メイウッド家の双子の姉妹

柴咲もも

文字の大きさ
35 / 42
捻くれ子爵の不本意な結婚

◇33

しおりを挟む
 レディ・ラーズクリフの誕生日パーティーでは、晩餐のあと舞踏会が開かれるのが恒例になっていた。食事を終えた客人は控えの間で休憩を取ったあと、名前を読み上げられた者から舞踏室へと通される。セオドア・マナーの舞踏室は街のダンスホールさながらの広さがあり、壁という壁が、窓枠が幾何学模様を描いた背の高いガラス窓になっていた。吹き抜けの天井にはクリスタルのシャンデリアが煌めいて、二階ではホールを見下ろせる通路が壁沿いをぐるりと取り囲んでいる。蔓模様の装飾が施された柱には、ラーズクリフ伯の象徴である薔薇と獅子を描いた鮮やかなタペストリーが飾られていた。
 アーデン卿の名が読み上げられると、トリスタンはシャノンを連れて舞踏室に向かった。フロアへと続く階段を降りるあいだ、シャノンはしっかりとトリスタンの腕に掴まって、背筋をしゃんと伸ばし、視線はまっすぐにホールを見据えていた。先ほどトリスタンが口にした言葉どおり、自信を持って堂々としていれば、シャノンは誰にも負けないほど綺麗だった。オグバーン氏主催の夜会では結局挨拶回りをすることができず、プラムウェルでの婚礼にも限られた知人しか招待しなかったため、トリスタンはレディ・アーデンとなったシャノンの紹介を兼ねて、知人に挨拶して回ることにした。
 トリスタンが紹介を終えて次の相手の元に向かうたびに、シャノンはひとりひとりの顔と名前を記憶に刻むようにつぶやいていた。
「誰が誰だかわからない?」
 トリスタンが茶化すように訊ねると、シャノンは切迫した表情でトリスタンを見上げ、微かに震えが混じる声で応えた。
「ごめんなさい。私、こういうのは得意じゃなくて」
「誰だってそうさ」
「そんなことないわ。レティは一度話した相手のことは覚えていたもの。見聞きしただけの相手のことだって、すべて」
「いいかいダーリン、人には得手不得手があるんだ。きみは一度に全員の顔を覚える必要なんてない。これからも招待を受けるたびに顔を合わせることになるのだから、その都度覚えていけば良い。今夜のうちに覚えておくべき相手だけは事前にぼくが教えるから、まずはそのがちがちに凝り固まった肩のちからを抜いて、にっこり笑ってごらん」
 トリスタンが言い聞かせると、シャノンはぎこちない笑みでうなずいて、彼の上腕に縋るように腕を絡めた。そこでトリスタンは、社交界における重鎮と、付き合いの多い友人知人など、覚えておくべき相手に声を掛ける前にだけ、シャノンに合図を送ることにした。

 すべての招待客が舞踏室に集まると、楽団によるワルツの演奏が始まった。トリスタンは頃合いを見計らって挨拶回りを切り上げると、シャノンをフロアへと連れ出した。
 トリスタンはシャノンを褒めてやりたかった。安心させてやりたかった。人の目がなければ抱き締めていただろうけれど、舞踏室に集まった大勢の招待客の目の前では、それを行動に移すのは躊躇われた。
 シャノンの手を取り、腰に腕を回して、力強いリードでステップを踏む。はじめは強張っていたシャノンの表情も、曲が進むに連れて次第に和らいでいった。
 トリスタンはシャノンと踊るのが好きだった。彼女は以前、ダンスは苦手ではないけれど得意でもないと言っていた。だが、彼女が自分のダンスを下手だと思っているのなら、それは大きな間違いだ。男性側がしっかりリードしてやれば、彼女はどんな難しいステップにもきちんとついてくることができる。軽やかな足取りで、一度も躓くことなく踊ることができるのだ。
 もし、彼女のダンスが下手だと言う男がいたのだとしたら、そいつは自分の無能さをひけらかしているだけだ。こうしてダンスを踊っていても、彼女は充分にトリスタンを満たしてくれる。きっとベッドの中でだって、このうえない至福の時間を味わえるはずだ。
 ごく自然にそう考えて、次の瞬間、トリスタンは蒼白になった。ステップを踏んでいた足が不意に止まる。見下ろせば、シャノンが大きく目を見開いて、トリスタンを見上げていた。
「どうしたの?」
「いや……」
 低く唸りそうになるのを、彼はすんでのところで堪えた。
「疲れただろう? 少し休もう」
 平静を装ってそう言うと、トリスタンは壁際に置かれたベルベットの椅子までシャノンを連れて行った。シャノンはまだ怪訝な表情をしていたが、彼に促されるままにおとなしく椅子に掛けた。
「飲み物を取ってくるよ。何がいい?」
「泡のない飲み物がいいわ。お願いできる?」
「もちろん」
 トリスタンはにっこり笑って応えると、颯爽とその場を後にした。

 心臓が激しく胸を打っていた。両腕がまだ、彼女の温もりと感触をはっきりと覚えている。
 ベッドの中で、だなんて、一体何を血迷っていたのだろう。彼女はまだトリスタンに身体を許していない。キス以上の関係を望むことは、彼女を裏切ることに他ならないというのに。
 シャノンは肉付きが良い方ではなく、身体つきも華奢だった。けれど、頬も肩も腰回りも女性らしく丸みを帯びており、抱き寄せた腕から伝わる感触は驚くほど柔らかかった。彼女は蘭とバニラが合わさった甘い香りがした。トリスタンの心を酷く掻き乱す誘惑の香りだ。
 この数日、彼は必死に己の欲望と戦ってきた。毎晩腕の中に彼女がいて、艶やかな髪から、繊細な首筋から香る甘い匂いが鼻腔をくすぐるのだ。誘惑に堪えきれずトリスタンが首筋に顔を埋めても、彼女は嫌とは言わなかった。彼女のその反応は、余計にトリスタンを惑わせた。
 今夜にでも話をしてみよう、とトリスタンは思った。約束を反故にするのをこちらから言い出すのは気が引けるけれど、もしかしたら彼女も口に出して言えないだけで、トリスタンとより親密な関係になることを望んでいるかもしれない。無理強いさえしなければ——改めてお互いの意思を確認するだけならば、今の関係が壊れることもないはずだ。
 まだ待つことはできる。けれど、トリスタンはこの件について、これ以上先延ばしにしたくなかった。彼はシャノンと名実ともに夫婦になりたかった。信頼されるだけではない。一方的に愛を注ぐだけの関係でもない。互いに深く理解し合い、愛し合う関係になりたかった。

 蔓模様の支柱の側で、給仕がシャンパンを振る舞っていた。手には銀色のトレーを持っており、その上に細長いシャンパングラスやカクテルグラスが並んでいる。
「泡のない飲み物はないかな」
 トリスタンが訊ねると、給仕はにこやかに微笑んで、応えた。
「フルーツワインの用意がございます。すぐにお持ち致しましょう」
 軽く一礼してホールを出て行く給仕の背中を、トリスタンは壁際に立ってのんびりと見送った。カドリールの演奏がはじまって、賑やかな声がフロアのあちこちで響いた。男女が向かい合って並び、砂浜に押し寄せる波のように、引いては寄せてを繰り返す。トリスタンは首を伸ばし、揺れ動く人波の向こうにシャノンの姿を探したが、椅子に座っている彼女の姿が見えるはずもない。
 トリスタンは壁に背を凭れたまま、テールコートの内ポケットから懐中時計を取り出した。時計の秒針が時を刻む間隔が、やたらと遅く感じられる。シャノンの元を離れてから、たった数分しか経っていないというのに、彼女に会いたくて堪らなかった。
 ややあって、先ほどの給仕がホールに戻ってきた。甘い香りが漂うフルーツワインのグラスをトリスタンが受け取ると、ちょうどカドリールの演奏が終わり、人の影がフロアの外に捌けていった。
 トリスタンは逸る思いでフロアの向こうを振り返り、麗しのシャノンを求めて視線を彷徨わせた。壁際に置かれたベルベットの椅子は瞬時に目に留まった。けれど、そのときすでに、シャノンの姿はその場から消えていた。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

俺様上司に今宵も激しく求められる。

美凪ましろ
恋愛
 鉄面皮。無表情。一ミリも笑わない男。  蒔田一臣、あたしのひとつうえの上司。  ことあるごとに厳しくあたしを指導する、目の上のたんこぶみたいな男――だったはずが。 「おまえの顔、えっろい」  神様仏様どうしてあたしはこの男に今宵も激しく愛しこまれているのでしょう。  ――2000年代初頭、IT系企業で懸命に働く新卒女子×厳しめの俺様男子との恋物語。

黒瀬部長は部下を溺愛したい

桐生桜
恋愛
イケメン上司の黒瀬部長は営業部のエース。 人にも自分にも厳しくちょっぴり怖い……けど! 好きな人にはとことん尽くして甘やかしたい、愛でたい……の溺愛体質。 部下である白石莉央はその溺愛を一心に受け、とことん愛される。 スパダリ鬼上司×新人OLのイチャラブストーリーを一話ショートに。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

Melty romance 〜甘S彼氏の執着愛〜

yuzu
恋愛
 人数合わせで強引に参加させられた合コンに現れたのは、高校生の頃に少しだけ付き合って別れた元カレの佐野充希。適当にその場をやり過ごして帰るつもりだった堀沢真乃は充希に捕まりキスされて…… 「オレを好きになるまで離してやんない。」

アダルト漫画家とランジェリー娘

茜色
恋愛
21歳の音原珠里(おとはら・じゅり)は14歳年上のいとこでアダルト漫画家の音原誠也(おとはら・せいや)と二人暮らし。誠也は10年以上前、まだ子供だった珠里を引き取り養い続けてくれた「保護者」だ。 今や社会人となった珠里は、誠也への秘めた想いを胸に、いつまでこの平和な暮らしが許されるのか少し心配な日々を送っていて……。 ☆全22話です。職業等の設定・描写は非常に大雑把で緩いです。ご了承くださいませ。 ☆エピソードによって、ヒロイン視点とヒーロー視点が不定期に入れ替わります。 ☆「ムーンライトノベルズ」様にも投稿しております。

ちょっと大人な物語はこちらです

神崎 未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な短編物語集です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

イケメン社長からの猛烈求愛

鳴宮鶉子
恋愛
イケメン社長からの猛烈求愛

処理中です...