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戸惑い
しおりを挟む買い物を終え、棗さんがそろそろ帰ると言うから、私も彼女と駅に向かうことにした。
今日は元々小説の材料集めのための外出だったのだが、彼女に圧倒されながら彼のことや自分のことに向き合っているうちに、体力が削られたようだ。
カフェで話をし、服を選んだだけなのにどっと疲れを感じるが、服選びの際の彼女の熱量を思い出すと、笑みが溢れてくる。
ただでさえ部屋着でしか買うことのないパーカーを提案され戸惑っているというのに、「いつもの先生の雰囲気とは違って鮮やかな色のものが良いかもしれない」と、これまた私が選ばないようなものを選択する。
それからすぐに「パーカーだけで変なラフさが出ないように、上にジャケットを羽織ると良いですよ。これで綺麗めにもカジュアルにも、どちらかに寄りすぎない感じになるので」と、私に馴染みのあるジャケットを持ってきてくれた。
最後に「ボトムスは落ち着いた色味が良いので黒にしましょうか? 先生、黒色を持っていたとしても随分と昔に購入したものだろうから、新しく買い直すってことで良いですよね? それから、できるだけその色に近い革靴を合わせて欲しいので、前のイベントで履いていたあの靴にしてくださいね」と強めの圧で黒色のチノパンを合わせる。
言われるがままに試着を済ませると、気合をいれすぎた印象もなく、自然なラフさと馴染みやすさのあるファッションが完成していた。
試着した私を褒めてくれ、私も彼女のセンスを褒め返すと、「ステレオタイプ的な紳士像で選ぶのではなくて、抜け感も大切にしてくださいね」と、それらしいことを言って決めポーズをするものだから、私もその場の雰囲気に流され、棗さんが選んでくれた他の服までまとめて購入してしまった。
それでも、ずっしりと重い紙袋を見ていると、彼女のおかげで充実した時間を過ごせたように思う。
一人ではここまでのことはできなかった。
すぐに自信が持てるわけではないが、こうして背中を押してくれる人がいるのだから、私もいつまでも同じところにいないで踏み出してみるべきだろう。
彼とのメールや電話でのやりとりの中で、ではなく、会った日に直接気持ちを伝えてみても良いかもしれない。
好きだとか、私を選んで欲しいだとか具体的なことではなく、ただ彼と過ごしている時間が楽しいと、そういう気持ちから少しずつ伝えていこうか。
歩いているうちに、緑の看板が視界に入ってきた。「さっき行った店ですね」とご機嫌な声で棗さんが言う。
私たちが過ごした時間帯よりもさらに人が増えたようで、店の入り口前に人溜まりができていた。
「買い物前に行っていて良かったですね」
「そうだね。これだけ人がいたんじゃあ、あの二階もいっぱいになっているだろうね」
些細なやりとりをしながら店の前を通り過ぎようとした時、「予約していた原沢です」との声がし、何となく振り返ると、背の高い緩めの茶髪の男性が視界に入ってきた。
名字も原沢だし、もしかして弘明くんじゃないか? とそんなことを思ってしまう。
すぐに結びつけてしまうあたり、相当だな。さっきまで棗さんと話していたし、弘明くんと出かけるための服まで選んでいたせいで、頭の中が彼だらけになっている。
「先生、どうかしました?」
「いや、何でもないよ」
それでも、棗さんにも会い、弘明くんにも会うだなんて、そんな偶然が重なるわけがないと思いながら、確認もせずに止めていた足を一歩踏み出したところで、「弘明ちゃんと予約してるとかさすがじゃん」と女性の声がした。
今、弘明って言った?
一歩踏み出したところでまた立ち止まり、そんな私に合わせて棗さんも足を止める。
弘明くんかもしれないと見ていた男性の横には、髪の長い小柄な女性が、肘が当たるくらいの近さで立っている。
「先生、あれって弘明くんじゃあないですか?」
棗さんの声に、その男性がこちらを振り向くと、やはり弘明くんだった。
「あれ? 隆義さんと棗さん? えっ、こんなところで会えるなんて。お仕事か何かですか? 隆義さん、いつもと雰囲気が違いますけど」
誰にも会わないようにと願っていたのに、こうして彼にまで会ってしまうなんて。
それでも元々はこの姿を見られたくないとの気持ちからそう願ったことだったが、今は隣にいる女性のほうが気になってしまい、できるならばこのような場面は見たくなかったと思ってしまう。
「弘明くん……」
隣にいるその女性は誰?
家族にしては微妙な雰囲気があるし、けれどその距離感でいるのだからきっと近しい存在の人なのだろう。
弘明、と当たり前に彼の名前を呼び、堂々と彼の横に立っている。
彼とふたりきりの時でさえ、私はこの女性のように構えることすらできないというのに。
弘明くんの前で、ただおどおどとしているだけの私は、彼女の瞳にどのように映っているのだろうか。
「えっ、というか隆義さん、短い髪も似合いますね。この髪型の隆義さんもすごく良いです」
隣の女性が私たちのことをどのように思いながら見ているかなど気にする様子もなく、弘明くんは私の髪型を褒め始める。
当たり前のように毛先に触れ、私を見つめて微笑んだ。
そんなことよりも、と彼の言動を指摘したくもなるが、そういう私もこの状況で何もすることができない。
棗さんも彼の横に立っている女性の存在を気にしているようだが、弘明くんが何か言うまで待っているようだ。
「それで棗さんとは? 何しているんですか? まさか、デート?」
そんなわけないよね? とでも言いたそうな表情でこちらを見ているが、そのままの台詞を彼に返したいくらいだ。
棗さんも間違いなくそう思っているだろう。
「ねぇ、弘明。弘明ってば! この方たちは知り合いなの?」
二人でいた時のペースを崩し、突然割り込んできたような私たちに対して、その女性は説明を求めるように彼の腕を掴んだ。
そんなことですら、心を削られてしまう。
「知り合いというか大切な人というか。よくお世話になっているんだ」
「ふうん? 弘明って本当に交友の幅が広いんだね。関心するわあ」
「そんなこと今はどうでも良くて。隆義さんと棗さんは何しているんですか?」
「どうでもいいって何!? 弘明がちゃんと説明してくれないから、私もこの方々もみんな困っているんだよ?」
もう! と言いながらその女性が肩を叩いた時、隣の棗さんが私の腕に自分の腕を絡めた。
視線を彼女のほうへと向ければ、唇をきつく結んでいる。
それから大きく息を吸った。
「弘明くんの言う通り、デートみたいなものです。あなたもデート? きれいな女性と一緒ですけど?」
声が震えているのが分かる。
彼と出かけるために私がこれまで服を選んでいたこと、自信をすぐに持つことができないにしても棗さんに励ましてもらったこと、自分を勇気付けるための準備をしていること、そういうことをこの場で伝えることができないで黙ってばかりの私の代わりに、彼女が彼に伝えようとしてくれたんだ。
誰も何も悪くない。もちろん弘明くんも。
そもそも責める権利など私にはないし、その女性が誰なのかも分からないままだ。
ただの友人であっても特別な存在であっても、今はそれはどうでも良いことで、ただただタイミングが悪かった。それだけのこと。
私が前に進めるように、棗さんがどうにかして靴を履かせ、そのおかげもあってスタートラインに向かって歩き出そうとしたばかりだったから。
棗さんも彼自身に怒っているわけではないのだろうが、状況が状況なだけに、私の腕に手を回しあんなことを言ったのだろう。
「いや、俺たちは」
「デートだなんて。ふふ、弘明とはそんなんじゃあないですよ。よく分からない流れですけど、とりあえず弘明、挨拶だけでもまずさせてよ。いつも弘明がお世話になっています。私は彼と──」
女性がわざと言っているのか、嫉妬や虚しさでどうにかなりそうな私が過剰に反応しているのかは分からないが、綺麗な色の紅が塗られたその艶のある唇から、何度も何度も「弘明」と彼の名前が出てくる度に、私の意識が遠のいていくようだ。
まあ二人の時間を邪魔したのは私たちのほうだから、この女性からすればこうして近しい距離感をアピールすることで、早く去ってくれよとそう言いたいのかもしれない。
「こ、この後大事な仕事があるんだ! 申し訳ないがこの辺で」
「え? 隆義さん!?」
私は最後まで聞くことができずに、持っていた紙袋の持ち手を握りしめ、彼らに背を向けた。
「隆義さん!」
「弘明、ちょっと待って! だって今日は、」
あの女性が彼を止めるような言葉かけをしているのを聞いて、もしかして追いかけてきてくれようとしたのかもしれないと思ったが、それを嬉しいと感じる心の余裕はなく、彼のほうを振り返らずに小走りで駅へと向かう。
話を遮りその場を去った時点で同じことではあるものの、彼の視界に入っている可能性のあるうちは、意地でも走りたくなかった。
商店街の角を曲がった途端、自分でも分からない何かが込み上げてきて、まだ自分にこんなに力があったのかと思うほどに全力で走った。
後ろからは荒い呼吸と棗さんの「待って」と言う声が聞こえ、止まったほうが良いのかとの一瞬迷った間に彼女に追いつかれる。
腕を掴まれ無理やり止めさせられたのもあって、呼吸が一気に苦しくなり、膝も震え、その場に立っていることができずにへたり込んだ。
肩で息をしながら丸まった私のその背中を、彼女が優しく支える。
「先生、ごめんなさい。デートだなんて、余計なこと言って、ごめんね。モヤっとしちゃったんです」
何度も謝罪の言葉を繰り返しながら、私の呼吸が落ち着き、返事ができるようになるまで待ってくれる。
少し落ち着きいてきて顔を上げれば、眉を垂らして泣きそうな表情の棗さんがいた。
「棗さん、良いんだよ。私も全て聞けずに逃げて来ちゃったよ。彼女とどんな関係だろうが、そんなことはどうでも良くて、ただやはり、ああいう二人が自然に思えてしまったよ。あんなに心臓が潰れるように痛くなるんだと、自分でも驚いた。それほどの衝撃を受けるくらい、あの二人がお似合いに見えたんだ。棗さん、ごめんね。君が応援してくれて、私も頑張ろうと思ったけれど、それでも私みたいな者が彼の横にいたいと願うこと自体がおかしいんだよ。せっかく応援してくれたのにごめんね」
彼とあの女性の二人を前にして話をしている間の、あの短い時間の中で、色んな思考が頭の中を巡り、胸を締め付け、混乱させられた。
その思いが溢れ出し、仕方のないことだと、期待したほうが悪いのだと、そういうふうに言葉にして言い聞かせなければ、自分を保っていられないような気がして、慎重な言葉選び、相手の理解、会話のテンポ、視線の合わせ方、あらゆる配慮を無視し、次々に言葉を並べた。
棗さんに割り込ませないよう、全て話し尽くした。
彼女が私のためを思って何かを言ってくれたとしても、それをありがとうと受け止めることができる余裕を、今はどうしても持つことができなかった。
そんな私を見て、どのような言葉を伝えたら良いのか分からなくなったのだろう。
棗さんは黙って視線を合わせることしかしない。
私は立ち上がり、膝に付いた砂を払った。
「とりあえず今日は帰るよ、ありがとうね」
「先生……」
「数日休んだら、仕事はしっかりするから」
「先生、そんなことはどうでも良いから」
「仕事なのに、どうでも良いことはないだろう?」
「先生……!」
棗さんが、引き留めようと私の腕を掴んだが、その手をやんわりと引き離す。
それじゃあ、と彼女から視線を逸らし、手を軽く左右に振ると、私はひとりで改札へと入った。
帰りの電車でも何の整理もつかないまま、マンションに戻ると、外出前と同じ場所にパッツンがいた。
私を見つけた瞬間に「ニャア」と鳴き、起き上がり近寄って来てくれる姿を見ると、まるで私の帰りを待っていてくれたのではないかと錯覚する。
けれど結局は私の勝手な期待であって、この猫が何を思っているのかは分からない。
私のためにこうしてくれているわけではなく、今日はたまたま誰かに甘えたい気分だったのかもしれないし、そもそもいつも私のもとへ来てくれるのも、偶然この猫の機嫌が良い日が重なっているだけなのかもしれない。
想像だけならいくらでも理想を押し付けられる。猫に対しても、人に対しても。
弘明くんが私に会いに来てくれる時、優しく触れてくれる時、彼の色んな感情を、熱を、知ることができたと思っていたが、そうだとしてそれが彼の全てではないし、それすら私のものではなかったんだ。
私は彼とのこの関係を受け入れながらも、とにかく自分が傷つかないようにと、そればかりで精一杯だった。
遅かれ早かれこうなると分かっていたのに何の努力もしなかった人間には、このような結末がお似合いなのだろう。
「帰って来たら撫でてあげると言っていたのにごめんね。今はそんな気力がないんだ」
何かを察したのか足元に擦り寄ってくる。いつもより強めに頭を押しつけられ、裾に白い毛がたくさんついた。
以前に弘明くんに、この猫との触れ合いを見られていた時の話を思い出す。
あの話はどれも覚えているし、そんなふうに思ってもらえていたことが嬉しかったのに、今はその嬉しさよりも、どうしようもない負の感情が渦巻いている。
「ニャア」
「……ごめんね」
最後に頭だけを軽く撫で、私はエレベーターに乗り込んだ。
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