鮮血の非常識

おしりこ

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「あ~あ、この玩具もすぐに壊れたわねぇ~」

 エリザベートは失望していた。それは今、眼前で無様にも倒れている少年だ。
 首筋には二つの穴。全身はだらりと力が抜け、抜け殻のようになっている。それは表情も同じだ。目を見開いていても、真っ白。口は半開きで、呆けた顔をしている。まさに無様の一言で片付くさまである。
 エリザベートは少年を乱雑に捨て置いた。
 この少年はエリザベートと同じ吸血鬼だった。けれど、実力は正直のところ、満足いくとはとても言えない。
 油断、慢心、甘さ、優しさ。そのすべてを持つ滑稽な人間でしかなかった。この世の頂点でもある吸血鬼でありながら、誰よりも傲慢ではなく、誰よりも自由ではなく、誰よりも強くは無かった。
 希望だなんだとのたまうだけで、実力の伴わない愚かな人間だ。
 希望なんてこの世のは存在しない。あるのは『永遠の美』だけだ。
 エリザベートは少年の抜け殻を見つめ、舌なめずりをした。

「今頃、精神が私の中で暴れているけれど、それも時間の問題……いつ、私の影に取り込まれるか……ウフフフ……そうすれば、彼も私のモノ……私は楽園を作る事が出来る……」

 吸血行為による肉体と精神の分離。それによって、今、鉄竜はエリザベートの中に居る。
 けれど、エリザベートはなんら危機感を感じていなかった。むしろ、邪魔者は消えたとすら思っている。何故ならば、この世にエリザベートを超える存在はもう居ないからだ。
 吸血鬼の持つ強い不死性も、吸血鬼の持つ圧倒的攻撃力も、吸血鬼の持つ圧倒的なカリスマも。どれをとっても、人間なんていう矮小な存在ではとても到達できない境地。
 そして、今、エリザベートは吸血鬼の血を喰らった。妖魔の中の王の血を喰らった。
 そのおかげか、今、全身に満ち溢れるような力が湧き上がっている。
 元々、吸血鬼の吸血行為には吸血者本人の限界以上の力を引き上げる事が出来る。それも吸血したのは、妖魔の王と称される吸血鬼の血。今、エリザベートの力は人知を超えた、奇跡を起こせるだけの力は持つ。
 そう、これで、ようやくエリザベートは動き出す事が出来る。己の描いた理想を追い求める事が出来る。
 しかし、何故、エリザベートは妖魔の王について知っているのだろうか。
 自身が生きていた頃の記憶は確かにある。それに追加されるかのように、エリザベートが妖魔となった時に植えつけられた、『妖魔の王』という言葉とその存在。
 そして、もう一つ。何故、彼の肉体は消えていないのか、という事だ。
 本来、吸血によって肉体も消失するはずだ。けれど、彼の肉体は未だここに健在。それが些か疑問だが。
 考えても分からない事を考えるよりも、エリザベートはほくそ笑んだ。
 そんな事は今はどうでも良い。そうだ、だって、もうすぐ己の願望が実現できるのだから。

「さあ、もう一度作りましょう。私の楽園を。その礎を今ここに!」

 エリザベートは両手を広げ、高らかに宣言する。
 そう、もう彼女を邪魔する存在は居ない。
 四百年前、己を裁判に導いた、小生意気な小娘はもうエリザベートの精神が喰らった。
 そして、現代。その小娘を助けると意気込む吸血鬼は時間の問題でエリザベートが喰らう。
 誰一人としてエリザベートを止められる者は居ない。エリザベートは嗤った。
 ようやく、四百年夢見た理想郷を作り上げる事が出来る。
 己の全てが正しくなる甘美な世界。己の美を追求できる楽園を。ようやく作る事が出来る。
 そうなれば、エリザベートはもっともっともっともっともっともっと美しくなれる。
 エリザベートは狂喜に顔を歪ませ、嗤った。

「アーハハハハハハッ! さあ、まずはここに城を建てましょう? 私の血塗れの城を……」
「そんな事させないよ」

 と、そこで男の声音がエリザベートの鼓膜を振るわせた。
 それがエリザベートの興を削ぐ。エリザベートは眼光鋭く、声の主をにらみつけた。

「誰かしら? 私の理想の邪魔をする者は……って、あらあら、まさか貴女が来るなんてねぇ~。それにそっちの男も……いっつも追い回してウンザリしてるんだけど?」

 エリザベートの視線の先。そこに居たのは正義とここに居る吸血鬼の女、恋久保愛だった。それもなにやら恋久保愛は腕に包帯を巻き、ケガをしている。だが、そんなものは何一つ気にする事でもない。
 二人は真っ直ぐエリザベートから視線を外す事無く、睨んでいる。その眼差しはまだ諦めていないかのような強い眼差し。その眼差しにエリザベートは嫌悪感を示す。

「何? その目は。少し反抗的過ぎないかしら?」
「当たり前だろう? 僕は君を殺しに来たんだからね」
「殺し……ププ、アハハハ! 人間ごときが私を殺す? 冗談よしてよ。殺されに来た、の間違いじゃないかしら?」

 破顔一笑。エリザベートは腹を抱えて笑った。
 殺す? 矮小な人間ごときにそんな事出来るはずが無い。しかし、どれだけ嘲笑おうとも、彼らは一切動じる事は無い。むしろ、その眼光は強まるばかり。エリザベートはその眼差しを見つめ、舌打ちをした。

「何? 私に勝つ気なのかしら? 笑えないわね……その目!!」

 刹那――エリザベートは地面を踏み抜いた。あの二人をすぐにでも視界から、存在すらも消す為に。
 しかし、すぐさま正義の言葉が飛ぶ。

「恋久保! こっちだ!」
「へ? は、はい!」

 正義がすぐさま愛を脇に抱えて、その場から後方へと飛ぶ。それにより、地中から生える無数の槍は空振り。エリザベートは一瞬舌打ちをするが、正義の銃口が視界に映る。
 その瞬間、エリザベートはニタリと口角を上げた。エリザベートはボロ雑巾のようにその場に転がっていた鉄竜の首根っこを掴み、己の盾となるように、正義の突き出した銃口と一直線上になるよう向けた。

「ウフフフフ、使えるものは使わないとねぇ~。ごみはごみらしく……」
「……君は何か勘違いをしているようだね」
「何かしら?」

 瞬間――何発もの銃声が響き渡る。そのすべては――エリザベートの身体を貫いた。
 胸部と腹部を襲う貫かれたような痛みに思わず、エリザベートは仰け反る。
 そう、銃弾が鉄竜の身体をすり抜けて、エリザベートに全弾命中したのだ。
 口元から血を流し、エリザベートは眉間に皺を寄せ、正義を睨んだ。

「キサマ……」
「僕の銃弾は僕の作りたいものを錬成する。それが僕の魔術さ。つまり――物体をすり抜ける銃弾程度ならば即席で作る事が出来る。つまり――こんな事も可能だよ」

 正義は何処からか取り出したマシンガンを何発も、エリザベートが当たらないような四方八方に発砲する。当たるはずの無い銃弾。だが、銃弾が空中で静止し、向きを変えた。
 そう銃弾がエリザベートに炸裂するように。エリザベートは息を呑んだ瞬間。
 銃弾の全てがエリザベートの全身を貫いた。噴水のように噴き出る血液。口元からは血が流れ、壊れた人形のようにエリザベートはゆっくりと倒れ伏し、握っていた鉄竜の手も離し、地面へと倒れる。
 だが、正義と愛は一切油断した様子を見せず、息を呑んだ。

「やってません、よね?」
「ああ、まだ……っぐっ!?」

 ほんの一瞬の出来事だった。愛も目を疑っているかのように目を丸くした。
 だが、エリザベートは狂気の笑みを浮かべた。これで一人。殺した。
 正義の眼前。正義の首。そこに瞬く間に移動し、流星の如き勢いそのままにラリアットを叩き込んだ。
 この男さえ倒す事が出来れば、全てが終わる。この隣に居る女はどうせ何の力も持たない無力な人間だ。だからこそ、この男を倒せば。もうエリザベートに刃向かう愚かな人間は居なくなる。
 エリザベートは腕に込める力を強くしていく。
 正義は口元から血を流し、エリザベートの腕で首の骨が折れる感覚を実感する。だが、正義の意志はどうやらまだ折れていない。その眼光はエリザベートではなく、真っ直ぐ前を向き、銃口を向け、発砲した。

「何処を狙っているの!!」

 叫ぶと同時にエリザベートは力いっぱい腕を振りぬいた。
 地面を水切りのように飛んでいく正義。その勢いを殺す事も出来ず、正義は遥か後方へと飛び、勢いが収まると同時に地面に倒れ、苦しそうに何度か咳き込む。

「へぇ、まだ生きてるの? 私の一撃を食らって」
「ゴホッ……くっ……」

 正義は震えながらも立ち上がり、未だ銃口をエリザベートへと向ける。あまりにも無様で滑稽な姿だ。
 ボロボロになってまで妖魔に逆らう人間の感情がエリザベートには理解できない。力の差は絶対的だ。人間なんて秒で殺せる。そう、この今、横に居る女も。
 人間と妖魔。その存在は決して超える事は出来ない。ましてや、吸血鬼として、吸血を行ったのだから。彼女が負ける道理なんて何処にも無い。そう、彼らは絶望を抱いたまま死んでいく事しか出来ないのだ。
 エリザベートはチラリと愛を見ると、愛は目を恐怖で歪ませ、エリザベートを見ていた。

「あらあら、可哀想に。そんなに怖がっちゃって……なぁに? あんなに威勢が良かったのに、現実を知ったらビビっちゃったのかな? けれどね、これが現実よ?」
「きゃっ!? い、いたい……」

 エリザベートは愛の真っ黒で艶やかな憎らしい髪を掴み、己の眼前まで動かす。

「人間ごときじゃ私には敵わない。貴女たちがどれだけ刃向かった所で私には一生敵わないわ。けど、貴女は美しい女の子だから、選択肢をあげる。私の奴隷になるなら……見逃してあげても良いけど?」

 そう、この目の前に居る女性は美しい。気高い魂とその愛らしいルックス。
 相反するその魅力が、またエリザベートの美しさを底上げしてくれるに違いない。彼女は間違いなく、エリザベートの美しさの糧になってくれるはずだ。希望を絶望へと変えたその瞬間にある真の絶望。それを彼女は充分に持ち合わせている。美しさを理解している。
 しかし、愛はエリザベートを憎憎しく睨みつけ、口を開いた。

「生憎なんだけど……わ、私はもう、心に決めた主人ってのが居るの……」
「主人? まさか、あの男の事? バッカらしいわねぇ~。もうアイツは死んでるといっても同然。そんな奴を主人って、貴方頭でも狂っちゃったのかなぁ?」

 愛が主人とする鉄輪鉄竜は既にエリザベートの精神世界に囚われている。否、むしろ、もう取り込んだ。
 もう、彼が出て来る事は絶対にありえない。しかし、愛の目に闘志と信じる気持ち、その希望の強い眼差しが消える事は無い。けれど、それが堕ちた瞬間に、人は真の絶望を感じる。それこそが甘美な瞬間。エリザベートの全身が快楽に震えてしまう瞬間。
 けれど、エリザベートの意志とは裏腹に、愛の瞳にある意思の業火は消えていなかった。

「何!? その目は!! 私の言う事は絶対なのよ! なのに、その反抗的な眼差しは! 希望を失わないその眼差し!! それが気に入らないわ! 希望なんてこの世には必要ない! この世に必要なのは、私の美しさ! それが、世界の希望よ!」
「そ、そんな事……ない……貴女は絶望です。姫ちゃんを苦しめて……沢山の人を殺して……そんな人が希望なんて……絶対にありえない……本当の希望は……命を懸けて誰かを助けれる存在なんだよ……お前みたいに……人を人とも思わない奴に……希望なんて無い!」
「……そんな存在この世には居ないわ。それに……貴女がそれを見る事もない」
「ぐうぅううう……」
「恋久保……くっ……」

 エリザベートが締める腕を強くするだけで、愛は苦悶の表情に変わる。
 そう、人間はこの表情をエリザベートに向けてればそれでいいのだ。あの正義という男も、立ち上がりたくても、立ち上がれない。当たり前だ。首の骨をへし折ったのだから。意識があるだけマシだろう。
 この二人を殺せば全てが終わり、全てが始まる。そう――エリザベートの狂気のワルツ。第二楽章が。
 エリザベートは出来るだけ苦しめて死ぬように、愛の首を徐々に徐々に絞めるのを強くする。

「ぐぅううああああ……」
「ウフフフフ、苦しい? ねぇ、苦しい? もぅ、死んじゃうのよ? 希望を抱いて、絶望したまま死ぬの? ねぇ、どう? その気持ちは……」
「わ、わたし……は……ぜつぼうしない……だって……希望は、まだ……死んでないから……」
「何を言って――」

 刹那――エリザベートの首が飛んだ。それと同時にエリザベートが己に起きた事態が理解できなかった。
 何故、こんな事になっている? あの男か? 飛ぶ生首で正義の様子を観察するが、彼は何もしていない。ただ倒れ伏して、銃口を向けるだけで、何も出来ていない。だって、銃声は鳴っていないのだから。
 ならば、誰だ? と、考えたとき。すぐに答えは出た。そう声が聞こえたから。

「……愛。やっぱり、お前は無茶をする……俺の言う事なんてやっぱり聞かないな、お前は」
「ゴホッ、ゴホッ……えへへ……だって、テツくんだってピンチだったから……」

 そっと優しくエリザベートが首を飛ばされた拍子で落した愛を抱きとめる青年の姿が目に入った。
 何故だ? 何故? 彼が精神から出てきている。エリザベートは頭を再生させながら、叫んだ。

「何故だ、何故キサマが居る! 何故だ!! 何故!! お前があの世界を抜け出したぁ!!」

 エリザベートの狂気の絶叫に男――鉄輪鉄竜は愛を抱き止め、ゆっくりと立たせてから、肩越しにエリザベートを睨みつけ、叫んだ。

「何で抜け出したか? そんなもん決まってんだろ?」

 彼――忌々しい吸血鬼はゆっくりと振り返り、エリザベートを睨んだまま、叫ぶ。

「お前をぶっ飛ばしにだ!! エリザベートッ!!」
 
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