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彷徨える龍
寿春へ 5
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まったくブレないな、と孫策は内心では思っていた。
孫策の中での最強武将は、今尚父親である亡き孫堅文台である。
しかし、陽人の戦いでの呂布の圧倒的武勇も忘れられずにいた。
孫堅も呂布の事を『想像を遥かに超えた化物だ』と称し、戦場で呂布に出会ったらまず戦うと言う選択肢は捨てるべきだ、と孫策に話した事を思い出した。
今こうしてその実力を測る機会に恵まれたのだが、あの頃と比べて実力をつけたと自負する孫策から見ても、呂布は思っていたよりさらに圧倒的な存在感を示している。
孫策は武芸を好み、弓であれ槍であれ剣であれ武器には精通しているので、相手によって使い分ける事が出来る事が強みであると思っていた。
だが、いざ呂布を前にするとその自負も消し飛ぶほどの衝撃を受けた。
とにかく大きいのだ。
呂布自身がすでに長身である事もあるのだが、その呂布が乗る赤兎馬も通常の馬より遥かに大きく、手にした方天戟もその体格に合わせたモノなので通常の槍より少し長い。
いつもなら剣を好む孫策なのだが、手に握っているのが剣と言うより枯れた小枝の様に頼りなく感じている。
こんな事は初めてだった。
例えば亡き父孫堅文台がそうであった様に、またその父が認めた猛将華雄や、その華雄を討ち取った関羽、その義弟の張飛、曹操からの指示で一時的に孫堅軍と行動を共にした夏侯惇と夏侯淵など、連合で見る事の出来た猛将達には共通する圧倒的武威を体に纏い、まるで血に飢えた猛獣の様な恐怖感を煽る存在感があった。
そして、その武威は自身も纏っていると言う自負が孫策にはあった。
ところが、最強武将であるはずの呂布にはその雰囲気が無い。
巨大な存在感は確かにあるのだが、それは先に上げた猛将達の様な明確な威圧感ではなく、巨大である事は分かるが具体的にどれくらい大きいのかが分からない、言い知れない不安を覚える威圧感だった。
例えるなら、雲。
その巨大さは見て分かるものの、その正体やどれほどの大きさなのかは分からない存在。
水溜りと海を比べる様なモノ、と連合の時に誰かが言っていたのを思い出す。
呂布は人ではなく、別の生き物であるとかも言っていたが対峙してみて分かった。
それは事実だ、と言う事。
孫策は飲み込まれそうな自分を鼓舞する事と、呂布の隙を作る為にまったく無関係な話を振ってみたが、それは効果があったとは思えない。
呂布はきょとんとしているものの、孫策に対する意識や集中力が途切れた様には見えなかった。
「槍だ! 槍を持て! 剣じゃ無理だ!」
孫策は持っていた剣を収めると、近くの兵士から槍を借り受ける。
それを見た呂布は方天戟を反転させ、刃ではなく柄を孫策に向ける。
手合わせと言う事や、夫人から怪我をさせない様にと念を押された事もあっての対応なのだろうが、呂布は陽人の戦いの際でもそうして迎え撃っていた。
孫策は槍を握り直すと、一気に呂布に向かって駆け出す。
どれほど圧倒的であろうと、誰が何を言おうと呂布が人間である事は間違いない事である。
それであれば不意打ちがもっとも効果的であり、どんな人間であっても胸を一突きにされれば立っていられるはずもない。
この時すでに孫策にはいつもの冷静さが失われ、手合わせと言う事も忘れて呂布を狙って槍を突き出していた。
が、その槍は高く跳ね上げられていた。
孫家の宿将の中でも武勇に優れる黄蓋ですら、今となっては孫策の相手は手に余る。
それは孫策の武技も然る事ながら、その馬術の巧さも武勇の底上げになっていた。
その速攻は飛矢の如く、分かっていたとしても防ぐ事は困難と言われてきた。
が、呂布はまったく動じていないどころか、いとも簡単に孫策の突きを高く払い除ける。
確かに呂布は方天戟を孫策に向けていた。
一体どうやって槍を下から上にはね上げたのかを孫策は見る事は出来ず、呂布はまったく動いていないかのように元の姿勢に戻っている。
まるで孫策の槍が見えない何かによって跳ね上げられたとしか思えない、不可解な現象だった。
それでも勇猛果敢な孫策は、それで呂布に呑まれる様な事は無い。
呂布が追撃に来ないのを見た孫策は、改めて槍を構えなおすと馬を走らせ、呂布の周りを回る。
通常であれば孫策のこの馬術と武芸があれば、ちょっとした腕自慢程度であれば対応出来ず、それなりに慣れた者であっても体勢を崩したりして隙を見せる。
しかし、呂布は揺らがない。
呂布自身もだが赤兎馬も並大抵ではなく、孫策がどれだけ馬術を駆使しても赤兎馬はひと睨みで孫策の馬を萎縮さえ、その分踏み込みが甘くなってしまう。
そこで鋭さを失っては呂布の不意をつく事など出来ず、孫策の攻撃はことごとく呂布に弾かれていた。
「この騒ぎは何事だ!」
呂布軍と孫策軍が囲う後方から、怒鳴り声が響く。
ごく自然に呂布も孫策も、その声の方を見た。
袁術軍の武将である李豊と呂布陣営の張遼、孫策陣営から周瑜もそれに同行していた。
「これはこれは、李豊将軍。お勤めご苦労様です」
孫策は笑顔で言う。
「孫策! 何の騒ぎを起こしている! 説明しろ!」
「いやー、今日も順調に切れ散らかしてますねー。体調大丈夫です? 倒れたりしないですか?」
孫策は笑いながら言うが、それは李豊を挑発しているとしか思えない。
実際に李豊は青筋を立てて、怒りに身を震わせている。
「伯符、これは一体?」
李豊が怒鳴り散らそうとした時、数瞬早く周瑜が口を開いて機先を制する。
「こちらの軍が、あの呂布奉先将軍の軍であると名乗られたので、天下の名将呂布将軍の名を語るとは不届き千万と思い、またそんな与太者を袁術閣下に会わせる様な道理も無いと、僭越ながらこの孫策が確認していた次第。いや、まさか本当に正真正銘の呂布将軍だったとは。非礼の数々、お許し下さい」
孫策は悪びれる様子もなく、驚く程流暢な言い訳を李豊に語る。
場当たり的な勢い任せで頭を使っていなさそうな孫策ではあったが、実際には文武に優れた武将としての資質を高い次元で備えた人物でもあった。
「孫策、これ以上無意味な騒ぎは不必要だ。今すぐ解散しろ」
「了解です、李豊将軍」
孫策はすぐさま頷くと、黄蓋に命じて孫策軍を寿春の中へ帰らせていく。
袁術軍の中にあっては李豊の方が目上と言う事もあって孫策は素直に従っている様に見えるが、一度も馬上から降りようとはせず、上から李豊を見下ろしたままである。
当然呂布軍もそれに従うのだが、その件について李豊と張遼が呂布に説明しているのが見えた。
「伯符、お楽しみだったかい?」
周瑜が馬上の孫策に向かって笑顔を向けるが、孫策は苦笑いして首を振る。
「とんでもない。身の程知らずだったと冷や汗モノだったよ」
「へえ。自信家の伯符が随分としおらしくなったものだね」
「公瑾も馬上で武器を持って呂布将軍と向かい合えば分かる。正直、認識が甘かったよ。公瑾が戻ってくれなかったら、心を折られてるところだっただろうな」
苦笑いしている孫策の言葉に、周瑜は驚く。
「伯符の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。呂布将軍とはそれほどのモノだったのか?」
「ああ、ただ心を折られなかったから、俺はまだまだ強くなれるって事も実感出来た。俺の目指すところとは違ったけど、アレは一つの極みの形だよ。一騎討ちで呂布将軍に勝てる武将は、おそらく今の漢にはいないだろうね」
「一騎討ちどころじゃないよ」
周瑜はそう言うと、李豊が口うるさく何か言っているのに辟易しているように見える呂布の方を見る。
「呂布将軍はたったあれだけの兵数で、しかもその半数近くしか使わずに、ここへ来る直前に旧董卓軍の武将、張済と一戦してそれを撃退してから来たそうだよ。伯符も旧董卓軍がどれほど勇猛で優秀かは知っているよね?」
「ああ。あの華雄とか言う男の守る汜水関で戦っているからな」
「呂布将軍は二千前後で張済軍二万を撃退している。伯符には出来るかい?」
「二千で二万、か。相手の指揮官が無能で兵は怠惰、もしくは兵糧攻めの末期の飢餓状態で、こちらは万全と言う条件であれば俺でも出来そうだが、さすがにそんな条件で呂布将軍は張済を撃退した訳ではないんだよな」
「私から見ても、伯符は相当な戦上手だと思うよ。ただ、それは常識の範囲での戦上手であり名将だと思う。でも、呂布将軍はその範疇に無いんだろうね」
「言葉だけだったらいくら公瑾の言葉でも鼻で笑っていたと思うが、実際に槍を合わせた俺にはそれが大袈裟じゃ無い事も分かるよ」
孫策はそう言うと、大きく息を吐く。
「とてもそうは見えないんだけどな」
改めて考えると、呂布とはなんとも奇妙な男だと孫策は思う。
会話してみると物腰柔らかく温厚で、とても戦う事に向いた天下無双の猛将とは思えないほど善良な父親だった。
勇敢さや好戦的な性格は、父親より娘の方がはっきりしているだろう。
いざ手合わせと言っても、そこに威圧感の様な武威は無かったし、孫策の手合わせと言う事を忘れた殺気立った攻撃を払い大きく隙を見せても、そこを追撃しようとはせずに手合わせに徹底していた。
一体どうすればそんな性格になるのか、不思議でならない。
「公瑾の目には、あの将軍はどう映る?」
「私はよく知らないけど、たぶんあの人は『見た人が思っているより大きく映る鏡』のような人なのではないかな?」
「ほう、どういう事だ?」
孫策と周瑜は、口うるさい李豊の言葉にいちいち頷いている呂布の方を見る。
「伯符も見た通り呂布将軍は、まさに龍と呼ぶに相応しい人知を超えた武勇があると思う。だけどあのお美しい夫人と、やんちゃな娘さんには呂布将軍を恐れる様子は無い。あの方達には呂布将軍は龍には見えていないのでしょう。それに対して『いつか敵になるかもしれない』と思っている伯符には、呂布将軍が巨大な龍に見えたと言うわけだと、私は思っているのですが」
「なるほど、思い当たるところはあるな。連合の時に呂布将軍を評したヤツ、たしか張郃とか言ったか。アイツの言っていた事が俺に当てはまるって事は、アイツも呂布将軍を味方ではなくいずれ敵になると思っていたのかな」
「おそらく。奥方や娘はともかく、呂布陣営から見ると同じ龍に見えたとしても印象は大きく異なるのでしょう。あの彼、張遼と言う武将がいるでしょう?」
周瑜は呂布の傍らに控える張遼の方を見る。
「彼もまた非凡な武将ですよ。もし戦う事になったら、おそらく伯符と互角くらいの実力はある武将だと思って間違いないですよ」
「……俺と互角、だと?」
孫策は自分こそが最強である、とまでは自惚れていない。
つい先程までは最強に手が届くと言う自信はあったのだが、呂布との実力差をまざまざと見せつけられてはその事実を認めざるを得ない。
が、孫策が認める実力者は亡き父孫堅や呂布、連合で華雄を討ち取った関羽など年長者ばかりであり、同年代で自分と肩を並べられるモノなどいないと思っていた。
「もしあの張遼が我らの敵とした立ちはだかる事になったら、おそらくは最強の敵として立ちふさがる事になるかも知れません」
周瑜は控えめな男であり相手を悪く言うような事は少ないのだが、だからと言って無意味に相手を過大評価するような事も無い。
その周瑜をしてそこまで言わせるのであれば、あの張遼と言う男の潜在能力の高さは並大抵のものではないと言う事だ。
「……俺の天下の為にも、早く死んでくれる事を祈るよ。どうせこの寿春には長く留まる事は無いだろうからな」
「何故そう思うので?」
周瑜の質問に、孫策は呂布を見ながら笑う。
「あの董卓でさえ持て余した名将だ。袁術如きが扱えるはずもない。すぐにでも適当な理由をつけて、どこか遠くに追いやる事になるだろうさ」
「私も同じ意見です」
この時、ごく少数の勢力しか持たず固有の領地も持たない弱小勢力でしか無かった若き実力者の孫策と周瑜の予想は、時を経ずして現実のものとなった。
孫策の中での最強武将は、今尚父親である亡き孫堅文台である。
しかし、陽人の戦いでの呂布の圧倒的武勇も忘れられずにいた。
孫堅も呂布の事を『想像を遥かに超えた化物だ』と称し、戦場で呂布に出会ったらまず戦うと言う選択肢は捨てるべきだ、と孫策に話した事を思い出した。
今こうしてその実力を測る機会に恵まれたのだが、あの頃と比べて実力をつけたと自負する孫策から見ても、呂布は思っていたよりさらに圧倒的な存在感を示している。
孫策は武芸を好み、弓であれ槍であれ剣であれ武器には精通しているので、相手によって使い分ける事が出来る事が強みであると思っていた。
だが、いざ呂布を前にするとその自負も消し飛ぶほどの衝撃を受けた。
とにかく大きいのだ。
呂布自身がすでに長身である事もあるのだが、その呂布が乗る赤兎馬も通常の馬より遥かに大きく、手にした方天戟もその体格に合わせたモノなので通常の槍より少し長い。
いつもなら剣を好む孫策なのだが、手に握っているのが剣と言うより枯れた小枝の様に頼りなく感じている。
こんな事は初めてだった。
例えば亡き父孫堅文台がそうであった様に、またその父が認めた猛将華雄や、その華雄を討ち取った関羽、その義弟の張飛、曹操からの指示で一時的に孫堅軍と行動を共にした夏侯惇と夏侯淵など、連合で見る事の出来た猛将達には共通する圧倒的武威を体に纏い、まるで血に飢えた猛獣の様な恐怖感を煽る存在感があった。
そして、その武威は自身も纏っていると言う自負が孫策にはあった。
ところが、最強武将であるはずの呂布にはその雰囲気が無い。
巨大な存在感は確かにあるのだが、それは先に上げた猛将達の様な明確な威圧感ではなく、巨大である事は分かるが具体的にどれくらい大きいのかが分からない、言い知れない不安を覚える威圧感だった。
例えるなら、雲。
その巨大さは見て分かるものの、その正体やどれほどの大きさなのかは分からない存在。
水溜りと海を比べる様なモノ、と連合の時に誰かが言っていたのを思い出す。
呂布は人ではなく、別の生き物であるとかも言っていたが対峙してみて分かった。
それは事実だ、と言う事。
孫策は飲み込まれそうな自分を鼓舞する事と、呂布の隙を作る為にまったく無関係な話を振ってみたが、それは効果があったとは思えない。
呂布はきょとんとしているものの、孫策に対する意識や集中力が途切れた様には見えなかった。
「槍だ! 槍を持て! 剣じゃ無理だ!」
孫策は持っていた剣を収めると、近くの兵士から槍を借り受ける。
それを見た呂布は方天戟を反転させ、刃ではなく柄を孫策に向ける。
手合わせと言う事や、夫人から怪我をさせない様にと念を押された事もあっての対応なのだろうが、呂布は陽人の戦いの際でもそうして迎え撃っていた。
孫策は槍を握り直すと、一気に呂布に向かって駆け出す。
どれほど圧倒的であろうと、誰が何を言おうと呂布が人間である事は間違いない事である。
それであれば不意打ちがもっとも効果的であり、どんな人間であっても胸を一突きにされれば立っていられるはずもない。
この時すでに孫策にはいつもの冷静さが失われ、手合わせと言う事も忘れて呂布を狙って槍を突き出していた。
が、その槍は高く跳ね上げられていた。
孫家の宿将の中でも武勇に優れる黄蓋ですら、今となっては孫策の相手は手に余る。
それは孫策の武技も然る事ながら、その馬術の巧さも武勇の底上げになっていた。
その速攻は飛矢の如く、分かっていたとしても防ぐ事は困難と言われてきた。
が、呂布はまったく動じていないどころか、いとも簡単に孫策の突きを高く払い除ける。
確かに呂布は方天戟を孫策に向けていた。
一体どうやって槍を下から上にはね上げたのかを孫策は見る事は出来ず、呂布はまったく動いていないかのように元の姿勢に戻っている。
まるで孫策の槍が見えない何かによって跳ね上げられたとしか思えない、不可解な現象だった。
それでも勇猛果敢な孫策は、それで呂布に呑まれる様な事は無い。
呂布が追撃に来ないのを見た孫策は、改めて槍を構えなおすと馬を走らせ、呂布の周りを回る。
通常であれば孫策のこの馬術と武芸があれば、ちょっとした腕自慢程度であれば対応出来ず、それなりに慣れた者であっても体勢を崩したりして隙を見せる。
しかし、呂布は揺らがない。
呂布自身もだが赤兎馬も並大抵ではなく、孫策がどれだけ馬術を駆使しても赤兎馬はひと睨みで孫策の馬を萎縮さえ、その分踏み込みが甘くなってしまう。
そこで鋭さを失っては呂布の不意をつく事など出来ず、孫策の攻撃はことごとく呂布に弾かれていた。
「この騒ぎは何事だ!」
呂布軍と孫策軍が囲う後方から、怒鳴り声が響く。
ごく自然に呂布も孫策も、その声の方を見た。
袁術軍の武将である李豊と呂布陣営の張遼、孫策陣営から周瑜もそれに同行していた。
「これはこれは、李豊将軍。お勤めご苦労様です」
孫策は笑顔で言う。
「孫策! 何の騒ぎを起こしている! 説明しろ!」
「いやー、今日も順調に切れ散らかしてますねー。体調大丈夫です? 倒れたりしないですか?」
孫策は笑いながら言うが、それは李豊を挑発しているとしか思えない。
実際に李豊は青筋を立てて、怒りに身を震わせている。
「伯符、これは一体?」
李豊が怒鳴り散らそうとした時、数瞬早く周瑜が口を開いて機先を制する。
「こちらの軍が、あの呂布奉先将軍の軍であると名乗られたので、天下の名将呂布将軍の名を語るとは不届き千万と思い、またそんな与太者を袁術閣下に会わせる様な道理も無いと、僭越ながらこの孫策が確認していた次第。いや、まさか本当に正真正銘の呂布将軍だったとは。非礼の数々、お許し下さい」
孫策は悪びれる様子もなく、驚く程流暢な言い訳を李豊に語る。
場当たり的な勢い任せで頭を使っていなさそうな孫策ではあったが、実際には文武に優れた武将としての資質を高い次元で備えた人物でもあった。
「孫策、これ以上無意味な騒ぎは不必要だ。今すぐ解散しろ」
「了解です、李豊将軍」
孫策はすぐさま頷くと、黄蓋に命じて孫策軍を寿春の中へ帰らせていく。
袁術軍の中にあっては李豊の方が目上と言う事もあって孫策は素直に従っている様に見えるが、一度も馬上から降りようとはせず、上から李豊を見下ろしたままである。
当然呂布軍もそれに従うのだが、その件について李豊と張遼が呂布に説明しているのが見えた。
「伯符、お楽しみだったかい?」
周瑜が馬上の孫策に向かって笑顔を向けるが、孫策は苦笑いして首を振る。
「とんでもない。身の程知らずだったと冷や汗モノだったよ」
「へえ。自信家の伯符が随分としおらしくなったものだね」
「公瑾も馬上で武器を持って呂布将軍と向かい合えば分かる。正直、認識が甘かったよ。公瑾が戻ってくれなかったら、心を折られてるところだっただろうな」
苦笑いしている孫策の言葉に、周瑜は驚く。
「伯符の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。呂布将軍とはそれほどのモノだったのか?」
「ああ、ただ心を折られなかったから、俺はまだまだ強くなれるって事も実感出来た。俺の目指すところとは違ったけど、アレは一つの極みの形だよ。一騎討ちで呂布将軍に勝てる武将は、おそらく今の漢にはいないだろうね」
「一騎討ちどころじゃないよ」
周瑜はそう言うと、李豊が口うるさく何か言っているのに辟易しているように見える呂布の方を見る。
「呂布将軍はたったあれだけの兵数で、しかもその半数近くしか使わずに、ここへ来る直前に旧董卓軍の武将、張済と一戦してそれを撃退してから来たそうだよ。伯符も旧董卓軍がどれほど勇猛で優秀かは知っているよね?」
「ああ。あの華雄とか言う男の守る汜水関で戦っているからな」
「呂布将軍は二千前後で張済軍二万を撃退している。伯符には出来るかい?」
「二千で二万、か。相手の指揮官が無能で兵は怠惰、もしくは兵糧攻めの末期の飢餓状態で、こちらは万全と言う条件であれば俺でも出来そうだが、さすがにそんな条件で呂布将軍は張済を撃退した訳ではないんだよな」
「私から見ても、伯符は相当な戦上手だと思うよ。ただ、それは常識の範囲での戦上手であり名将だと思う。でも、呂布将軍はその範疇に無いんだろうね」
「言葉だけだったらいくら公瑾の言葉でも鼻で笑っていたと思うが、実際に槍を合わせた俺にはそれが大袈裟じゃ無い事も分かるよ」
孫策はそう言うと、大きく息を吐く。
「とてもそうは見えないんだけどな」
改めて考えると、呂布とはなんとも奇妙な男だと孫策は思う。
会話してみると物腰柔らかく温厚で、とても戦う事に向いた天下無双の猛将とは思えないほど善良な父親だった。
勇敢さや好戦的な性格は、父親より娘の方がはっきりしているだろう。
いざ手合わせと言っても、そこに威圧感の様な武威は無かったし、孫策の手合わせと言う事を忘れた殺気立った攻撃を払い大きく隙を見せても、そこを追撃しようとはせずに手合わせに徹底していた。
一体どうすればそんな性格になるのか、不思議でならない。
「公瑾の目には、あの将軍はどう映る?」
「私はよく知らないけど、たぶんあの人は『見た人が思っているより大きく映る鏡』のような人なのではないかな?」
「ほう、どういう事だ?」
孫策と周瑜は、口うるさい李豊の言葉にいちいち頷いている呂布の方を見る。
「伯符も見た通り呂布将軍は、まさに龍と呼ぶに相応しい人知を超えた武勇があると思う。だけどあのお美しい夫人と、やんちゃな娘さんには呂布将軍を恐れる様子は無い。あの方達には呂布将軍は龍には見えていないのでしょう。それに対して『いつか敵になるかもしれない』と思っている伯符には、呂布将軍が巨大な龍に見えたと言うわけだと、私は思っているのですが」
「なるほど、思い当たるところはあるな。連合の時に呂布将軍を評したヤツ、たしか張郃とか言ったか。アイツの言っていた事が俺に当てはまるって事は、アイツも呂布将軍を味方ではなくいずれ敵になると思っていたのかな」
「おそらく。奥方や娘はともかく、呂布陣営から見ると同じ龍に見えたとしても印象は大きく異なるのでしょう。あの彼、張遼と言う武将がいるでしょう?」
周瑜は呂布の傍らに控える張遼の方を見る。
「彼もまた非凡な武将ですよ。もし戦う事になったら、おそらく伯符と互角くらいの実力はある武将だと思って間違いないですよ」
「……俺と互角、だと?」
孫策は自分こそが最強である、とまでは自惚れていない。
つい先程までは最強に手が届くと言う自信はあったのだが、呂布との実力差をまざまざと見せつけられてはその事実を認めざるを得ない。
が、孫策が認める実力者は亡き父孫堅や呂布、連合で華雄を討ち取った関羽など年長者ばかりであり、同年代で自分と肩を並べられるモノなどいないと思っていた。
「もしあの張遼が我らの敵とした立ちはだかる事になったら、おそらくは最強の敵として立ちふさがる事になるかも知れません」
周瑜は控えめな男であり相手を悪く言うような事は少ないのだが、だからと言って無意味に相手を過大評価するような事も無い。
その周瑜をしてそこまで言わせるのであれば、あの張遼と言う男の潜在能力の高さは並大抵のものではないと言う事だ。
「……俺の天下の為にも、早く死んでくれる事を祈るよ。どうせこの寿春には長く留まる事は無いだろうからな」
「何故そう思うので?」
周瑜の質問に、孫策は呂布を見ながら笑う。
「あの董卓でさえ持て余した名将だ。袁術如きが扱えるはずもない。すぐにでも適当な理由をつけて、どこか遠くに追いやる事になるだろうさ」
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日月神示は、その難解さから、書記した天明自身も当初は、ほとんど読むことが出来なかったが、仲間の神典研究家や霊能者達の協力などで少しずつ解読が進み、天明亡き後も妻である岡本三典(1917年〈大正6年〉11月9日 ~2009年〈平成21年〉6月23日)の努力により、現在では一部を除きかなりの部分が解読されたと言われているます。しかし、一方では神示の中に「この筆示は8通りに読めるのであるぞ」と書かれていることもあり、解読法の一つに成功したという認識が関係者の間では一般的です。
そのために、仮訳という副題を添えての発表もありました。
なお、原文を解読して漢字仮名交じり文に書き直されたものは、特に「ひふみ神示」または「一二三神示」と呼ばれています。
縄文人の祝詞に「ひふみ祝詞(のりと)」という祝詞の歌があります。
日月神示はその登場以来、関係者や一部専門家を除きほとんど知られていなかったが、1990年代の初め頃より神典研究家で翻訳家の中矢伸一の著作などにより広く一般にも知られるようになってきたと言われています。
この小説は真実の物語です。
「神典日月神示(しんてんひつきしんじ)真実の物語」
どうぞ、お楽しみ下さい。
『神知りて 人の幸せ 願うのみ
神のつたへし 愛善の道』
歌人 蔵屋日唱
戦神の星・武神の翼 ~ もしも日本に2000馬力エンジンが最初からあったなら
もろこし
歴史・時代
架空戦記ファンが一生に一度は思うこと。
『もし日本に最初から2000馬力エンジンがあったなら……』
よろしい。ならば作りましょう!
史実では中途半端な馬力だった『火星エンジン』を太平洋戦争前に2000馬力エンジンとして登場させます。そのために達成すべき課題を一つ一つ潰していく開発ストーリーをお送りします。
そして火星エンジンと言えば、皆さんもうお分かりですね。はい『一式陸攻』の運命も大きく変わります。
しかも史実より遙かに強力になって、さらに1年早く登場します。それは戦争そのものにも大きな影響を与えていきます。
え?火星エンジンなら『雷電』だろうって?そんなヒコーキ知りませんw
お楽しみください。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
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