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8. 黄泉戸喫 -よもつへぐい-
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父さんと同じ。
僕は、母さんとお爺さんに再びあの気持ちを味わせてしまった。
10年前、笑顔で手を振って還らぬ人となった僕の父さん。技師として出張していた遠い異国の地で、大地震に巻き込まれた。現地の被害は甚大で、死者行方不明者も多かった。
また会える。そう思っていた人が、忽然といなくなるという感覚。遠い場所で、遺体を見る事も違わずにその存在だけが確実に消えた。
笑顔も、声も、匂いも、温かさも、重さも……二度と確かめられなくなった。感じられなくなった。
あの時の事は、はっきり言って記憶も定かじゃない。ただ、僕は母さんの事が心配だった。電話で知らせを受けた、あの時の母さんの顔。気丈でいつも元気な明るい母さんが、真っ白な顔で立ち竦んでいた。
僕を抱き締めて、震えながら嗚咽を漏らしていた母さん。知らせを受けて駆け付けて来たお爺さんと、母さんの妹夫婦の叔母さんと叔父さんがいてくれたから、僕も母さんも何とかなったんだ。
結局、父さんの遺体は見つからず、お葬式にも父さんはいなかった。
忽然といなくなった父さん。
それが周りをどんな気持ちにさせるか、僕は誰よりも知っていた。現実と感情と決着の付かないやるせなさ、苦しくて悲しくて、でも泣いてもどうにもならない焦燥感、そして空虚感。
だから、僕は何があっても母さんやお爺さんを、二度とそんな気持ちにさせないと誓っていた。
僕は、突然いなくなったりしない。
そのつもりだった。そのはずだった。そうなる理由も僕には無い。
無かったはずなのに……
「ハルカ様」
僕は、握っていたハノークさんのローブから力を抜いた。そして、ずるずると力なく座り込んだ。
僕の頬を雫が滑る。目頭が熱くなって、視界が揺らぐ。
ああ、僕は泣いていた。俯いているせいか、ぽたぽたと白い床に雫が落ちた。指先が冷たくなって、こめかみから首に掛けてがじくじくと痛い。
「ハルカ様、少し休みましょう。お顔の色も大層悪いですから」
ハノークさんは蹲っている僕を抱え込むように膝を付くと、両肩をそっと支えてくれた。
ああ、何だかハノークさんの声が遠くに聞こえる。こんなにも近くにいるのにね。変だな。
「ハルカ殿。失礼します」
グンと背中を引かれて、いきなり身体が宙に浮いた。
「はっ? えっ?」
ぐらりと頭の中が揺らいで、思わず変な声が洩れた。
ギドさんだ。ギドさんに抱き抱えられているんだ。僕の視線の先にはギドさんの横顔があった。何だよ。随分と軽々しく扱ってくれる。ああ、でもこれはお姫様抱っこっていうのか? だとしたら良いのか? でも男が男にされるって、それはそれでどうなのさ?
僕はずきずきと脈打つこめかみを押えた。涙でじわじわと緩んだ視界に我慢しきれず、ギュッと眼を閉じた。
結局、僕はギドさんに抱き抱えられて、さっきまで眠っていたベッドに連れて来られた。そしてギドさんはそっと僕をベッドに降ろすと、直ぐにハノークさんの後ろに廻った。
「……す、すみません」
運んでもらった手前、僕は小さな声でそう言った。頭は痛いし、首も痛いし、何より頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「ハルカ様、貴方が動揺されるのは当然です。でも、少し休みましょう。今お茶をご用意致しますから。横になる前に、どうぞ少しだけでも」
ハノークさんはベッド脇にあった呼び鈴を鳴らした。リリンと高く澄んだ音がして、壁だと思っていた場所が開いた。ナニ? 隠し扉? 彫刻のされた壁だと思っていた一面が、大きく開いて数人の人が入って来た。
何だよ。そこが本当のドアなんだ。まるで中にいる人には判らない様にしているみたいだな。知らなきゃ、そこがドアなんて判んないよ。
入って来たのは3人の女の人だった。3人ともシスターみたいに頭を布で覆った格好で、やはり白のワンピース? 飾り気のないドレスみたいなのを着ていた。見るからに外人の女の人だった。
彼女達はワゴンを押してくると、ハノークさんが指示したテーブルの上にお茶の用意をした。金属製のポットは顔が映るぐらいに磨かれている。
僕はベッドの上に座って、じっと彼女達の様子を見ていた。頭のじくじくは変わらないけど、真新しいヒトや光景から目を離せなかったし、僕はまだこの世界を信じていない。
喉は渇いている。さっき図らずも泣いたせいか。それともあの弓道場にいた時から時間が経っているのか。
3人の女の人達は、準備を終えると頭を下げて再びあの扉から出て行った。また扉は白壁へと戻ってしまった。もしかしたら、内側からは開けられないのかな? もしそうなら、呼び鈴を鳴らさないと開けて貰えないシステムなのかも。
監禁じゃないか。それってっさ。僕はぼんやりそんな事を考えていた。
「さあ、ハルカ様。お茶にしましょう。帝国で作られたお茶です。温まりますよ」
ハノークさんがピカピカのポットを高く掲げて、琥珀色のお茶をカップに注いだ。爽やかな香りが辺りに漂った。
「どうぞ」
ベッドの上で力なく座っていた僕は、その声にはっとした。
「……ヨモツヘグイ」
黄泉戸喫
カップに伸ばし掛けた手を止めた。
(あの世の物を食べると、この世に戻れなくなる)
僕の頭に昔話が蘇る。日本の古事に伝わる言い伝えだ。黄泉の国の食べもを食べたり、口にしたら2度と元の世界には戻れない……確か、そんな言い伝えがあったはず。
「い、要らない。要りません」
悪いけど、思い出したら駄目だった。さっきまで良い香りだと思っていたのに、今は息を止めたくなった。
「いいえ、ハルカ様はこちらにいらしてから、一滴の水もお口にされていません。それではお身体に障ります。どうか、一口だけでも良いのでお茶を……」
「いいです。要らないです。僕は飲めません。下げて下さい」
コレヲノンダラ、カエレナクナル。
「でも、ハルカ様」
「いらない! 飲んだら還れなくなる!」
イライラと言い返した僕は、差し出されていたカップを叩き落した。
僕は、母さんとお爺さんに再びあの気持ちを味わせてしまった。
10年前、笑顔で手を振って還らぬ人となった僕の父さん。技師として出張していた遠い異国の地で、大地震に巻き込まれた。現地の被害は甚大で、死者行方不明者も多かった。
また会える。そう思っていた人が、忽然といなくなるという感覚。遠い場所で、遺体を見る事も違わずにその存在だけが確実に消えた。
笑顔も、声も、匂いも、温かさも、重さも……二度と確かめられなくなった。感じられなくなった。
あの時の事は、はっきり言って記憶も定かじゃない。ただ、僕は母さんの事が心配だった。電話で知らせを受けた、あの時の母さんの顔。気丈でいつも元気な明るい母さんが、真っ白な顔で立ち竦んでいた。
僕を抱き締めて、震えながら嗚咽を漏らしていた母さん。知らせを受けて駆け付けて来たお爺さんと、母さんの妹夫婦の叔母さんと叔父さんがいてくれたから、僕も母さんも何とかなったんだ。
結局、父さんの遺体は見つからず、お葬式にも父さんはいなかった。
忽然といなくなった父さん。
それが周りをどんな気持ちにさせるか、僕は誰よりも知っていた。現実と感情と決着の付かないやるせなさ、苦しくて悲しくて、でも泣いてもどうにもならない焦燥感、そして空虚感。
だから、僕は何があっても母さんやお爺さんを、二度とそんな気持ちにさせないと誓っていた。
僕は、突然いなくなったりしない。
そのつもりだった。そのはずだった。そうなる理由も僕には無い。
無かったはずなのに……
「ハルカ様」
僕は、握っていたハノークさんのローブから力を抜いた。そして、ずるずると力なく座り込んだ。
僕の頬を雫が滑る。目頭が熱くなって、視界が揺らぐ。
ああ、僕は泣いていた。俯いているせいか、ぽたぽたと白い床に雫が落ちた。指先が冷たくなって、こめかみから首に掛けてがじくじくと痛い。
「ハルカ様、少し休みましょう。お顔の色も大層悪いですから」
ハノークさんは蹲っている僕を抱え込むように膝を付くと、両肩をそっと支えてくれた。
ああ、何だかハノークさんの声が遠くに聞こえる。こんなにも近くにいるのにね。変だな。
「ハルカ殿。失礼します」
グンと背中を引かれて、いきなり身体が宙に浮いた。
「はっ? えっ?」
ぐらりと頭の中が揺らいで、思わず変な声が洩れた。
ギドさんだ。ギドさんに抱き抱えられているんだ。僕の視線の先にはギドさんの横顔があった。何だよ。随分と軽々しく扱ってくれる。ああ、でもこれはお姫様抱っこっていうのか? だとしたら良いのか? でも男が男にされるって、それはそれでどうなのさ?
僕はずきずきと脈打つこめかみを押えた。涙でじわじわと緩んだ視界に我慢しきれず、ギュッと眼を閉じた。
結局、僕はギドさんに抱き抱えられて、さっきまで眠っていたベッドに連れて来られた。そしてギドさんはそっと僕をベッドに降ろすと、直ぐにハノークさんの後ろに廻った。
「……す、すみません」
運んでもらった手前、僕は小さな声でそう言った。頭は痛いし、首も痛いし、何より頭の中がぐちゃぐちゃだ。
「ハルカ様、貴方が動揺されるのは当然です。でも、少し休みましょう。今お茶をご用意致しますから。横になる前に、どうぞ少しだけでも」
ハノークさんはベッド脇にあった呼び鈴を鳴らした。リリンと高く澄んだ音がして、壁だと思っていた場所が開いた。ナニ? 隠し扉? 彫刻のされた壁だと思っていた一面が、大きく開いて数人の人が入って来た。
何だよ。そこが本当のドアなんだ。まるで中にいる人には判らない様にしているみたいだな。知らなきゃ、そこがドアなんて判んないよ。
入って来たのは3人の女の人だった。3人ともシスターみたいに頭を布で覆った格好で、やはり白のワンピース? 飾り気のないドレスみたいなのを着ていた。見るからに外人の女の人だった。
彼女達はワゴンを押してくると、ハノークさんが指示したテーブルの上にお茶の用意をした。金属製のポットは顔が映るぐらいに磨かれている。
僕はベッドの上に座って、じっと彼女達の様子を見ていた。頭のじくじくは変わらないけど、真新しいヒトや光景から目を離せなかったし、僕はまだこの世界を信じていない。
喉は渇いている。さっき図らずも泣いたせいか。それともあの弓道場にいた時から時間が経っているのか。
3人の女の人達は、準備を終えると頭を下げて再びあの扉から出て行った。また扉は白壁へと戻ってしまった。もしかしたら、内側からは開けられないのかな? もしそうなら、呼び鈴を鳴らさないと開けて貰えないシステムなのかも。
監禁じゃないか。それってっさ。僕はぼんやりそんな事を考えていた。
「さあ、ハルカ様。お茶にしましょう。帝国で作られたお茶です。温まりますよ」
ハノークさんがピカピカのポットを高く掲げて、琥珀色のお茶をカップに注いだ。爽やかな香りが辺りに漂った。
「どうぞ」
ベッドの上で力なく座っていた僕は、その声にはっとした。
「……ヨモツヘグイ」
黄泉戸喫
カップに伸ばし掛けた手を止めた。
(あの世の物を食べると、この世に戻れなくなる)
僕の頭に昔話が蘇る。日本の古事に伝わる言い伝えだ。黄泉の国の食べもを食べたり、口にしたら2度と元の世界には戻れない……確か、そんな言い伝えがあったはず。
「い、要らない。要りません」
悪いけど、思い出したら駄目だった。さっきまで良い香りだと思っていたのに、今は息を止めたくなった。
「いいえ、ハルカ様はこちらにいらしてから、一滴の水もお口にされていません。それではお身体に障ります。どうか、一口だけでも良いのでお茶を……」
「いいです。要らないです。僕は飲めません。下げて下さい」
コレヲノンダラ、カエレナクナル。
「でも、ハルカ様」
「いらない! 飲んだら還れなくなる!」
イライラと言い返した僕は、差し出されていたカップを叩き落した。
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