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第1話 婚約破棄の宣告
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貴族たちの笑い声が響く大広間の中で、私は凍りついていた。
煌びやかなシャンデリアの下、舞踏会の主催者であり、私の婚約者であるハロルド殿下が、朗々とした声で言い放った瞬間の衝撃が、まだ頭の中に反芻している。
「リリアナ・エヴァンス嬢。お前との婚約を、ここに破棄する。」
ざわめきが広がった。
会場を埋める貴族たちが一斉にこちらを見る。誰もが面白そうに、あるいはほっとしたように、私の反応を待っていた。
「……今、なんと仰いましたか?」
声を絞り出すと、喉が焼けつくように痛んだ。
ハロルド殿下はため息を吐き、彼女を見下ろすような瞳で続けた。
「お前のような冷淡で傲慢な女を、王太子妃にはできん。私は真実の愛を知った。ステラこそが私の心の花だ。」
殿下の腕の中には、一人の少女がいる。
金色の巻き髪を揺らし、つぶらな瞳で殿下を見上げるその姿は、まるで絵画の中の天使のようだった。
どうやら彼女が“真実の愛”とやらの相手らしい。
私の視界がゆっくりと滲む。
だが、涙はこぼれない。悔しくて、情けなくて、泣く資格すらないと感じた。
「ハロルド殿下、私が冷淡だと……?それは……」
否定しようとした言葉を遮るように、ステラが小さく肩を震わせた。
「リリアナ様、わたくし、殿下を奪うつもりなんてなかったんです。だけど……殿下がわたくしに優しくしてくださって……気づいたら……」
涙が頬を伝う。
それを見た周囲の人々が、まるで芝居を見ているかのように息を呑んだ。
「もうよい、ステラ。私が不甲斐ないばかりに、君を傷つけてしまった。だが今ここで、全てを正そう。」
殿下はその場で跪き、ステラの手を取った。
そして私の方へ一瞥をくれる。
「リリアナ、お前には相応の慰謝料を支払う。だがエヴァンス家も、これ以上王家の信用を損ねぬよう肝に銘じることだ。」
慰謝料、信用、そんな言葉が虚しく響いた。
私はただ、誰も味方をしてくれない現実を噛みしめていた。
私の父母は会場の隅で沈黙している。母は顔を背け、父は額に手を当てたまま、まるで厄介な荷物を見るような目でこちらを見ていた。
その視線を受けて、私の中で何かが音を立てて崩れた。
——終わったのだ。
リリアナ・エヴァンスという令嬢の人生は、この瞬間に終わった。
*****
夜の王宮から馬車で追い出されたのは、それからわずか一時間後のことだった。
冷たい風が頬を刺す。馬車の扉が乱暴に閉められる音が耳に残った。
「エヴァンス家の令嬢もここまでだな」
御者が小声で呟いたのが聞こえた。
「……戻れても、もう私の居場所はないわ」
父はすでに使いを寄越し、「屋敷には戻るな」と言づけてきた。
王家との繋がりを失った娘など、もはや不要なのだ。
それなら、どこへ行けばいい?
暗闇の中で、私は膝の上に置いた手をじっと見つめる。
これまで、この指で何を掴んできたのだろう。プライド、名誉、そして……愛。
けれど、どれも砂のように零れ落ちていった。
「リリアナ様、行くあてはあるのですか?」
隣に座る侍女のメイが、おずおずと尋ねてきた。
彼女だけが最後まで私に付き従ってくれた唯一の味方だ。
「……ないわ。けれど、泣いてる暇もないもの」
自分の声が掠れている。その掠れ具合に、少し笑いが漏れた。
哀れなほど、力のない笑いだった。
「せめて、静かに暮らせる場所があれば……」
「辺境なら、人の目も少ないと聞きます」
「辺境、ね……」
その言葉が頭の中で何度も反響した。
王都から遠く離れ、雪と森に包まれた地。噂では荒くれ者が多く、人が住むには厳しい土地だと言うが——今の私には、むしろそれがいい。
私を知る人がいない場所で、一からやり直す。
それしか、もう道はないのだから。
*****
その夜、宿の部屋で目を閉じたとき、涙が初めてこぼれた。
誰にも見せられなかった涙が、枕に染み込んでいく。
「殿下……どうか、お幸せに」
そう呟いた声は、風に紛れて消えた。
その言葉が偽りだったと気づくのは、まだ少し先のこと——。
*****
翌朝、王都の外れで荷を整えていると、一人の旅商人が声をかけてきた。
「お嬢さん、ずいぶん上等なドレスだな。こんな場所でどうしたんだい?」
私は微笑んだ。もう令嬢ではなく、一人の女として。
「少し遠くまで行きたいだけですの。北の辺境まで。」
商人は驚いたように眉を上げた。
「辺境だって?あそこは軍の管轄地だぞ。あんたみたいな娘が行く場所じゃない」
「それでも……行きます。」
私の声には、不思議なほどの強さがあった。
失うものがなくなった人間は、どんな嵐にも怯えない。
商人は肩をすくめて笑い、「まぁ、勝手にしな」と言って馬車の荷台を指差した。
「途中までなら乗せてやるよ。北への街道は冷えるから、気をつけな」
「ありがとうございます」
私は礼を言い、冷たい空気の中へ踏み出した。
空は曇り、雪の気配を孕んでいる。
王都の喧騒が徐々に遠ざかるにつれ、心の中の騒がしさも静まり始めた。
代わりに広がったのは、妙な清々しさだった。
この寒さが、私を新しい私に変えてくれる気がした。
*****
道中、馬車の揺れに身を委ねながら、私はふと懐の内側に手を入れた。
そこには、母から子供の頃にもらったペンダントがある。
唯一、失いたくなかったもの。
その宝石の中に自分の微かな希望を見つけ、目を閉じる。
——どうか、今度こそ幸せになれますように。
そう祈った瞬間、馬車の外で地鳴りのような音が響いた。
御者が叫ぶ。
「くそっ!なんだ、騎士団の部隊か!?」
次の瞬間、雪煙の中から漆黒の軍馬が現れた。
先頭に立つのは、銀の鎧を纏い、冷たい金の瞳をした男。
その視線が、一直線に私に向けられていた——。
(続く)
煌びやかなシャンデリアの下、舞踏会の主催者であり、私の婚約者であるハロルド殿下が、朗々とした声で言い放った瞬間の衝撃が、まだ頭の中に反芻している。
「リリアナ・エヴァンス嬢。お前との婚約を、ここに破棄する。」
ざわめきが広がった。
会場を埋める貴族たちが一斉にこちらを見る。誰もが面白そうに、あるいはほっとしたように、私の反応を待っていた。
「……今、なんと仰いましたか?」
声を絞り出すと、喉が焼けつくように痛んだ。
ハロルド殿下はため息を吐き、彼女を見下ろすような瞳で続けた。
「お前のような冷淡で傲慢な女を、王太子妃にはできん。私は真実の愛を知った。ステラこそが私の心の花だ。」
殿下の腕の中には、一人の少女がいる。
金色の巻き髪を揺らし、つぶらな瞳で殿下を見上げるその姿は、まるで絵画の中の天使のようだった。
どうやら彼女が“真実の愛”とやらの相手らしい。
私の視界がゆっくりと滲む。
だが、涙はこぼれない。悔しくて、情けなくて、泣く資格すらないと感じた。
「ハロルド殿下、私が冷淡だと……?それは……」
否定しようとした言葉を遮るように、ステラが小さく肩を震わせた。
「リリアナ様、わたくし、殿下を奪うつもりなんてなかったんです。だけど……殿下がわたくしに優しくしてくださって……気づいたら……」
涙が頬を伝う。
それを見た周囲の人々が、まるで芝居を見ているかのように息を呑んだ。
「もうよい、ステラ。私が不甲斐ないばかりに、君を傷つけてしまった。だが今ここで、全てを正そう。」
殿下はその場で跪き、ステラの手を取った。
そして私の方へ一瞥をくれる。
「リリアナ、お前には相応の慰謝料を支払う。だがエヴァンス家も、これ以上王家の信用を損ねぬよう肝に銘じることだ。」
慰謝料、信用、そんな言葉が虚しく響いた。
私はただ、誰も味方をしてくれない現実を噛みしめていた。
私の父母は会場の隅で沈黙している。母は顔を背け、父は額に手を当てたまま、まるで厄介な荷物を見るような目でこちらを見ていた。
その視線を受けて、私の中で何かが音を立てて崩れた。
——終わったのだ。
リリアナ・エヴァンスという令嬢の人生は、この瞬間に終わった。
*****
夜の王宮から馬車で追い出されたのは、それからわずか一時間後のことだった。
冷たい風が頬を刺す。馬車の扉が乱暴に閉められる音が耳に残った。
「エヴァンス家の令嬢もここまでだな」
御者が小声で呟いたのが聞こえた。
「……戻れても、もう私の居場所はないわ」
父はすでに使いを寄越し、「屋敷には戻るな」と言づけてきた。
王家との繋がりを失った娘など、もはや不要なのだ。
それなら、どこへ行けばいい?
暗闇の中で、私は膝の上に置いた手をじっと見つめる。
これまで、この指で何を掴んできたのだろう。プライド、名誉、そして……愛。
けれど、どれも砂のように零れ落ちていった。
「リリアナ様、行くあてはあるのですか?」
隣に座る侍女のメイが、おずおずと尋ねてきた。
彼女だけが最後まで私に付き従ってくれた唯一の味方だ。
「……ないわ。けれど、泣いてる暇もないもの」
自分の声が掠れている。その掠れ具合に、少し笑いが漏れた。
哀れなほど、力のない笑いだった。
「せめて、静かに暮らせる場所があれば……」
「辺境なら、人の目も少ないと聞きます」
「辺境、ね……」
その言葉が頭の中で何度も反響した。
王都から遠く離れ、雪と森に包まれた地。噂では荒くれ者が多く、人が住むには厳しい土地だと言うが——今の私には、むしろそれがいい。
私を知る人がいない場所で、一からやり直す。
それしか、もう道はないのだから。
*****
その夜、宿の部屋で目を閉じたとき、涙が初めてこぼれた。
誰にも見せられなかった涙が、枕に染み込んでいく。
「殿下……どうか、お幸せに」
そう呟いた声は、風に紛れて消えた。
その言葉が偽りだったと気づくのは、まだ少し先のこと——。
*****
翌朝、王都の外れで荷を整えていると、一人の旅商人が声をかけてきた。
「お嬢さん、ずいぶん上等なドレスだな。こんな場所でどうしたんだい?」
私は微笑んだ。もう令嬢ではなく、一人の女として。
「少し遠くまで行きたいだけですの。北の辺境まで。」
商人は驚いたように眉を上げた。
「辺境だって?あそこは軍の管轄地だぞ。あんたみたいな娘が行く場所じゃない」
「それでも……行きます。」
私の声には、不思議なほどの強さがあった。
失うものがなくなった人間は、どんな嵐にも怯えない。
商人は肩をすくめて笑い、「まぁ、勝手にしな」と言って馬車の荷台を指差した。
「途中までなら乗せてやるよ。北への街道は冷えるから、気をつけな」
「ありがとうございます」
私は礼を言い、冷たい空気の中へ踏み出した。
空は曇り、雪の気配を孕んでいる。
王都の喧騒が徐々に遠ざかるにつれ、心の中の騒がしさも静まり始めた。
代わりに広がったのは、妙な清々しさだった。
この寒さが、私を新しい私に変えてくれる気がした。
*****
道中、馬車の揺れに身を委ねながら、私はふと懐の内側に手を入れた。
そこには、母から子供の頃にもらったペンダントがある。
唯一、失いたくなかったもの。
その宝石の中に自分の微かな希望を見つけ、目を閉じる。
——どうか、今度こそ幸せになれますように。
そう祈った瞬間、馬車の外で地鳴りのような音が響いた。
御者が叫ぶ。
「くそっ!なんだ、騎士団の部隊か!?」
次の瞬間、雪煙の中から漆黒の軍馬が現れた。
先頭に立つのは、銀の鎧を纏い、冷たい金の瞳をした男。
その視線が、一直線に私に向けられていた——。
(続く)
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