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「ウォラアアアアアッ!!」
裂帛の気合が木霊する。
鉄竜は巨大な影の足を掴み、そのまま逆立ちになるように持ち上げ、他の影すらも潰すかの勢いで、巨大な人型の影を薙ぎ倒す。
あれからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。時間の感覚なんてものはとうに失った。
けれど、影に飲まれないようにと決死の思いで鉄竜はずっと影と戦い続けていた。
姫の精神世界の中で、牢獄の奥に居る姫自身に己の覚悟を見せ付けるように。
鉄竜は疲労を感じ、肩で呼吸をしつつも、眼前へと視線を向ける。
「まだまだぁっ!! 次、来いよ!!」
その声と同時に無数に蘇る影たち。そして、一息したら、すぐに鉄竜を飲み込まんと襲い掛かる。
だが、鉄竜の心は決して折れていない。彼らを己に近づけんと、鉄竜は拳を、足を振るい続ける。何体この水を切るような感覚を感じ取ったのだろうか。
もう慣れたものだ。鉄竜は影をどんどんと消滅させていき、全滅したら、一旦休憩し、またも現れれば戦い続ける。折れる訳にはいかない。諦める訳にはいかない。
だって、肉体はまだ死んでないはずだ。それに、向こう――精神ではない現実にはまだ彼女が居る。
彼女ならば、絶対に諦める事はしない。だったら、鉄竜が諦める訳にはいかない。
「鉄竜……君は……本当に……」
「ハァ……ハァ……まだまだ! まだ俺の首を取れてねぇぞ!」
『一体、本当に何体倒してくれてるのかしら? けど、もう限界も近そうね~。ほらほら、まだまだ出てくるわよ』
エリザベートの声に呼応するように生まれ出てくる影たち。
大きさも様々だ。普通の人間のサイズから巨人となっているサイズまで。しかし、鉄竜は決して膝を折らずに、眼前へと視線を向けると、エリザベートの呆れたような声が鼓膜を震わせる。
『……全く、貴方もしぶといわねぇ~。とっくに諦めたら?』
「バーカ。誰が諦めるかよ。俺は姫と約束したんだ。絶対に助けるってよ。その約束は絶対に守る! そうじゃなきゃ、姫が助けてっていった意味が無くなるだろ!」
そう、姫は決心してくれた。助かりたい、と願った。
諦めていた彼女が最後の希望に鉄竜を選んでくれた。ならば、それに答えずして何が男か。何が助けるだ。鉄竜が一気に駆け出すと、背中を押すように姫の声が響く。
「鉄竜……頑張って! 負けないで!」
「当たり前だ!」
鉄竜は拳を振るい、疲れきった身体にムチを打ち、影たちを消滅させていく。一体、一体の力はそこまで高くは無い。けれど、捕まれば終わりだ。触れるのは一瞬。その一瞬で倒しきる。
水が弾けるように消えていく人型の影。だが、それは人型に再構築され、また新たな影が生まれる。
鉄竜は忌々しく舌打ちをした。
「クソッタレ! 早く戻れねぇのか!!」
『何を言っているの? 貴方が戻る方法なんてありはしない!!』
エリザベートはどうやら分かっていないらしい。まだ鉄竜には僅かな光明が残されていることを。
今を思えばそうなのだろう。エリザベートには眷属が居ない。眷属が居なければ、分からない事。
鉄竜にはまだ頼れる眷属が居る。たった一人だけ、心の底から頼りになる眷属が。
だからこそ、彼女が気づくまでは影ごときに囚われる訳にはいかない。鉄竜はまたも地を蹴る。
「ぜってー諦めねぇぞ!! 俺は最後の最後まで戦い続けて、そんで姫を助けるんだからよ!!」
と、鉄竜が叫んだ瞬間だった。身体に違和感を覚えたのは。
不思議な感覚だった。まるで、全身が何かに引っ張られるかのような感覚。本来あるべき場所へと戻る、そんな感覚。そうか――鉄竜は悟る。どうやら、上手くやったらしい。
ならば、と鉄竜は足を止めた。もう戦う必要は無い。
『あらら? ようやく覚悟が出来たって事かしら? なら――私の一部になりなさい!!』
「姫ッ!!」
鉄竜は力強く叫び、背後に未だ痛々しく磔にされている姫を見つめる。
姫は驚いた様子を見せていた。それもそうだろう。だって、急に鉄竜が戦うのを止めたのだから。けれど、鉄竜は安心させるように姫に向け、確かに親指を立てた。
「絶対に助ける!! だから――お前は俺を信じてくれ!!」
「鉄竜? ……うん! 信じる! 私は――最後に君を信じてみる! だから――」
瞬間――鉄竜の全身を影が包み込む。
けれど、全身を引っ張っていく謎の力はどんどんと強くなっている。その引っ張っていく力が限界に達したとき、鉄竜の耳には確かに――届いた。
――エリザベートを、ぶっ飛ばして!!
小さなお姫様の願いは確かに鉄竜の耳に届いた――。
だから、後は鉄竜がそれを形にするだけだ――。
□
「何故……何故、キサマがここに居るぅ!! 妖魔の王ゥッ!!」
ヒステリックに叫ぶエリザベート。それもそうだろう。
彼女の中では確実に精神世界で鉄竜を倒したはずなのだから、完全に取り込んだはずなのだから。
けれど、そうではない。それは僅かに行われていない。鉄竜は極めて冷静に口を開いた。
「簡単な話だ。俺が吸血を行ったからだ」
「……何だと? 吸血を行った? そんなスキは無かったはずだ!!」
ここから先の話は恐らく鉄竜には分からない。
ただ鉄竜に分かっているのは、ここに戻ってこれたのは間違いなく、愛のおかげである事だけ。
だからこそ、愛の言葉を待っていると、愛は小さく首を横に振った。
「ううん。テツくんは間違いなく――私の血を吸ったよ」
「どういう事だ……そんな事出来るはずが無い!! コイツは精神が抜け、抜け殻だったはずだ!!」
エリザベートの言い分は確かに理解出来る。それは鉄竜も同じだ。
エリザベートに吸血をされ、先ほどまで確かに鉄竜は姫の、エリザベートの精神世界に居た。けれど、それを無理矢理引っ張り上げたのだ。その方法は分かっているが、どうやったかまでは知らない。
すると、愛はチラリと後方へと視線を向ける。鉄竜も倣って視線を向けると、そこには正義が居た。
「なっ!? なんでアイツが!?」
「獅子堂さんに協力してもらったの」
「アイツに?」
「うん。ここに来る前、私はテツくんの以上を感じてた。それは――テツくんの力が急速に弱まった事。その原因で吸血鬼が相手だったとき、何が起こるか……そう考えると、一つだけだった」
愛は真っ直ぐエリザベートを堂々と見据え、口を開いた。
「エリザベートがテツくんを吸血した場合、エリザベートがテツくんの力そのものを吸収した場合。そうなれば、テツくんは抜け殻になって、何も出来なくなる。私はそう考えた」
「何故……キサマがそんな事知っている!?」
「だって、私はテツくんの事なら何でも知ってる。当たり前でしょ? 慕ってる主人の事を理解できない従者が何処に居るの?」
愛のストレートな言葉にエリザベートは目を見開いた。
彼女にとっては考えられないだろう。主人が従者を理解する、という事を。
エリザベートは常に従者を己の欲求を満たす道具として使ってきた。けれど、鉄竜と愛は違う。
互いに互いを理解し、その距離を近づけ、友人になっている。その積み重ねが今を生んでいるのだ。
「だったら、元に戻す方法は二つになる。一つはなんらかの方法でテツくんの奪われた力を取り戻す。けど、これは現実的には不可能なんだ。だから、私はもう一つの方法を考えた」
愛は指を二つ立てながら、説明をする。
「もう一つの方法。それはね――眷属の血を主君に捧げる。つまり、テツくん自体を無理矢理活性化させて、無理矢理再生させる事」
「なんだと……眷属……」
エリザベートは何かに感付いた。けれど、それは鉄竜も同じだった。
そもそも不思議だったのだ。何故、愛が腕に包帯を巻いているのか。つまりは愛が鉄竜に吸血をさせた、という事になる。しかし、エリザベートは首を横に振る。
「いや、だが、キサマが吸血をさせたはずが無い!! キサマは私が抑えていたはずだ!!」
「そうだよ。けど、何も吸血するのは直接じゃなくてもいい」
「愛? どういう事だ?」
「……これだよ、テツくん」
「それって……あの時の銃弾か?」
愛がポケットの中から取り出したものは、あの時、鉄竜が愛に渡していた銃弾だった。
見た目もそっくりの銃弾。しかし、愛は首を横に振った。
「ううん。これはあの時の銃弾じゃなくて、新しく作った銃弾。そっくりでしょ?」
「ああ……じゃあ、この銃弾の持ち主ってのは、やっぱり、アイツなのか?」
「うん。私は獅子堂さんが銃を使ったときにはそう思ってた。だからこそ、思ったの。テツくんはあの時、銃で撃たれたって言ったよね?」
愛の言葉に鉄竜は素直に頷いた。
「吸血鬼であるテツくんに当てられるだけの腕前があるんだったら、テツくんの口目掛けて銃を撃つ事だって出来たんじゃないかなって。それに、獅子堂さんは銃を自在に錬成出来る。だから、私の血で構成された銃弾を獅子堂さんに作ってもらった。後は、それを獅子堂さんがテツくんの口の中目掛けて撃てば……」
「……あの時の銃声は吸血鬼の復活か……ウフフフフ、アーハハハハ、やるわねぇ、貴女。状況や力からすべてを判断するその知略……はた迷惑な力ね」
全ての事象に合点がいった。
愛が行った事全てを理解した。
精神を抜き取られ、抜け殻となっていた鉄竜を救ったのは他でもない獅子堂正義という男。
どういう風の吹き回しなのかはまるで分からない。けれど、鉄竜は間違いなく、獅子堂正義にチャンスを貰った。ならば、鉄竜は一息の間に獅子堂の元へと移動する。
獅子堂は虫の息だった。首を折られているのか、言葉を発する事無く、ただ忌々しく鉄竜を睨むだけ。
憎らしく思われても仕方が無いだろう。けれど、命を、救うチャンスをくれた恩人だ。
鉄竜は極めて冷静に、己の右腕を引き千切る。蛇口を捻るかのように噴き出す鮮血。
千切った右腕を差し出す鉄竜に正義は目を丸くする。
「……吸血鬼、どういうつもりだ?」
「あんたが俺を助けた。それに愛も助けたんだろ? なら、アンタだって俺は助ける。人を助けるのに立場も、人間も妖魔であろうと、関係ねぇ。だから、あんたは俺の血を飲め。それで助かる」
「……吸血鬼の再生能力を渡すつもりか?」
「そうだ。一時的だが、治癒能力くらいなら活性化させられる。俺の不死性を分けてやるってんだ。さっさと飲め」
鉄竜の言う言葉を信じたのか、それとも痛かったからなのか、正義は何も言わずに鉄竜の千切った右腕を受け取り、傷口から血を舐める。それと同時に獅子堂の身体から蒸気が噴き出す。
「……痛みが、消えていく……」
「安心しろ。お前は別に妖魔になったわけじゃねぇ。俺の力で細胞が治癒しようと活性化しただけだ。それで――お前はどうするんだ?」
鉄竜が問いかけると、正義はゆっくりと立ち上がり、鉄竜の横に立つ。
「……妖魔に貸しなんて作る気は無い」
「ハッ、好きにしろ。俺はやりてぇようにやる。愛――お前は下がってろ。もう充分だ」
鉄竜は一歩、また一歩と足を進めながら、愛に言う。
彼女はただの人間だ。怖い思いをしたに違いない。だから、鉄竜は安心させるように頭を軽く叩いた。
「もう、怖い思いもしなくていい。だから、お前はアレ、作っといてくれよ」
「テツくん……それは――三人分で、いいかな?」
「ああ。それでいい」
「分かった。テツくん、絶対に勝ってよ! 生きて帰ってこなかったら、怒るからね」
と、愛は鉄竜の意図を汲み取り、古里公園から去ろうとする。
だが、エリザベートは不敵な笑みを浮かべ、地を蹴った。
「行かせる訳がないでしょう? 貴女は生かしておくと後々厄介……今、ここで――」
刹那――鉄竜の右足が唸った。
視認すらも許さない程の速度で移動するエリザベートに瞬時に追いつき、右足を全力で振りぬいた。その一撃はエリザベートの頬を抉り、吹き飛ばす。
エリザベートはその勢いを両足で殺しながら、忌々しく、鉄竜を睨む。
「キサマ……」
「エリザベート、もう終わりにしようぜ。全部」
鉄竜は腕を開いたり、閉じたりしながら、骨を鳴らし、真っ直ぐエリザベートを睨み付け、一気に駆け出す。
鉄竜の頭の中には姫の言葉が反芻する。
『たす……けて……てつりゅぅ』
四百年間、ずっとずっと奴隷として戦ってきた彼女が、鉄竜の友人である彼女が助けを求めた。
その零れ落ちる涙は拭いてあげなければならない。
たった、たった一日の付き合いかもしれない。けれど、それでも鉄竜は彼女を助けたかった。
だって、四百年間。彼女はずっとずっと戦ってきた。孤独にも震えながら、戦い続けてきた。もうそれで充分だ。彼女が戦い続けるのも、涙を流し続けるのも。
そう、今日で全てを終わらせる。その決意を拳に乗せ――エリザベートの顔面を貫いた。
「俺が全部――終わらせてやる!! 覚悟しろ、エリザベートォッ!!」
裂帛の気合が木霊する。
鉄竜は巨大な影の足を掴み、そのまま逆立ちになるように持ち上げ、他の影すらも潰すかの勢いで、巨大な人型の影を薙ぎ倒す。
あれからどれだけの時間が過ぎたのだろうか。時間の感覚なんてものはとうに失った。
けれど、影に飲まれないようにと決死の思いで鉄竜はずっと影と戦い続けていた。
姫の精神世界の中で、牢獄の奥に居る姫自身に己の覚悟を見せ付けるように。
鉄竜は疲労を感じ、肩で呼吸をしつつも、眼前へと視線を向ける。
「まだまだぁっ!! 次、来いよ!!」
その声と同時に無数に蘇る影たち。そして、一息したら、すぐに鉄竜を飲み込まんと襲い掛かる。
だが、鉄竜の心は決して折れていない。彼らを己に近づけんと、鉄竜は拳を、足を振るい続ける。何体この水を切るような感覚を感じ取ったのだろうか。
もう慣れたものだ。鉄竜は影をどんどんと消滅させていき、全滅したら、一旦休憩し、またも現れれば戦い続ける。折れる訳にはいかない。諦める訳にはいかない。
だって、肉体はまだ死んでないはずだ。それに、向こう――精神ではない現実にはまだ彼女が居る。
彼女ならば、絶対に諦める事はしない。だったら、鉄竜が諦める訳にはいかない。
「鉄竜……君は……本当に……」
「ハァ……ハァ……まだまだ! まだ俺の首を取れてねぇぞ!」
『一体、本当に何体倒してくれてるのかしら? けど、もう限界も近そうね~。ほらほら、まだまだ出てくるわよ』
エリザベートの声に呼応するように生まれ出てくる影たち。
大きさも様々だ。普通の人間のサイズから巨人となっているサイズまで。しかし、鉄竜は決して膝を折らずに、眼前へと視線を向けると、エリザベートの呆れたような声が鼓膜を震わせる。
『……全く、貴方もしぶといわねぇ~。とっくに諦めたら?』
「バーカ。誰が諦めるかよ。俺は姫と約束したんだ。絶対に助けるってよ。その約束は絶対に守る! そうじゃなきゃ、姫が助けてっていった意味が無くなるだろ!」
そう、姫は決心してくれた。助かりたい、と願った。
諦めていた彼女が最後の希望に鉄竜を選んでくれた。ならば、それに答えずして何が男か。何が助けるだ。鉄竜が一気に駆け出すと、背中を押すように姫の声が響く。
「鉄竜……頑張って! 負けないで!」
「当たり前だ!」
鉄竜は拳を振るい、疲れきった身体にムチを打ち、影たちを消滅させていく。一体、一体の力はそこまで高くは無い。けれど、捕まれば終わりだ。触れるのは一瞬。その一瞬で倒しきる。
水が弾けるように消えていく人型の影。だが、それは人型に再構築され、また新たな影が生まれる。
鉄竜は忌々しく舌打ちをした。
「クソッタレ! 早く戻れねぇのか!!」
『何を言っているの? 貴方が戻る方法なんてありはしない!!』
エリザベートはどうやら分かっていないらしい。まだ鉄竜には僅かな光明が残されていることを。
今を思えばそうなのだろう。エリザベートには眷属が居ない。眷属が居なければ、分からない事。
鉄竜にはまだ頼れる眷属が居る。たった一人だけ、心の底から頼りになる眷属が。
だからこそ、彼女が気づくまでは影ごときに囚われる訳にはいかない。鉄竜はまたも地を蹴る。
「ぜってー諦めねぇぞ!! 俺は最後の最後まで戦い続けて、そんで姫を助けるんだからよ!!」
と、鉄竜が叫んだ瞬間だった。身体に違和感を覚えたのは。
不思議な感覚だった。まるで、全身が何かに引っ張られるかのような感覚。本来あるべき場所へと戻る、そんな感覚。そうか――鉄竜は悟る。どうやら、上手くやったらしい。
ならば、と鉄竜は足を止めた。もう戦う必要は無い。
『あらら? ようやく覚悟が出来たって事かしら? なら――私の一部になりなさい!!』
「姫ッ!!」
鉄竜は力強く叫び、背後に未だ痛々しく磔にされている姫を見つめる。
姫は驚いた様子を見せていた。それもそうだろう。だって、急に鉄竜が戦うのを止めたのだから。けれど、鉄竜は安心させるように姫に向け、確かに親指を立てた。
「絶対に助ける!! だから――お前は俺を信じてくれ!!」
「鉄竜? ……うん! 信じる! 私は――最後に君を信じてみる! だから――」
瞬間――鉄竜の全身を影が包み込む。
けれど、全身を引っ張っていく謎の力はどんどんと強くなっている。その引っ張っていく力が限界に達したとき、鉄竜の耳には確かに――届いた。
――エリザベートを、ぶっ飛ばして!!
小さなお姫様の願いは確かに鉄竜の耳に届いた――。
だから、後は鉄竜がそれを形にするだけだ――。
□
「何故……何故、キサマがここに居るぅ!! 妖魔の王ゥッ!!」
ヒステリックに叫ぶエリザベート。それもそうだろう。
彼女の中では確実に精神世界で鉄竜を倒したはずなのだから、完全に取り込んだはずなのだから。
けれど、そうではない。それは僅かに行われていない。鉄竜は極めて冷静に口を開いた。
「簡単な話だ。俺が吸血を行ったからだ」
「……何だと? 吸血を行った? そんなスキは無かったはずだ!!」
ここから先の話は恐らく鉄竜には分からない。
ただ鉄竜に分かっているのは、ここに戻ってこれたのは間違いなく、愛のおかげである事だけ。
だからこそ、愛の言葉を待っていると、愛は小さく首を横に振った。
「ううん。テツくんは間違いなく――私の血を吸ったよ」
「どういう事だ……そんな事出来るはずが無い!! コイツは精神が抜け、抜け殻だったはずだ!!」
エリザベートの言い分は確かに理解出来る。それは鉄竜も同じだ。
エリザベートに吸血をされ、先ほどまで確かに鉄竜は姫の、エリザベートの精神世界に居た。けれど、それを無理矢理引っ張り上げたのだ。その方法は分かっているが、どうやったかまでは知らない。
すると、愛はチラリと後方へと視線を向ける。鉄竜も倣って視線を向けると、そこには正義が居た。
「なっ!? なんでアイツが!?」
「獅子堂さんに協力してもらったの」
「アイツに?」
「うん。ここに来る前、私はテツくんの以上を感じてた。それは――テツくんの力が急速に弱まった事。その原因で吸血鬼が相手だったとき、何が起こるか……そう考えると、一つだけだった」
愛は真っ直ぐエリザベートを堂々と見据え、口を開いた。
「エリザベートがテツくんを吸血した場合、エリザベートがテツくんの力そのものを吸収した場合。そうなれば、テツくんは抜け殻になって、何も出来なくなる。私はそう考えた」
「何故……キサマがそんな事知っている!?」
「だって、私はテツくんの事なら何でも知ってる。当たり前でしょ? 慕ってる主人の事を理解できない従者が何処に居るの?」
愛のストレートな言葉にエリザベートは目を見開いた。
彼女にとっては考えられないだろう。主人が従者を理解する、という事を。
エリザベートは常に従者を己の欲求を満たす道具として使ってきた。けれど、鉄竜と愛は違う。
互いに互いを理解し、その距離を近づけ、友人になっている。その積み重ねが今を生んでいるのだ。
「だったら、元に戻す方法は二つになる。一つはなんらかの方法でテツくんの奪われた力を取り戻す。けど、これは現実的には不可能なんだ。だから、私はもう一つの方法を考えた」
愛は指を二つ立てながら、説明をする。
「もう一つの方法。それはね――眷属の血を主君に捧げる。つまり、テツくん自体を無理矢理活性化させて、無理矢理再生させる事」
「なんだと……眷属……」
エリザベートは何かに感付いた。けれど、それは鉄竜も同じだった。
そもそも不思議だったのだ。何故、愛が腕に包帯を巻いているのか。つまりは愛が鉄竜に吸血をさせた、という事になる。しかし、エリザベートは首を横に振る。
「いや、だが、キサマが吸血をさせたはずが無い!! キサマは私が抑えていたはずだ!!」
「そうだよ。けど、何も吸血するのは直接じゃなくてもいい」
「愛? どういう事だ?」
「……これだよ、テツくん」
「それって……あの時の銃弾か?」
愛がポケットの中から取り出したものは、あの時、鉄竜が愛に渡していた銃弾だった。
見た目もそっくりの銃弾。しかし、愛は首を横に振った。
「ううん。これはあの時の銃弾じゃなくて、新しく作った銃弾。そっくりでしょ?」
「ああ……じゃあ、この銃弾の持ち主ってのは、やっぱり、アイツなのか?」
「うん。私は獅子堂さんが銃を使ったときにはそう思ってた。だからこそ、思ったの。テツくんはあの時、銃で撃たれたって言ったよね?」
愛の言葉に鉄竜は素直に頷いた。
「吸血鬼であるテツくんに当てられるだけの腕前があるんだったら、テツくんの口目掛けて銃を撃つ事だって出来たんじゃないかなって。それに、獅子堂さんは銃を自在に錬成出来る。だから、私の血で構成された銃弾を獅子堂さんに作ってもらった。後は、それを獅子堂さんがテツくんの口の中目掛けて撃てば……」
「……あの時の銃声は吸血鬼の復活か……ウフフフフ、アーハハハハ、やるわねぇ、貴女。状況や力からすべてを判断するその知略……はた迷惑な力ね」
全ての事象に合点がいった。
愛が行った事全てを理解した。
精神を抜き取られ、抜け殻となっていた鉄竜を救ったのは他でもない獅子堂正義という男。
どういう風の吹き回しなのかはまるで分からない。けれど、鉄竜は間違いなく、獅子堂正義にチャンスを貰った。ならば、鉄竜は一息の間に獅子堂の元へと移動する。
獅子堂は虫の息だった。首を折られているのか、言葉を発する事無く、ただ忌々しく鉄竜を睨むだけ。
憎らしく思われても仕方が無いだろう。けれど、命を、救うチャンスをくれた恩人だ。
鉄竜は極めて冷静に、己の右腕を引き千切る。蛇口を捻るかのように噴き出す鮮血。
千切った右腕を差し出す鉄竜に正義は目を丸くする。
「……吸血鬼、どういうつもりだ?」
「あんたが俺を助けた。それに愛も助けたんだろ? なら、アンタだって俺は助ける。人を助けるのに立場も、人間も妖魔であろうと、関係ねぇ。だから、あんたは俺の血を飲め。それで助かる」
「……吸血鬼の再生能力を渡すつもりか?」
「そうだ。一時的だが、治癒能力くらいなら活性化させられる。俺の不死性を分けてやるってんだ。さっさと飲め」
鉄竜の言う言葉を信じたのか、それとも痛かったからなのか、正義は何も言わずに鉄竜の千切った右腕を受け取り、傷口から血を舐める。それと同時に獅子堂の身体から蒸気が噴き出す。
「……痛みが、消えていく……」
「安心しろ。お前は別に妖魔になったわけじゃねぇ。俺の力で細胞が治癒しようと活性化しただけだ。それで――お前はどうするんだ?」
鉄竜が問いかけると、正義はゆっくりと立ち上がり、鉄竜の横に立つ。
「……妖魔に貸しなんて作る気は無い」
「ハッ、好きにしろ。俺はやりてぇようにやる。愛――お前は下がってろ。もう充分だ」
鉄竜は一歩、また一歩と足を進めながら、愛に言う。
彼女はただの人間だ。怖い思いをしたに違いない。だから、鉄竜は安心させるように頭を軽く叩いた。
「もう、怖い思いもしなくていい。だから、お前はアレ、作っといてくれよ」
「テツくん……それは――三人分で、いいかな?」
「ああ。それでいい」
「分かった。テツくん、絶対に勝ってよ! 生きて帰ってこなかったら、怒るからね」
と、愛は鉄竜の意図を汲み取り、古里公園から去ろうとする。
だが、エリザベートは不敵な笑みを浮かべ、地を蹴った。
「行かせる訳がないでしょう? 貴女は生かしておくと後々厄介……今、ここで――」
刹那――鉄竜の右足が唸った。
視認すらも許さない程の速度で移動するエリザベートに瞬時に追いつき、右足を全力で振りぬいた。その一撃はエリザベートの頬を抉り、吹き飛ばす。
エリザベートはその勢いを両足で殺しながら、忌々しく、鉄竜を睨む。
「キサマ……」
「エリザベート、もう終わりにしようぜ。全部」
鉄竜は腕を開いたり、閉じたりしながら、骨を鳴らし、真っ直ぐエリザベートを睨み付け、一気に駆け出す。
鉄竜の頭の中には姫の言葉が反芻する。
『たす……けて……てつりゅぅ』
四百年間、ずっとずっと奴隷として戦ってきた彼女が、鉄竜の友人である彼女が助けを求めた。
その零れ落ちる涙は拭いてあげなければならない。
たった、たった一日の付き合いかもしれない。けれど、それでも鉄竜は彼女を助けたかった。
だって、四百年間。彼女はずっとずっと戦ってきた。孤独にも震えながら、戦い続けてきた。もうそれで充分だ。彼女が戦い続けるのも、涙を流し続けるのも。
そう、今日で全てを終わらせる。その決意を拳に乗せ――エリザベートの顔面を貫いた。
「俺が全部――終わらせてやる!! 覚悟しろ、エリザベートォッ!!」
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