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101. 恋心?
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「結局、旦那様はいらっしゃいませんでしたね」
「本当ね。話が長引いたのか、立て込んだのか。どちらにしても、今日にもお話が来るでしょうでしょうけど……忙しいわよね?」
今日は、王妃様の所にお呼ばれしています。昨日の婚約者候補制度撤廃のお話を聞いてから、王妃様からブライズメイドの役を申し付かりましたので、その相談をする為にイザベラ様、ドロシア様と共にお伺いする予定なのです。
「ですよね。王妃様のお呼ばれは、昼過ぎですからそれまでに一旦お屋敷に戻らないと。ここにはドレスもあまり置いてありまりませんからね。ご準備には少し時間が必要ですから、10時にはここを出ないといけませんね」
マリはテキパキと朝食を片付けると、時計を見ながら言いました。
「そうね。10時にはここを出ましょう。お父様も、今日の私の予定をご存じなのですから、時間を見つけて下さるでしょう。そこは待ちの姿勢で良いですわね」
私は飲み終わったティーカップを置くと、鋏を持って立ち上がりました。
「マリ? 玄関の所にある花壇に行ってくるわ。少し、お花を頂いてきますね」
実は、医術院の玄関脇には、季節の花々が咲いている花壇があるのです。カイル様に伺ったところ、病室や廊下に飾られている花も、ここの花壇から摘んで生けられているそうで、少しなら頂くことが出来るようです。
「お嬢様、セドリック様のお部屋の分ですか?」
マリがニコニコしながら聞いてきます。うっ。何なのその笑顔は。痒いですわよ?
「私もご一緒します! 少しお待ちくださいませ」
洗面所から戻って来たマリは、お盆の様な平たい盤を持って来ました。コレに摘んだ花を載せるという事ですね。
さあ、行きましょう! と急かされて部屋を出ましす。マリさん。何でそんなに嬉しそうなの?
「おはようございます」
おっと。丁度そこに、朝食のワゴンを片付けて下さるカイル様のお姿が。本当にお世話になっておりますわ。
「おはようございます。カイル様。いつもありがとうございます」
カイル様は移動用の小部屋から出入りできますけど、私やマリはその小部屋の使い方が判りませんから、いつも小部屋の前に食事用のワゴンやらを置いておきます。
そうですか。マリさん? そういう事なのね?
ちらりと隣を見れば、マリの顔はいつも通りの侍女の顔ですが、その耳はほんのり赤くなっています。カイル様を見詰める目も明らかに、嬉しそうです。カイル様がいらっしゃるタイミングに合わせましたね?
「あの、カイル様。宜しければ、私達も一緒に小部屋で移動させて頂けますか? 花壇にお花を頂きに行くところなのです」
ねっ。そうでしょう? という顔で、マリの方を見ます。マリは、ぶわっと赤くなってコクコクと頷いています。
「ええ、どうぞ、お入り下さい。ああ侍女殿、そのお盆もお貸しください。お持ちしましょう」
カイル様は、笑顔で小部屋の扉を開けると、私達に先に部屋に入る様に促して下さいます。そして、ワゴンを引き入れると、目敏くマリの持っているお盆を見つけられたのです。
「い、いいえ!! だ、大丈夫ですわ。お、お気遣いありがとうございます。と、とても軽いのですわ」
カイル様にしどろもどろで答えるマリは、いつになく可愛らしい感じです。紳士のカイル様は、無理強いすることなく、何かあれば直ぐに言って下さいね。と、微笑んで去って行きました。
うーん。大人な感じです。
「素敵な方ですね。落ち着いていて、誠実そうで……」
後ろ姿を見送っているマリが、つい漏らしたそこ言葉に私は思わず微笑んでしまいました。
「これくらいで良いかしらね?」
花壇の花は、種類も豊富でどれにしようか迷ってしまいます。でも、病室に飾って和めるようなお花で、少し良い香りもして……などと考えながらお盆に並べていきます。
セドリック様のお好きな花? 花……? そう言えば、聞いた事がありません。
でも、彼は意外にプレゼントなどは趣味が良いのですわ。以前頂いたキャンディーとか、今回頂いた香りのいい花籠とか。
うーん。いざとなると悩みますね。殿方に花を贈るシチュってあんまり無いですもの。
私は、パステルピンクとクリームイエローの花を数本摘むと、微かに甘い香りを放つ小さな白いカスミ草も切り取りました。可愛らしい色合いで、まるでお菓子の様なイメージです。
「お嬢様のイメージですね。きっと、セドリック様もお喜びになりますよ?」
マリは私から鋏を受け取ると、手拭き用の濡れナプキンを渡してくれます。
さすが、マリですね。気配りが行き届いていますわ。
「じゃあ、お部屋に戻りましょう。花を生けたらセドリック様にお届けしましょう」
私達は足取り軽く、玄関から病室に向かったのです。
「や、やっぱり、5階までの階段は、つ、疲れますわね」
マリと一緒に階段を上ります。さっきは、カイル様と一緒に移動用の小部屋を使わせて貰ったので、一瞬で5階から1階に着くことが出来ました。でも、帰りは人力です。ここの階段は、気持ちステップの幅が広くそれに若干段差も低いので、何だか少し歩きにくいのです。まあ、身体の悪い方が、ゆっくり慎重に歩くには良いのかもしれませんけど。
「お嬢様、後少しですからね! 頑張りましょう?」
マリさん。それって、自分に言っているでしょう?
4階から5階に上る踊り場にようやく着く。そう思った時でした。
「⁉」
階段の上部から、ぶわっと風が吹いてきた感じを受けました。
「へっ? 風……?」
立ち止まって顔を上げましたけど、気のせいでしょうか。風が吹き込んでくるなんて無いですわね。
「お嬢様? どうかされましたか?」
後ろから付いて来たマリが、立ち止まった私に向かって声を掛けてきました。
「……?今、風を感じなかった? 上から吹き込むような?」
後ろを振り返ってマリに尋ねますが、首を横に振っています。
「気のせいでしょうか? まあ、行きましょう」
気のせいかもしれないと、踊り場に足を掛けました。そこはすでにセドリック様の事故の跡も片付けられて、何事も無かった様に見えます。私はその光景を見ることはありませんでしたが、マリはセドリック様の姿もはっきりと見ていたはずです。
「マリ。大丈夫? 気分が悪くなったりしてなくて?」
まだ、踊り場の下にいるマリは、意を決して階段を踏みしめるように上がってきました。
「だ、大丈夫です。床のカーペットも張り替えられていますし。セドリック様も無事じゃないですけど、無事でしたし」
少し顔色が悪く見えますけど、ここを通らない訳にはいきません。私は手摺に摑まるとマリに向かって手を差し伸べました。
「端っこを通って行きましょう? さあ、マリ、一緒にね?」
私は、マリと手を繋いで一緒に5階までの階段を上り始めました。
丁度、真ん中より数段上まで来た時です。
手摺から、激しい動悸の様な振動を感じました。それと同時に、ぐわん。と頭の中を掻き回される感覚。
「な、ナニ? コレ?」
思わずマリの手を振り切って、手摺にしがみ付くと、ぺたりと階段にしゃがみ込みました。
「お、お嬢様? 大丈夫ですか!?」
ドキドキと心臓が跳ねるように打ち付けます。なに? 何なのこの感覚! と、その時、頭の中にある光景が断片的に浮かびました。
階段を駆け上がる誰か。
目の前に、制服? 学院の制服のプリーツスカート。
栗色のウェーブのかかった髪の毛。
弾かれる様な風。風圧。
伸ばした手の先、誰かの肘を引っ張った。感覚……
叩きつけられる衝撃。目の端に映る血の赤とアッシュブロンド。
見上げた、階段の上に在る……
「ローナ様……?」
何故? 今のはナニ? まるで階段から落ちるセドリック様の記憶の様に見えます。セドリック様がローナ様を庇った? 弾かれたように感じた強い風圧はなに? これは本当に起きた事なの?
「マリ……もしかして、ローナ様がここにいらっしゃたの? ローナ様を庇って、セドリック様が替わりに落ちてしまったの?」
今見た光景が信じられず、恐る恐る聞いてみます。今のは幻? それとも……
「セドリック殿の記憶を掬い上げたか?」
5階から降って来た声に驚いて顔を上げました。
そこにいたのは、
「レイシル様……」
レイシル様は5階から降りてくると、手摺にしがみ付いている私の手を優しく引いてくれました。
「立てる? もしかしたら君は、光の識別だけでなく、鑑定の識別もあるのかもね。さあ、立って。少し落ち着こう」
手を引いて階段を上り、上り切った所で後ろを振り返りました。そこは、何の変哲も無い階段と踊り場があるだけです。
「座って落ち着こう。君の知りたいことを教えるから」
レイシル様の後ろには、カイル様もいらっしゃいました。二人に促されて部屋に戻ると、マリが給湯室に急ぎ足で向かいます。
私がソファに座って深呼吸をしていると、マリが冷えた水のグラスを持って来てくれました。受け取って一口飲むと、すっきりとしたレモンの香りが喉を滑り降りて行きました。
「ああ。美味しい……」
スッキリ爽やかな香気に、気持ちが落ち着いてきました。やっぱり、さすがマリさんです。出来る侍女は違いますね。
「大丈夫? さっきも言ったけど、君はセドリック殿の記憶を感じたのかも。何が見えたの?」
レイシル様は、正面からじっと私を見詰めています。
「セドリック様の記憶? 私はセドリック様の記憶を見たのですか?」
頭の中に感じた映像を伝えると、うんうんと頷きながら聞いています。そう言えば、今日は魔法科学省の制服ですのね。それも式服とかでない普通の感じ? でしょうか。
「それで……ローナ様がいました。階段の手摺に摑まって、丁度私が蹲っていたところです。驚いた顔で、セドリック様を見下ろしていたと思います。あの場所に、ローナ様がいらしたのですね? セドリック様がローナ様を引っ張り上げた様な感覚がしたのですけど……」
少し間を置いて、レイシル様が口を開きました。
「ああ。確かに、あの場所にローナ嬢がいた。そして、セドリック殿が彼女を庇って、階段から転落した」
やっぱり。ローナ様がいらっしゃたのですね。でも、何の為に? どうして?
声に出さなくても、その疑問はレイシル様に筒抜けだったようで、直ぐにその答えを教えてくれました。
「ローナ嬢は、フェリックスを追いかけてここに来た。でも、俺とカイルが張った結界に弾かれて、階段から転落するところ、偶然後から来たセドリック殿に助けられた。替わりに、彼が転落してしまったがな」
知らされた事実。
「そんな……」
ごくりと喉が鳴りました。だって、フェリックス殿下がここにいたのは、私が倒れたから。意識不明になったから。助ける為にいて下さったのですよね? そう聞いています。
「わ、私が倒れていたから? 原因は私にあったのですね?」
元を正せば、私が心の奥に逃げ込んでいたから? それが原因で、セドリック様が要らぬ怪我を負う事になってしまったの⁉
聞いていながら、スーッと背筋に冷たい汗が流れたようでした。あの、セドリック様の大怪我の原因が私にあったなんて。
「シュゼット。誤解しないで貰いたい。彼女が、フェリックスに会いに行った理由は、君のせいでは無いからな? 彼女の勝手な思い違いだ。
俺達が張った結界は、『君に害成す者の排除』だ。悪意を持って君のいた5階に入れないとした結界が、ローナ嬢を弾いたのだ。
光の識別者である君の安全確保のために張った結界に弾かれたんだ。もし、結界が無ければ、君に何が起こったか……。最悪の事もあり得たんだ。
結界の反発は、結界に反した心情に比例する。彼女は相当の反発を食らったらしい。それ程、君への悪意は大きかった」
どれだけローナ様に嫌われていたのでしょう。
どれだけローナ様に嫌われていたのでしょう。
セドリック様が大怪我を負う程、私はローナ様に疎まれていたのですか。
セドリック様が大怪我を負う程、私はローナ様に恨まれていたのですか。
「……そう、だったのですか……」
全身の力が抜けて、ソファアにぐったりと身を任せました。
「ローナ様は? それで、今ローナ様はどうなさっているのですか?」
だから、昨日王宮にいらしてなかったのですね。私と会わせないためだったのでしょうか?
「ローナ嬢は事故のあった日に、フェリックス本人から自宅謹慎を命じられた。婚約者候補から外れたことも、制度自体が無くなった事も知らされている。但し、王妃の希望であったブライズメイドの役をすることは無い」
「……」
私は何も言えずに黙って聞いていました。私が知らない間に、そんな事になっていたなんて……
「それから、今日の登城は無くなった」
「王宮に行かなくて良いのですか? 王妃様にお呼ばれしていますのに?」
昨日、確かに王妃様付の女官長から言われましたけど。
「ローナ嬢が」
ローナ様? ローナ様がどうしたのですか?
レイシル様が、深い溜息を吐きました。
「ローナ嬢が、屋敷から姿を消した」
「本当ね。話が長引いたのか、立て込んだのか。どちらにしても、今日にもお話が来るでしょうでしょうけど……忙しいわよね?」
今日は、王妃様の所にお呼ばれしています。昨日の婚約者候補制度撤廃のお話を聞いてから、王妃様からブライズメイドの役を申し付かりましたので、その相談をする為にイザベラ様、ドロシア様と共にお伺いする予定なのです。
「ですよね。王妃様のお呼ばれは、昼過ぎですからそれまでに一旦お屋敷に戻らないと。ここにはドレスもあまり置いてありまりませんからね。ご準備には少し時間が必要ですから、10時にはここを出ないといけませんね」
マリはテキパキと朝食を片付けると、時計を見ながら言いました。
「そうね。10時にはここを出ましょう。お父様も、今日の私の予定をご存じなのですから、時間を見つけて下さるでしょう。そこは待ちの姿勢で良いですわね」
私は飲み終わったティーカップを置くと、鋏を持って立ち上がりました。
「マリ? 玄関の所にある花壇に行ってくるわ。少し、お花を頂いてきますね」
実は、医術院の玄関脇には、季節の花々が咲いている花壇があるのです。カイル様に伺ったところ、病室や廊下に飾られている花も、ここの花壇から摘んで生けられているそうで、少しなら頂くことが出来るようです。
「お嬢様、セドリック様のお部屋の分ですか?」
マリがニコニコしながら聞いてきます。うっ。何なのその笑顔は。痒いですわよ?
「私もご一緒します! 少しお待ちくださいませ」
洗面所から戻って来たマリは、お盆の様な平たい盤を持って来ました。コレに摘んだ花を載せるという事ですね。
さあ、行きましょう! と急かされて部屋を出ましす。マリさん。何でそんなに嬉しそうなの?
「おはようございます」
おっと。丁度そこに、朝食のワゴンを片付けて下さるカイル様のお姿が。本当にお世話になっておりますわ。
「おはようございます。カイル様。いつもありがとうございます」
カイル様は移動用の小部屋から出入りできますけど、私やマリはその小部屋の使い方が判りませんから、いつも小部屋の前に食事用のワゴンやらを置いておきます。
そうですか。マリさん? そういう事なのね?
ちらりと隣を見れば、マリの顔はいつも通りの侍女の顔ですが、その耳はほんのり赤くなっています。カイル様を見詰める目も明らかに、嬉しそうです。カイル様がいらっしゃるタイミングに合わせましたね?
「あの、カイル様。宜しければ、私達も一緒に小部屋で移動させて頂けますか? 花壇にお花を頂きに行くところなのです」
ねっ。そうでしょう? という顔で、マリの方を見ます。マリは、ぶわっと赤くなってコクコクと頷いています。
「ええ、どうぞ、お入り下さい。ああ侍女殿、そのお盆もお貸しください。お持ちしましょう」
カイル様は、笑顔で小部屋の扉を開けると、私達に先に部屋に入る様に促して下さいます。そして、ワゴンを引き入れると、目敏くマリの持っているお盆を見つけられたのです。
「い、いいえ!! だ、大丈夫ですわ。お、お気遣いありがとうございます。と、とても軽いのですわ」
カイル様にしどろもどろで答えるマリは、いつになく可愛らしい感じです。紳士のカイル様は、無理強いすることなく、何かあれば直ぐに言って下さいね。と、微笑んで去って行きました。
うーん。大人な感じです。
「素敵な方ですね。落ち着いていて、誠実そうで……」
後ろ姿を見送っているマリが、つい漏らしたそこ言葉に私は思わず微笑んでしまいました。
「これくらいで良いかしらね?」
花壇の花は、種類も豊富でどれにしようか迷ってしまいます。でも、病室に飾って和めるようなお花で、少し良い香りもして……などと考えながらお盆に並べていきます。
セドリック様のお好きな花? 花……? そう言えば、聞いた事がありません。
でも、彼は意外にプレゼントなどは趣味が良いのですわ。以前頂いたキャンディーとか、今回頂いた香りのいい花籠とか。
うーん。いざとなると悩みますね。殿方に花を贈るシチュってあんまり無いですもの。
私は、パステルピンクとクリームイエローの花を数本摘むと、微かに甘い香りを放つ小さな白いカスミ草も切り取りました。可愛らしい色合いで、まるでお菓子の様なイメージです。
「お嬢様のイメージですね。きっと、セドリック様もお喜びになりますよ?」
マリは私から鋏を受け取ると、手拭き用の濡れナプキンを渡してくれます。
さすが、マリですね。気配りが行き届いていますわ。
「じゃあ、お部屋に戻りましょう。花を生けたらセドリック様にお届けしましょう」
私達は足取り軽く、玄関から病室に向かったのです。
「や、やっぱり、5階までの階段は、つ、疲れますわね」
マリと一緒に階段を上ります。さっきは、カイル様と一緒に移動用の小部屋を使わせて貰ったので、一瞬で5階から1階に着くことが出来ました。でも、帰りは人力です。ここの階段は、気持ちステップの幅が広くそれに若干段差も低いので、何だか少し歩きにくいのです。まあ、身体の悪い方が、ゆっくり慎重に歩くには良いのかもしれませんけど。
「お嬢様、後少しですからね! 頑張りましょう?」
マリさん。それって、自分に言っているでしょう?
4階から5階に上る踊り場にようやく着く。そう思った時でした。
「⁉」
階段の上部から、ぶわっと風が吹いてきた感じを受けました。
「へっ? 風……?」
立ち止まって顔を上げましたけど、気のせいでしょうか。風が吹き込んでくるなんて無いですわね。
「お嬢様? どうかされましたか?」
後ろから付いて来たマリが、立ち止まった私に向かって声を掛けてきました。
「……?今、風を感じなかった? 上から吹き込むような?」
後ろを振り返ってマリに尋ねますが、首を横に振っています。
「気のせいでしょうか? まあ、行きましょう」
気のせいかもしれないと、踊り場に足を掛けました。そこはすでにセドリック様の事故の跡も片付けられて、何事も無かった様に見えます。私はその光景を見ることはありませんでしたが、マリはセドリック様の姿もはっきりと見ていたはずです。
「マリ。大丈夫? 気分が悪くなったりしてなくて?」
まだ、踊り場の下にいるマリは、意を決して階段を踏みしめるように上がってきました。
「だ、大丈夫です。床のカーペットも張り替えられていますし。セドリック様も無事じゃないですけど、無事でしたし」
少し顔色が悪く見えますけど、ここを通らない訳にはいきません。私は手摺に摑まるとマリに向かって手を差し伸べました。
「端っこを通って行きましょう? さあ、マリ、一緒にね?」
私は、マリと手を繋いで一緒に5階までの階段を上り始めました。
丁度、真ん中より数段上まで来た時です。
手摺から、激しい動悸の様な振動を感じました。それと同時に、ぐわん。と頭の中を掻き回される感覚。
「な、ナニ? コレ?」
思わずマリの手を振り切って、手摺にしがみ付くと、ぺたりと階段にしゃがみ込みました。
「お、お嬢様? 大丈夫ですか!?」
ドキドキと心臓が跳ねるように打ち付けます。なに? 何なのこの感覚! と、その時、頭の中にある光景が断片的に浮かびました。
階段を駆け上がる誰か。
目の前に、制服? 学院の制服のプリーツスカート。
栗色のウェーブのかかった髪の毛。
弾かれる様な風。風圧。
伸ばした手の先、誰かの肘を引っ張った。感覚……
叩きつけられる衝撃。目の端に映る血の赤とアッシュブロンド。
見上げた、階段の上に在る……
「ローナ様……?」
何故? 今のはナニ? まるで階段から落ちるセドリック様の記憶の様に見えます。セドリック様がローナ様を庇った? 弾かれたように感じた強い風圧はなに? これは本当に起きた事なの?
「マリ……もしかして、ローナ様がここにいらっしゃたの? ローナ様を庇って、セドリック様が替わりに落ちてしまったの?」
今見た光景が信じられず、恐る恐る聞いてみます。今のは幻? それとも……
「セドリック殿の記憶を掬い上げたか?」
5階から降って来た声に驚いて顔を上げました。
そこにいたのは、
「レイシル様……」
レイシル様は5階から降りてくると、手摺にしがみ付いている私の手を優しく引いてくれました。
「立てる? もしかしたら君は、光の識別だけでなく、鑑定の識別もあるのかもね。さあ、立って。少し落ち着こう」
手を引いて階段を上り、上り切った所で後ろを振り返りました。そこは、何の変哲も無い階段と踊り場があるだけです。
「座って落ち着こう。君の知りたいことを教えるから」
レイシル様の後ろには、カイル様もいらっしゃいました。二人に促されて部屋に戻ると、マリが給湯室に急ぎ足で向かいます。
私がソファに座って深呼吸をしていると、マリが冷えた水のグラスを持って来てくれました。受け取って一口飲むと、すっきりとしたレモンの香りが喉を滑り降りて行きました。
「ああ。美味しい……」
スッキリ爽やかな香気に、気持ちが落ち着いてきました。やっぱり、さすがマリさんです。出来る侍女は違いますね。
「大丈夫? さっきも言ったけど、君はセドリック殿の記憶を感じたのかも。何が見えたの?」
レイシル様は、正面からじっと私を見詰めています。
「セドリック様の記憶? 私はセドリック様の記憶を見たのですか?」
頭の中に感じた映像を伝えると、うんうんと頷きながら聞いています。そう言えば、今日は魔法科学省の制服ですのね。それも式服とかでない普通の感じ? でしょうか。
「それで……ローナ様がいました。階段の手摺に摑まって、丁度私が蹲っていたところです。驚いた顔で、セドリック様を見下ろしていたと思います。あの場所に、ローナ様がいらしたのですね? セドリック様がローナ様を引っ張り上げた様な感覚がしたのですけど……」
少し間を置いて、レイシル様が口を開きました。
「ああ。確かに、あの場所にローナ嬢がいた。そして、セドリック殿が彼女を庇って、階段から転落した」
やっぱり。ローナ様がいらっしゃたのですね。でも、何の為に? どうして?
声に出さなくても、その疑問はレイシル様に筒抜けだったようで、直ぐにその答えを教えてくれました。
「ローナ嬢は、フェリックスを追いかけてここに来た。でも、俺とカイルが張った結界に弾かれて、階段から転落するところ、偶然後から来たセドリック殿に助けられた。替わりに、彼が転落してしまったがな」
知らされた事実。
「そんな……」
ごくりと喉が鳴りました。だって、フェリックス殿下がここにいたのは、私が倒れたから。意識不明になったから。助ける為にいて下さったのですよね? そう聞いています。
「わ、私が倒れていたから? 原因は私にあったのですね?」
元を正せば、私が心の奥に逃げ込んでいたから? それが原因で、セドリック様が要らぬ怪我を負う事になってしまったの⁉
聞いていながら、スーッと背筋に冷たい汗が流れたようでした。あの、セドリック様の大怪我の原因が私にあったなんて。
「シュゼット。誤解しないで貰いたい。彼女が、フェリックスに会いに行った理由は、君のせいでは無いからな? 彼女の勝手な思い違いだ。
俺達が張った結界は、『君に害成す者の排除』だ。悪意を持って君のいた5階に入れないとした結界が、ローナ嬢を弾いたのだ。
光の識別者である君の安全確保のために張った結界に弾かれたんだ。もし、結界が無ければ、君に何が起こったか……。最悪の事もあり得たんだ。
結界の反発は、結界に反した心情に比例する。彼女は相当の反発を食らったらしい。それ程、君への悪意は大きかった」
どれだけローナ様に嫌われていたのでしょう。
どれだけローナ様に嫌われていたのでしょう。
セドリック様が大怪我を負う程、私はローナ様に疎まれていたのですか。
セドリック様が大怪我を負う程、私はローナ様に恨まれていたのですか。
「……そう、だったのですか……」
全身の力が抜けて、ソファアにぐったりと身を任せました。
「ローナ様は? それで、今ローナ様はどうなさっているのですか?」
だから、昨日王宮にいらしてなかったのですね。私と会わせないためだったのでしょうか?
「ローナ嬢は事故のあった日に、フェリックス本人から自宅謹慎を命じられた。婚約者候補から外れたことも、制度自体が無くなった事も知らされている。但し、王妃の希望であったブライズメイドの役をすることは無い」
「……」
私は何も言えずに黙って聞いていました。私が知らない間に、そんな事になっていたなんて……
「それから、今日の登城は無くなった」
「王宮に行かなくて良いのですか? 王妃様にお呼ばれしていますのに?」
昨日、確かに王妃様付の女官長から言われましたけど。
「ローナ嬢が」
ローナ様? ローナ様がどうしたのですか?
レイシル様が、深い溜息を吐きました。
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幼い頃に一度出会ったきりの初恋の彼と学園で再会出来たらなぁ、なんて淡い期待を抱いて通っていたのに、道理で卒業式までなんにも起きなかったわけだ。
ーーなんて、ひとり納得していたら。
何故だが私が悪役令嬢の断罪イベントの目撃者として名指しされ、一気に渦中の人物に!?
更に、王太子以外の男性陣は皆様悪役令嬢に骨抜き。なので自然と私には、彼女の潔白に繋がる証言が求められる。
しかしながら、私は肝心の事件の日の記憶が訳あって曖昧だったので、致し方なく記憶を呼び覚ます治療を受けさせられる羽目に。
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しょくぱん
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