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次の日も、またその次の日も、彼は私を訪ねにきた。回を重ねるごとに彼は畏まった服装を改めるようになり、カレンやフランシスについて私から聞き出そうともしなくなった。
ただ、何も話さずにいると、いつまでも玄関前に陣取られて鬱陶しかったから。私の好きなものについてひとつふたつ話を聞かせてやると、彼は一言礼を言って帰っていった。
そんな毎日が一か月ほど続いたある日、彼が久しぶりに畏まった服装で玄関前に立っていた。
どうやら彼は私をディナーに誘いたいようで、「必ず、いつまでも待っている」と真剣な表情で言われてしまった。
これまでの経験から、彼が絶対に自分の言葉を曲げないだろうことがわかってしまって。閉店間近になってもひとりで席に座っている哀れな姿がありありと想像できてしまって。
私は仕方なく、彼が指定した時間にそのレストランに向かったのだけれど。
案内された席で私を待っていたのは、あの男ではなかった。大人しくて可愛らしい箱入りのご令嬢——フランシスの現在の婚約者、カレンだった。
すぐに引き返すこともできたはずだ。けれど、そんな負け犬のような惨めな真似はしたくなくて、私は黙ってカレンの向かいの席に着いた。
「どういうこと?」
私が訊ねると、カレンは顔を俯かせて、震える声でつぶやいた。
「オリヴィア様と、きちんとお話がしたくて」
私達の友情なんてとっくに消え失せてしまったのだと思っていたけれど、彼女はまだ、私に言いたいことがあるようだ。
私は黙ってカレンの話を聞くことにした。
カレンはこくりと息を飲んで、それからまっすぐ私をみつめて話しだした。
「わたし、フランシス様と婚約することになるだなんて思ってもみませんでした。フランシス様にはオリヴィア様がいましたから」
フランシスを横から掻っ攫っておいて、何をぬけぬけと。
私はそう思ったけれど、口に出したりはしなかった。
「金糸雀が猫に食べられてしまったとき、オリヴィア様はわたしを責めたりしませんでした。ですから、少しでもそのお返しがしたくて、オリヴィア様と親密だった下僕の男性が公爵様のお怒りを買って解雇されそうになったとき、父に頼んで伯爵家で彼を雇ってもらいました。誕生日パーティーではオリヴィア様とお揃いのドレスを着たくて、後からドレスのデザインを変更しました。当時のわたしは愚かでした。主催のわたしとドレスの色が被ってしまうことで、オリヴィア様の名誉を傷つけることになるなんて知らなかったんです」
黙ったままの私を見て、カレンは続けた。
「フランシス様とオリヴィア様の婚約を知って、わたしはフランシス様を訪ねました。それまでは……その、フランシス様は何度かわたしにお声を掛けてくださっていましたし、随分と急なお話だと思ったので。フランシス様は合理的な考えをお持ちの方ですから、オリヴィア様との婚約は政略的な理由で決めた愛のないものではないのかと心配になったんです。でも、フランシス様は安心していいと仰ったから。ですから、夜会の当日、突然あんなことになってしまって……」
なるほどね、と私は思った。
私との婚約を気にしてカレンが訪ねてきたことで、フランシスは彼女に想われていることを確信し、私との婚約を破棄することに決めたのだ。
私は長いあいだ、彼のことを従順でおとなしい弟のような存在だと思っていたけれど、どうやら違っていたようだ。
「わたし、まだお返事をしていないんです。フランシス様のお相手に相応しいのはオリヴィア様だって、わかっていますから。でも、それでもフランシス様をお慕いする気持ちが消せなくて……はっきり断るべきなのに、断ることができなくて」
「どうして断る必要があるの? 貴女は彼を愛していて、彼は貴女を愛している。それが全てだわ。貴女はフランシスの求婚を受けるべきよ」
私はきっぱりとそう告げて、颯爽と席を立った。
カレンに顔を見られたくなくて、足早に店を出た。
夜会会場から逃げ出したあの夜と同じように、私はひとり、公園で夜の空を見上げた。ざくりと砂を踏み締める音がして、振り返るとあの男が立っていた。彼は黙って私をみつめていた。
「私、やっぱりカレンが好きだわ」
私がぽつりとつぶやくと、彼は黙って頷いた。
「私、カレンと大切な友人のままでいたい。従順だったフランシスが、初めて私に歯向かってまで選んだ相手が彼女だったことが誇らしいわ。私、本当にふたりのことが大好きだわ……」
私がカレンからフランシスを横取りしたのは、フランシスと結婚したかったからではない。カレンとフランシスが結ばれてしまったら、今までの三人の関係が壊れてしまったら、私はどうすればいいのかわからなかったからだ。
「貴女は、大好きなふたりが離れていってしまうことが怖かったんですね」
穏やかな低い声が私の耳を掠めた。
胸の内を見透かされてしまったみたいで、気が付けば、涙がぽろぽろと溢れ出していた。
私が泣き出したからだろうか。嗚咽をあげる私の身体を、彼は黙って抱き締めてくれた。私はそのまま彼の胸に縋り付き、涙を流し続けた。
そして、その日を最後に、彼は私の前から姿を消した。
ただ、何も話さずにいると、いつまでも玄関前に陣取られて鬱陶しかったから。私の好きなものについてひとつふたつ話を聞かせてやると、彼は一言礼を言って帰っていった。
そんな毎日が一か月ほど続いたある日、彼が久しぶりに畏まった服装で玄関前に立っていた。
どうやら彼は私をディナーに誘いたいようで、「必ず、いつまでも待っている」と真剣な表情で言われてしまった。
これまでの経験から、彼が絶対に自分の言葉を曲げないだろうことがわかってしまって。閉店間近になってもひとりで席に座っている哀れな姿がありありと想像できてしまって。
私は仕方なく、彼が指定した時間にそのレストランに向かったのだけれど。
案内された席で私を待っていたのは、あの男ではなかった。大人しくて可愛らしい箱入りのご令嬢——フランシスの現在の婚約者、カレンだった。
すぐに引き返すこともできたはずだ。けれど、そんな負け犬のような惨めな真似はしたくなくて、私は黙ってカレンの向かいの席に着いた。
「どういうこと?」
私が訊ねると、カレンは顔を俯かせて、震える声でつぶやいた。
「オリヴィア様と、きちんとお話がしたくて」
私達の友情なんてとっくに消え失せてしまったのだと思っていたけれど、彼女はまだ、私に言いたいことがあるようだ。
私は黙ってカレンの話を聞くことにした。
カレンはこくりと息を飲んで、それからまっすぐ私をみつめて話しだした。
「わたし、フランシス様と婚約することになるだなんて思ってもみませんでした。フランシス様にはオリヴィア様がいましたから」
フランシスを横から掻っ攫っておいて、何をぬけぬけと。
私はそう思ったけれど、口に出したりはしなかった。
「金糸雀が猫に食べられてしまったとき、オリヴィア様はわたしを責めたりしませんでした。ですから、少しでもそのお返しがしたくて、オリヴィア様と親密だった下僕の男性が公爵様のお怒りを買って解雇されそうになったとき、父に頼んで伯爵家で彼を雇ってもらいました。誕生日パーティーではオリヴィア様とお揃いのドレスを着たくて、後からドレスのデザインを変更しました。当時のわたしは愚かでした。主催のわたしとドレスの色が被ってしまうことで、オリヴィア様の名誉を傷つけることになるなんて知らなかったんです」
黙ったままの私を見て、カレンは続けた。
「フランシス様とオリヴィア様の婚約を知って、わたしはフランシス様を訪ねました。それまでは……その、フランシス様は何度かわたしにお声を掛けてくださっていましたし、随分と急なお話だと思ったので。フランシス様は合理的な考えをお持ちの方ですから、オリヴィア様との婚約は政略的な理由で決めた愛のないものではないのかと心配になったんです。でも、フランシス様は安心していいと仰ったから。ですから、夜会の当日、突然あんなことになってしまって……」
なるほどね、と私は思った。
私との婚約を気にしてカレンが訪ねてきたことで、フランシスは彼女に想われていることを確信し、私との婚約を破棄することに決めたのだ。
私は長いあいだ、彼のことを従順でおとなしい弟のような存在だと思っていたけれど、どうやら違っていたようだ。
「わたし、まだお返事をしていないんです。フランシス様のお相手に相応しいのはオリヴィア様だって、わかっていますから。でも、それでもフランシス様をお慕いする気持ちが消せなくて……はっきり断るべきなのに、断ることができなくて」
「どうして断る必要があるの? 貴女は彼を愛していて、彼は貴女を愛している。それが全てだわ。貴女はフランシスの求婚を受けるべきよ」
私はきっぱりとそう告げて、颯爽と席を立った。
カレンに顔を見られたくなくて、足早に店を出た。
夜会会場から逃げ出したあの夜と同じように、私はひとり、公園で夜の空を見上げた。ざくりと砂を踏み締める音がして、振り返るとあの男が立っていた。彼は黙って私をみつめていた。
「私、やっぱりカレンが好きだわ」
私がぽつりとつぶやくと、彼は黙って頷いた。
「私、カレンと大切な友人のままでいたい。従順だったフランシスが、初めて私に歯向かってまで選んだ相手が彼女だったことが誇らしいわ。私、本当にふたりのことが大好きだわ……」
私がカレンからフランシスを横取りしたのは、フランシスと結婚したかったからではない。カレンとフランシスが結ばれてしまったら、今までの三人の関係が壊れてしまったら、私はどうすればいいのかわからなかったからだ。
「貴女は、大好きなふたりが離れていってしまうことが怖かったんですね」
穏やかな低い声が私の耳を掠めた。
胸の内を見透かされてしまったみたいで、気が付けば、涙がぽろぽろと溢れ出していた。
私が泣き出したからだろうか。嗚咽をあげる私の身体を、彼は黙って抱き締めてくれた。私はそのまま彼の胸に縋り付き、涙を流し続けた。
そして、その日を最後に、彼は私の前から姿を消した。
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