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第23話 王都からの召喚状
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穏やかに始まった春の朝は、どこか不穏な気配を秘めていた。
風は柔らかく、陽光も暖かい。だが、村の門を越えてやって来た馬車の音が、その穏やかさを一瞬で掻き消した。
王都の紋章。その金の鷹の印を見た瞬間、レティシアの指先から皿が滑り落ち、床に落ちて砕けた。
「……また来たのね。」
マーサが眉をひそめる。
「嫌な予感がするわ。今度はどんな用事か。」
「分かりません。でも、エドガーさんには知らせなきゃ。」
レティシアは布巾を置くと、すぐに外へ駆け出した。
薪を割っていたエドガーが、馬車の音に気づいて顔を上げた。
「誰が来た?」
「王都からの……正式な使者だと思います。」
「そうか。」
エドガーの表情は変わらなかった。ただ静かに手を止め、薪割り台に斧を立てかける。
使者の姿はすぐに現れた。
若い従者と壮年の騎士――その騎士は、かつて王都で共に任務を遂行した顔だった。
「……ラドクリフか。」
「エドガー・ラインハルト。久しいな。」
短いあいさつのあと、騎士は懐から封書を取り出し、王家の印を見せる。
「王国は君の処罰を再検討することを決定した。再審のため、ただちに王都へ出頭せよ。これは召喚命令だ。」
重い沈黙が落ちた。
レティシアの心臓がどくんと鳴る。
マイラが用意してくれた報告書の効果で、彼が罪を免れたと信じていた。
なのに――
「再審だと?」
エドガーの低い声が空気を震わせる。
ラドクリフは目を逸らさずに続けた。
「王都内で、君の行動に関する情報が錯綜している。確かに監察官マイラ・エインズワースの報告書は提出されたが、上層の一部が異議を唱えた。
“本当に彼は無罪なのか”“辺境にて新たな反乱を企てているのではないか”……そうした噂が貴族院まで届いている。」
レティシアが息を飲んだ。
「そんな――何もわかってない! エドガーさんは村を守ったのに!」
ラドクリフの表情が曇る。
「私個人としては、君の無実を信じている。だが、命令だ。従わなければ、本格的な追手が差し向けられる。」
エドガーはしばらく黙っていた。
やがて静かに頷く。
「分かった。行こう。」
「だめです!」レティシアが叫ぶ。
「行けば何をされるか分かりません。あの王都の人たちは、都合が悪ければ真実を消す人たちです!」
「知っている。だが、逃げれば本当に罪が確定する。生きて戻るためには、堂々と行くしかない。」
ラドクリフが短く目配せした。
「夕刻に出発する。少しだけ猶予を与えられている。支度を整えろ。」
そう言い残し、彼と従者は馬車へ戻っていった。
静寂。
聞こえるのは春風と、鳥の遠い声だけ。
レティシアは震える声で言った。
「また、あなたを奪おうとしてる……。」
「レティシア。」
エドガーが彼女の肩に手を置く。
「今度こそ、終わらせるために行く。過去とも、王国とも決着をつける。」
「そんなの、ひとりで抱えないで。」
彼女は震える手でその手を握り返した。
「行くなら……私も一緒に。」
「駄目だ。」
「どうして!」
「お前を危険に晒すわけにはいかない。」
「危険なんて今までも一緒に越えてきたじゃありませんか!」
叫ぶような声に、エドガーは驚いたように目を見開いた。
「私はあなたのことを信じてる。何より、あなたが自分で自分を罰しようとするのが、もう嫌なんです!」
涙が頬を伝った。
レティシアは唇を噛み、言葉を絞り出す。
「あなたはもう十分償いました。だから、過去だけのために王都へ行かないで。」
だが、エドガーは首を横に振る。
「これは俺が自分で選ぶ道だ。お前のためでもある。」
「……どうして?」
「王都の連中の口を黙らせない限り、彼らはここを狙う。お前がこの村で穏やかに生きるためには、根を断たなければならない。」
その言葉に、レティシアは言い返せなかった。
彼の優しさが、また誰かを守るためのものだと分かってしまったから。
夕暮れ、村の空が橙に染まり始めたころ。
風見亭の前には一台の馬車が止まり、村人たちが集まっていた。
エドガーは軽装のまま立ち、深く頭を下げる。
「世話になった。今度は必ず戻る。」
「戻るさ!」マーサ女将が声を張り上げた。
「あんたを信じない奴なんて、ここには誰もいないさ!」
レティシアは何も言えなかった。
ただ、彼の姿を目に焼き付けるように見つめる。
エドガーが歩み寄り、静かに言う。
「泣くな。俺はちゃんと帰る。」
「信じます。でも、それでも怖いんです。」
「なら、帰ってきた時にまた泣け。嬉しい涙なら、俺も一緒に泣いてやる。」
「……ずるい人。」
「よく言われる。」
二人は短く笑った。
それから、何も言わず抱き合った。
互いの鼓動を感じ合い、そのまま離れたくなくなるほどの温もりが胸に満ちた。
「私はここで待ってます。どんなに時間が経っても。」
「そんなに待たせるわけにはいかんな。」
エドガーはそっと彼女の額に唇を寄せる。
「……俺の帰る場所はここだ。」
馬車が揺れ、車輪が軋む音が村の道を進んでいく。
レティシアはその背を見送った。
夕陽の中で小さくなっていく背中。それが視界から完全に消えた時、彼女は呟いた。
「絶対に帰ってきて……エドガー。」
その夜。
風見亭の窓辺で、レティシアは王都から運ばれてきた召喚状を開いた。
厚い紙の下、王印とは別に押された金色の封蝋――“アーベルグ家”の文字。
かつて自分を捨てた家の紋章だった。
指先が震える。
「……そういうことなのね。」
エドガーが呼ばれた理由。
それは彼の罪ではなく、彼女と再び結びつけようとする“王家の意志”でもあったのだ。
思い出したくもない過去が、再び動き出そうとしている。
レティシアは決意を込めて、蝋印を握り潰した。
「私も、行きます。あなたが孤独になる場所に、ひとりで行かせない。」
外では風が強くなり、窓を叩いた。
その音が、まるで新たな嵐の到来を告げているようだった。
続く
風は柔らかく、陽光も暖かい。だが、村の門を越えてやって来た馬車の音が、その穏やかさを一瞬で掻き消した。
王都の紋章。その金の鷹の印を見た瞬間、レティシアの指先から皿が滑り落ち、床に落ちて砕けた。
「……また来たのね。」
マーサが眉をひそめる。
「嫌な予感がするわ。今度はどんな用事か。」
「分かりません。でも、エドガーさんには知らせなきゃ。」
レティシアは布巾を置くと、すぐに外へ駆け出した。
薪を割っていたエドガーが、馬車の音に気づいて顔を上げた。
「誰が来た?」
「王都からの……正式な使者だと思います。」
「そうか。」
エドガーの表情は変わらなかった。ただ静かに手を止め、薪割り台に斧を立てかける。
使者の姿はすぐに現れた。
若い従者と壮年の騎士――その騎士は、かつて王都で共に任務を遂行した顔だった。
「……ラドクリフか。」
「エドガー・ラインハルト。久しいな。」
短いあいさつのあと、騎士は懐から封書を取り出し、王家の印を見せる。
「王国は君の処罰を再検討することを決定した。再審のため、ただちに王都へ出頭せよ。これは召喚命令だ。」
重い沈黙が落ちた。
レティシアの心臓がどくんと鳴る。
マイラが用意してくれた報告書の効果で、彼が罪を免れたと信じていた。
なのに――
「再審だと?」
エドガーの低い声が空気を震わせる。
ラドクリフは目を逸らさずに続けた。
「王都内で、君の行動に関する情報が錯綜している。確かに監察官マイラ・エインズワースの報告書は提出されたが、上層の一部が異議を唱えた。
“本当に彼は無罪なのか”“辺境にて新たな反乱を企てているのではないか”……そうした噂が貴族院まで届いている。」
レティシアが息を飲んだ。
「そんな――何もわかってない! エドガーさんは村を守ったのに!」
ラドクリフの表情が曇る。
「私個人としては、君の無実を信じている。だが、命令だ。従わなければ、本格的な追手が差し向けられる。」
エドガーはしばらく黙っていた。
やがて静かに頷く。
「分かった。行こう。」
「だめです!」レティシアが叫ぶ。
「行けば何をされるか分かりません。あの王都の人たちは、都合が悪ければ真実を消す人たちです!」
「知っている。だが、逃げれば本当に罪が確定する。生きて戻るためには、堂々と行くしかない。」
ラドクリフが短く目配せした。
「夕刻に出発する。少しだけ猶予を与えられている。支度を整えろ。」
そう言い残し、彼と従者は馬車へ戻っていった。
静寂。
聞こえるのは春風と、鳥の遠い声だけ。
レティシアは震える声で言った。
「また、あなたを奪おうとしてる……。」
「レティシア。」
エドガーが彼女の肩に手を置く。
「今度こそ、終わらせるために行く。過去とも、王国とも決着をつける。」
「そんなの、ひとりで抱えないで。」
彼女は震える手でその手を握り返した。
「行くなら……私も一緒に。」
「駄目だ。」
「どうして!」
「お前を危険に晒すわけにはいかない。」
「危険なんて今までも一緒に越えてきたじゃありませんか!」
叫ぶような声に、エドガーは驚いたように目を見開いた。
「私はあなたのことを信じてる。何より、あなたが自分で自分を罰しようとするのが、もう嫌なんです!」
涙が頬を伝った。
レティシアは唇を噛み、言葉を絞り出す。
「あなたはもう十分償いました。だから、過去だけのために王都へ行かないで。」
だが、エドガーは首を横に振る。
「これは俺が自分で選ぶ道だ。お前のためでもある。」
「……どうして?」
「王都の連中の口を黙らせない限り、彼らはここを狙う。お前がこの村で穏やかに生きるためには、根を断たなければならない。」
その言葉に、レティシアは言い返せなかった。
彼の優しさが、また誰かを守るためのものだと分かってしまったから。
夕暮れ、村の空が橙に染まり始めたころ。
風見亭の前には一台の馬車が止まり、村人たちが集まっていた。
エドガーは軽装のまま立ち、深く頭を下げる。
「世話になった。今度は必ず戻る。」
「戻るさ!」マーサ女将が声を張り上げた。
「あんたを信じない奴なんて、ここには誰もいないさ!」
レティシアは何も言えなかった。
ただ、彼の姿を目に焼き付けるように見つめる。
エドガーが歩み寄り、静かに言う。
「泣くな。俺はちゃんと帰る。」
「信じます。でも、それでも怖いんです。」
「なら、帰ってきた時にまた泣け。嬉しい涙なら、俺も一緒に泣いてやる。」
「……ずるい人。」
「よく言われる。」
二人は短く笑った。
それから、何も言わず抱き合った。
互いの鼓動を感じ合い、そのまま離れたくなくなるほどの温もりが胸に満ちた。
「私はここで待ってます。どんなに時間が経っても。」
「そんなに待たせるわけにはいかんな。」
エドガーはそっと彼女の額に唇を寄せる。
「……俺の帰る場所はここだ。」
馬車が揺れ、車輪が軋む音が村の道を進んでいく。
レティシアはその背を見送った。
夕陽の中で小さくなっていく背中。それが視界から完全に消えた時、彼女は呟いた。
「絶対に帰ってきて……エドガー。」
その夜。
風見亭の窓辺で、レティシアは王都から運ばれてきた召喚状を開いた。
厚い紙の下、王印とは別に押された金色の封蝋――“アーベルグ家”の文字。
かつて自分を捨てた家の紋章だった。
指先が震える。
「……そういうことなのね。」
エドガーが呼ばれた理由。
それは彼の罪ではなく、彼女と再び結びつけようとする“王家の意志”でもあったのだ。
思い出したくもない過去が、再び動き出そうとしている。
レティシアは決意を込めて、蝋印を握り潰した。
「私も、行きます。あなたが孤独になる場所に、ひとりで行かせない。」
外では風が強くなり、窓を叩いた。
その音が、まるで新たな嵐の到来を告げているようだった。
続く
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