鮮血の非常識

おしりこ

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 古里公園は天然の闘技場である。
 隔てるものは何も無い。地面がただただ広がっているだけ。
 例えるならば、ギリシャにあるコロッセオ。戦う舞台としては充分。
 邪魔する物も無ければ、隠れる場所も無い。逃げる事もそう簡単には出来ない。
 互いに相対するのは非常識。常識では計る事の出来ない者同士の戦い。
 一息。たった一息。その刹那の間に。
 互いの拳が全く同じ力でぶつかり合う。。
 純粋な腕力と腕力のぶつかり合い。ぶつけ合った一撃は衝撃波を生み、砂埃を舞い上がらせる。
 辺りに充満し、立ち込める砂埃。それは二人の姿を隠し、音のみが辺りに響き渡る。
 肉と肉がぶつかり合う打撃音。空間を震わせる程の音が幾度も響き渡る。
 音と同時に起こる衝撃波が砂埃を吹き飛ばし、二人の姿が露になる。
 示し合わせたように拳を打ち合わせ、互いに獰猛な笑みを浮かべる。

 そこからは一瞬の出来事だった。

 一分の狂いも無く同時に放たれた手刀による胴体を抉る一撃が肉を断つ。
 鉄竜と女性の胸からは鮮血が飛び散り、地を汚す。
 だが、互いに顔を悲痛なものに一切変える事無く、更に野獣のように歪ませていく。
 
 この場に常識ある人間が居たのなら、すぐさま逃げ出すだろう。
 常識ある人間ならば、この光景を誰一人として信じないだろう。

 互いの胴体の肉が断たれたのを始めに、どんどんと肉体が弾ける。
 腕、足、胴体と下半身、どれも乱れ飛ぶ。血が噴水のように湧き出て、視界すらも真っ赤に染める。
 けれど、飛ばされた腕、足、胴体、下半身は全て地に付くと同時に蒸発し、再生していく。
 飛び散る鮮血も全てが煙となって消えていき、その場には跡形も無く消えていく。

 けれど、終わらない。鮮血の螺旋は止まらない。

 顔を血で汚し、腕は血で穢れ、互いの狂気がどんどんと膨れ上がっていく。

「アハハハハハ、さいっこう!! これが不死と不死の殺し合い! たまらないわぁッ!!」

 顔を血に染める女性は狂気と羨望を孕んだ眼差しで鉄竜を見据え、胸を貫手で貫く。だが、鉄竜は無言のまま突き刺さった腕を手刀で叩き落し、すぐさま女性の首を掴み、握り潰した。コロンと力なく落ちる生首。
 爆発したように広がる血液が手に付着し、滴り落ちる。女性の身体は力なく倒れるかと思いきや、すぐさま鉄竜の顔面にヒールの踵が突き刺さる。
 鉄竜はすぐさま刺さったヒールの足を手刀で軽々と叩き落し、顔からヒールを抜く。
 蛇口のように溢れる鮮血を一つ舌なめずりしてから、鉄竜は眼前に血の海に浮かぶ女性を見る。

「おわらねぇな……ああ、おわらねえ……」
「そうねぇ……当たり前だけど、私たちの殺し合いは終わらない」

 落ちた生首は蒸発して消え、残った胴体から顔が煙を上げて再生し、千切れた足も何事も無かったかのように復元する。それから、女性はゆっくりとした動作で立ち上がった。

「私たちの不死性は妖魔の中でも極めて高い。その分弱点は多いけれど。それは貴方も同じ」
「そうだな。少なくとも、時間はねぇよ」

 一つ妖魔には絶対的な原則が存在する。それは――人々の思う姿が最も顕著に出るというものだ。
 神でいうなれば人が信じる神の姿。
 妖怪で言うのなら、文献という事。
 悪魔であれば、悪魔として信じられている形。
 もっと、簡単に言うのなら、弱点が露呈しやすいという事だ。
 一般的に吸血鬼とは、ドラキュラやカーミラというイメージが強く、銀のナイフに弱かったり、太陽の光が苦手だったりする。それは少なくとも、吸血鬼というカテゴリに居る彼らには適応される。
 太陽の光を浴びれば、蒸発し、銀によって作られた攻撃であれば、皮膚が爛れてしまったり。弱点は多い。
 しかし、今は吸血鬼の時間とも呼べる夜。満月の光り輝く悪魔の時間。この時間であれば、彼らは本調子で戦う事が出来る。
 つまり、戦うのならば、この夜の間だけ。太陽が昇れば、互いに弱点を受けたまま戦う事になる。
 鉄竜としてもそれは避けたかった。
 直接日光を浴びる事になれば、力が抜け、弱体化してしまう。
 そうなれば、正義に殺されてしまう可能性もある。太陽が出ている間は吸血鬼の不死性も弱くなるのだからだ。だからこそ、鉄竜は早く決着をつけなければならない。けれど、この戦い、決着は付けるのは難しいだろう。互いに不死という存在。不死同士の戦いに終わりはない。
 たった、たった一つの可能性を除いて。
 鉄竜は一つ息を吐き、彗星の如く動きで女性に肉薄する。
 一気に視界のすべてを覆う女性の姿を捉え、すぐさま握り拳を作るが、すぐさま全身を嫌な予感が駆け巡る。

 刹那――全身に穴が開く痛烈な痛みに支配される。

「ぐぅっ!?」
「吸血鬼の串刺しのかんせぇ~い」

 鉄竜はゆっくりと空中へと浮上し、煌々と照らす満月が大きく見え、ようやく自分の状況を理解する。
 あの肉薄した瞬間に、彼女は鉄竜の足元すぐ近くに闇のときから使えていた無数の紅き槍で、鉄竜を串刺しにしていた。これもまた吸血鬼の力。串刺し公の力である。
 女性は持ち上げられる鉄竜を見つめ、口を開いた。

「ウフフフフ、良かったじゃない、これで、あの子と同じよ?」
「あの子と同じ……だと?」

 女性の言葉に鉄竜は疑念を抱く。
 けれど、女性は狂気を孕んだ眼差しと笑みを崩す事はない。
 女性は片手を鉄竜へと向け、一本の槍を左手に顕現させる。その槍は血のように紅く、容易く命を刈り取れるように鋭い。鉄竜はそれを一瞥し、舌打ちをする。
 全身が上手く引っかかるように串刺しになっている槍。人間が行える関節の動きのすべてを封じ込めているせいか、抜け出す事が出来ない。勿論、関節を外す事も可能だ。けれど、関節の稼動域と絶妙に絡み合った拘束がそうさせない。

「てめぇ、あの子ってのは誰の事だ!」
「さあ? そんな事は自分で考えなさい。最も、貴方では答えに辿りつけないわ」
「なんだと?」
「無駄な押し問答なんてやめましょう? 貴方はこの槍に貫かれて、全身から血の雨を降らせる。その全てが私の力になって――私は貴方を頂くわ」

 女性は妖艶に唇から舌を出し、なめずりをする。

「貴方はどんな味がするのかしら? どんな声で鳴いてくれるのかしら? あぁ、楽しみぃ~」
「……てめぇ、マジで狂ってんな。人が痛がる姿を見て喜ぶなんてとんだサディストだ」
「いやよ、そんなんじゃないわ。私はただ人が苦しむ姿が真理だと思ってるだ・け。知ってる? 私の家は元々狂ってるの。悪魔が居るって信じ込んだり、家族で愛を育んだり、ホント、バカみたいよねぇ~。そっちの方が狂ってると思わない?」

 悪びれる様子も無く、全く疑問の余地無く、彼女は小首をかしげる。

「だって、家族で愛情なんて頭おかしいし、悪魔もこの世に居るはずないじゃない。そんなのは違う、真理なんかじゃないわ。真理は人間の美しさ、散り際の美と永遠の美。それが真理。人間のあり方よ。私はそれを探求してるだけ。私というこの世で最上の美しさを用いて、ね」
「…………」

 鉄竜は何も言えなくなる。彼女はあまりにも常人の考えを持たない。
 この世の真理なんてものはそもそもこの世に存在するのだろうか。否、存在するはずが無い。
 そもそも、彼女の考え方は理解に苦しむ。確かに家族愛や悪魔を信仰するのは正気の沙汰ではないだろう。けれど、己の美しさの為、己の快楽の為に誰かを苦しめる、彼女もまた狂人だ。
 女性は真っ直ぐ鉄竜を見つめ、槍の切っ先を向けた。

「けれど、貴方も同じでしょう? 貴方も私と同じ存在。あの子、貴方の傍に居た女の子だって、貴方は喰らうつもり。そうねぇ、例えば……己の性の捌け口にでもしているんでしょう?」
「……てめぇ、口には気をつけろよ……」

 鉄竜は一気に怒りの沸点が上昇した。聞き捨てなら無い。愛を性の捌け口? ふざけるな。
 怒りが一気にこみ上げ、鉄竜は怒りそのままに叫んだ。

「俺はアイツをそんな風に見るつもりは毛頭ねぇよ! あいつは、俺が人間である事を一番最初に証明してくれたヤツだ! 俺の罪と罰を一緒に背負ってくれるヤツだ! そして、何より、アイツは――俺に生き方を教えてくれた大恩人だ! そんなヤツを悪く言うんじゃねぇ!」

 鉄竜は実験体としての一生、絶望の中で、唯一見つけた光が彼女、恋久保愛だった。
 そして、そんな彼女は一緒に『己の業』を背負う道を進んでくれた。
 多くの人を殺してしまった『罪』 己の身体に秘められた大きすぎる『罰』
 この二つの業、妖魔としての己を愛は誰よりも最初に受け止めてくれた。鉄竜がどれだけ邪険に扱おうとも、心配だからという理由で、命を懸けて、命を落とし、そして、その命をくれた。
 それだけ優しい彼女を悪く言われるのは、鉄竜にとって怒りの引き金でしかない。
 だが、嫌悪感を示すように女性は舌を出した。

「ホント、きもちわるいわ。そういうの。信じて疑ってないような……希望を抱いているような眼差し……ほんっとうに目障り!! いい加減、喋れないようにしてやるわ!」

 ヒステリックに叫ぶ女性は鉄竜に向けた槍を腕を振り下ろしたと同時に射出する。
 鉄竜は必死にもがく。あの槍の狙いは心臓。流石に心臓を刺されれば、命まで奪われないにしろ、僅かな間動く事が出来なくなってしまう。そうなれば、今度危険が及ぶのは、愛だ。
 だからこそ、この槍を受ける訳にはいかない。鉄竜は怒りに任せ、右腕に力を込める。全身は時間が掛かる。けれど、片腕程度ならば。

「んぐぐ……だりゃあっ!!」

 裂帛の気合と共に力任せに槍を引き抜き、関節を止めていた槍を砕く。右腕だけならば動く。
 他の部分を動かせるようにするよりも前に、射出される槍を受け止めるべきだ。
 そう判断し、鉄竜は右拳を作った瞬間。首元に感じた熱いモノ。それによって、鉄竜は思わず動きを止めた。

「なっ……最初からこっちか、狙いは……」
「ウフフフフ、別に槍なんかで刺さなくても、直接あなたから貰えばいいでしょう? それに、吸血鬼の吸血は貴方にとっても毒のはずよ? 知らない、とは言わせないわよ?」
「て、てめぇ……」

 最も警戒するべき事を見落としていた。殆ど使わないからこそ、油断していた。そして、不死性を持つ、否、数多の妖魔にとって最大のリーサルウェポンである事を今、思い出した。これは完全に鉄竜の失策だ。
 妖魔となり、鉄竜は戦う事を避けてきた。そして、この力を出来る限り遠ざけていた。あまりにも危険な力。人であろうとも、妖魔であろうとも、持つには過ぎた力。その力を彼女は行使した。
 吸血鬼だけが持つ妖魔への最終兵器を。
 鉄竜は全身から力が抜けていく感覚と意識が遠のいていく感覚を覚え始める。
 まずい、焦燥感が胸の中を駆け巡る。首筋から吸われていく感覚。
 血だけではない、力も、何もかもを、存在すらも吸われていく。鉄竜は全身が気だるく感じながらも、口を開いた。

「さ、さっさと……離れ……やがれ……」
「フフフフ、離さないわよ? これで私は現世に舞い戻れる……また私の城を作り上げる事が、私の夢を叶えられる……貴方はその糧……さあ、おやすみなさい」

 女性が言った瞬間、鉄竜の視界は何も無い真っ白に染まった――。
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