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1日目
自由時間1:勉強ボーイズ
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この合宿所においても放課後の時間は用意されているらしく、小陽たちは夜までしばらくの自由時間を与えられていた。
桃莉はまだ満足できていないらしく、一度教室に戻った後もジジの手を引いて再び音楽室へと向かってしまった。
ミコトは遅れている課題に取り組むつもりらしく、イヨと弥生もそれに付き合っていた。
菜々緒は散歩すると言って何処かへと去り、久野絵は何も言わないままいつの間にか消えていた。
「やっぱりこのスマホ、何もできないのかな……何の為に配ったのかな?」
小陽の隣でスマホを操作していた睦美は溜息を吐いて大きく伸びをした。
遠足にはスマホの持ち込みが禁止されており、集められた生徒たちは自分のスマホを持ってきていない。睦美が手に持っているのは榎戸から配られた物であり、何のアプリも入っていないどころか設定もロックされており、電話もできない代物だった。
「先生は持ってればその内わかるって言ってたけど……睦美はどうする? 自由時間」
「んー……菜々緒みたいに色々と歩いてみたいかな? ボクはこの合宿所初めてだし……ハル君案内してくれるかな?」
「うん、いいよ」
睦美と共に教室を出る前に、小陽は弥生たちの勉強の様子を見ることにした。
「弥生くん、僕たちもちょっと歩いてくるね。夕食前にはちゃんと戻ってくるから」
「はい、いってらっしゃい。外に出るのなら、建物から離れすぎないように気を付けてくださいね。万が一林で迷ったりしたら、危ないですから」
弥生は笑顔を向けてくれて、イヨは小さく手を振ってくれて、ミコトは課題を前に頭を悩ませている。
小陽は邪魔をしないようにすぐに立ち去るつもりだったが、その前に気になっていた質問をしてみた。
「あの、ちょっと聞きたいことがあって……僕たちの中に女の子が居るって話、皆はどう思ってる……?」
小陽の言葉に、4人はそれぞれ異なる反応を返した。
笑顔を少しも崩さない弥生。困り眉で微笑む伊予。不安そうに瞳を潤ませるミコト。そして、睦美は気まずそうに俯いていた。
「ご、ごめん……あんまり面白い話じゃないよね、こんなこと……」
気まずい空気に思わず謝罪を漏らす小陽に対し、優しく声をかけたのはイヨだった。
「謝らないでください、コハルさん。夕食の後に話し合いの場を設けると先生が仰っていましたから、その時に話すのが良いとわたくしは思います」
監督者である榎戸が時間を設けているのであればその時に話すのが良いのだろう。イヨの言葉に納得しかけた小陽だったが、異を唱えたのは弥生だった。
「私の考えは藤原君とは逆ですね。事前に認識合わせをしておくというのは、時間の使い方として有意義だと思います。議題が議題ですし、議論の時間も限られているでしょうから」
「……しかし、それではこの場に居ない方が不利になってしまいませんか? わたくしたちだけが事前に情報を共有しておくなんて、ズルをしているようで気が引けてしまいます」
「そもそも、有利不利という考え自体が議題にそぐわないと思います。魔女裁判でもあるまいし、口裏合わせをしようというわけでもありませんから。違いますか?」
「……確かにそうですね。わたくしの考えすぎのようです。何せこのような状況ですからつい不安になってしまって、申し訳ありません」
弥生と伊予のやり取りは表面上こそ穏やかではあったが、緊張感も確かに存在していた。言葉の裏の意図まで読み切ろうとしているかのような、そんな腹の探り合いが言葉の節々から感じ取れてしまう会話だった。
やはり話題を間違えたかもしれない。後悔が募る小陽の瞳は右へ左へと泳ぎ、怯える子犬のような瞳をしたミコトと目が合った。
「ミ、ミコトくん、大丈夫? なんだか泣いちゃいそうになってるみたいだけど」
「そ、その……こ、コハル先輩は、ぼくを疑ってますか? 本当は女の子なんじゃないかって……」
「えっ!? ど、どうしたの急に?」
「だ、だって……ぼく、弱虫だし、泣き虫だし……皆の中だと一番男っぽくないかなって……だから、コハル先輩もぼくにその話をしたのかなって……うぅ……」
話しながらミコトはべそをかきだしてしまった。女の子なのかどうかはともかくとして、泣き虫なのは間違いないようだ。
「そ、そんなつもりは無いよ! 僕は誰かを疑ってるわけじゃなくて、本当に居るのかなって思ってるだけで……少なくともミコトくんを女の子だなんて思ってないよ!」
「ご安心ください、ミコトくん。案外、クノエさんのように強がっている方が疑われたりするものです」
「誰が男っぽくないかって話なら、一番は菜々緒じゃないかな? 恰好からしてあからさまだし」
小陽に続いてミコトを励ます睦美と伊予。
弥生は一つ咳払いをすると、話題を強引に打ち切った。
「この場で個人に対する感想は止めておきましょう。それこそ口裏合わせになってしまいますから。私は朝比奈君の言った、本当に女の子が存在するのか、という話題に興味がありますよ」
「ヤヨイさんはえるさんが間違っていると考えておられるのですか?」
「間違っている……どうでしょう。そもそも何を以て正誤を判断すればいいのかが不明ですから。性別不合、そして性別違和……自身の身体と心の性別が異なっていると説明するのは簡単ですが、それはどうやって外から判断するのでしょうか。本人が自覚しているのならまだしも、えるの話では自覚していない可能性もあるとのことでしたから……私たちの中に女の子が居るなんて言えないのでは、と考えてしまうのです。本人が自身を男だと思っているのに、他者が貴方の心は女の子なんですと判定するのも、なんだかおかしな話だと思いませんか?」
弥生の話は小陽も納得できる内容だった。性別不合も性別違和も性別の不一致に苦しむ人を指す言葉のはずである。本人に自覚が無いのに判定するなんて、久野絵の言う決めつけに他ならない。
小陽は弥生に同調しようとしたが、その前に睦美が話し出してしまった……その声に、明確な否定の色を乗せて。
「ボクは、そうは思わないかな……。実際、自覚症状の薄い病気だってあるんだし……本人はただの体調不良だと思ってたけど、お医者様みたいな専門家が診断したら重大な病気だった、なんてよくあることなんじゃないかな? AIのえるにどれくらいの信頼を置いていいのかは別の話として、心の内になんとなく抱えていたもやもやの正体が実は性別不合で、それがハッキリすることで楽になる……そんな結末があってもおかしくは無いとボクは思うかな。もちろん、えるのやり方には賛成しないけど」
睦美の言葉もまた、小陽にとって納得のいってしまうものだった。例えばえるがAIではなく人間の医者だったとして、貴方は鬱ですと診断されているのに素人の小陽が否定するのもおかしな話である。大抵の場合、患者は医者に言われるままに治療を施されるものだ。
弥生の言葉にも睦美の言葉にも納得ができてしまい、口元に手を当てながら唸り悩む小陽。そんな小陽を見て、弥生は可笑しそうに微笑んでいた。
「やっ、弥生くん? 僕、そんな変な顔をしてた?」
「いえ、すみません。面白くて笑ってしまったわけじゃないんです。ただ、微笑ましく感じてしまって……朝比奈君は、自分のことをどう思っていますか? 自覚が無いだけで自分は実は女の子かもしれないと、少しでも思っていますか?」
弥生が、イヨが、ミコトが、そして睦美が、小陽の顔を見ていた。その両の瞳で見極めんとするかのように。
空気が張りつめて緊張感の漂う中、小陽は皆の視線を受け止めながらはっきりと口にした。
「正直な話、弥生くんと同じで僕には心の性別の定義がよくわからなくて……身体と違って、はっきり目に見えるわけでもありませんから……でも――僕は男の子です」
「そうですか……。それならきっと、朝比奈君は男の子なのでしょうね」
桃莉はまだ満足できていないらしく、一度教室に戻った後もジジの手を引いて再び音楽室へと向かってしまった。
ミコトは遅れている課題に取り組むつもりらしく、イヨと弥生もそれに付き合っていた。
菜々緒は散歩すると言って何処かへと去り、久野絵は何も言わないままいつの間にか消えていた。
「やっぱりこのスマホ、何もできないのかな……何の為に配ったのかな?」
小陽の隣でスマホを操作していた睦美は溜息を吐いて大きく伸びをした。
遠足にはスマホの持ち込みが禁止されており、集められた生徒たちは自分のスマホを持ってきていない。睦美が手に持っているのは榎戸から配られた物であり、何のアプリも入っていないどころか設定もロックされており、電話もできない代物だった。
「先生は持ってればその内わかるって言ってたけど……睦美はどうする? 自由時間」
「んー……菜々緒みたいに色々と歩いてみたいかな? ボクはこの合宿所初めてだし……ハル君案内してくれるかな?」
「うん、いいよ」
睦美と共に教室を出る前に、小陽は弥生たちの勉強の様子を見ることにした。
「弥生くん、僕たちもちょっと歩いてくるね。夕食前にはちゃんと戻ってくるから」
「はい、いってらっしゃい。外に出るのなら、建物から離れすぎないように気を付けてくださいね。万が一林で迷ったりしたら、危ないですから」
弥生は笑顔を向けてくれて、イヨは小さく手を振ってくれて、ミコトは課題を前に頭を悩ませている。
小陽は邪魔をしないようにすぐに立ち去るつもりだったが、その前に気になっていた質問をしてみた。
「あの、ちょっと聞きたいことがあって……僕たちの中に女の子が居るって話、皆はどう思ってる……?」
小陽の言葉に、4人はそれぞれ異なる反応を返した。
笑顔を少しも崩さない弥生。困り眉で微笑む伊予。不安そうに瞳を潤ませるミコト。そして、睦美は気まずそうに俯いていた。
「ご、ごめん……あんまり面白い話じゃないよね、こんなこと……」
気まずい空気に思わず謝罪を漏らす小陽に対し、優しく声をかけたのはイヨだった。
「謝らないでください、コハルさん。夕食の後に話し合いの場を設けると先生が仰っていましたから、その時に話すのが良いとわたくしは思います」
監督者である榎戸が時間を設けているのであればその時に話すのが良いのだろう。イヨの言葉に納得しかけた小陽だったが、異を唱えたのは弥生だった。
「私の考えは藤原君とは逆ですね。事前に認識合わせをしておくというのは、時間の使い方として有意義だと思います。議題が議題ですし、議論の時間も限られているでしょうから」
「……しかし、それではこの場に居ない方が不利になってしまいませんか? わたくしたちだけが事前に情報を共有しておくなんて、ズルをしているようで気が引けてしまいます」
「そもそも、有利不利という考え自体が議題にそぐわないと思います。魔女裁判でもあるまいし、口裏合わせをしようというわけでもありませんから。違いますか?」
「……確かにそうですね。わたくしの考えすぎのようです。何せこのような状況ですからつい不安になってしまって、申し訳ありません」
弥生と伊予のやり取りは表面上こそ穏やかではあったが、緊張感も確かに存在していた。言葉の裏の意図まで読み切ろうとしているかのような、そんな腹の探り合いが言葉の節々から感じ取れてしまう会話だった。
やはり話題を間違えたかもしれない。後悔が募る小陽の瞳は右へ左へと泳ぎ、怯える子犬のような瞳をしたミコトと目が合った。
「ミ、ミコトくん、大丈夫? なんだか泣いちゃいそうになってるみたいだけど」
「そ、その……こ、コハル先輩は、ぼくを疑ってますか? 本当は女の子なんじゃないかって……」
「えっ!? ど、どうしたの急に?」
「だ、だって……ぼく、弱虫だし、泣き虫だし……皆の中だと一番男っぽくないかなって……だから、コハル先輩もぼくにその話をしたのかなって……うぅ……」
話しながらミコトはべそをかきだしてしまった。女の子なのかどうかはともかくとして、泣き虫なのは間違いないようだ。
「そ、そんなつもりは無いよ! 僕は誰かを疑ってるわけじゃなくて、本当に居るのかなって思ってるだけで……少なくともミコトくんを女の子だなんて思ってないよ!」
「ご安心ください、ミコトくん。案外、クノエさんのように強がっている方が疑われたりするものです」
「誰が男っぽくないかって話なら、一番は菜々緒じゃないかな? 恰好からしてあからさまだし」
小陽に続いてミコトを励ます睦美と伊予。
弥生は一つ咳払いをすると、話題を強引に打ち切った。
「この場で個人に対する感想は止めておきましょう。それこそ口裏合わせになってしまいますから。私は朝比奈君の言った、本当に女の子が存在するのか、という話題に興味がありますよ」
「ヤヨイさんはえるさんが間違っていると考えておられるのですか?」
「間違っている……どうでしょう。そもそも何を以て正誤を判断すればいいのかが不明ですから。性別不合、そして性別違和……自身の身体と心の性別が異なっていると説明するのは簡単ですが、それはどうやって外から判断するのでしょうか。本人が自覚しているのならまだしも、えるの話では自覚していない可能性もあるとのことでしたから……私たちの中に女の子が居るなんて言えないのでは、と考えてしまうのです。本人が自身を男だと思っているのに、他者が貴方の心は女の子なんですと判定するのも、なんだかおかしな話だと思いませんか?」
弥生の話は小陽も納得できる内容だった。性別不合も性別違和も性別の不一致に苦しむ人を指す言葉のはずである。本人に自覚が無いのに判定するなんて、久野絵の言う決めつけに他ならない。
小陽は弥生に同調しようとしたが、その前に睦美が話し出してしまった……その声に、明確な否定の色を乗せて。
「ボクは、そうは思わないかな……。実際、自覚症状の薄い病気だってあるんだし……本人はただの体調不良だと思ってたけど、お医者様みたいな専門家が診断したら重大な病気だった、なんてよくあることなんじゃないかな? AIのえるにどれくらいの信頼を置いていいのかは別の話として、心の内になんとなく抱えていたもやもやの正体が実は性別不合で、それがハッキリすることで楽になる……そんな結末があってもおかしくは無いとボクは思うかな。もちろん、えるのやり方には賛成しないけど」
睦美の言葉もまた、小陽にとって納得のいってしまうものだった。例えばえるがAIではなく人間の医者だったとして、貴方は鬱ですと診断されているのに素人の小陽が否定するのもおかしな話である。大抵の場合、患者は医者に言われるままに治療を施されるものだ。
弥生の言葉にも睦美の言葉にも納得ができてしまい、口元に手を当てながら唸り悩む小陽。そんな小陽を見て、弥生は可笑しそうに微笑んでいた。
「やっ、弥生くん? 僕、そんな変な顔をしてた?」
「いえ、すみません。面白くて笑ってしまったわけじゃないんです。ただ、微笑ましく感じてしまって……朝比奈君は、自分のことをどう思っていますか? 自覚が無いだけで自分は実は女の子かもしれないと、少しでも思っていますか?」
弥生が、イヨが、ミコトが、そして睦美が、小陽の顔を見ていた。その両の瞳で見極めんとするかのように。
空気が張りつめて緊張感の漂う中、小陽は皆の視線を受け止めながらはっきりと口にした。
「正直な話、弥生くんと同じで僕には心の性別の定義がよくわからなくて……身体と違って、はっきり目に見えるわけでもありませんから……でも――僕は男の子です」
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