鮮血の非常識

おしりこ

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 さあ、さあ、これから始まるは血と美のワルツ。
 希望を抱いた人間が絶望へと叩き落される喜劇。
 さあ、さあ、貴方も、貴女も、彼方も。
 謳いなさい、踊りなさい、狂いなさい。
 希望を知った者が絶望へと堕ちる甘美な瞬間を。
 喜び、愉しみ、愉悦を感じ、咽び泣き、絶望なさい。

 貴女の血は私のもの。
 貴女の絶望は私の快楽。
 貴女の自由は私の支配。

 さあ、さあ、始めるわよ? 血と美のワルツを。死と絶望の輪舞曲を。
 私の最も従順な――人形さん♪


      □


「……くそったれが」

 皆が寝静まった深夜。布団の上で鉄竜は舌打ちを打った。
 昨日、姫の出生が明らかになってから、初めて食べた塩おにぎりを姫がもう一度食べたいと言った事から、全員でおにぎりを作り、それを平らげたのだが、どうも、鉄竜は水を飲みすぎてしまった。
 しかし、そうなったのも仕方が無い。姫が作ったおにぎりがかなり塩辛かったのだ。
 だが、それを拒否できただろうか?

『……鉄竜はこれが好きなんだろう? だから、愛のように作ったんだ』

 そんな事を言われたら、男として後に引けるだろうか。否、そんな事、出来るはずが無い。
 せっかく、自身の記憶、辛い過去を取り戻し、友達で居ると決めてくれた彼女が作ってくれた塩おにぎり。
 自身の胃袋と喉がどうなろうとも、食べきるのは当たり前だ。まぁ、そのサイズは軟式A級の野球ボールくらいあったわけだが。そのおかげか、随分と眠る前に水分を取ってしまった。
 鉄竜は下腹部に感じる尿意を堪えつつ、布団から出ようとするが、左側に感じる重みに動きを封じられる。

「……おい、マジかよ。とうとう日頃の行いが神に認められたか?」

 これは、眼福イベントである。
 なんと、隣で眠っているのは愛ではないか。それも、鉄竜の腕を抱き枕にして、ぎゅっとしがみ付いている。
 パジャマ越しで分かる下着を着けていない豊満な胸の柔らかで、暖かな感触。眼福である。
 視線を僅かに下へと下げれば、押し付けられて、卑猥にも形を変える胸。眼福である。
 鉄竜は押し付けられている事によって生まれている谷間を覗き、首肯する。

「流石は愛……とんでもないのを持ってやがるな……」

 一体、バストサイズはいくつなのだろうか。
 そういう事に関しては極めて疎い鉄竜だが、この大きさと柔らかさ。男を虜にするのも時間の問題である。
 そんな魔性の胸を持っている愛は、警戒心もないすやすやとした穏やかな寝息を立てている。むしろ、何だか幸せそうに見えるほどの寝顔である。
 鉄竜は愛の寝顔を見つめ、心の中で姫に感謝した。

「こんな提案をした姫に感謝しないとな」

 そもそも、男の一人暮らしの部屋で今時の女子高生が泊まる事自体が、大きな過ちであり、珍しい事だ。
 けれど、それは姫の一言で始まった。

『……せっかくだし、皆で寝ないか?』

 最初こそ愛は反発したが、姫の事情やらを考え、了承をした事で決まった。
 そのおかげで、鉄竜を中心とし、姫と愛が両側で眠るという両手に花状態で眠ったのだ。
 その結果がコレである。
 鉄竜は愛の胸をしばし堪能し、下腹部に感じる尿意が刻一刻と迫ってくる。

「うっ……愛のおっぱいに囚われてはいけないな……とりあえず、離させなければ……」

 このまま離す事が出来なければ、鉄竜のダムが決壊し、社会的な地位が下落するのは明白。
 鉄竜はホールドしている愛の腕を掴み、離そうとした瞬間。

「んぅ~、やぁ~だ……」
「何、この可愛い生物……いや、ダメだ。心を鬼にして……」
「やぁ~……むにゅ……」
「可愛すぎだろ……」

 愛の腕を掴んで離そうとすると、顔をしかめて、更に掴む力を強くしている。
 まるでぬいぐるみを取られそうになっている赤ちゃんである。普段も可愛らしいが、今は幼い、庇護欲を書き立てられる可愛さ。このまま起こすのは可哀想だと思ってしまうくらいに。
 だが、だが。ここは心を鬼にして、鉄竜は愛の腕を掴む。

「こら、離さないとダメだろ?」
「ん~ん、やぁ~……んにゅ……」

 どうやら、意地でも離さないらしい。
 愛は未だに鉄竜の腕に掴んだまま、更に胸を押し付ける。
 腕に感じる強くなる柔らかなマシュマロのような感覚。けれど、今はまずい。
 ダムの決壊が近い。鉄竜は愛の腕を強引に引き剥がした。

「んぅ~……ん……」

 最初こそ顔をしかめたが、すぐに鉄竜が使っていた枕を与え、抱き枕のように眠る。
 愛は何かを抱き締めていないと眠れないのだろうか……。
 そんな事を一瞬、鉄竜は考えたが、すぐに立ち上がる。

「今はそれどころじゃない!」

 鉄竜はすぐにリビングの扉を開け、ダッシュでトイレへと向かう。その途中。

「いっ!? なんだ?」

 暗くて良く分からなかったが、足に何かが当たった感覚を覚え、ズキズキと足が痛む。
 けれど、今はトイレで用を足すのが先決。
 鉄竜は尿意を堪え、行き慣れたトイレへと駆け込み、用を足す。

「あぶねぇ……愛の奴……俺の社会的地位を奪うところだったな……」

 とりあえず、鉄竜は用を済ませ、隣接する洗面所で手を洗い、外へと出る。
 その頃には多少夜の暗闇、部屋の薄暗さに目が慣れ、辺りの様子が視界に映し出される。
 けれど、その映し出される視界を見つめ――絶句し、困惑した。
 何があった? 一体、この部屋で何があった?
 鉄竜はすぐさまリビングではない、キッチンルームの明かりを点けた。

「なっ!? なんだよ、これは!!」

 明かりを点けることで明らかになる全貌。
 言うなれば――部屋が血だらけになっていた。床に無造作に転がる血の付いた包丁。
 床にも血が飛び散り、元々あった床よりも、血の面積の方が大きくなっている。
 壁には血が噴出したのか、飛散したように付着する血液。ベットリと血の付いた手で壁に触れ、擦れたのか、赤黒い血が擦れたようにこびり付いている。
 キッチンにある小窓は突き破られ、明らかに誰かに荒らされたような形跡がそこにはあった。
 けれど、あまりにもおかしいのは、ここからだった。

「……血が、蒸発してる?」

 壁に、床に、全てに付着した血液その全てがまるで熱されるかのような音を発し、煙を上げ、消えていく。
 それには見覚えがあった。この血の消え方は、鉄竜の傷が修復されるのとまるで同じ。
 つまり、この部屋に入ってきた誰かが鉄竜と同じ人種であるという事なのだが、それよりも、この異常な状況。鉄竜はすぐにリビングの扉を開けた。
 キッチンルームに点けている明かりが僅かだがリビングへと漏れ、リビングの様子も見える。
 リビングはすやすやと愛が眠っているだけで、姫が居ない。
 そして、愛が眠るすぐ近く、姫が眠っていたはずの布団でリビングにある血と同じ現象が起こり、煙が上がっている。状況がまるで理解出来ないが、姫の姿が確認できていない。
 鉄竜はすぐに愛の傍へと寄り、肩を叩いた。

「おい、愛! 起きろ!」
「……んぅ、なに……テツくん……」

 寝ぼけ眼を擦り、気だるげに答える愛だが、鉄竜はすぐに愛の両肩を掴んだ。

「愛! さっさと起きろ! 姫がいねぇんだよ!」
「姫ちゃん? 姫ちゃんなら……そこに……って、あれ?」

 寝ぼけていても、姫が居ない事を自覚したのか、すぐに愛はハッとなり、口を開いた。

「え!? 姫ちゃんは!?」
「姫が居ないんだ。俺がちょうどトイレで起きて、今気が付いたんだ。それに――部屋が血だらけでよ」
「部屋が血だらけ? ……全然、汚れてないけど?」
「俺の血と同じ現象が起こったんだよ。一体、誰の血なのかは分からねぇ。けど、姫がいねぇのは問題だろ?」

 壁などに付着した血液が消えたという事から、その存在が命を落とすというのは考えにくい。
 けれど、だとしても、姫がこの部屋に居ないのはあまりにも理解できない。
 元々、この部屋の窓や玄関は全て戸締りをしていた。だから、泥棒が入ってくるという事だってありえない。入ってくるとしたら、窓ガラスが割れているキッチンの窓だが、人一人が通れるほど大きくは無い。
 となると、姫が自発的に出て行った。と考えるのなら、この部屋中に付着していた血の説明がつかない。
 愛は眠りから覚醒したのか、鉄竜の言葉を反芻しているのか、顎に手を当て、目を閉じる。

「同じ現象ね……そういえば、テツくん。昨日、姫ちゃんが命を狙われてたって話をしたよね?」
「ああ、もしかしたら……」
「うん。最悪、その可能性はあるよ。姫ちゃんが命を狙われてる奴に……」
「けど、それだと窓から入る事しか……」

 と、鉄竜が言い掛けたとき、愛は首を横に振った。

「ううん。窓からじゃなくても、命を狙ってる人間にはもしかしたら、入る手段はあったのかも……」
「すり抜ける力か……」
「うん。昨日、テツくんの言うとおり、本当に銃弾が屋根をすり抜けたんだとしたら……もしかしたら、人もすり抜けるだけの芸当が出来るのかもしれないよ」
「可能性はあるって訳か……だとすると、尚更悠長にしてられねぇな!」

 ここまでの仮説が正しいのなら、姫は昨日、鉄竜と姫の命を狙った存在に誘拐された線がある。
 けれど、果たしてそれが本当に正しいのか、嫌な引っかかりが胸の中に残るが、鉄竜は部屋に掛けてあるパーカーに手を掛け、羽織る。

「とりあえず、考えるのは後だ。姫を探しに行くぞ」
「うん。私も行くよ」
「おう。けど、愛。相手はどんな奴か分からねぇ。もしかしたら、俺と同じ存在の可能性だってあるかもしれねぇ」

 もし、姫が誘拐されているのだとしたら、その犯人は鉄竜と同じ存在である事が強い。
 血液の蒸発。そんな非常識が通るのは、鉄竜と同じ存在しか絶対にありえないからだ。
 それは当然の如く、理解しているのか、愛は小さく頷く。

「勿論。危なくなったら、呼べばいいんだよね?」
「ああ。俺の聴力なら、この町全体は聞き取れる。それに、お前には烙印もあるしな。それで判断する。だから、お前は絶対に無茶するんじゃねぇぞ」

 鉄竜は愛に念を押す。もし、愛が出会ってしまえば、確実に殺される。それだけはこれだけ不可解な事が起こっている中で、確実な事だ。

「分かってるって。テツくんも気をつけてよ」
「心配するな。俺の頑丈さはお前がよく知っているだろ? それじゃ、先に行ってる」

 これから着替えるであろう愛を家の中に置き去りにし、鉄竜はリビングを後にし、真っ直ぐ玄関へと向かう。
 とりあえず、探すとなっても、手がかりは無い。けれど、手がかりがなければ、やる事は一つだけである。

「うっし。とりあえず、町を飛び回って、姫を探すか。いくぜ!」

 鉄竜はアパートの二階廊下の手すりに足を掛け、飛ぶ。隣接する屋根へと飛び移り、更に足に力を込め、更に次の屋根へと飛び移る。
 その日、その時、チラリと見た月は綺麗な満月。煌々と町の中を照らすその光。
 鉄竜は煌く月光を感じ、足を止める。
 何だか、その月が鉄竜には紅く見えてしょうがなかった。元々、己の存在は夜の王。
 月には敏感だが、今宵の月は嫌に――紅く見えてしょうがなかった。
 きっとこれは彼にしかわからない感覚。嫌な予感を告げる凶兆。
 鉄竜は大きな舌打ちをし、屋根を蹴った。

「……この感覚……ぜってーいやがる、俺と同じ夜の王が……愛、ぜってー無茶すんじゃねぇぞ」
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