天使の歌が聞こえる

T.村上

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合宿

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 それから二日で僕は復活した。医者からは過労といわれた。だから僕は練習メニューを見直し食事も改善した。モモに良いところを見せようとして焦ったのがいけなかった。そして一週間後には麗佳の母親も帰国し、彼女もまた以前の生活に戻った。いろいろな事が一辺に起こった夏休みの始まりだったけれど、すべてが元のリズムを刻み始めると幸せって意外に身近な所にあるんだって事に改めて気がついたりするもんだ。とはいえ、まだ僕の夏休みは終わってはいない。むしろこれからが本番だ。この夏の合宿でモモに勝負をかけるつもりだ。


 セミナーハウスは、やはり高地にあるために気温は低く爽やかな気持ちのいい朝を迎えた。昨夜遅くに到着したので、初日は軽いメニューをこなして体を慣らして行くつもりなんだ。一週間前から合宿しているモモ達は本格的なトレーニングメニューに入っている。また差が開いてしまったけれどバイトの関係で仕方なかったんだ。
 会計事務所は九月期決算に向けて、もの凄く忙しく延ばし延ばしにされていたバイトの期限をようやく切り上げたのが昨日だった。三週間の合宿の三分の一を無駄にしてしまった。事務所には申し訳なかったけれどモモの顔を見られない日が後一日でもあったなら、僕は弾けていたかも知れない、花火のように。 


 その晩、僕はモモを誘って散歩に出た。麗佳の一件があってから何となく気まずい空気が漂っていた。でも僕らは敢えてその話題には触れずに今日まで来てしまった。だから今夜はモモに謝るつもりなんだ。そして多分モモもそれを何となく予感してるみたいな感じだった。セミナーハウスから離れた林道まで来ると、僕らは倒木に腰をかけた。空には夏の星座が沢山の星に埋もれるように輝いていた。僅かに、遠くで鳴く虫の声以外聞こえるものはなかった。
「先輩、麗佳の件ではご迷惑をかけて…」
やっとの思いで切り出した僕の口をモモの唇が塞いだ。長い沈黙が続いて、モモは僕の胸に顔を埋めて呟くように言った。
「バカ」
僕は、
「ごめん。」
と、一言だけ言ってモモを抱きしめた。いくつもの涙が僕の目から溢れて、そして僕の胸にも温かな涙を感じた。僕は今まで以上に、何倍もモモを好きになっていた。そして多分モモも。 
「カツミは麗佳ちゃんの気持ち考えた事あった?」
突然のモモからの質問に戸惑っていた。麗佳の気持ちと言われても、生意気で、負けず嫌いで、攻撃的で…これは気持ちではないな。
「麗佳ちゃんは、カツミの事が好きだったんだよ、きっと。だからカツミに甘えたくて、わがまま言ってたんだと思う。」
僕はモモの言葉の意味が理解できなかった。『あの中学生が、僕を、好きだったって。』もし、仮に、それが本当だったとしても、悪いけど、ご遠慮させていただきますだよね。女の子は、笑顔と優しさが大切だと僕的には思っています、僕が甘いのかも知れないけれど。そんな事より、僕的には目の前のモモとのこの幸せな状況を維持、発展させたい気持ちで一杯だったから、質問には答えずモモを抱きしめる腕に力をこめるだけだった。
「カツミ。」
ため息混じりのモモの声が聞こえた。
「何?。」
「苦しい。」
「ごめん。」
僕ははっとして腕の力を抜いた。いつの間にか僕はモモを(サバオリ)していた。
「もう、死ぬかと思った。」
モモはイタズラな目をして僕の手を握った。多分僕は、冷たい水を掛けられた焼け石みたいに真っ赤な顔して湯気を出していたと思う。それは男としてとても切ない展開だった。 


 翌朝、モモからは何もなかったような素振りをされ少し寂しかったけれど、それは仕方がないことだった、みんなの手前。そしてモモはレギュラーメンバーの練習に行き、僕は相変わらず基礎トレに励んだ。 僕らの部は、一年の部員は僕を入れて六人。部員全体でも三十人に満たない弱小部だった。それでも一部には少数精鋭と豪語する先輩もいたけれど、どちらかと言うと同好会的な部活だった。   
 そして、あの夜を最後にモモとのデートは出来ないまま夏合宿は終わった。大体あんな練習の後にデートなんて余裕はなかった。そしてどうしてこんな事してるんだって思う事も正直あったけれど、練習で燃え尽きた後はとても爽やかな気分だった。モモだって同じ気持ちだったと思う。一日数十キロメートルを走った後は、ただ疲れて眠いだけだった。これが『発散』っていうんだなって改めて思った。


こうして夏合宿は終り、メンバーはそれぞれの郷里に帰って行った。僕は帰るのが何となく億劫で東京に一人残って、午前のトレーニングと何となく過ぎていく日課の中で、残り僅かな夏をぼんやりと過ごしていた。 
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