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俺は君を助けに来た。
その声が空間に響き渡る。堂々と言い放った言葉が隅から隅まで響き届く。
けれど、その言葉を聞いて誰よりも戸惑いを見せたのは少女、姫だった。
「何……言ってるの?」
「何って、お前、助けるって言ってんだよ。姫」
「……そんな事、頼んでない」
一瞬、鉄竜と視線を合わせたが、姫はすぐに視線を逸らした。
「私はここから出る事なんて出来ないんだよ。この鎖が、この槍が私を離す事は無いんだから」
「……なら、その鎖と槍を俺がぶっ壊せばいいんだろ?」
「簡単に言わないでよ。簡単に……言わないで……」
ぎゅっと手のひらに力を込めたかのように姫の手は震える。その声は尻すぼみに小さくなっていく。
鉄竜はその場に腰を落ち着かせ、姫の様子を見上げた。
見世物であるかのように吊るされた身体。槍が痛々しく身体を突き刺し、顔には表情らしい表情も見えず、とても辛く、苦しそうな顔をしている。そうこの顔は、昔の自分の顔とまるで同じ顔。
自分が死んだって構わない、そう思い絶望している顔。
鉄竜は姫を見上げてたまま、出来る限り笑顔を浮かべて、口を開いた。
「そういやさ、お前の作ったおにぎりなんだが、しょっぱすぎて、まずかったよ」
「……そう。……おいしいって言ったじゃん」
「建前だって、建前。味は不味かった。けど、美味かったよ」
「意味分かんない……」
「そういうもんなんだよ。あ、それと、お前。あの借りた本、どうするんだよ。読まないと勿体無いだろ?」
「……もぅ、読めないから。トショカンって所に返しといて」
「それは自分で返しに行けよ。お前が借りたんだからよ」
「……それは、出来ないよ」
「なんでだ?」
鉄竜が問いかけると、姫はダンマリ押し黙る。その様子に鉄竜が困惑すると、姫は少しだけ顔を上げ、恨めしげに鉄竜を見た。
「ねぇ、どういうつもりなの? 今更、私と話をして……」
「今更ってお前……別に良いじゃねぇか。俺とお前は友達なんだからよ」
「友達なんかじゃない。私は――そういうのいらない」
姫の突き放すような言葉に鉄竜は一瞬、怒りのボルテージが上がるが、すぐに抑える。
一つ深呼吸をしてから、鉄竜は口を開いた。
「いらないってそんな寂しい事言うなよ。友達って言ったじゃねぇか」
「……だから、私はそういうのいらないって言ってるでしょ!! 迷惑なの! そういうの!」
姫の怒号が空間に響き渡る。しかし、鉄竜は何一つ動じる事は無く、ダンマリと押し黙る。
すると、姫は怒号を上げたからか肩で呼吸してから、冷静さを取り戻したのか、口を開いた。
「そういうの……本当にいらないから……」
「…………断る」
「え?」
「だから、断る!」
堂々とそれでいて自信満々に胸を張って言う鉄竜に姫は眉間に皺を寄せた。
「断るって……私は必要ないって言ってるの!!」
「断る」
「……何なの、何なの!! 貴方は!!」
ヒステリックな様子で叫ぶ姫。けれど、鉄竜は一切姫から視線を逸らさず、堂々と言い放った。
「友達だ」
「友達って……だから、私は、そういうのはいらないって……言ってるでしょ。私はそういう人間じゃないの」
ポタリポタリと小さく涙が零れ落ちる。鉄竜が何も言わずに見守ると、姫は口を開いた。
「貴方がここに来たって事は、全部聞いてたでしょ? アイツの言葉……」
「アイツのって……あのトチ狂った声か?」
「そうよ。私はね、あの女の奴隷なの。永遠に縛り付けられた奴隷なの! 死んだって、あいつは今も私を蝕み続けてるの! ずっとずっとずっと、アイツの声が頭の中に響くのよ!! 殺せって、私のために殺し続けろって。私はそんな現実から逃げたかった。人を殺し続ける永遠の螺旋から逃げたかった!!」
姫の悲痛な叫びを鉄竜は真正面から聞く。彼女の一言一句を決して逃す事無く。
「でも、逃げられない。あの人は私と一心同体。死んだって、私の傍に居て、私をずっとずっと呪い続けてる。もう、疲れたの……生きる事も、殺す事も……私が望んだって何一つ手に出来やしないんだって……結局、私にあるのは絶望と殺し続ける運命だけ……だったら、私はここで死にたい。全ての関係を断ち切って、人知れず、死にたい。そうよ、だったら、友達って言うんなら、貴方が私を――殺してよ」
その言葉はあまりにも痛々しく、それでいて弱弱しかった。何にも縋る事が出来ない絶望の中に居る人間の言葉。この世の先の未来に希望を抱けなくなった人間の言葉。
そうその言葉は鉄竜の愛に向けて言った事がある言葉だった。未来に何一つ希望を抱く事なんて出来なくて。ただこの先は真っ暗で、何も期待なんて出来なくて。でも、近くに必ず光はある。
鉄竜は真っ直ぐ姫の顔を見つめ、口を開いた。
「俺はお前を殺さない」
「なんで、なんでよ! 貴方言ったわよね!? 私の苦しみが分かるって! 同じ奴隷だから分かるって。なのに、なんで殺してくれないのよ! 私は四百年間もずっとずっとあの女の支配され続けてるのよ!? 殺して、殺し続けてきた女なの! そんな人間なのに、なんで!? 私は死にたいの!」
「死んで救われるだなんて甘ったれてんじゃねぇよ!!」
「――っ!?」
鉄竜は鉄格子に自身の頭を打ちつけ、叫んだ。
「殺してほしい!? ふざけんな!! ここでお前が死ねば本当にアイツの奴隷のままなんだぞ!!お前が生きてきたその四百年間って奴は全部、全部がアイツの言いなりで終わるんだぞ! お前はそれでもいいのかよ!!」
「ええ、いいわよ! だって、アイツの支配を壊せるの!? アイツの支配に終わりを告げる事が出来るの!? 四百年間続いた呪いは決して消せない! なら、もう出来る事は一つだけでしょ!?」
「いいや、二つだ! お前が死ぬか! それとも、支配に抗い戦い続けるか、だ!!」
瞬間、突如、鉄竜は背後の気配に目を向けた。すると、そこには無数の人型の影が現れていた。
女性の身体の形を象った影。その全ては鉄竜を見つめると、鉄竜の脳内に蕩けるような女性の声音が響く。
『困るわぁ~、勝手にヒトの秘密に触れるなんてぇ~。やっぱり、吸血は危険よねぇ~』
「てめぇ……そうか……やっぱり、ここは」
『ご明察。ここは貴方たちが姫、姫と囃し立てる女の中よ。言うなれば、精神世界とでも言うのかしら? つまり、私の世界。その女はもう傀儡でしかないけれど、ね』
「一人の人間の中に、精神が二つって事か……」
と、ここで鉄竜はある言葉を思い出した。それは図書館に行った時に投げ飛ばした本のあまりにも薄い悪魔図鑑の内容。そうそこにはある記述があった。
ヒトはある時、大きく人格が変化してしまう現象がある。これは時折二重人格と勘違いされてしまいがちであるが、もう一つ要因として考えられるものがある。それは――『悪魔憑き』
何かに取り憑かれたかのように周囲に悪影響を及ぼす事。これの多くは悪霊などが引き起こす。
つまりは――。鉄竜はそこまで考え、口角を上げた。
「……なるほど、なんだ。そういうことかよ……ずっとずっと引っかかってたんだ。何で、四百年前の人間がずっと生き続けられたのか。そりゃそうだよな、エリザベート・バートリー!!」
鉄竜は真っ直ぐ影を指差した。
「エリザベート、お前は確かに死んだ。暗い牢獄の中で発狂しながら死んだ。けど、お前はただでは死ななかった。強い恨みを残したんだ。それも、お前自身が悪霊になるくらいの。けど、それだけじゃない。歴史がお前の味方をしたんだ。歴史は、お前を『吸血鬼』にした」
妖魔という存在は所謂、この世に存在する非常識である。
つまり、悪霊や伝説、オカルトそのものが顕現した存在である、とも言えるのだ。となれば、エリザベートの場合はある歴史が彼女を悪霊という存在とその側面に『吸血鬼』という悪魔を定着させた。
その大きな要因こそが『吸血鬼カーミラ』という書物である。
妖魔には時間の概念が存在しない。エリザベートの場合は死んだ後に強い恨みによって悪霊となった。その際に、未来、彼女が吸血鬼としてのモデルとなるカーミラとしての側面を手に入れたのだ。カーミラのモデルとなったエリザベート・バートリーという側面を。
「だったら、全てに説明が付く。姫がなんであんなにも性格がブレてたのか。あれは悪魔憑きの影響だ。悪魔憑きは精神を不安定にさせる。。本当の己が分からなくなるくらいに、お前は姫に侵食していた。そうだろう?」
『ウフフフフ、正解よ。ちょこっとヒントを上げすぎちゃったかしら? けど、問題ないわよね? だって、貴方もここで死ぬんだし?』
「なっ、彼は何一つ関係ない! 殺すなら、私だけにしなさいよ!」
『うるさい、小娘ね。そもそも、貴女が原因でしょう? 貴女が逃げて、私の美に横槍を入れさせた。貴女が居なければ、私は今頃、永遠の美を手に入れてた。夢を叶えていたのに!?』
エリザベートの言葉に姫は押し黙る。鉄竜は姫の言葉を聞き、ハッとなった。
エリザベートの死因にはいくつかの諸説がある。その中には、奴隷の一人が逃げ出し、その奴隷が有力な貴族に悪事を露呈したから、エリザベートの悪事が明るみになった、と。
そう、つまり、彼女は一度戦っている、という事になる。
「……そうか、姫。お前は一回、真正面から戦ったんだな。けど、ダメだったんだな」
「そうよ……エリザベートのやってた事が正しいだなんて思うはずが無いでしょ……だから、私は一度だけ戦った。頼れる人を頼って、縋れる人に縋って、戦った。けど、ダメだった!」
姫は悔しさを滲ませながら、腕を震わせる。
「確かにエリザベートは死んで、沢山の人が助かったよ。私の奴隷生活にだって終止符を打てた。けど、本当の地獄はそこからだった」
涙をポタリポタリと地面に落としながら、振り絞るように口を開いた。
「エリザベートが私の精神に踏み込んできてから、ずっとずっと悪魔のように囁き続けて、私はしたくも無い人殺しをずっと強要され続けた。来る日も、来る日も、エリザベートに命令される人形のように殺し続けて、血を捧げて……そんな生活が続いて、私はとうとう壊れたの。記憶を全部失って……私は彼女の傀儡になった」
人間としての限界を超えてしまったのだろう。
人間は『逃避』をする事でより多くの嫌な事や不幸な事を忘れる事が出来る。彼女の場合は命を奪い続ける己から、そして、永遠に支配され続けるという恐怖から、彼女は己の記憶を封じ込める事で己を律したという事なのだろう。
「そしたら、私はもう私ではなくなった。本当の自分を隠す為に別人格が生まれて……私は私ではなくなって、私という存在は消えていく。こんな私が生きてても意味がある? 大量の人を殺して、自分が自分だと分からない……こんな存在が、これから先の未来を生きていくなんて出来るはずが無い。だから、貴方の存在は迷惑なの。私は別に救われたくなんて無い。救ってほしいだなんて頼んでない」
「……なら、お前はなんで俺達を庇ったんだ?」
「え……」
鉄竜は肩越しに姫の表情を見ながら、自分自身のありのままの言葉を伝えた。
「俺達が寝てて、俺か愛かが命を狙われたとき、お前はその命を持って庇おうとしてくれたんじゃねぇのか?」
「そ、それは……」
「ウソを吐く必要はねぇよ。何となく俺には分かってる。あの時、お前は心の中で暴れ出しそうだったエリザベートを止めたくて、自分で自分を止めようとしたんだろ? 命を削ってでもさ」
少しだけ顔を伏せた姫を一瞥してから、鉄竜は堂々と口を開いた。
「そんな奴が生きる価値が無いとかそんな訳ねぇだろ。お前は誰かを守る為に命を懸けられる。そんなすげー奴はこの世を探してもそんなに居るもんじゃねえ。確かにお前は人を殺したのかもしれない。それは絶対にあってはならない事だ。けど、けどな、そんな現実から尻尾を巻いて逃げちゃいけねぇんだ」
「鉄竜……」
「言っただろ? 生きる価値なんて生きていく中で決めればそれでいい。それで死にたくなったら、死ねばいい。でもな、お前の中でまだ、ほんの僅かでも、生きたいと願うんなら――生きなきゃいけない」
鉄竜は無数に出現する影たちへと視線を戻し、姫へ背を向けた。
「生きて、生きて、それからお前がどうしたいかを決めればいい」
「……っ。私がこれから先、生きたとしても……私はどうしたらいいんだ……私は……」
「だったら、誰かを頼ればいい」
「誰かを頼るって……私は……頼れる人なんて……」
そう言い掛けた瞬間、鉄竜は己の右手を姫の方向へと向け、親指を立てた。
「俺がいるだろ」
「……っ。うぅ……くっ……」
何かを堪えるようなうめき声が鉄竜の背後から響き渡る。その声は振り向かなくても分かる。だから、鉄竜は何も言わず、ただ眼前を見つめ、そのときを待った。
「鉄竜……君は、本当に私を助けてくれるのか?」
鉄竜はただ何も言わずに頷く。
「君は、四百年の呪いを解いてくれるのか?」
ただただ、彼女へと自身の意志を伝える為に、ただ頷く。
「……なら、お願いだ。いや、お願いしま――」
「敬語はいらねぇよ、友達だろ?」
「……うぅ……たす……けて……てつりゅぅ……」
震えて、掠れる、とてもか細い涙声は確かに鉄竜の耳に、脳内に、そして、心に届いた。
彼女が抱える四百年の呪いに終止符を打つ。その覚悟は今、出来た。
どんな理不尽であろうとも、どんな敵であろうとも、男が女に助けて、と言われたのなら。男がするべきことはただ一つ。けれど、垂れるような妖艶な声は止まらない。
『ウフフフ、助けてって……貴女が助かる事は一生無い! 貴女は永遠に私の奴隷。私の中で貴女は一生を終える。だから、その邪魔者を今、排除してやるわ』
その声が号令となり、一斉に鉄竜目掛けて無数の黒い影が押し寄せる。数にしてざっと百。
しかし、鉄竜は一歩、また一歩と足を進めていく。
四百年。長い長い時間の中で彼女は戦い続けてきた。内の中に眠るバケモノと。常に狂気の傍に晒され、生き続けてきた。どれだけ辛い事か、どれだけ苦しい事か。
そんな生活がずっとずっと続いて、ようやく見つけられた救いの手。
鉄竜は獰猛な野獣のように顔を歪ませ、一体の影の頬目掛けて拳を振るい、抉った。
「やれるもんなら、やってみろ!!」
その声が空間に響き渡る。堂々と言い放った言葉が隅から隅まで響き届く。
けれど、その言葉を聞いて誰よりも戸惑いを見せたのは少女、姫だった。
「何……言ってるの?」
「何って、お前、助けるって言ってんだよ。姫」
「……そんな事、頼んでない」
一瞬、鉄竜と視線を合わせたが、姫はすぐに視線を逸らした。
「私はここから出る事なんて出来ないんだよ。この鎖が、この槍が私を離す事は無いんだから」
「……なら、その鎖と槍を俺がぶっ壊せばいいんだろ?」
「簡単に言わないでよ。簡単に……言わないで……」
ぎゅっと手のひらに力を込めたかのように姫の手は震える。その声は尻すぼみに小さくなっていく。
鉄竜はその場に腰を落ち着かせ、姫の様子を見上げた。
見世物であるかのように吊るされた身体。槍が痛々しく身体を突き刺し、顔には表情らしい表情も見えず、とても辛く、苦しそうな顔をしている。そうこの顔は、昔の自分の顔とまるで同じ顔。
自分が死んだって構わない、そう思い絶望している顔。
鉄竜は姫を見上げてたまま、出来る限り笑顔を浮かべて、口を開いた。
「そういやさ、お前の作ったおにぎりなんだが、しょっぱすぎて、まずかったよ」
「……そう。……おいしいって言ったじゃん」
「建前だって、建前。味は不味かった。けど、美味かったよ」
「意味分かんない……」
「そういうもんなんだよ。あ、それと、お前。あの借りた本、どうするんだよ。読まないと勿体無いだろ?」
「……もぅ、読めないから。トショカンって所に返しといて」
「それは自分で返しに行けよ。お前が借りたんだからよ」
「……それは、出来ないよ」
「なんでだ?」
鉄竜が問いかけると、姫はダンマリ押し黙る。その様子に鉄竜が困惑すると、姫は少しだけ顔を上げ、恨めしげに鉄竜を見た。
「ねぇ、どういうつもりなの? 今更、私と話をして……」
「今更ってお前……別に良いじゃねぇか。俺とお前は友達なんだからよ」
「友達なんかじゃない。私は――そういうのいらない」
姫の突き放すような言葉に鉄竜は一瞬、怒りのボルテージが上がるが、すぐに抑える。
一つ深呼吸をしてから、鉄竜は口を開いた。
「いらないってそんな寂しい事言うなよ。友達って言ったじゃねぇか」
「……だから、私はそういうのいらないって言ってるでしょ!! 迷惑なの! そういうの!」
姫の怒号が空間に響き渡る。しかし、鉄竜は何一つ動じる事は無く、ダンマリと押し黙る。
すると、姫は怒号を上げたからか肩で呼吸してから、冷静さを取り戻したのか、口を開いた。
「そういうの……本当にいらないから……」
「…………断る」
「え?」
「だから、断る!」
堂々とそれでいて自信満々に胸を張って言う鉄竜に姫は眉間に皺を寄せた。
「断るって……私は必要ないって言ってるの!!」
「断る」
「……何なの、何なの!! 貴方は!!」
ヒステリックな様子で叫ぶ姫。けれど、鉄竜は一切姫から視線を逸らさず、堂々と言い放った。
「友達だ」
「友達って……だから、私は、そういうのはいらないって……言ってるでしょ。私はそういう人間じゃないの」
ポタリポタリと小さく涙が零れ落ちる。鉄竜が何も言わずに見守ると、姫は口を開いた。
「貴方がここに来たって事は、全部聞いてたでしょ? アイツの言葉……」
「アイツのって……あのトチ狂った声か?」
「そうよ。私はね、あの女の奴隷なの。永遠に縛り付けられた奴隷なの! 死んだって、あいつは今も私を蝕み続けてるの! ずっとずっとずっと、アイツの声が頭の中に響くのよ!! 殺せって、私のために殺し続けろって。私はそんな現実から逃げたかった。人を殺し続ける永遠の螺旋から逃げたかった!!」
姫の悲痛な叫びを鉄竜は真正面から聞く。彼女の一言一句を決して逃す事無く。
「でも、逃げられない。あの人は私と一心同体。死んだって、私の傍に居て、私をずっとずっと呪い続けてる。もう、疲れたの……生きる事も、殺す事も……私が望んだって何一つ手に出来やしないんだって……結局、私にあるのは絶望と殺し続ける運命だけ……だったら、私はここで死にたい。全ての関係を断ち切って、人知れず、死にたい。そうよ、だったら、友達って言うんなら、貴方が私を――殺してよ」
その言葉はあまりにも痛々しく、それでいて弱弱しかった。何にも縋る事が出来ない絶望の中に居る人間の言葉。この世の先の未来に希望を抱けなくなった人間の言葉。
そうその言葉は鉄竜の愛に向けて言った事がある言葉だった。未来に何一つ希望を抱く事なんて出来なくて。ただこの先は真っ暗で、何も期待なんて出来なくて。でも、近くに必ず光はある。
鉄竜は真っ直ぐ姫の顔を見つめ、口を開いた。
「俺はお前を殺さない」
「なんで、なんでよ! 貴方言ったわよね!? 私の苦しみが分かるって! 同じ奴隷だから分かるって。なのに、なんで殺してくれないのよ! 私は四百年間もずっとずっとあの女の支配され続けてるのよ!? 殺して、殺し続けてきた女なの! そんな人間なのに、なんで!? 私は死にたいの!」
「死んで救われるだなんて甘ったれてんじゃねぇよ!!」
「――っ!?」
鉄竜は鉄格子に自身の頭を打ちつけ、叫んだ。
「殺してほしい!? ふざけんな!! ここでお前が死ねば本当にアイツの奴隷のままなんだぞ!!お前が生きてきたその四百年間って奴は全部、全部がアイツの言いなりで終わるんだぞ! お前はそれでもいいのかよ!!」
「ええ、いいわよ! だって、アイツの支配を壊せるの!? アイツの支配に終わりを告げる事が出来るの!? 四百年間続いた呪いは決して消せない! なら、もう出来る事は一つだけでしょ!?」
「いいや、二つだ! お前が死ぬか! それとも、支配に抗い戦い続けるか、だ!!」
瞬間、突如、鉄竜は背後の気配に目を向けた。すると、そこには無数の人型の影が現れていた。
女性の身体の形を象った影。その全ては鉄竜を見つめると、鉄竜の脳内に蕩けるような女性の声音が響く。
『困るわぁ~、勝手にヒトの秘密に触れるなんてぇ~。やっぱり、吸血は危険よねぇ~』
「てめぇ……そうか……やっぱり、ここは」
『ご明察。ここは貴方たちが姫、姫と囃し立てる女の中よ。言うなれば、精神世界とでも言うのかしら? つまり、私の世界。その女はもう傀儡でしかないけれど、ね』
「一人の人間の中に、精神が二つって事か……」
と、ここで鉄竜はある言葉を思い出した。それは図書館に行った時に投げ飛ばした本のあまりにも薄い悪魔図鑑の内容。そうそこにはある記述があった。
ヒトはある時、大きく人格が変化してしまう現象がある。これは時折二重人格と勘違いされてしまいがちであるが、もう一つ要因として考えられるものがある。それは――『悪魔憑き』
何かに取り憑かれたかのように周囲に悪影響を及ぼす事。これの多くは悪霊などが引き起こす。
つまりは――。鉄竜はそこまで考え、口角を上げた。
「……なるほど、なんだ。そういうことかよ……ずっとずっと引っかかってたんだ。何で、四百年前の人間がずっと生き続けられたのか。そりゃそうだよな、エリザベート・バートリー!!」
鉄竜は真っ直ぐ影を指差した。
「エリザベート、お前は確かに死んだ。暗い牢獄の中で発狂しながら死んだ。けど、お前はただでは死ななかった。強い恨みを残したんだ。それも、お前自身が悪霊になるくらいの。けど、それだけじゃない。歴史がお前の味方をしたんだ。歴史は、お前を『吸血鬼』にした」
妖魔という存在は所謂、この世に存在する非常識である。
つまり、悪霊や伝説、オカルトそのものが顕現した存在である、とも言えるのだ。となれば、エリザベートの場合はある歴史が彼女を悪霊という存在とその側面に『吸血鬼』という悪魔を定着させた。
その大きな要因こそが『吸血鬼カーミラ』という書物である。
妖魔には時間の概念が存在しない。エリザベートの場合は死んだ後に強い恨みによって悪霊となった。その際に、未来、彼女が吸血鬼としてのモデルとなるカーミラとしての側面を手に入れたのだ。カーミラのモデルとなったエリザベート・バートリーという側面を。
「だったら、全てに説明が付く。姫がなんであんなにも性格がブレてたのか。あれは悪魔憑きの影響だ。悪魔憑きは精神を不安定にさせる。。本当の己が分からなくなるくらいに、お前は姫に侵食していた。そうだろう?」
『ウフフフフ、正解よ。ちょこっとヒントを上げすぎちゃったかしら? けど、問題ないわよね? だって、貴方もここで死ぬんだし?』
「なっ、彼は何一つ関係ない! 殺すなら、私だけにしなさいよ!」
『うるさい、小娘ね。そもそも、貴女が原因でしょう? 貴女が逃げて、私の美に横槍を入れさせた。貴女が居なければ、私は今頃、永遠の美を手に入れてた。夢を叶えていたのに!?』
エリザベートの言葉に姫は押し黙る。鉄竜は姫の言葉を聞き、ハッとなった。
エリザベートの死因にはいくつかの諸説がある。その中には、奴隷の一人が逃げ出し、その奴隷が有力な貴族に悪事を露呈したから、エリザベートの悪事が明るみになった、と。
そう、つまり、彼女は一度戦っている、という事になる。
「……そうか、姫。お前は一回、真正面から戦ったんだな。けど、ダメだったんだな」
「そうよ……エリザベートのやってた事が正しいだなんて思うはずが無いでしょ……だから、私は一度だけ戦った。頼れる人を頼って、縋れる人に縋って、戦った。けど、ダメだった!」
姫は悔しさを滲ませながら、腕を震わせる。
「確かにエリザベートは死んで、沢山の人が助かったよ。私の奴隷生活にだって終止符を打てた。けど、本当の地獄はそこからだった」
涙をポタリポタリと地面に落としながら、振り絞るように口を開いた。
「エリザベートが私の精神に踏み込んできてから、ずっとずっと悪魔のように囁き続けて、私はしたくも無い人殺しをずっと強要され続けた。来る日も、来る日も、エリザベートに命令される人形のように殺し続けて、血を捧げて……そんな生活が続いて、私はとうとう壊れたの。記憶を全部失って……私は彼女の傀儡になった」
人間としての限界を超えてしまったのだろう。
人間は『逃避』をする事でより多くの嫌な事や不幸な事を忘れる事が出来る。彼女の場合は命を奪い続ける己から、そして、永遠に支配され続けるという恐怖から、彼女は己の記憶を封じ込める事で己を律したという事なのだろう。
「そしたら、私はもう私ではなくなった。本当の自分を隠す為に別人格が生まれて……私は私ではなくなって、私という存在は消えていく。こんな私が生きてても意味がある? 大量の人を殺して、自分が自分だと分からない……こんな存在が、これから先の未来を生きていくなんて出来るはずが無い。だから、貴方の存在は迷惑なの。私は別に救われたくなんて無い。救ってほしいだなんて頼んでない」
「……なら、お前はなんで俺達を庇ったんだ?」
「え……」
鉄竜は肩越しに姫の表情を見ながら、自分自身のありのままの言葉を伝えた。
「俺達が寝てて、俺か愛かが命を狙われたとき、お前はその命を持って庇おうとしてくれたんじゃねぇのか?」
「そ、それは……」
「ウソを吐く必要はねぇよ。何となく俺には分かってる。あの時、お前は心の中で暴れ出しそうだったエリザベートを止めたくて、自分で自分を止めようとしたんだろ? 命を削ってでもさ」
少しだけ顔を伏せた姫を一瞥してから、鉄竜は堂々と口を開いた。
「そんな奴が生きる価値が無いとかそんな訳ねぇだろ。お前は誰かを守る為に命を懸けられる。そんなすげー奴はこの世を探してもそんなに居るもんじゃねえ。確かにお前は人を殺したのかもしれない。それは絶対にあってはならない事だ。けど、けどな、そんな現実から尻尾を巻いて逃げちゃいけねぇんだ」
「鉄竜……」
「言っただろ? 生きる価値なんて生きていく中で決めればそれでいい。それで死にたくなったら、死ねばいい。でもな、お前の中でまだ、ほんの僅かでも、生きたいと願うんなら――生きなきゃいけない」
鉄竜は無数に出現する影たちへと視線を戻し、姫へ背を向けた。
「生きて、生きて、それからお前がどうしたいかを決めればいい」
「……っ。私がこれから先、生きたとしても……私はどうしたらいいんだ……私は……」
「だったら、誰かを頼ればいい」
「誰かを頼るって……私は……頼れる人なんて……」
そう言い掛けた瞬間、鉄竜は己の右手を姫の方向へと向け、親指を立てた。
「俺がいるだろ」
「……っ。うぅ……くっ……」
何かを堪えるようなうめき声が鉄竜の背後から響き渡る。その声は振り向かなくても分かる。だから、鉄竜は何も言わず、ただ眼前を見つめ、そのときを待った。
「鉄竜……君は、本当に私を助けてくれるのか?」
鉄竜はただ何も言わずに頷く。
「君は、四百年の呪いを解いてくれるのか?」
ただただ、彼女へと自身の意志を伝える為に、ただ頷く。
「……なら、お願いだ。いや、お願いしま――」
「敬語はいらねぇよ、友達だろ?」
「……うぅ……たす……けて……てつりゅぅ……」
震えて、掠れる、とてもか細い涙声は確かに鉄竜の耳に、脳内に、そして、心に届いた。
彼女が抱える四百年の呪いに終止符を打つ。その覚悟は今、出来た。
どんな理不尽であろうとも、どんな敵であろうとも、男が女に助けて、と言われたのなら。男がするべきことはただ一つ。けれど、垂れるような妖艶な声は止まらない。
『ウフフフ、助けてって……貴女が助かる事は一生無い! 貴女は永遠に私の奴隷。私の中で貴女は一生を終える。だから、その邪魔者を今、排除してやるわ』
その声が号令となり、一斉に鉄竜目掛けて無数の黒い影が押し寄せる。数にしてざっと百。
しかし、鉄竜は一歩、また一歩と足を進めていく。
四百年。長い長い時間の中で彼女は戦い続けてきた。内の中に眠るバケモノと。常に狂気の傍に晒され、生き続けてきた。どれだけ辛い事か、どれだけ苦しい事か。
そんな生活がずっとずっと続いて、ようやく見つけられた救いの手。
鉄竜は獰猛な野獣のように顔を歪ませ、一体の影の頬目掛けて拳を振るい、抉った。
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