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捻くれ子爵の不本意な結婚
◉33.5
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名前を読み上げられて舞踏室に入ったとき、ヴァイオレットはその場から逃げ出したいと思わずにはいられなかった。ラーズクリフの射るような視線が、まっすぐ自分に向けられていたからだ。彼は舞踏室の際奥で、椅子に掛けた彼の母に寄り添うように立っていた。シンプルな夜会服に身を包み、いつもどおりの完璧な紳士を装っていたけれど、その目は挑発するようにヴァイオレットを見据えており、身を焦がすような情欲が全身から迸っているようだった。
ヴァイオレットは負けじと背を伸ばし、つんと顎を上げて、淑女らしく優雅にフロアへの階段を降りた。シーズン中のあらゆる夜会でそうだったように、ホールに居た紳士たちの賞賛の視線が瞬く間にヴァイオレットに向けられた。
彼女はこのような状況に慣れていた。そのはずだった。けれど、いつまでも肌に刺さるラーズクリフの視線だけが、気になって仕方がなかった。
——そうよ、シシリー子爵。彼を捜さなければ。
ヴァイオレットは冷静にホールに目を配った。ラーズクリフは、パーティーに来ればシシリーに会えると言っていた。彼はこの会場のどこかにいるはずだ。
——でもなぜ? なぜ名乗り出てくれないの? もし、本当にここにいるなら、私にエスコートの申し出をしてくれても良かったはずでしょう?
またしてもラーズクリフに担がれたのだろうか。あの男は卑劣な嘘付きだ。なぜ社交界で聖人君子のように扱われているのかわからない。
フロアに降り立つと、ヴァイオレットはなるべくラーズクリフから遠ざかるように、壁を背にして壁際に立った。すぐさま紳士が近付いてきて、ヴァイオレットは瞬く間に数人の紳士に囲まれた。どの顔にも見覚えがあって、ヴァイオレットはすぐさま彼らを思い出した。コリンズ卿にノースウッド卿にミスター・スキナーだ。シーズン中に夜会で何度か顔を合わせたし、贈り物をいただいたこともあった。
ヴァイオレットはホッとしていた。紳士たちが壁になって、ラーズクリフの視線を遮ってくれているのがありがたかった。何気ない会話を楽しんだあと、ヴァイオレットとダンスの約束をして、ノースウッド卿とミスター・スキナーは去っていった。
「では、ミス・メイウッド。こちらへどうぞ」
一番にダンスの権利を得たコリンズ卿が、爽やかに微笑みながら腕を差し出したので、ヴァイオレットはその腕に手を置いて、フロアへと進み出た。
久しぶりのダンスだった。シャノンの結婚披露パーティー以来かしら。ぼんやりとそう考えて、ヴァイオレットは軽やかにステップを踏んだ。コリンズ卿はリードが上手く、笑顔も素敵だった。彼は侯爵の跡取りで、ヴァイオレットとそう年齢も離れておらず、結婚相手としては申し分ない相手だった。ラーズクリフと知り合う以前、まだ貴族との結婚を考えていた頃、ヴァイオレットの花婿候補としては最有力だと伯母にも言われていた。
「すっかり夜会で見かけなくなったから、もう他の誰かと婚約してしまったのかと思っていたよ」
彼は屈託なく笑って言った。
「まさか、相手なんていませんわ。結婚を急ぐ必要だってありませんもの」
にっこり笑ってそう言って、ヴァイオレットはぞくりと背筋を震わせた。コリンズ卿は一方の手でヴァイオレットの手を握り、もう一方の手で礼儀正しく背に触れている。肌が焼けるようなこの感覚を引き起こしているのは彼ではなかった。
——ラーズクリフ!
素早く視線を動かして見ると、ラーズクリフはいつのまにか、先ほどヴァイオレットが紳士たちと歓談していた壁際から、数歩先に立っていた。誰かと話をしているものの、煮え滾る情欲をその瞳に孕ませて、遠慮のない視線を熱心にヴァイオレットに注いでいる。
「どうやら彼は、きみにご執心のようだ」
コリンズ卿が低く笑う。「あり得ないわ」ヴァイオレットは首を振った。
「可哀想に。ノースウッドとスキナーの順番は後回しだな。僕も、このあと無事でいられるかどうか」
「乱暴はさせないわ。あなたの無事は保証します。あなたに手を出さないように、私から彼に話しておくわ」
「そうしてくれると助かる」
そう言うと、コリンズ卿は口の端をあげてウインクした。
ワルツの演奏が終わり、続けてカドリールの演奏がはじまった。礼儀に則って一礼すると、ヴァイオレットはコリンズ卿と別れ、壁際の席へと戻った。
ラーズクリフは先ほどよりも近い位置で、相変わらずの熱心な視線をヴァイオレットに向けていた。そのことに気が付いていない数人の紳士が、またヴァイオレットを取り囲む。
優美に、華やかに、淑女らしく笑顔を振りまきながら、ヴァイオレットは胸中で悪態をついた。
まったく何様のつもりなの? 我が物顔で私を見て、無関係な人を牽制するなんて!
——「ワルツを一曲、私と踊ってくれるだけで良い。今日のところはそれで満足できる」
懇願するような彼の声が、耳の奥で蘇った。ヴァイオレットは溜め息をひとつ吐くと、次々に寄せられる申し出の言葉に丁重に断りを入れていった。カドリールの演奏が終わる頃には、ヴァイオレットの周りに紳士の姿はなくなっていた。
「お手をどうぞ、ミス・メイウッド」
慇懃無礼なその態度が鼻につく。ヴァイオレットは素早く椅子を立ち、差し出された腕に手を掛けると、ゆっくりと顔を上げ、目の前の恐ろしく整った顔を睨み付けた。
ヴァイオレットは負けじと背を伸ばし、つんと顎を上げて、淑女らしく優雅にフロアへの階段を降りた。シーズン中のあらゆる夜会でそうだったように、ホールに居た紳士たちの賞賛の視線が瞬く間にヴァイオレットに向けられた。
彼女はこのような状況に慣れていた。そのはずだった。けれど、いつまでも肌に刺さるラーズクリフの視線だけが、気になって仕方がなかった。
——そうよ、シシリー子爵。彼を捜さなければ。
ヴァイオレットは冷静にホールに目を配った。ラーズクリフは、パーティーに来ればシシリーに会えると言っていた。彼はこの会場のどこかにいるはずだ。
——でもなぜ? なぜ名乗り出てくれないの? もし、本当にここにいるなら、私にエスコートの申し出をしてくれても良かったはずでしょう?
またしてもラーズクリフに担がれたのだろうか。あの男は卑劣な嘘付きだ。なぜ社交界で聖人君子のように扱われているのかわからない。
フロアに降り立つと、ヴァイオレットはなるべくラーズクリフから遠ざかるように、壁を背にして壁際に立った。すぐさま紳士が近付いてきて、ヴァイオレットは瞬く間に数人の紳士に囲まれた。どの顔にも見覚えがあって、ヴァイオレットはすぐさま彼らを思い出した。コリンズ卿にノースウッド卿にミスター・スキナーだ。シーズン中に夜会で何度か顔を合わせたし、贈り物をいただいたこともあった。
ヴァイオレットはホッとしていた。紳士たちが壁になって、ラーズクリフの視線を遮ってくれているのがありがたかった。何気ない会話を楽しんだあと、ヴァイオレットとダンスの約束をして、ノースウッド卿とミスター・スキナーは去っていった。
「では、ミス・メイウッド。こちらへどうぞ」
一番にダンスの権利を得たコリンズ卿が、爽やかに微笑みながら腕を差し出したので、ヴァイオレットはその腕に手を置いて、フロアへと進み出た。
久しぶりのダンスだった。シャノンの結婚披露パーティー以来かしら。ぼんやりとそう考えて、ヴァイオレットは軽やかにステップを踏んだ。コリンズ卿はリードが上手く、笑顔も素敵だった。彼は侯爵の跡取りで、ヴァイオレットとそう年齢も離れておらず、結婚相手としては申し分ない相手だった。ラーズクリフと知り合う以前、まだ貴族との結婚を考えていた頃、ヴァイオレットの花婿候補としては最有力だと伯母にも言われていた。
「すっかり夜会で見かけなくなったから、もう他の誰かと婚約してしまったのかと思っていたよ」
彼は屈託なく笑って言った。
「まさか、相手なんていませんわ。結婚を急ぐ必要だってありませんもの」
にっこり笑ってそう言って、ヴァイオレットはぞくりと背筋を震わせた。コリンズ卿は一方の手でヴァイオレットの手を握り、もう一方の手で礼儀正しく背に触れている。肌が焼けるようなこの感覚を引き起こしているのは彼ではなかった。
——ラーズクリフ!
素早く視線を動かして見ると、ラーズクリフはいつのまにか、先ほどヴァイオレットが紳士たちと歓談していた壁際から、数歩先に立っていた。誰かと話をしているものの、煮え滾る情欲をその瞳に孕ませて、遠慮のない視線を熱心にヴァイオレットに注いでいる。
「どうやら彼は、きみにご執心のようだ」
コリンズ卿が低く笑う。「あり得ないわ」ヴァイオレットは首を振った。
「可哀想に。ノースウッドとスキナーの順番は後回しだな。僕も、このあと無事でいられるかどうか」
「乱暴はさせないわ。あなたの無事は保証します。あなたに手を出さないように、私から彼に話しておくわ」
「そうしてくれると助かる」
そう言うと、コリンズ卿は口の端をあげてウインクした。
ワルツの演奏が終わり、続けてカドリールの演奏がはじまった。礼儀に則って一礼すると、ヴァイオレットはコリンズ卿と別れ、壁際の席へと戻った。
ラーズクリフは先ほどよりも近い位置で、相変わらずの熱心な視線をヴァイオレットに向けていた。そのことに気が付いていない数人の紳士が、またヴァイオレットを取り囲む。
優美に、華やかに、淑女らしく笑顔を振りまきながら、ヴァイオレットは胸中で悪態をついた。
まったく何様のつもりなの? 我が物顔で私を見て、無関係な人を牽制するなんて!
——「ワルツを一曲、私と踊ってくれるだけで良い。今日のところはそれで満足できる」
懇願するような彼の声が、耳の奥で蘇った。ヴァイオレットは溜め息をひとつ吐くと、次々に寄せられる申し出の言葉に丁重に断りを入れていった。カドリールの演奏が終わる頃には、ヴァイオレットの周りに紳士の姿はなくなっていた。
「お手をどうぞ、ミス・メイウッド」
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