えられ、顔を腫らしたソフィアが項垂れていた。その綺麗な髪を無惨に散らして。
「っ……!!?」
「なかなか抵抗するから手間取りましたのよ」
ウェンディはまるで自分が成した事が素晴らしい事かのように誇らしげだった。ウェンディにつられて取り巻き共が軽薄に嗤った。私達は見事成し遂げたんだと勘違いしながら。
私は自分の血が冷たくなるのを感じた。
それまでごちゃごちゃだった頭の中が一気にクリアになる。
今の私にはウェンディの醜悪な顔が良く見えた。周りの勘違い連中の顔も。
何故お前らはソフィアを傷つけて喜んでいる?
何故お前らはそれで私が喜ぶと思っている?
お前らはワタシノ何ヲ知ッテイル?
オマエラハ……
内なる魔物がケタケタ笑っている。そら見た事かと。お前が迷っているからこんな事になった。お前が俺を悪いものと縛り付けるからソフィアを守れなかった。でもこうなったからにはもう分かっているんだろう? どうすればいいのか。
魔物は私に問いかけた。
ええ、もちろん分かっているわ。もう……我慢はしない。
心の中でそう返事する。
瞬間、内なる魔物を捕らえていた理性の檻が砕けた。もう私を抑えるものは何もない。
コイツラハ……
コロス
変わらず自分に酔っているウェンディを視界にとらえると私はゆっくりと歩き出す。
「うふふ、見てください。この女狐の無様な……がはっ!?」
最後まで言わせる事なんてしなかった。私は無言でウェンディに近づくと、彼女の腹を思いっきり殴りつける。そして怯んだ隙にもう一撃を顎に叩き込んだ。意識を失ったウェンディは仰向けに倒れ込む。
「な、ナタリア様?」
「一体何を!?」
私の急変に呆気にとられれている取り巻きの下級貴族の者ども、奴らを他所に私はウェンディの上へとまたがって再度その顔面を殴る。何度も何度も。
一方で取り巻き共は私の一方的な暴力を見て、誰もが動けずにいた。ウェンディを助ける事もせず、ただ恐怖に顔をゆがませる。こいつらの結束なんて所詮そんなものであった。そんな中ウェルチだけは今の状況を理解し、逃げようとしたがエルがそれを阻止する。逃がしてなどやるものか。
ぐったりして動かなくなったウェンディを見て私はようやく殴るのをやめて立ち上がる。一人は片付いた。後は他の者達だ。私は顔を青くしている取り巻き達に問いかけた。
「何故……」
「え?」
「何故このような事をしたの? 何故ソフィアを傷つけたのかしら?」
私が睨みつけながら尋ねると、男のうちの一人であるコーディが慌てながらも答える。
「そ、それはナタリア様を助けようと思って!」
「助ける? 何から?」
「こここ、この平民はアルベルト殿下に色目を使っていました! 平民に学ぶ機会が与えられただけでも素晴らしいのに、その事に満足せず高貴なる殿下を誑し込もうだなんて悍ましい。国を揺るがす大罪です。平民の欲望には果てがありません! だから」
「だから? 何?」
私はねめつけるように男どもを見る。彼らこそまさにバージェス王の国策に反意を持つ醜い貴族主義者であった。不思議な事に平民を差別する輩は平民に近いはずの下位貴族から現れる。負けると感じているからこそ消そうとするのだ。その腐った性根に反吐が出る。
完全にタガが外れてしまった私に負の感情を止める意志はない。それを感じ取ったのか、それまで黙っていたカイルが強い口調で言った。
「どうしてナタリア様はこのクズをお消しにならないのですか! あなたは殿下とこのクズが談笑しているのを憎らしげに見ていらしたではないですか!!」
「そうです! 私達はナタリア様を思って己自ら手を穢したというのに……」
浅ましくもウェルチもカイルの話に便乗する。正当性を口にする事で私の理解を得ようという魂胆であった。しかし彼らの言い訳は私の怒りに油を注いだ。確かに私はアルベルトとソフィアを観察していたが、そのように受け取るなんて。
「私のため? 私のためだと言うの? お前たちの目は節穴なのかしら? 私がソフィアを排除したいと思っているですって? ふざけないで! 私はソフィアの事を買っていた。将来近くに置きたいと思うくらいには! それをお前たちは!!!」
「いいえ、ナタリア様もこの女狐に騙されてるんです!!」
「そうですよ! 正気に返ってください!!」
私が怒鳴っても愚か者共たちは必死にソフィアの排除を訴えた。自分達は正しいと主張し続けた。その時私は悟った。
こいつらは私の事を見ているのではない。自分達の理想を力のある私に体現してほしいだけなのだと。私のためと言いつつ、私を利用したいだけなのだ。
つくづく、つくづく愚かだ。
「もういい!!!!」
尚も喚きつつける愚か者共を私は一蹴する。
「……その愚かさ。真に致しがたいわ」
そう言いつつ私は男のうちの一人に近づく。その手にはウェンディが使っていた鋏を持って。
「な、ナタリア様? 一体何を……ま、待って!!」
「死ヲモッテ償エ」
そうして鋏を大きく振りかぶった直後、私はエルに止められた。
「ここまでですナタリア様」
「どうして止めるのエル」
「……ソフィア嬢が見ています」
瞬間世界がひっくり返った。意識が現実に返ってくる。現状を正しく理解するや否や、私は冷や汗が止まらなくなった。
見られてしまった。よりにもよって一番見られたくない私をソフィアに。何でその事を想定していなかった? ソフィアは目の前にいたじゃないか! そんなの見られるに決まっている! 私はパニックに陥る。その影響は一気に体に現れた。急に気持ち悪くなって胃の中のものが逆流する。
「う、う゛ぇぇぇ!!」
心も体もぐちゃぐちゃでどうしていいか分からない。ふらつく私に駆けつけてくれたのはソフィアであった。
「ナタリア様、大丈夫、大丈夫です」
自分もボロボロであるにもかかわらず、彼女は私の背中を優しくさすってくれる。
「嫌わないで! 私を嫌わないで!!」
私はソフィアにしがみつき、それこそ幼子のように懇願した。涙はとめどなく溢れ、泣き叫び続ける。ただのナタリアになってしまった私にはそれしか出来なかった。
「大丈夫、私はナタリア様の事嫌いになんてなりませんから」
ソフィアの包みこむような声が乾いた心に染みわたる。意識が混濁してくる中、その温もりに私は確かな幸せを感じたのであった。
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