滅びゆく竜の物語

柴咲もも

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第二章 死する狼のための鎮魂歌

自由都市②

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 自由都市アルティジエの市街区は、石造りの城壁に囲まれており、市内に入るには堀に架けられた三つの橋の終着点にある市門を通る必要があった。
 自警団と思われる数人が見張りについていたが、滞在予定日数と街の利用目的の確認を簡単に済ませると、すんなりと門を通ることが出来た。


「わぁ……」

 石畳の敷かれた急な坂道を登っていく途中、道の脇に並ぶ手入れの行き届いた花々を見て、マリアンルージュが感嘆の声をあげた。弾むように坂道を駆け上がる彼女のあとを、ゼノも歩調を速めて追いかける。
 坂道の傾斜が緩やかになると、その先には市街区が広がっており、色鮮やかな赤い屋根と白い石造りの壁の家が道の両脇に規則正しく建ち並んでいた。

「綺麗な街だね」

 登り切った坂の上でマリアンルージュがくるりと振り返り、にっこりとゼノに笑いかける。
 イシュナードと里の外を遊び歩いたゼノとは違い、マリアンルージュは人間の街を知らない。ふたりが生まれ育った里では木造の小屋が大半であり、道中立ち寄ったヤンの村もふたりの故郷と似たようなもので、景観を考慮して造られたこの街アルティジエの風景は、マリアンルージュの瞳にはさぞかし美しく映ったことだろう。
 眼下に広がる市街区を見下ろして、子供のようにはしゃぐマリアンルージュを眺めていると、ゼノの表情も自然と和らぐようだった。

 石畳の道に沿って市街区を通り抜けると、やがて街の様子に変化が現れた。行き交う人々の数が増え、通りが賑やかになっていく。道の両脇に並んでいた民家がなくなり、代わりに様々な専門店が並び始めた。店先のテントで買い物客を呼び込む店主の声が、あちこちで飛び交っている。

「凄い人だね……」
「外部との交流が少ないとはいえ、アルティジエは一国の首都と同等の人口の街ですからね」
「気のせいかもしれないけど、すごく注目されてる気がする……」

 そう言って身を縮こまらせるマリアンルージュを見て、ゼノは周囲を見回した。確かに、すれ違う人々が物珍しそうな目でふたりを見ている。
 旅人が珍しいというのも一因だろう。事実、黒づくめのゼノの姿は、通りを行く人々の中でも浮いていた。だが、それ以上に注目されているのは、薄汚れたぶかぶかのローブを身に纏って歩くマリアンルージュのほうだった。田舎と違い、洒落た衣服で着飾るこの街の人々の目には、さながら奴隷のように映るのかもしれない。
 道の中央で立ち止まり、僅かに考え込むと、ゼノは改めて周囲を見回した。人混みの向こう側の店先に提げられた看板に目を止めたると、ゼノはマリアンルージュの手を取り、足早に歩き出した。

「ど、どうしたの?」

 人混みを掻き分けて進むゼノのあとを、マリアンルージュが慌てて追いかける。辿り着いた先に、軒下に仕立屋と書かれた看板を掲げた店があった。木製の扉を軽く叩くと、ゼノはマリアンルージュの手を引いて店に入った。


 全ての窓にカーテンが掛けられた薄暗い店内は、外の賑わいとは打って変わり、しんと静まり返っていた。広間には煌びやかな装飾の施されたドレスや、希少な生地で作られたコートを着た等身大の人形が並んでおり、その奥にカウンターが設置されていた。呼び鈴を鳴らしてみたが、人がやってくる気配は無い。

「すごいね。お洒落な服がたくさん……」

 無言で店の奥へと向かうゼノを余所に、マリアンルージュが感嘆の声を洩らす。何度も足を止め、着飾った人形を食い入るように見つめては、瞳を輝かせていた。
 全ての住人が同色同素材の衣類を身につけていた故郷のことを考えれば、マリアンルージュの反応にも頷ける。あの里の衣装は、祝い事で着飾るときでさえ髪の色に合わせた装飾を施す程度のもので、人間の服とは比べるまでもないほど地味なものだった。
 
「店主を呼んできます。どんな服が良いか決めておいてください」
「えっ? ちょっと待って、ゼノ! 決めるって……」

 あたふたと狼狽えるマリアンルージュを広間に残し、カウンターの裏側に回り込むと、ゼノは奥の部屋へと続く扉を開けた。

 店の奥に位置するその部屋は、こじんまりとした作業部屋になっていた。壁際には整然と収納棚が立ち並び、部屋の隅には袖のないコートを着た等身大の人型が置かれていた。床には糸くずと端切れが散らかっており、足の踏み場がない。
 窓から差し込む陽光の中で、針と糸を手にした男が入り口に背を向けて座っていた。

「人の仕事場に無断で入るもんじゃねぇ」

 後方を振り返りもせずに、男は低い声で呟いた。手を止めることなく、作業台に置かれた上質の布地に金の糸を通していく。狗鷲をモチーフにした刺繍が襟に施されたその衣装は、王侯貴族が身に纏う礼服のようだった。

「呼び鈴を鳴らしたのですが、返事がなかったものですから」

 ゼノが言うと、男は作業の手を止めて振り返った。白髪混じりの頭髪に顰めっ面が良く似合う中年の男だ。

「ベルンシュタインのお偉いさんから注文が入っててね。仕立てが終わるまでにあと二、三日はかかる。今日のところはお引き取り願いたいね」

 頭頂から爪先までゼノの身体に視線を巡らせ、溜め息を吐くと、男は一息にそう言って、再び作業台に向かった。
 どうやらこの男がこの店の主のようだが、ゼノの話を聞く気はないらしい。

「では、他に仕立てを請け負って貰えるような店を教えていただけませんか? 他所の土地から来たもので、この街に詳しくないのです」
「そんなもん、見りゃわかるよ」

 仕立て屋の男は作業の手を止めることなく言い返した。とりつく島もない、とはこの状態を言うのだろう。
 軽く息を吐くと、ゼノは広間に戻り、飾られた衣装を見て回っていたマリアンルージュに声を掛けた。

「お待たせしました。立て込んでるようなので別の店を探しましょう」
「服のことなら気にしないで良いよ」
「そうもいきません。俺と違って、貴女は女性なんですから」

 遠慮するマリアンルージュを説得しながら、ゼノが店を出ようとした、そのときだった。けたたましい足音を響かせて、奥の作業部屋から仕立て屋が飛び出してきた。

「ちょ、ちょっと待て!」
「なんでしょうか」
「その、用件と言うのは、そのの服を仕立てることで良いのか?」

 勢い良く詰め寄られ、ゼノが無言で頷くと、仕立て屋はゼノの腕を掴み、店内へと引きずり戻した。熱意の篭った視線を向けられ、思わず後ずさったゼノに、仕立て屋が熱く語りはじめる。

「恋人へのプレゼントに服を選んだその心意気が気に入った! 最近の若い連中は、プレゼントとくればやれ指輪だやれ首飾りだと、宝飾類しか眼中にねぇときた。一昔前なら、嫁入り前の娘は婚姻衣装を自分で作るのが当たり前なくらい、身に纏う衣装には想いが込められていると考えられていたのにだ。だが、あんたは違う。あんたは仕立てのなんたるかを理解してる。用件を聞こうじゃないか」

 熱弁を奮い、仕立て屋はゼノの手を握り締めた。
 なにやら話が飛躍しているが、マリアンルージュの服を仕立てる気にはなったらしい。恋人だのプレゼントだの、完全に誤解されているようだが、それはこの際どうでもいいだろう。
 愛想の良い笑顔を作り、ゼノは快く頷いた。


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