鮮血の非常識

おしりこ

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「は、離れろ!! キサマァ!!」

 エリザベートの悲痛な叫びが古里公園全体に大地を震わせるように響き渡る。
 鉄竜の最後の一手。それは――吸血だ。
 妖魔の王である吸血鬼に許された行為である、吸血。これは妖魔に対するリーサルウエポンだ。
 吸血対象の力や存在すらも奪いかねない禁断の力。この力があれば、強い不死性を持つ存在ですら、消滅させるだけの力を持つ。しかし、それは全ての力を吸った場合に限っての話だ。
 そう、ありとあらゆる物を吸い尽くす力。それが吸血。
 正義は何か気が付いたのか、ハッとなる。

「まさか……吸血鬼は、エリザベートだけを吸血し、己に宿すつもりか!?」
「キサマ……そんな事させる訳がないでしょう!?」

 突如、鉄竜の腹部に強烈な圧迫感と衝撃が炸裂する。
 見なくても分かる。エリザベートが鉄竜を離させる為に放った一撃。だが、鉄竜はエリザベートの首筋に齧りついたまま離れず、血を吸い続ける。
 絶対に離さない、離してなるものか。この吸血が失敗すれば、確実に次の手は無くなる。
 そう、エリザベートに警戒されてしまうのだ。あの一瞬だけ足を犠牲に生み出した速度も使えなくなる。警戒されれば、それだけ成功率は下がる。
 だからこそ、この一撃。この一回で、全てを終わらせなければならない。
 鉄竜は力一杯噛み、エリザベートの血を口内から、食道へと送り続ける。

「ガアアアアアアアアアアアアアアアッ!! キサマ……ハナレロォ!!」

 何度も、何度も、何度も、腹部への一撃が飛んでくる。胃が空っぽになるほどの嘔吐感と圧迫感が押し寄せる。
 しかし、鉄竜は絶対に顎の力を緩める事だけはしない。どれだけの事をしても、離すつもりなんてない。
 だが、この状況を良しとする者が一人だけ居る。それは、正義だ。
 正義は公園の土を握り締め、またも一発の銃弾を錬成し、ハンドガンに込め、二人に向ける。

「……なるほど。これは僕にとってもチャンスだね。吸血鬼二体を一網打尽に出来るチャンスだ」
「くっ……キサマ……」

 エリザベートの表情にも焦りが生まれる。
 当たり前だろう。吸血行為による力の弱体化を痛感し、正義の冷酷な鋭い眼差し。
 人間に殺せるはずが無い、そう思っていたとしても、今の状況ならば分からない。
 吸血鬼は確かに強い妖魔だ。けれど、それ故に弱点も多い。
 日光、熱、鉄、そのどれもが吸血鬼の弱点だ。鉄程度ならば問題は無い。しかし、日光ともなれば話は別だ。鉄竜が少しだるくなる程度だが、エリザベートには強い効果を望めるだろう。
 正義は銃口を向けたまま、口を開いた。

「安心してほしい。この銃弾には――君たちの嫌いな太陽の力を込めてある。死ぬのなら、苦しんで死ぬ事になるだろう。しかし、それは上々の戦果だと言えるね」
「太陽……だと? 何故、そんなものを力に……アアアアアアアアアァ!!」

 力を吸われている実感を覚えているのか、苦しみ、もがくエリザベート。
 正義はそのエリザベートを嘲笑うかのように口角を上げた。

「魔術とは己の想像の具現化さ。僕の魔術は僕の思う銃弾を錬成する力だ。僕のしたい事が具現化する。君たちを殺す銃弾くらいならば、僕でも作れるさ。さて、そろそろ、僕の仕事も終えるとしよう」

 事務的な平坦な声音で銃口を首に噛み付く鉄竜と全身を痙攣させ、苦しむエリザベートへと向ける正義。

「ヤメロ……キサマら……私の邪魔ばかりをして……ただ、私は美しさを求めていただけなのに……」
「今更泣き言かな? 君のような存在が生きていていい筈がないだろう? 君は己の欲望の為に人を殺し続けた狂人だ。だからこそ――ここで、死ぬんだ。それでは、良い夢を。吸血鬼共」

 瞬間、銃声が鳴り響いた。その銃弾が当たってしまえば、鉄竜もエリザベートも終わる。
 たった一人、正義の勝利で終わる。鉄竜はそんな結末は望んでいない。
 ただ、鉄竜が望んでいるのは――姫の救出。それだけだ。
 それに――太陽如きで、命を取られる程――鉄竜は弱くない。だが、もう終わらせる。
 鉄竜は一気に吸血をした。
 血と何かが体内に流れ込んでくる感覚を覚えると同時に、眼前から絶叫が響き渡る。

「あああ、アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ! 私が……ワタシガ……わ、た……シガ……」

 一気に吸血を進めたことで、エリザベートの姿が一変する。
 エリザベートの姿そのものが鉄竜の口元に一気に吸い込まれていき、変わりに姫の姿が露になる。
 あの精神世界で見たのとまるで同じ姫の姿が。ただ一つ――僅かに見える胸の谷間、その右胸に紅きFのルーン文字を刻んで。
 その姿を見た瞬間に、鉄竜は目を閉じたままの姫を抱きかかえ、その場を飛んだ。
 エリザベートの血を吸血したおかげで、足は完全に修復されている。更には視界も僅かだが高くなる。
 どうやら、吸血の影響が強く出ているらしい。
 鉄竜は眠る姫を抱えたまま、正義の真正面に立ち、睨み付ける。
 瞬間、正義の頬に一つ、冷や汗が流れた。

「っ!! 吸血鬼……キサマ……」
「もうやめとけ、獅子堂。お前じゃ俺には勝てないし、俺はお前と殺り合うつもりはない。もう、俺の目的は達成された。そして、お前は賭けに負けたんだ。もう、こいつは――吸血鬼じゃない。こいつは俺の従者だ」
「……だが、そいつはお前の眷属だ!! ならば、そいつは私が――」

「あ? お前は――王にたてつくのか? 分を弁えろよ……人間風情が」

 世界の温度が一気に冷えた。正義は目を丸くし、最後の何かがへし折れたような雰囲気を纏う。
 そして、正義は一つ膝を崩した。たったの威圧一つ。それだけで、人間の戦意くらいならば、折れる。
 それが――本来の吸血鬼だ。吸血行為を行った、本物の吸血鬼の力だ。
 鉄竜は普段よりも数段長くなった髪を靡かせ、その場から歩き出す。

「……もぅ、お前は終わりだ、エリザベート。お前は本当の吸血鬼の力を目の当たりにするんだからな」



     □


「……アァ、アアアア……何故、私は失敗した?」

 エリザベートは何も無い空間で頭を抱え、掻き毟る。
 そう、四百年間、巧みに生きてきて、妖魔殺しからも逃げ続け、何故失敗した?
 前とは違い、人間を辞めていた。死した後悪霊となり、吸血鬼となり、妖魔となった。
 人間とは大きく異なる別の存在。常識を超えた非常識となった存在。そのはずだったのに。
 何故、失敗してしまったんだ? 悪霊として取り憑くのだって、最も取り憑きやすい人間を選んだ、というのに。あれだけの力を持っていたというのに、エリザベートは歯噛みし、拳を握り締め、地面をたたきつけた。

「そうだ……全てはあの吸血鬼……アイツのせいだ……私の理想郷を、私の夢を壊した、あの存在が……」

 そうだ、あの吸血鬼と出会わなければ、今頃、新たなチェイテ城を作り上げ、世界を支配していた。
 己が支配者となり、狂愛と鮮血、そして――平和を齎したというのに。また、エリザベートだけが支配できる世界を作り上げていた、というのに。そんな素晴らしく、美しい世界を作り上げていたはずなのに。エリザベートはフラフラと歩き出す。

「あの男だ……そうだ、この世界はあの男の精神世界……あの男に取り憑けば……イヒ、イヒヒヒヒ」

 この世界は吸血されたのだとするのなら、悪霊であるエリザベートだけが抜き取られた、という事。
 ならば、この世界に居る精神の鉄竜を取り憑けば、この身体を再度支配できる、そうすれば、また夢を追いかける事が出来る。己の美しさを更に手に入れる事が出来る。
 エリザベートは一気に地を蹴り、真っ直ぐ前へと猛進する。

「ドコニイル!? ヨウマノオウ!!」

 周りの景色なんてまるで目に入らない。ただ暗闇が広がるばかり。
 だが、何処に居るかも分からず、ただエリザベートは駆け続ける。
 また、夢を、美しさを追い求める為には、あの男の存在が必要になる。あの男を依代にすれば。
 エリザベートは狂気に歪んだ笑みを浮かべる。

「ヨウマノオウ、出て来い! 私がすぐにでも食べて差し上げますから!!」
「……煩い、小娘が居たもんだ」

 エリザベートの絶叫にも近しい懇願に男の声音が響き渡る。
 エリザベートの鼓膜を振るわせた瞬間、足を止めた。この男の声音。間違いない。エリザベートはその声のした方向へと視線を向けると、そこには――男が居た。
 だが、エリザベートはすぐに目を丸くした。そう、眼前に居る男。その男はあまりにも――違っていた。
 存在? 違う。
 風格? 違う。
 力?  違う。
 頭の中で浮かんだ言葉、その全てをエリザベートは否定する。
 違うのだ。何もかも。目の前に居る男は。彼は本当に妖魔なのか? そんな疑問が浮かんでしまう程に、エリザベートは戦慄した。驚愕した。そして――恐怖した。
 その男。地に届くほど艶やかな黒髪を靡かせ、口元から胴体までその全てを包帯で身体を巻きつけ、下半身には闇を思わせる真っ黒な袴を纏う。身体の線は細いながらも、筋肉質な身体付き。
 その男、顔は凛々しいはずにも関わらず、瞳は優しげだが、眼光は鋭く、エリザベートを睨み、力の奔流を現すように禍々しい漆黒の闇が彼の周りを渦巻く。
 エリザベートは己の背に流れる冷や汗を感じた瞬間、男は口を開いた。

「エリザベート。お前は、もう終わりだ」
「……終わってなどいない。私はまだ――」

 刹那――エリザベートは真っ二つになった。吸血鬼という強い不死性を持つ存在にも関わらず、真っ二つになった。
 何一つ理解できない。何故、これほどの存在が彼の精神となっているのか。彼は果たして二重人格なのか? それとも、最初から吸血鬼なんかじゃなかったのか。それとも――彼が本物だったのか。
 ただ一つ、再生をする事すらも許さず、消え行く意識の中で、エリザベートは聞いた。

「妖魔の王とは、私の事だ。私は吸血を行う事で真の姿を形成する。この状態になれば、お前如きに遅れは取らない」

 眼前に居る男の声音を聞き届けた瞬間、黒い閃光がエリザベートの視界を奪い去った。
 だが、その瞬間、理解した。彼は、鉄輪鉄竜という男は決して妖魔であろうとも、手を出していけなかった存在である、と。
 彼は吸血鬼だ。けれど、吸血鬼はあくまでも仮の姿。本当の姿は――万物に存在する妖魔たちの王。正真正銘の王。

 その名は――妖魔の王。

 なるほど、道理で――吸血をしても、肉体までは消えなかった。
 本来、吸血は肉体すらも奪い去る。だが、彼は肉体を奪う事すら許さなかった。ただ精神だけしか取り込む事しか出来なかった。
 けれど、今、思えば、それも当然だ。仮初の王と本物の王ではあまりにも格が違う。
 夜を統べる王と、夜を統べる王すらも統べる王。そんなの違うに決まっている。

 ――あぁ、私の夢はまた潰える。

 エリザベートは心の中で思う。またも邪魔された。これで、二回目だ。己の野望も、夢も邪魔されたのは。
 しかし、まだだ。まだ、諦める訳にはいかない。そう、エリザベートは非常識の象徴である、妖魔なのだから。
 けれど、そんな希望を打ち砕くかのように、妖魔の王は口を開いた。

「諦めろ。エリザベート。お前はもう、復活する事は無い。お前は消えるんだ」

 消える? そんな事はありえない。エリザベートは妖魔だ。己の野望を叶える為だけに生まれてきた妖魔。
 己の中にあるこの野望の火と人々が吸血鬼カーミラのモデルがエリザベートだと理解すればするほど、エリザベートは吸血鬼として復活する事が出来る。
 だが、それは大きな過ちだった。妖魔の王は右手に纏う黒き闇を一本の剣へと変化させ、振りかぶった。

「もうお前が復活する事は無い。お前は消える運命だ」

 ゆっくりと妖魔の王は右手を振り下ろす。
 瞬間――世界は闇に包まれた。そして、ポツリと妖魔の王は呟いた。

「さらばだ。血の伯爵夫人。そして――永劫の眠りを」

 そして、闇が晴れた時。その場所には塵の一つも残されていなかった――。
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