白銀の風使いと呪詛の爪痕

灯乃

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少女の名前

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 最初に我に返ったのは、ブラッドリーだ。

「レオナルド! ギルを追え! この嵐の中、アイツを捕まえられるのはおまえだけだ!」

 ――答えを返す時間も惜しい。
 ギルを捕まえ損ねた手を握りしめ、レオナルドは破壊された窓枠を蹴って空中へ飛び出す。ギルの魔力を探しながら、屋内訓練場に置きっぱなしだった自分と彼女の魔導剣を、風を使ってたぐり寄せる。

(ふざっけんなよ、あのバカ……!)

 絶望、なんて。
 自分たちがいる限り、そんなものをする必要はないと、言ったのに。
 水と風の乱流の中、ひどく不安定に揺らぎながらも、信じがたい速さで遠ざかっていくギルの魔力を感じ取る。
 いったい、どこへ行くつもりなのか。

(あっちには、たしか――)

 脳裏に描いた地図に、思い当たるポイントがあった。
 十数年前、『原初オリジン』の亜種と思われる呪詛により、一夜で壊滅した小さな街。
 いまだその核を発見できず、王室から第一級禁足地に指定されている廃墟群だ。

 ――決して人が近づかない場所であれば、たとえ危険な呪詛を呼んでも、誰にも迷惑は掛からない。

 そんな意図が透けて見えて、レオナルドは一気にスピードを上げた。
 許さない。
 あんなふうに泣き叫ぶほど、心をズタズタにしたまま死のうだなんて。
 幼い弟妹に向けたような偽りの笑顔すら、自分には見せたことがないくせに。
 両親を殺されて、姉のために心を殺し続けて、結局こんなところですべてを諦めてしまうつもりなのか。
 本当に、イライラする。

「……ッギル!!」

 彼女の本当の名すら、レオナルドはいまだ知らない。
 豪雨が降りしきる薄闇の中、朽ち果てた廃墟の片隅に座りこむ小さな姿があった。
 こちらの呼びかけに反応したのは、彼女の頭上に浮くヒトガタの呪詛。
 いかにも楽しげに笑ったソレが、振り返って肩を竦めた。

「邪魔をしないでくれるかな、風使いウィンドマスター。せっかく、この子がボクを呼んでくれたのに。この子が望んで、ボクが応えた。キミは、お呼びじゃないんだよ」
「うるせェっっ!!」

 腕にまとった風の刃を、全力でエサイアスに叩きつける。
 そのまま風圧で地面に抑えこみ、相手が再生する端から切り刻みながら、レオナルドはゆっくりと地面に降り立った。
 風の刃の檻に閉じこめた呪詛を冷ややかに見下ろし、吐き捨てるように言う。

「お呼びじゃねェのはテメェだ、クソ野郎」

 どうやらエサイアスは、随分とレオナルドを見くびってくれていたようだ。
 はじめて会敵したときの自分の力など、今の十分の一にも及ばない。
 人間ふたりを空中で守りながら戦うのが、どれほどままならなく、もどかしかったと思っている。

 ギルは地面に座りこんだまま、ぴくりとも動かない。
 瞬きもせず、破壊と再生を繰り返している呪詛を、暗い瞳で見つめている。
 涙とも雨ともつかない雫が、細い顎先から滴り落ちていく。
 自分たちの周囲に風を巡らせ、雨を遮断してもそれに気付く様子もなかった。

 濡れたジャケットは薄い肩からずり落ち、切り裂かれたインナーともどもまるで役目を果たしていない。胸部のプロテクターばかりが体をきつく締めつけていて、まるで彼女を束縛している柵そのもののようだと思う。
 レオナルドは、そんなギルの目の前に、彼女の魔導剣を突きつけた。

「これは、おまえの獲物だろう」

 次は、必ず殺してやると。
 そう言ったのは、彼女自身だ。
 絶望など、している場合か。

「立て」

 その手で両親の仇を討つと、誓ったはずだ。
 しかし、ギルはのろのろと瞬くと、レオナルドを見ないまま小さく掠れた声で言った。

「……エサイアスを、解放してくれ」
「断る」

 間髪入れず返した答えに、細い肩が震える。

「エサイアスは、おれの体を、骨のひとかけらも残さず食べてくれるって、言ったんだ。……そうすれば、おれが女だった証拠は、どこにもなくなるだろう」

 そのために、ギルはエサイアスを呼んだのか。
 それが、彼女にとっての救いなのか。

「そうしないと、姉さんが酷い目に遭わされる。おれが、レノックス伯爵の命令を遂行できなかったから。姉さんは、ずっと大好きだった人と結婚して、幸せに暮らしてるのに」

 頼む、と。
 震える声で、ギルが言う。

「エサイアスを解放できないなら、おまえがおれを殺してくれ。任務中に、死んだことにしてほしい。死体は、顔も性別もわからないくらいにぐちゃぐちゃに切り刻んで、人の来ない海にでも捨ててくれ」
「断る」

 レオナルドはギルの前に膝をつき、その顔を両手で挟んで無理矢理自分に向けさせた。

「助けろって、言え」

 腸が、煮えくりかえる。
 本当に、腹立たしい。
 こんなことばかりをギルに言わせる、レノックス伯爵家の連中も。
 ずっと何も気付いてやれず、彼女を傷つけるばかりだった自分自身も。

「前に、言っただろう。おまえが何か困ることがあったら、いつでも手を貸すって。あまり、ひとりで抱えこむなって」

 はじめての合同任務で、ともに空を飛んでいるときにそう言った。
 あのときは、彼女のことを何一つ知らないままだったけれど、本当に本気の言葉だった。

「おまえが望むなら、オレはおまえを助けるためになんだってしてやる。実家の権力でも、マスター特権でもなんでも使って、おまえの敵を潰してやる」

 だから――。

「生きたいって、言え。助けてくれって、言ってみろ。おまえの望みは、全部オレが叶えてやる」

 至近距離でのぞきこんだ青の瞳から目を逸らさないまま、何度も告げる。

「オレがいる限り、おまえが絶望する必要なんてないんだよ」

 ギル、と。
 名前を呼ぼうとして、ぐっと呑み込む。
 あのとき、「そんな名前で呼ばないで」と泣いた彼女の声は、きっとレオナルドにしか聞こえていない。
 いまだ暗いままの、自分の言葉など何一つ届いていないかのような瞳と視線を合わせ続けるのは、結構な胆力が必要だった。

「……なあ。おまえの、本当の名前はなんていうんだ?」

 冷たく滑らかな頬を、そっと指先で撫でる。

「教えてくれ。オレは、その名前でおまえを呼びたい」

 ほんのわずか、彼女の呼吸が乱れた。
 ――許さない。
 こんなふうに絶望したまま、自分の手の届かないところへ逝こうだなんて。
 無理矢理にでも、引き戻す。

「おまえの両親が、おまえに贈ってくれた名前だろう。呼んでやらないと、可哀相だ」

 完全に表情の消えていた顔が、小さく歪む。
 辛いのか。苦しいのだろう。
 幸せだった、失われた過去を思い出すことは。

「なあ。……おまえの両親は、おまえをなんて呼んでいたんだ?」
「……っ」

 青い瞳が苦痛に染まる。
 泣かせたいわけではないのに、心から笑っているところを見てみたいと思うのに。
 自分はまだまだ世間知らずのバカなガキで、こんなやり方しかできない。

「頼む。教えてくれ」
「……ど……して」

 なのに、なぜだろう。
 どうしても、逃がしてやれない。死んで楽になど、させてやれない。

「オレは、おまえを助けたい」

 それでも、彼女自身が望んでくれなければ、どうすれば救えるのかもわからないから。

「教えて。おまえのこと。……おまえはもう、ひとりでがんばらなくてもいいんだよ」

 はく、と血の気の失せた唇が小さく動く。
 彼女の頬に触れたままの指に、雨とは違う、温度を持った雫が伝っていく。
 そのままじっと待っていると、細く掠れた声が空気を揺らした。

「……おれ、は……おまえに、ひどいことしか、言っていないのに」

 濡れた地面に置かれていた手が、ぎゅっと握り込まれる。

「どうして、そんなことを、言ってくれるんだ……?」

 ひどいこと。
 たしかに、今まで散々言われてきたな、と思わず笑う。
 うるさい、やかましい、ばかなのか、頭がおかしいとしか思えない。
 あとで取り消されたとはいえ、ゲス野郎、と言われたこともあった。
 それでも――。

「なんでかな。自分でも、よくわかんねェけど。……ただ、おまえがこんなふうに泣いているのは、いやなんだ」

 彼女の長く濃い睫毛が震え、そこに引っかかっていた雫が落ちる。

「なあ。おまえの、名前は?」

 逃がしてやらない。
 だから、もう諦めろ。
 諦めて、こちら側に戻ってこい。
 それから、どれくらいの時間が経っただろう。

「……セシリア・ローウェル」

 青い瞳の奥が揺れて、小さく掠れた声がした。
 その瞬間、形容しがたい感覚に全身がぞくぞくと震え、体温が一気に上がる。
 目眩。
 酩酊したような心地で、レオナルドは彼女の――セシリアの頬を、そっと撫でた。

「セシリア。……いい名前だな」
「……っ」

 大きく震えた彼女を引き寄せ、抱きしめる。
 冷え切った細い体に、自分の体温が伝わればいい。

「おまえは、いい子だ。セシリア。ずっとひとりで、家族のために必死でがんばってきたんだろう。……偉かったな。本当に、よくがんばった」
「ふ……ぅ……っ」

 しゃくりあげる背中を、できるだけ優しく撫でながら低く囁く。

「大丈夫だ、セシリア。もう、何も怖いことはないんだよ。おまえの姉さんのことも、心配いらない。今、ユージィンたちがキャロラインに頼んで、すぐに保護してもらえるよう動いてる。だから――」
「……だ、めだ!」

 先ほどから断続的に入ってきている通信魔導具からの情報を伝えた途端、セシリアがぱっと顔を上げる。

「姉さん、には、知られたくない……!」

 その悲痛な訴えを受け、レオナルドはグループ回線になっている通信魔導具に、こちらからの音声を繋ぎながら頷いた。

「そうか。わかった。――ユージィン、聞こえるか? セシリアが……ああ、コイツの本当の名前だ。セシリア・ローウェル。セシリアが自分のことを、姉には知られたくないと言ってる。――そうだな、ちょっと待て」

 音声を繋いだまま、レオナルドはセシリアに問いかける。

「セシリア。おまえのことを伝えないにしても、まずは安全確保が最優先だ。おまえの姉さんの名前と年齢――ああ、そうだ。おまえは? 今、本当に十八歳なのか?」
「……姉さんの名前は、エレイン。エレイン・マクニール。二十三歳。旦那さんの名前は、ケイシー。たしか、二十六歳だったと思う」

 一度言葉を切り、少し躊躇うようにしてから、セシリアは言った。

「おれは……今、十五歳だ」

 やはり、と苦々しく思いながら頷こうとした瞬間、通信魔導具の向こうからとんでもない声量の「なんですってえぇえええーっっ!?」という高い悲鳴が飛んできた。
 どうやら、クローディアにもこの通信は繋がっていたらしい。耳が痛い。

(あー……。そう言えば、コイツが年齢まで詐称させられてるかもって話は、クローディアとコンラッドには伝えられてなかったんだった……)

 通信魔導具から聞こえてくる音声から察するに、同僚たちはすでにキャロラインに事情を説明したようだ。そのうえで、キャロラインとブラッドリーも含め、全員通信魔導具をグループ回線に繋いで、医療棟の復旧作業をしながらこちらの報告を待っていたらしい。

「あと、おれは十一歳のときに、事故で死んだことになっている、ので」
(………………は?)

 レオナルドは、固まった。

「姉さんには、おれの遺髪も渡されてるし……。きっと、あのときたくさん泣いてくれたから。もうこれ以上、悲しませたくない」
「………………ちょっと、待て」

 自分の顔が盛大に引きつるのを感じながら、何度も深呼吸をする。
 ぐっと気合いを入れ直し、レオナルドはセシリアに問う。

「セシリア。まさか、おまえの髪……姉さんに遺髪として渡すために、切られたのか?」
「……? わからない。姉さんに会いたいって泣いてたら、うるさいって言われて、切られたから」

 首を傾げたセシリアの答えに、通信魔導具の向こうが完全に沈黙した。
 ……きっと今頃、キャロラインとクローディアの顔が、悪鬼もかくやというほど恐ろしい形相になっているに違いない。あちらにいなくて、よかった。
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