メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも

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捻くれ子爵の不本意な結婚

◎9

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 帰り道、アーデンは思わせぶりな言葉を口にしたものの、結局、シャノンが恐れるようなことは何ひとつしなかった。
 やはりそうだ、とシャノンは確信した。昨夜、ラーズクリフ伯爵が言っていたとおり、アーデンは本来誠実な男なのだ。少なくとも、シャノンがそう信じる素振りを見せている限りは。
 メイウッド家のテラスハウスに着いた頃には、すっかり日が暮れていた。アーデンは街灯の明かりの下で馬車を停め、石畳の道路にシャノンを降ろした。ふたり連れ立って階段を上がり、玄関横の呼び鈴を鳴らす。まもなく開いた扉から顔を出したのは従僕のダンだった。
「おかえりなさいませ、お嬢様。応接室でミセス・ドノヴァンがお待ちです」
 彼はにこやかに笑って頭を下げると、ふたりを応接室へ案内した。

 応接室では、伯母が両腕を広げてシャノンを待ち構えていた。
「まあまあまあ、随分と長いお散歩だったようね」
 彼女は猫なで声でそう言うと、マッチ棒のような細い腕でシャノンを抱き寄せ、頬にキスをした。そうして足の先から頭のてっぺんまで、シャノンの全身に素早く視線を巡らせた。
「素敵なドレスだわ」
 嬉しそうに微笑んで、シャノンの隣に立つアーデンを見上げて言った。
「アーデン卿もお疲れでしょう。このような時間ですから、一緒にお食事でもいかが?」
「いえ、残念ですがこのあと野暮用がありまして。すぐに戻らなければなりません」
 アーデンが弱った顔で応えると、伯母は「まあ、残念」と本当に残念そうに肩を竦めてみせた。アーデンは愛想良く笑い、帽子を脱いで背筋を伸ばして、畏まった様子で伯母と向かい合った。
「ミセス・ドノヴァン。折り入って貴女に相談したいことがあります」
「と、仰いますと?」
 わざとらしく小首を傾げた伯母は、待ってましたと言わんばかりに期待で瞳を輝かせていた。アーデンは横目でちらりとシャノンを見ると、一瞬不敵に口の端を上げ、伯母の期待どおりの言葉を口にした。
「ミス・シャノン・メイウッドとの結婚を認めていただきたいのです」
 元々ほんの僅かの期待すらされていなかったシャノンが、爵位持ちの——いずれはプラムウェル伯の爵位を継ぐ男性から求婚されたのだ。伯母はもちろんのこと、この知らせを受ければ、きっと父も手放しで喜ぶだろうことは、目に見えて明らかだった。
「本来ならば、ミスター・メイウッドに話を通すのが筋でしょう。ですが、ぼくはすぐにでも彼女と結婚したい。手紙のやり取りをする時間すら惜しい。ひとときでも離れがたいほど、彼女を愛しているのです」
 まるで息をするようになめらかに、彼は嘘を吐いた。シャノンは信じられない思いで目を見開いた。これほどまでに堂々と嘘を吐く人物を見たのは、長いとは言えないシャノンの人生で初めてのことだった。
 シャノンは気まずい思いでうつむいた。これまでに見せた反応から考えて、アーデンの申し入れを伯母が断ることはないはずだ。けれど、伯母はおそらく誤解してしまった。アーデンがシャノンのことを憎からず思っているのだろうと。
 案の定、伯母はアーデンの申し入れを快く承諾した。アーデンはにこやかに微笑むと、フロックコートの内ポケットから白い封筒を取り出した。
「来週、オグバーン氏が主催する夜会に招待されています。彼女には是非、婚約者としてぼくと出席してもらいたい。もちろん、ミセス・ドノヴァン——貴女と、ミス・ヴァイオレット・メイウッドにも」
 穏やかにそう告げて、彼は伯母に封筒を手渡した。伯母は受け取った封筒を胸に抱き、歓喜の雄叫びを必死にこらえているようだった。別れを告げて部屋を出ていくアーデンの見送りに立つ余裕すらないらしい。構うことなく玄関に向かうアーデンを、シャノンは慌てて追いかけた。
 一言彼に言いたかった。伯母の前では言えないことを。

「アーデン!」
 声を潜めてシャノンが呼ぶと、彼は玄関の前で足を止め、振り返った。シャノンは呆れ半分に口を開いた。
「よくもまあ、あんな嘘を……」
「何が嘘だって?」
「私のことを、愛してるって」
「ああ、あれか。気に入らなかったなら謝るよ。でも前以て言っておいたはずだろう? ぼくたちは熱烈な恋愛結婚を装う必要があると」
 彼は何食わぬ顔で言った。そうして、呆然と目を瞬かせるシャノンを見下ろして、珈琲色の瞳をすっと細めた。
「そんなことよりも、ちゃんと話を聞いていたかい、ダーリン? きみには、ぼくと一緒にオグバーン氏の夜会で仲睦まじい婚約者を演じてもらわなければならないんだ。いいね?」
 シャノンは渋々うなずいた。それから牽制の意を込めて、アーデンを睨み付けた。
「わかってるわ。あなたのほうこそ、約束は守ってくださるわよね?」
 ツンと澄ましてシャノンが言うと、彼は愉快そうに笑って言った 。
「もちろん、必要以上のスキンシップは控えるよ」
 それからシャノンの手を取って、薄いレースの手袋越しに手の甲から指先までゆっくりと親指をすべらせて、シャノンの瞳をみつめたまま、そっと指先に口付けた。

 夜の街へ向けて走り出したカブリオレを見送ると、シャノンは急いで屋敷に戻り、玄関の扉を閉めて、そのまま扉に背を預けた。春の夜風はまだ冷たくて、身体が少し震えている。レースの手袋に包まれた指先だけが、燃えるように熱かった。
 このままでは危険だと、シャノンの理性が訴えていた。元々シャノンは活発なほうではなく、異性と触れ合うような経験が少なかった。社交界にデビューしてから何度か夜会に出ていたものの、ダンスに誘われた経験も片手で数えきれるほどしかなかった。社交の場でのシャノンはレティの添え物でしかなく、華やかで美しい姉をダンスに誘えなかった紳士たちが仕方なしにパートナーに選ぶ相手でしかなかったのだ。
 だから、なんとも思っていない相手に対して恋人のように振る舞えるアーデンに困惑していた。彼の優しい言葉や親密な振る舞いに、どうしようもなく心が乱されていた。昨夜、東屋で抱き締められてキスされたときには、あんなに怖いと思っていたのに。みつめられたり触れられたり、あまい言葉を囁かれたり、そんな些細なことだけで、現実を見失いそうになる。
 アーデンは私を利用しているだけだ。シャノンは自分に言い聞かせた。彼は愛するレティの評判を守るために、偽りの婚約者を演じているだけなのだ。
 気を許してはいけない。彼は根っからの嘘吐きで、目的のためになら自分すら容易く偽ることができる男なのだから。
 目的を見誤ってはいけない。この婚約は、レティの幸せな結婚のための踏み台でしかないのだから。

 薄暗い廊下を進んでいくと、応接室から伯母の笑い声が聞こえた。話し相手は従僕のダンか、他の使用人の誰かか、それとも独り言だろうか。伯母が自慢げに自分の功績を——地味で冴えない妹娘を誰もが羨む相手と結び付けた介添人としての手腕を——讃えていた。
 先ほど伯母は、じきに夕食だと言っていた。シャノンとアーデンのことを知らされているか、これから知るのかはわからないが、レティも食堂に降りてくるだろう。その前に一度自室に戻り、いつもの服に着替えたい。せめて姿かたちだけでも、大嘘吐きのアーデンの婚約者なんかじゃなく、地味で冴えない、結婚とは無縁の娘だったシャノン・メイウッドに戻りたい。
 真っ白で華やかなデイドレスのスカートを摘み上げて、シャノンは足早に階段を上った。けれど、二階の廊下の暖かな明かりがぼんやりと見えたとき、その足はぴたりと動きを止めてしまった。
 階段の踊り場にレティが立っていた。いつもと変わらない洗練されたドレス姿で、彼女はまっすぐにシャノンをみつめていた。
 シャノンには、レティが身に纏う空気がいつもの朗らかなものではなく、ぴりぴりと神経質に張り詰めたもののように思えてならなかった。
「話があるの」
 そう言ってシャノンにくるりと背を向けると、レティは二階への階段をつかつかと上りはじめた。

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