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79. 想う心
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微かな震え。いや震えと言うよりは呟き?
先程から耳に感じる何かが徐々に強くなっている。
シルヴァは、ふと壁の向こうに意識を馳せると、左耳のピアスに指を当てた。
「……」
マリに渡した指輪は、シュゼットの危険を感じたマリから念が伝わるようにしてある。でも、伝わってくるのは危険を知らせる念では無い。もっと深く、もっと切実な感覚と、戸惑い、怯え……
そう、祈りの様な。
そして、もう一つ……
目の前の寝台では、今だセドリックの治療が行われている。最新鋭の医療機器である輸血機や幾つか薬剤の吊るされた器台が、医師との間に運び込まれていた。カシャカシャと動くそれらの機器が、否応なく危機感を煽った。
「……少し隣を見てくる」
耳に感じる気配を確かめるためシルヴァが椅子から立ち上がり、さっきから立ち竦んで動かぬままのエーリックに声を掛けた。
呼びかけに眼を上げたエーリックは、いつもの毅然とした表情では無かった。
紫色の瞳が不安そうに涙で潤み、その眉は心細げに下がっていた。白い貌はいつも以上に白く、横たわるセドリックと同じように青ざめていた。
「大丈夫だ。少し見て来るだけだ……エーリック、お前も来い」
このままセドリックに行われる治療をずっと見ていたのでは、エーリックの方も倒れてしまいそうだ。治療は順調に進み、間もなく終わりそうだと医師長も言ってる。
「エーリック殿。何かあればすぐ声を掛ける。私がセドリック殿の傍にいるから、彼女を見に行って貰えないか?」
直ぐ傍まで来たフェリックスが、エーリックの肩に手を掛けた。頷きながら、柔らかく微笑むとフェリックスはそっとエーリックの背を押す。
「大丈夫。ちゃんと彼セドリックの事は看ているから」
「……頼む……」
エーリックは一言だけそう言うと、もう一度セドリックの方を見た。そして、シルヴァに促されると二人で部屋を出て行った。
「セドリック殿、目を覚ましてくれ……彼女が目を覚ました時、君がいないなんて絶対だめだ。絶対だめなんだから」
そう呟いたフェリックスの顔にも、深い苦悩が滲んでいた。すでに、階下の部屋にマラカイト公爵夫妻が到着している。処置を終えてから面会になるはずだが、何と伝えればいいのか。自国の者を庇って負傷したと、それだけでは済まない重大な原因があるのだから。
「俺がいる。ここは、私の責任の場であるからな。私に仕事をさせればいい」
フェリックスの心中を推し量った様な声に、思わず振り返った。
「言っておくが、鑑定した訳ではないぞ。お前の考えている事くらい想像はつく。心配するな」
レイシルはそう言って、フェリックスの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「マリ殿。シルヴァだ。入るぞ」
シュゼットの病室に声を掛ける。鍵を掛けている訳ではないので大きな扉を静かに開けた。病室にいるはずのマリの姿が見えない。
「……?」
思わず二人は顔を見合わせた。居ないはずは無いのだが。天蓋から落ちるカーテンの向こうに人影が見えた。シュゼットの枕元に人の気配がある。
シルヴァとエーリックがそっと近づくと、シュゼットの手を握り締めたマリが、枕元に崩れる様に座り込んでいた。
「……マリ殿?」
恐る恐るエーリックが声を掛けた。
マリの背が、ビックと震えた。
そして振り向くこと無く、後ろにいる二人に微かに聞こえる声で返事をした。
「……お嬢様が……目を、お目を覚まさないのです。セドリック様の事をお伝えしたのに……私の声では、届かないのです……どうしたら、お嬢様の目が覚めるのでしょう……」
シルヴァとエーリックが抱える様にマリを起こして椅子に座らせると、俯いているマリの顔には涙の跡が見えた。
彼女は、セドリックの姿を見ていたのだ。あの状態は、普段の彼から想像もできない異常さだった。多分彼女が見たことのあるセドリックは、いつも元気で主人シュゼットに対して不器用な好意しか伝えられない、残念な少年という事だろう。だから、余りにもその差は大きかった。
「指輪から、念が伝わって来た。君の祈りか?」
マリは、シュゼットの手を離して握り締めていた掌を開いた。そこには、シルヴァが渡した指輪があった。
「セ、セドリック様が階段から落ちた音に驚いて、思わず指輪を握り締めました。その時、指輪を通していたネックレスの鎖がバラバラに切れてしまったのです。それから、ずっと握りしめてお嬢様の手を握っていました。あの様な姿のセドリック様を、お嬢様がご覧になったらどんなにか悲しむでしょう。もしも、このままお二人が目覚めないことになったら……」
そこまで言うと、マリは涙を拭うようにハンカチで目元を押えた。
「指輪から、君とセドリックの気配がする……?」
シルヴァが、受け取った指輪を掌に載せると転がしながら呟いた。
「それに、もう一つ感じる……」
指輪を凝視していたエーリックが大きく目を見開いた。
「もしや、シュゼット!?」
「マリ殿の気配がするのは判る。君のネックレスには、何か護符のような力があった様だ。魔力の影響を受けたという事は、何かしら魔法が掛かっていたんだろう。その影響で、結界の破壊力を緩和させたかもしれない。セドリックの怪我があの程度で済んだことは奇跡だと言われた」
マリは、ハッとしたように顔を上げた。
「セドリック様は助かるのですね!? 大丈夫なのですね!?」
「予断を許さない状況ではあるが、今、医師達が治療を施している。もう少しで終わるだろう」
シルヴァは、はっきりと大丈夫と言えない苦しさを感じながら伝えた。
「あの、ネックレスの鎖ですけど、誕生日のプレゼントにお嬢様から頂いた物なのです。お嬢様が私の為に選んで下さって、留め金の所にイニシャルを自ら刻んで下さったのです。大切な宝物で、肌身離さず付けていた物なのです」
「シュゼットの祈りか。君の安全を願ったのか……」
シルヴァは、切れてしまった鎖の留め金を摘むと眼鏡を外してじっと見つめた。確かに、小さな手彫りの文字が刻んであった。
「しかし、セドリックの気配と言うのは」
首を傾げるシルヴァに、マリがあっと声を上げた。
「も、申し訳ございません。シルヴァ様。あの、踊り場に降りてあの花束を見つける前に、セドリック様の血の跡の上に、指輪を落としてしまって……。いえ、染みの端に掠ったかす様だったので……ちゃんと磨きましたけど。そのせいでしょうか?」
マリが椅子から立ち上がって、深く頭を下げた。大切な識別章を預かった責任を思い返したのだ。
「そうか、それで……」
それでセドリックの強い気配がしたのか。ならばシュゼットは?
そう言えばシュゼットと編入試験で会った時、確か指輪の話をした覚えがある。彼女が指輪を褒めたので、魔力の識別章であることを教えた様な気がした。もしかしたらその時、識別章にシュゼットの光の魔力が感応したのだろうか?
彼女の魔力の引き出しに、自分の魔力を触媒として使ったのだ。であれば、シュゼットの魔力感応度がこの指輪は高いと言えるのではないか。
シルヴァが考え込むように指輪を見詰め、そして口を開いた。
「もう一つの気配は、シュゼットか」
マリとエーリックがシルヴァの顔を見上げた。
「セドリックの血の気配とマリ殿の涙の祈りで、シュゼットが浮上したか? 今なら、彼女をサルベージ出来るかもしれない」
「本当ですか!? 叔父上!」
エーリックの紫の瞳が輝いた。
「シュゼットの意識が、こちらに向いている今がチャンスだろう。サルベージを行う。マリ殿、貴方の手も貸して貰いたい。良いか?」
「勿論ですわ!!」
マリは大きく頷いた。
「セドリックの治療が終わり次第、シュゼットのサルベージを行う。シュゼットをセドリックの部屋に運んで行おう」
隣室では、間もなくセドリックの治療が終わろうとしていた……
先程から耳に感じる何かが徐々に強くなっている。
シルヴァは、ふと壁の向こうに意識を馳せると、左耳のピアスに指を当てた。
「……」
マリに渡した指輪は、シュゼットの危険を感じたマリから念が伝わるようにしてある。でも、伝わってくるのは危険を知らせる念では無い。もっと深く、もっと切実な感覚と、戸惑い、怯え……
そう、祈りの様な。
そして、もう一つ……
目の前の寝台では、今だセドリックの治療が行われている。最新鋭の医療機器である輸血機や幾つか薬剤の吊るされた器台が、医師との間に運び込まれていた。カシャカシャと動くそれらの機器が、否応なく危機感を煽った。
「……少し隣を見てくる」
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呼びかけに眼を上げたエーリックは、いつもの毅然とした表情では無かった。
紫色の瞳が不安そうに涙で潤み、その眉は心細げに下がっていた。白い貌はいつも以上に白く、横たわるセドリックと同じように青ざめていた。
「大丈夫だ。少し見て来るだけだ……エーリック、お前も来い」
このままセドリックに行われる治療をずっと見ていたのでは、エーリックの方も倒れてしまいそうだ。治療は順調に進み、間もなく終わりそうだと医師長も言ってる。
「エーリック殿。何かあればすぐ声を掛ける。私がセドリック殿の傍にいるから、彼女を見に行って貰えないか?」
直ぐ傍まで来たフェリックスが、エーリックの肩に手を掛けた。頷きながら、柔らかく微笑むとフェリックスはそっとエーリックの背を押す。
「大丈夫。ちゃんと彼セドリックの事は看ているから」
「……頼む……」
エーリックは一言だけそう言うと、もう一度セドリックの方を見た。そして、シルヴァに促されると二人で部屋を出て行った。
「セドリック殿、目を覚ましてくれ……彼女が目を覚ました時、君がいないなんて絶対だめだ。絶対だめなんだから」
そう呟いたフェリックスの顔にも、深い苦悩が滲んでいた。すでに、階下の部屋にマラカイト公爵夫妻が到着している。処置を終えてから面会になるはずだが、何と伝えればいいのか。自国の者を庇って負傷したと、それだけでは済まない重大な原因があるのだから。
「俺がいる。ここは、私の責任の場であるからな。私に仕事をさせればいい」
フェリックスの心中を推し量った様な声に、思わず振り返った。
「言っておくが、鑑定した訳ではないぞ。お前の考えている事くらい想像はつく。心配するな」
レイシルはそう言って、フェリックスの髪をくしゃくしゃと撫でた。
「マリ殿。シルヴァだ。入るぞ」
シュゼットの病室に声を掛ける。鍵を掛けている訳ではないので大きな扉を静かに開けた。病室にいるはずのマリの姿が見えない。
「……?」
思わず二人は顔を見合わせた。居ないはずは無いのだが。天蓋から落ちるカーテンの向こうに人影が見えた。シュゼットの枕元に人の気配がある。
シルヴァとエーリックがそっと近づくと、シュゼットの手を握り締めたマリが、枕元に崩れる様に座り込んでいた。
「……マリ殿?」
恐る恐るエーリックが声を掛けた。
マリの背が、ビックと震えた。
そして振り向くこと無く、後ろにいる二人に微かに聞こえる声で返事をした。
「……お嬢様が……目を、お目を覚まさないのです。セドリック様の事をお伝えしたのに……私の声では、届かないのです……どうしたら、お嬢様の目が覚めるのでしょう……」
シルヴァとエーリックが抱える様にマリを起こして椅子に座らせると、俯いているマリの顔には涙の跡が見えた。
彼女は、セドリックの姿を見ていたのだ。あの状態は、普段の彼から想像もできない異常さだった。多分彼女が見たことのあるセドリックは、いつも元気で主人シュゼットに対して不器用な好意しか伝えられない、残念な少年という事だろう。だから、余りにもその差は大きかった。
「指輪から、念が伝わって来た。君の祈りか?」
マリは、シュゼットの手を離して握り締めていた掌を開いた。そこには、シルヴァが渡した指輪があった。
「セ、セドリック様が階段から落ちた音に驚いて、思わず指輪を握り締めました。その時、指輪を通していたネックレスの鎖がバラバラに切れてしまったのです。それから、ずっと握りしめてお嬢様の手を握っていました。あの様な姿のセドリック様を、お嬢様がご覧になったらどんなにか悲しむでしょう。もしも、このままお二人が目覚めないことになったら……」
そこまで言うと、マリは涙を拭うようにハンカチで目元を押えた。
「指輪から、君とセドリックの気配がする……?」
シルヴァが、受け取った指輪を掌に載せると転がしながら呟いた。
「それに、もう一つ感じる……」
指輪を凝視していたエーリックが大きく目を見開いた。
「もしや、シュゼット!?」
「マリ殿の気配がするのは判る。君のネックレスには、何か護符のような力があった様だ。魔力の影響を受けたという事は、何かしら魔法が掛かっていたんだろう。その影響で、結界の破壊力を緩和させたかもしれない。セドリックの怪我があの程度で済んだことは奇跡だと言われた」
マリは、ハッとしたように顔を上げた。
「セドリック様は助かるのですね!? 大丈夫なのですね!?」
「予断を許さない状況ではあるが、今、医師達が治療を施している。もう少しで終わるだろう」
シルヴァは、はっきりと大丈夫と言えない苦しさを感じながら伝えた。
「あの、ネックレスの鎖ですけど、誕生日のプレゼントにお嬢様から頂いた物なのです。お嬢様が私の為に選んで下さって、留め金の所にイニシャルを自ら刻んで下さったのです。大切な宝物で、肌身離さず付けていた物なのです」
「シュゼットの祈りか。君の安全を願ったのか……」
シルヴァは、切れてしまった鎖の留め金を摘むと眼鏡を外してじっと見つめた。確かに、小さな手彫りの文字が刻んであった。
「しかし、セドリックの気配と言うのは」
首を傾げるシルヴァに、マリがあっと声を上げた。
「も、申し訳ございません。シルヴァ様。あの、踊り場に降りてあの花束を見つける前に、セドリック様の血の跡の上に、指輪を落としてしまって……。いえ、染みの端に掠ったかす様だったので……ちゃんと磨きましたけど。そのせいでしょうか?」
マリが椅子から立ち上がって、深く頭を下げた。大切な識別章を預かった責任を思い返したのだ。
「そうか、それで……」
それでセドリックの強い気配がしたのか。ならばシュゼットは?
そう言えばシュゼットと編入試験で会った時、確か指輪の話をした覚えがある。彼女が指輪を褒めたので、魔力の識別章であることを教えた様な気がした。もしかしたらその時、識別章にシュゼットの光の魔力が感応したのだろうか?
彼女の魔力の引き出しに、自分の魔力を触媒として使ったのだ。であれば、シュゼットの魔力感応度がこの指輪は高いと言えるのではないか。
シルヴァが考え込むように指輪を見詰め、そして口を開いた。
「もう一つの気配は、シュゼットか」
マリとエーリックがシルヴァの顔を見上げた。
「セドリックの血の気配とマリ殿の涙の祈りで、シュゼットが浮上したか? 今なら、彼女をサルベージ出来るかもしれない」
「本当ですか!? 叔父上!」
エーリックの紫の瞳が輝いた。
「シュゼットの意識が、こちらに向いている今がチャンスだろう。サルベージを行う。マリ殿、貴方の手も貸して貰いたい。良いか?」
「勿論ですわ!!」
マリは大きく頷いた。
「セドリックの治療が終わり次第、シュゼットのサルベージを行う。シュゼットをセドリックの部屋に運んで行おう」
隣室では、間もなくセドリックの治療が終わろうとしていた……
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