滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

触れる③

「リュックを起こして食事にしよう。顔を洗ってきても良いかな」

 あたりを見回し、焚き火の跡から少し離れて眠るリュックに目を向けると、マリアンルージュはいつもと変わらない調子でゼノに確認をとった。頷いたゼノに満面の笑みを向け、川原へと駆けていく彼女を、ゼノは半ば呆然と見送った。
 ひとり焚き火の側に残されたゼノは、砂利の上に座ったままゆっくりと目を閉じた。深く息を吸い、頭から爪の先まで感覚を研ぎ澄ます。

 何百年ものあいだ、ゼノは竜気で身を守ってきた。
 はじめは里の住人による物理的な攻撃からだった。けれど、いつしかそのちからはゼノ自身を世界から切り離してしまった。自分でも気がつかないうちに、自然と関わることを、人と接することを、拒絶してしまっていたのだ。

 ややあって、うっすらと瞼を開いたゼノは、朝方の冷えた空気に身を震わせた。
 二、三度手を握っては開き、その感覚を確かめる。上着の袖に腕を通し、胸元のボタンを掛けると、両腕を抱えて身を縮こまらせた。
 懐かしい感覚だった。

「寒い……」

 掠れた声で呟いて、ゼノは未だ眠ったままのリュックの傍へと歩み寄った。安らかに寝息を立てるリュックの肩に手を伸ばし、その手にちからを加えた、その瞬間。
 川原の茂みの向こう側で、マリアンルージュが短い悲鳴をあげた。

「マリア!?」「ねえちゃん!?」

 茂みへと注意を向けたゼノと同時に声をあげ、リュックが飛び起きた。

「起きてたんですか」
「べっ、別に、いいだろ」
「盗み聞きとは良い趣味だと思っただけです」
「そんな皮肉言ってる場合か!」

 先を争うようにふたりは砂利を蹴り、川原を駆け抜け、茂みの裏へと回り込んだ。

「マリア、どうかしましたか?」
「ゼノ、あれ……」

 ゼノが声を掛けると、呆然と立ち尽くしていたマリアンルージュがゼノとリュックを振り返り、前方を指差した。
 そこに横たわっていたのは変わり果てた岩豚の亡骸だった。血肉の全てを奪われたその身体は、薄桃色に染まる白骨を陽光の元に曝け出し、不気味なほどに美しく輝いていた。
 マリアンルージュが解体したあとの岩豚の姿をゼノは知らない。だが、彼女の取り乱しようから考えるに、岩豚は肉や臓物を残したまま、文字通り『死体』の、或いは『肉塊』の姿をしていたのだろう。
 どちらにせよ、目の前の岩豚のその姿は

「……マリアもリュックも、出血を伴うような怪我をしていなくて良かったですね」

 納得したように頷きながら、ゼノが呟いた。ひとり落ち着き払ったゼノに、マリアンルージュとリュックが困惑に満ちた視線を向ける。ふたりとも答えを急かすような、そんな眼をしていた。

「おそらくですが、これは夜行海月の仕業です。肉食海月とも呼ばれる、海に棲む海月という生き物に姿形が酷似した夜行性の生き物です。川や湖の微生物を主食にしていますが、動物の血肉が大好物で、怪我をして動けない動物を群れで襲って捕食したりもするんですよ」

 ゼノが淡々と説明するうちに、リュックの顔がみるみる青褪めていく。

「ちょっと待て。じゃあ昨日のあれ! たんこぶだけで済まずに怪我してたら、オイラもこんなんになってたってことか!?」
「ええ、ですから、たんこぶだけで済んで良かったですね、と……」
「おまっ……!」
「不可抗力ですって」

 半泣きで叫びながら、リュックはポカポカとゼノを叩いた。夜行海月が棲んでいるとは思わなかったと、ゼノが平謝りしながら弁解するが、リュックの猛攻は止まらない。

「それに、夜行海月は火を嫌いますから。襲われても追い払うことはできますよ」
「そういう問題じゃ――」
「リュック、お願いがあるんだ」

 更に詰め寄るように口を開いたリュックだったが、その言葉はマリアンルージュの呟きに遮られてしまった。リュックの肩に手を掛けたまま、マリアンルージュはしゅんとして頭を下げた。



***


 川原で火を囲んで朝食を取ったあと、三人は森へ向かい、一本の木を選び、その根元に大きな穴を掘った。道具になるようなものは木の枝しかなかったけれど、誰も文句は言わなかった。骨だけになった岩豚を運び、三人でその穴に埋めた。
 マリアンルージュの頼みは、墓に添える白い花を咲かせることだった。彼女の願いどおり、リュックは純白の花弁をもつ美しい花を咲かせた。
 盛り上がった土の前にしゃがみ込み、墓に花を添えると、マリアンルージュはぽつぽつと語りだした。

「わたしたちの里には死者の埋葬という習慣はなかったけれど、狩りで捕らえた獲物にはこうしてお墓を作っていたんだ。飢えから救ってくれた、感謝の気持ちの代わりにね」

 死者の冥福を祈るように、マリアンルージュが眼を伏せる。それに倣うように黙祷し、ゼノは思い馳せた。


 闇の中を彷徨う死者の魂は、終わりのない旅をする。
 生者が手向けるその花は、死者の魂を天国へと導く道標になる。
 あのとき手向けた花束は、眠りについたあの村の人々を天国へと導くことができただろうか。


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