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【後編】ヒロインとの再会、そして…

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俺…三田村源がネット漫画『モラハラDV夫を地獄に突き落としました』の登場人物である湊正幸になって十年が経過した。何やらアッと云う間だったな。

無事にこの世界でも医師免許を取得して心臓血管外科医になった。大きな総合病院に勤めて、日々患者たちと向かい合う日々だ。
借金も無くなった。借金をした街金は『河合組』といい川口市、戸田市、蕨市を縄張りにしている暴力団だ。そこの組長のお嬢さん由紀奈さんは重い心臓病を患っていたので先に出会った若頭の立花さんは後々俺が役に立つかもしれないと思い、借金の金額を軽減してくれたのだけど、俺が由紀奈さんの心臓手術を成功させると河合組は借金を帳消しのうえ、十分な治療費を俺に支払ってくれた。今でも立花さん、そしてあの時に心臓血管外科に伴う知識の問いかけをした佐伯さんとは個人的な友人でもある。


「もう三田村源に戻らなくてもいいかな」
そんなことも考えるようにもなった。戻ったとしても、やることは変わらない。医者であり続けるだけだ。
十年の間、色々なことが分かった。
元々俺が住んでいた戸田市の住居に行ってみたけれど別人が住んでいたし、実家もまた同じ。この物語の世界には三田村源そのものが存在していなかった。それもそうか。
物語の世界とはいえ俺にとって、いや、この世界にいる人たちにとって全て現実だ。

そんなことを思いつつ、俺は晩酌しつつ、こちらにもある動画配信サイトで相変わらずモラハラ夫が嫁に鉄槌を下される動画を好んで見ていた。
元ホームレスだが、今は川口市内のマンションで独り暮らしを満喫している。

婚活は結局していない。三田村源は醜男で女性に相手にされなかった。だから結婚はあきらめていた。その性根が湊正幸になっても残っているらしい。湊正幸は結構美男なのに。要は面倒なのだ。一人の女性と巡り合い、結婚に至るまでの行程が。
それに自分で言うのも何だけど、今の俺は高収入だ。とはいえ恋愛経験もあまりない俺が焦って婚活をしても、せいぜい悪い女に騙されて貯えを根こそぎ奪い取られるのがオチだろう。美男で医者としての名声も得ている俺に言い寄ってくる女性はいたけれど、そういう女性がみんな性悪女に見えてしまうので我ながら終わっていると思う。
独りの方が気楽でいい。夫にも父親にもなれる気がしなかった。もう結婚はいいかな。


そんな日々を過ごしていた時だった。病院に出勤すると心臓の難病患者が県外から転院してくると聞いた。その患者の病状を聴くと、それは俺しか手術が出来ない難しいものだった。しかも、かなりの高額治療になる。
翌日患者とその家族に会うことにした。

翌日、患者が転院されてきた。名は川瀬太一、小学校高学年の男の子だった。
転院元の病院からのカルテを読み、その後に診察、かなりの難病だけれど見込み通り俺の手に負えるものだった。俺の手術はかなり先まで予約が入っているのだけれど、この子の場合は急を要するため数日以内に行う必要がある。ともあれ患者の家族に説明をしなければならない。別室で待っているご両親の元へと。

「お待たせしました。心臓血管外科医師の湊…」
言葉がそのまま続かなかった。俺、三田村源は初対面なものの湊正幸の記憶が教えてくれる。
「川瀬太一の母…。陽子です」
何と、正幸の元嫁である陽子だった。父親はいなかった。
本来なら、やっと息子を助けられる医者と出会えたのなら母親は大喜びをするのだろうが陽子の顔は戸惑いも見えた。
無理もない。彼女と暮らしていた当時、正幸が後に医者になるなんて想像もしていなかっただろうから。この男に息子の命運を託していいのか、そう思っているのだろう。
(陽子…)

何という偶然だろう、そう思いつつ気持ちを落ち着かせて元嫁の前に腰かけた。
「改めて…。ご子息の執刀を担当する湊正幸です。手術について説明させていただいてもよろしいですか?」
「お願いいたします」
一通り、説明を終えると手術の同意書を提示した俺。陽子はそれを読み終えると書類を突き返してきた。サインはしていない。

「やっぱり受け入れられない。貴方が私との離婚後にどう生きてきたのかは知らないけれど、まさか国内屈指の心臓血管外科医になるなんて想像もしていなかった。それはものすごいことだと思う。だけど…貴方は私を裏切った。義母の介護を丸投げして若い女と不倫…。そんな人にどうして大事な息子の命を預けられるの?」
「…だったら何故、俺の勤める病院にやってきた。執刀医の名前が『湊正幸』というのは転院元の病院でも知りえたはず。まさか同姓同名の別人とでも思っていたのか?」
「そうであってくれたらと願っていた。だけど…そうじゃなかった」
「転院元の病院でも説明を受けただろう。この手術は極めて難しく国内で俺を含めて三、四人くらいの医師しか執刀できない。更なる転院は医師として認められない。君の息子は早急に手術する必要があるんだ」
「……」
「俺の人間性など信用しなくていいが腕は信じろ。俺を利用してやるというくらいの気持ちでいい。だから…」
「だから…」
「同意書にサインを。俺に君の息子を助けさせてほしい」
「分かりました…」

数日後、俺は手術室の前にいた。患者の家族は陽子しかいなかった。父親がいないことの事情は聞いていないが色々と苦労しているのだろう。
「先生、お願いいたします」
「はい、任せて下さい」
手術室へと入っていった。必ず治してみせる!

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

長時間に及ぶ手術を終えて、俺はオペ室を出た。ずっと待って無事を祈っていた陽子が俺に歩み
「先生…」
「成功です。太一くんの心臓はもう大丈夫ですよ」
「あ、ああああ…」
泣き崩れる陽子、そして太一くんが横になるストレッチャーが搬送されてくる。
「太一…太一…!」
まさか、あの物語のあと、湊正幸が医師となり、元嫁の息子の命を救うなんて展開があるとはな。
でも、モラハラDV夫に逆襲する嫁の物語で一つくらいこんな展開があってもいいんじゃないか。助けられてよかった。


その後、太一くんの経過は順調、そろそろ一般病棟に移される。
俺は陽子と病院の庭のベンチに腰かけていた。
「全てを失ったホームレスが国内屈指の心臓血管外科医に…。こんな漫画みたいな展開があるのね。まして別れた嫁の子供を治すなんて…」
「本当に漫画のようだな…」
「私を怨まなかったの…?」
「最初はな…。すべて失ったどころかマイナスだ。あれだ。無敵の人ってやつになってしまったからな」
「そうね…。今にして思うと私も考えが足らなかったと思う…。追い詰めすぎた」
「しかし、君にも言っていなかった幼いころからの夢をふと思い出してな…。それが医者だった」
もちろん嘘だ。しかし前世三田村源が医者を幼いころから志していたのは確かだ。
不細工で女の子に縁がなく…。医者になれば少しは違うんじゃないかと、そんな理由だった。

「医者…」
「ああ、落ちるところまで落ちたのだから、いっちょやってみるかと思ったよ。もしダメだったとしても失うものは、もう無かったから」
「言ってくれれば良かったのに…。医者になりたいって…」
「そうだな。言えばよかったよ」
「再婚は?」
「していない。おかしなものでな、俺は先の離婚の加害者側だったというのに結婚はもうこりごりだと思った。おそらく俺は同じことを繰り返す。向いていないんだろうな結婚に…」
「……」
「訊いていいことか分からないが…君の旦那さんは?」
「交通事故で…」
「そうか…。すまないことを訊いたな」
物語ではめでたしで終わるけれど、現実ではそうもいかないものな。
「そのうえ太一まで死んでしまったらと思うと…もう耐えられなかった。本当にありがとう」
「どういたしまして」
ベンチのうえに封筒を置いた。治療費の請求書が入っている。元々これを渡すことが目的だった。俺はそのまま陽子の元から去っていく。陽子は俺に深々とお辞儀をしていた。


【川瀬陽子視点】
どれだけ高額な治療費になっているだろう。私は封書を開けるのが怖かった。
亡き義母の遺産、離婚の時の慰謝料、夫の保険金は今までの太一の治療費で底を尽いている。ほとんど貯金も無いのだ。今はパート勤めの私、払えるだろうか。
封書を破り、恐る恐る請求書を取り出して書面を見ると

『治療費 合計0円』

…え?

何かの間違いではないかと私は何度も見返した。しかし間違いない。治療費は0円と記されている。
ただ備考欄に
『私の母の介護により支払い済み』
と、記されてあった。
それを読んだ瞬間、私は涙が溢れて止まらなかった。あれほど私に非道な仕打ちをしてきた元夫。
しかし、あれから時が過ぎ、あの人なりに私が彼のお母さんを介護したことに感謝してくれていたのだ。一度ホームレスに落ちたことが彼を変えたのかもしれない。

改めて礼を言おう。翌日、息子の見舞いを終えたあと看護師さんに彼との面会を要望したのだけど、その看護師さんはつらそうに私に告げた。
「湊先生は昨夜当直中に心不全で…」
「…は?」
「亡くなりました…」
「……」

私はこの時、湊正幸の元妻であることを初めて明かし、彼が安置されている霊安室へと。
冗談だろう、そう思った。昨日はピンピンしていたではないか。
しかし、顔にかぶせてある白布を恐る恐る取ると、まぎれもなく彼だった。元夫、湊正幸。
「あああ…。どうして…!」
私は彼の亡骸にすがりついて号泣した。あんなに憎んだ人なのに。二度と顔も見たくないと思った人なのに…。悲しくて悲しくて涙が止まらなかった。
「あなた!目を覚まして!うわあああああっ!」


その後、私は改めて病院に湊先生の元妻であることを話して、葬儀の喪主を務めさせてもらった。
葬儀の挨拶で私は
「彼は最低の夫でした。私に義母の介護を丸投げしたうえ若い女と不倫をしていたのです。それが理由で離婚をした次第ですが…まさかという局面で元夫と再会いたしました。再婚した男性との間に生まれた私の最愛の息子太一…。息子は心臓の難病を患っておりました。手術が必要、元夫は息子の執刀医として私の前に現れました。私は元夫が医者を志していたなんて全く知らなかったうえ、かつ国内屈指の心臓血管外科医となっているなんて想像もしておりませんでした。再会した彼はまるで別人のようになっていました。医師として誇りを持ち、そして難病患者の母親に接する温かさ…」
彼の同僚医師と看護師さん、そして彼に命を救われた元患者さんたちが涙ぐんでいる。
この人たちにとって彼は本当に素晴らしい医者だったのだろう。

「そして私の息子の心臓を治してくれました。どれほどそれが嬉しかったことか…。さらに彼は…治療費0円という請求書を私にくれました。その備考欄には『私の母の介護により支払い済み』と…。涙が止まりませんでした。私にとって彼は最低の夫でしたが…間違いなく彼は最高のお医者様でした。ありがとう!あなた…!」

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇

【エピローグ】
邯鄲の夢…とでも言うのかな。起きたら俺…湊正幸は三田村源に戻っていた。時間も経過していない。
あの日、陽子に請求書を渡した当直日、仮眠中に胸の痛みを発して、そのままだった。おそらくあの世界の湊正幸はそこで死んだのだろう。陽子の息子太一を救うことが役目だったのかもしれないな。
いや、そもそもあの十数年は現実なのだろうか。

あの出来事が夢か現実かも不明のまま、俺は心臓血管外科医として働いていた。
戻ってもやることは同じだ。思ったとおりだな。
そして、いつしか俺は湊正幸と同じく国内屈指の心臓血管外科医として名声を得た。
そんなある日、院長先生に呼ばれた。院長室に通されると同じく医師である奥さんも一緒にいた。何事なのやら。

「三田村先生には交際している女性はいるのかね?」
そう問われたので
「いえ、年齢=彼女いない歴ですよ。この見た目ですから」
俺は醜男だからなぁ…。奥さんはそれを聞くと
「三田村先生はいくつになられました?」
「三十五ですけど」
「女もそのくらいの歳になると顔だけで男性を判断しませんよ」
「はあ…」
「三田村先生には、これからも当病院のエースとして、たくさんの患者を治してもらわなくてはなりません。そんなドクターが独身では格好がつきませんので私と夫でお見合い相手を探しました」
「おっ、お見合いですか!?」
「ええ、系列病院の看護師さんでね。歳は三田村先生より二つ若いのかな。元々は東北の人なんだけれど震災で旦那さんを亡くして…。お子さんはおらず、今はこっちに住んでいるの」
「は、はあ…」
「とにかく会ってみなさい。お見合いの段取りはしておくからね」

院長夫婦にお見合いをセッティングされたら断るわけにもいかない。
俺は指定された日時にお見合い場所である料亭に。
最初は気乗りしなかったお見合いだけど、今は楽しみでもある。どうであれ女性との出会いだ。それに奥さんの言葉が正しいと言うのも分かる。自惚れる気は無いが、それなりに外科医として名声を得ることが出来た俺がいつまでも独り者というのは格好がつかないのは確かだ。
それにしても前の旦那さんとは震災で死別か…。苦労してきたのだろうなぁ…。

料亭の席には俺が先に到着し、院長夫妻が立ち合っている。
俺の父母はすでに鬼籍にあり、兄妹もいないので家族が立ち合うこともない。よく考えれば天涯孤独だったんだなぁ俺は。

「失礼いたします」
母親と共に部屋に入ってきた女性を見て、俺は思わず驚愕の叫びをあげるところだったけれど何とか表に出さず堪えた。着物がよく似あう美女だった。俺の前に座り頭を垂れて名乗った。
「清水陽子と言います。よろしくお願いいたします」
そう、湊正幸として出会った川瀬陽子そのものだったのだ。

(陽子…!)
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みんなの感想(2件)

白羽鳥(扇つくも)

まとめでもよく見かける題材なので、ラストの相手はヒロインのモデルだった可能性もありますね。
ざまぁも好きですが、そこから立ち直る話(本質的な悪役もの)も好きです。

越路遼介
2023.08.09 越路遼介

返信が遅れて申し訳ございません。
モラハラ夫が鉄槌を下される話は見かけますが、その後の夫にリスタートの機会があってもいいではないかと思い、このお話を書きました。書いていて、とても楽しかったです。

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2022.09.06 ユーザー名の登録がありません

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越路遼介
2022.09.06 越路遼介

おっしゃる通りで…。借金の下りは主人公が外科医としてリスタートするさいのワンクッションとして置きたかったシーンなので、そこまで思案に至りませんでした。以後は、そういうのもきちんと調べて書きます。ご指摘ありがとうございました。

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