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1日目
男の子たちのお勉強時間
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えるからの説明を受けた後、小陽たちは学年ごとに机をくっつけてプリントに向き合っていた。合宿所に隔離されていても授業は受けないといけないらしく、遠足後だというのに課題に取り組まされているのだ。
榎戸は教室の端でスマホを弄っており、えるはディスプレイ上で小陽たちと同様に机に向かっている。AIが勉強の振りをする意味はわからなかったが、生徒たちの学習意欲を向上させているつもりなのかもしれない。
「ハルハル、この問題わかる?」
「ああそこ、僕もちょっとわかんなくて……睦美わかる?」
「うん、わかるかな。まずはこうやって図形に補助線を引くんだよ」
「アタシにも見せて見せてー」
「菜々緒は教科書見ればいいんじゃないかな。36ページに書いてあるから」
「はー? 何それ贔屓? ムッツリンってばむっつり過ぎない?」
「意味わからないこと言わないで欲しい……あと、その呼び方も止めて欲しいかな」
優しいと評すべきなのか、無関心と形容するべきなのか、榎戸は課題中の私語にも寛容であった。各学年の島ではそれぞれのシャーペンが紙の上を滑る音と共に、密やかなお喋りが交わされていた。
「ねえねえイヨ。この英単語ってなんて意味?」
「スリーピィ。眠たいという意味ですね」
「ジジくん英語わからないの? ハーフなのに?」
「日本生まれの日本育ちだから。イヨ、この漢字は何て読むの?」
「音読みできょう、訓読みでおどろくですね」
「ジジくん、漢字も苦手なの?」
「ハーフだから」
「日本育ちのハーフって大変なんだね……」
「ふふ、わたくしは頼っていただけて嬉しいですよ? ミコトくんも、何でも訊いてくださいね」
一年生の島からは、仲睦まじいやり取りが聞こえてきた。
「織田、そこ間違えてんぞ」
「うるせえ、見てんじゃねえ。モデル様は覗きが趣味なのか?」
「そうですね、勝手に人のプリントを見るのは良くありません。ちなみに、2つ前の問題も間違えていますよ」
「てめえも見てんじゃねえ」
「親切心だろ? 受験生なんだし、間違えたままにしておく方が良くないだろ」
「てめえらも同じ受験生だろうが。自分の心配だけしとけ」
「ああ、俺は推薦だから勉強いらねえんだ」
「同じく。織田君が良ければ、この合宿期間中は勉強を見てあげましょうか?」
「……死ね」
三年生の島からは、少し険悪なやり取りが聞こえてきた。
「ハルハルとムッツリンって幼馴染とか? いっつも一緒に居るよね」
「うん、睦美とは家が近いんだ。赤ん坊の頃に一緒に遊んでる動画とかあるよ」
「何それ、エモじゃーん。男女だったら結婚確定のやつじゃーん」
「いや、そんなことは無いと思うかな……ねえ、ハル君?」
「そうだよ。最近は結婚に性別とか関係無いって聞くし」
「へえ、ハルハルって以外と大らかなんだね。で? プロポーズされたムッツリンの返答は?」
「んー、でもやっぱり同性だと結婚は難しいかな……子供ができないもんね」
「あちゃー、ハルハルざんねーん。振られてかわいそー、アタシが慰めたげよっか?」
「あくまで同性婚は一般論の話をしたつもりで、告白したつもりは無いんだけど……」
二年生の島では、菜々緒が小陽と睦美の関係に興味津々だった。
それぞれの島で各々が課題をこなしながら時折交わされる雑談の中、突然立ち上がったのは桃莉だった。
全員の視線が桃莉に集まる中、桃莉の視線はジジに向けられていた。性別を問わず多くの人を魅了してきた桃莉の瞳は、今はただ一人の白いハーフの少年を映し出している。
「お前は……ジジって呼ばれてたか?」
「うん、鳳 時々(おおとり じじ)。ジジって呼んでくれていいよ。そっちは?」
「あ、ああ、俺は和泉桃莉だ。好きに呼んでくれ」
「じゃあトオリ、ジジに何か用?」
「用ってほどじゃないんだが、ちょっと気になる話が聞こえてついな……お前、聖歌隊に所属してるって?」
「うん、そうだよ。毎日信徒の皆と神様の為に歌ってます……あーめん」
両手を組んで瞼を瞑り祈るジジだったが、その動作がわざとらしすぎて逆に嘘っぽかった。
ジジの着ているローブと短パンは聖歌隊の衣装なのだろう。学校の遠足でまで着ているのはその熱意の表れなのか、それともズボラなだけなのか。なんとなくではあるが、小陽には後者に思えた。
「聖歌隊ってことは、歌が得意ってことだよな……良かったらなんだが、ちょっと歌ってみてくれないか?」
桃莉の突然のジジへの要求は小陽には無茶振りに思えた。ほぼ初対面の人間が集まっているこの場でいきなり歌えだなんて、聖歌隊に所属していようと羞恥心を感じるのではないだろうか。
しかしジジに臆する様子は少しも無かった。いいよと一言だけ桃莉に返すと、ジジはすぐさま起立して歌い始めたのだった。
「~♪」
その瞬間、小陽は確かな幻視を見た。ジジの背に翼が生え、そのはためきによって髪とローブが踊るような、神々しい光景が一瞬で脳裏に焼き付いた。
無気力さを感じさせる話し声から一転して、その歌声は生命力と慈愛に満ちていた。声自体は細く繊細なのに、神秘的な歌はどこまでも響き渡るように透き通っていた。
鼓膜すらも震わせずに脳に直接歌が響く感覚に、全身から勝手に力が抜けてしまう。喉仏も曖昧な細く白い喉が震える度に、温かな雫を垂らされるようにじんわりと感動で心が満ちていく。
ジジが長いまつ毛を揺らすこともなく淡々と1フレーズ歌い終わるまで、全員がその歌に聞き惚れていた。
「~♪ ……トオリはこれで満足?」
小首を傾げて桃莉を見上げるジジ。つい先ほどまでの神々しさはもうその顔には無く、代わりに感情の乏しいハーフの男の子が居るだけだった。
「あ、ああ、ありがとう……いや、違うな。全然違う……これじゃあ満足なんてできるわけないな」
「それじゃあ、もっと歌う?」
「そうだな……どうせなら、思い切りやろうぜ!」
「わわっ?」
ジジの手を強引に取ると、桃莉は教室を出て行ってしまった……今までずっとつまらなそうだった表情も投げ捨てて。
「えっと……アタシたちはどうすればいい感じ?」
「会話の流れから推察すると、和泉君は音楽室に向かったのでしょう。私たちも行きますか?」
「ヤヨイさんがそんなことを言ってしまってよろしいのですか? わたくしたちは今、課題の真っ最中なのですが」
「それは和泉君と鳳君も同じです。それに学校に居れば音楽の授業があるのに、私たちだけが受けられないのは不公平だと思いますよ。どうですか、榎戸先生?」
弥生の問いかけに対し、榎戸は顔も上げずに好きにせえとだけ返した。もはや真面目に監督するつもりも無いようだ。
「では場所がわからない人も居るでしょうから、私が音楽室まで案内します。もちろん無理強いはしませんので、残って課題をするのも自由です」
「はいはーい、アタシ行きまーす! つまんない勉強より、音楽の方が良いよねー」
元気よく立ち上がる菜々緒に続いてミコトも立ち上がろうとしていたが、逡巡した様子を見せてすぐに座り直してしまった。
「ミコトくん? ミコトくんは行かれないのですか?」
「イヨくん……でもっ、ぼくあんまり課題終わって無くて……」
「良いではありませんか、課題なんて。遅れている分は宿題にして補えば済む話です」
「そんな勝手なこと言っていいのかなぁ……」
イヨに手を引かれて渋々ながら立ち上がったミコトだったが、その表情は満更でも無さそうだった。
小陽はどうしようか迷っていると、その隣で睦美が立ち上がった。
「睦美は行くの?」
「うん、行こうかな。学年を跨いだ音楽の授業なんて、そうそう無いかなって……ハル君も行こ?」
「じゃあ、そうする」
睦美から差し出された手を握って小陽も立ち上がり、これで座っているのは久野絵だけとなった。
「織田君はどうしますか?」
「ほっとけ」
「そうですか。では、行きますか」
無理に久野絵を誘うことはせずに教室を出る弥生に続き、小陽たちは教室を出た。
榎戸は教室の端でスマホを弄っており、えるはディスプレイ上で小陽たちと同様に机に向かっている。AIが勉強の振りをする意味はわからなかったが、生徒たちの学習意欲を向上させているつもりなのかもしれない。
「ハルハル、この問題わかる?」
「ああそこ、僕もちょっとわかんなくて……睦美わかる?」
「うん、わかるかな。まずはこうやって図形に補助線を引くんだよ」
「アタシにも見せて見せてー」
「菜々緒は教科書見ればいいんじゃないかな。36ページに書いてあるから」
「はー? 何それ贔屓? ムッツリンってばむっつり過ぎない?」
「意味わからないこと言わないで欲しい……あと、その呼び方も止めて欲しいかな」
優しいと評すべきなのか、無関心と形容するべきなのか、榎戸は課題中の私語にも寛容であった。各学年の島ではそれぞれのシャーペンが紙の上を滑る音と共に、密やかなお喋りが交わされていた。
「ねえねえイヨ。この英単語ってなんて意味?」
「スリーピィ。眠たいという意味ですね」
「ジジくん英語わからないの? ハーフなのに?」
「日本生まれの日本育ちだから。イヨ、この漢字は何て読むの?」
「音読みできょう、訓読みでおどろくですね」
「ジジくん、漢字も苦手なの?」
「ハーフだから」
「日本育ちのハーフって大変なんだね……」
「ふふ、わたくしは頼っていただけて嬉しいですよ? ミコトくんも、何でも訊いてくださいね」
一年生の島からは、仲睦まじいやり取りが聞こえてきた。
「織田、そこ間違えてんぞ」
「うるせえ、見てんじゃねえ。モデル様は覗きが趣味なのか?」
「そうですね、勝手に人のプリントを見るのは良くありません。ちなみに、2つ前の問題も間違えていますよ」
「てめえも見てんじゃねえ」
「親切心だろ? 受験生なんだし、間違えたままにしておく方が良くないだろ」
「てめえらも同じ受験生だろうが。自分の心配だけしとけ」
「ああ、俺は推薦だから勉強いらねえんだ」
「同じく。織田君が良ければ、この合宿期間中は勉強を見てあげましょうか?」
「……死ね」
三年生の島からは、少し険悪なやり取りが聞こえてきた。
「ハルハルとムッツリンって幼馴染とか? いっつも一緒に居るよね」
「うん、睦美とは家が近いんだ。赤ん坊の頃に一緒に遊んでる動画とかあるよ」
「何それ、エモじゃーん。男女だったら結婚確定のやつじゃーん」
「いや、そんなことは無いと思うかな……ねえ、ハル君?」
「そうだよ。最近は結婚に性別とか関係無いって聞くし」
「へえ、ハルハルって以外と大らかなんだね。で? プロポーズされたムッツリンの返答は?」
「んー、でもやっぱり同性だと結婚は難しいかな……子供ができないもんね」
「あちゃー、ハルハルざんねーん。振られてかわいそー、アタシが慰めたげよっか?」
「あくまで同性婚は一般論の話をしたつもりで、告白したつもりは無いんだけど……」
二年生の島では、菜々緒が小陽と睦美の関係に興味津々だった。
それぞれの島で各々が課題をこなしながら時折交わされる雑談の中、突然立ち上がったのは桃莉だった。
全員の視線が桃莉に集まる中、桃莉の視線はジジに向けられていた。性別を問わず多くの人を魅了してきた桃莉の瞳は、今はただ一人の白いハーフの少年を映し出している。
「お前は……ジジって呼ばれてたか?」
「うん、鳳 時々(おおとり じじ)。ジジって呼んでくれていいよ。そっちは?」
「あ、ああ、俺は和泉桃莉だ。好きに呼んでくれ」
「じゃあトオリ、ジジに何か用?」
「用ってほどじゃないんだが、ちょっと気になる話が聞こえてついな……お前、聖歌隊に所属してるって?」
「うん、そうだよ。毎日信徒の皆と神様の為に歌ってます……あーめん」
両手を組んで瞼を瞑り祈るジジだったが、その動作がわざとらしすぎて逆に嘘っぽかった。
ジジの着ているローブと短パンは聖歌隊の衣装なのだろう。学校の遠足でまで着ているのはその熱意の表れなのか、それともズボラなだけなのか。なんとなくではあるが、小陽には後者に思えた。
「聖歌隊ってことは、歌が得意ってことだよな……良かったらなんだが、ちょっと歌ってみてくれないか?」
桃莉の突然のジジへの要求は小陽には無茶振りに思えた。ほぼ初対面の人間が集まっているこの場でいきなり歌えだなんて、聖歌隊に所属していようと羞恥心を感じるのではないだろうか。
しかしジジに臆する様子は少しも無かった。いいよと一言だけ桃莉に返すと、ジジはすぐさま起立して歌い始めたのだった。
「~♪」
その瞬間、小陽は確かな幻視を見た。ジジの背に翼が生え、そのはためきによって髪とローブが踊るような、神々しい光景が一瞬で脳裏に焼き付いた。
無気力さを感じさせる話し声から一転して、その歌声は生命力と慈愛に満ちていた。声自体は細く繊細なのに、神秘的な歌はどこまでも響き渡るように透き通っていた。
鼓膜すらも震わせずに脳に直接歌が響く感覚に、全身から勝手に力が抜けてしまう。喉仏も曖昧な細く白い喉が震える度に、温かな雫を垂らされるようにじんわりと感動で心が満ちていく。
ジジが長いまつ毛を揺らすこともなく淡々と1フレーズ歌い終わるまで、全員がその歌に聞き惚れていた。
「~♪ ……トオリはこれで満足?」
小首を傾げて桃莉を見上げるジジ。つい先ほどまでの神々しさはもうその顔には無く、代わりに感情の乏しいハーフの男の子が居るだけだった。
「あ、ああ、ありがとう……いや、違うな。全然違う……これじゃあ満足なんてできるわけないな」
「それじゃあ、もっと歌う?」
「そうだな……どうせなら、思い切りやろうぜ!」
「わわっ?」
ジジの手を強引に取ると、桃莉は教室を出て行ってしまった……今までずっとつまらなそうだった表情も投げ捨てて。
「えっと……アタシたちはどうすればいい感じ?」
「会話の流れから推察すると、和泉君は音楽室に向かったのでしょう。私たちも行きますか?」
「ヤヨイさんがそんなことを言ってしまってよろしいのですか? わたくしたちは今、課題の真っ最中なのですが」
「それは和泉君と鳳君も同じです。それに学校に居れば音楽の授業があるのに、私たちだけが受けられないのは不公平だと思いますよ。どうですか、榎戸先生?」
弥生の問いかけに対し、榎戸は顔も上げずに好きにせえとだけ返した。もはや真面目に監督するつもりも無いようだ。
「では場所がわからない人も居るでしょうから、私が音楽室まで案内します。もちろん無理強いはしませんので、残って課題をするのも自由です」
「はいはーい、アタシ行きまーす! つまんない勉強より、音楽の方が良いよねー」
元気よく立ち上がる菜々緒に続いてミコトも立ち上がろうとしていたが、逡巡した様子を見せてすぐに座り直してしまった。
「ミコトくん? ミコトくんは行かれないのですか?」
「イヨくん……でもっ、ぼくあんまり課題終わって無くて……」
「良いではありませんか、課題なんて。遅れている分は宿題にして補えば済む話です」
「そんな勝手なこと言っていいのかなぁ……」
イヨに手を引かれて渋々ながら立ち上がったミコトだったが、その表情は満更でも無さそうだった。
小陽はどうしようか迷っていると、その隣で睦美が立ち上がった。
「睦美は行くの?」
「うん、行こうかな。学年を跨いだ音楽の授業なんて、そうそう無いかなって……ハル君も行こ?」
「じゃあ、そうする」
睦美から差し出された手を握って小陽も立ち上がり、これで座っているのは久野絵だけとなった。
「織田君はどうしますか?」
「ほっとけ」
「そうですか。では、行きますか」
無理に久野絵を誘うことはせずに教室を出る弥生に続き、小陽たちは教室を出た。
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