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放浪準備編
26.色々実験してみるよ
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実験用材料が揃った翌日、俺はエリナさんを連れて再び杉山村を訪れていた。村長の牧田さんは俺たちの突然の再訪にも嫌な顔ひとつせず、またお茶を出して歓迎してくれた。
……しまった、何かお土産に買っていけばよかったな。
「しょうがない、この次までにお土産になりそうなものを見繕っておくか……」
「……それで、あの、トーゴさん? 何故またこの村に?」
「本当は実験用のスペースさえあればこの村でなくてもよかったんだけど、郊外に出てあまりに近いと知らない人に見られる可能性があるしね。俺たちの事情を知ってる人たちで固められている場所っていうと、ここしか思いつかなかったんだよ」
「はあ、なるほど……?」
もっともそのおかげで、ペトラ杉の依頼を受注した時と同じくらい朝早くに出なくちゃならなかったわけだけど。総合職ギルドがふたつ返事で魔動車を貸してくれて助かった、後でお礼を言っておかないと。
「それにしても水元さん、なかなか凄いことを考えますね。確かにこの魔動車? にしても、頑丈そうな車輪ではありますけど重そうですからね」
「ええ、木のホイールに鉄板を履かせた奴ですから、頑丈と言っても前世のに比べれば壊れやすいですし重いですよね……まあでも、実際作れるかどうかはやってみないと分かりませんのでね。その為の実験ですから」
――今回試しに作ってみる材料は2種類。
まずはポリイソプレン、所謂合成天然ゴム。本当はゴムの木の樹液から抽出出来ればよかったんだけど、この世界にそんな便利なものは存在しない。存在していたらもうちょっと天然ゴムを使ったおもちゃなんかがあってもいいものが、それも全くなかったので予想通りと言えば予想通りだったけど……
そしてもうひとつはポリブタジエン。ブタジエンという常温で気体をとる炭化水素のポリマーで、とんでもなく柔らかい合成ゴム。基本的な構成はイソプレンとそう変わることはないというかイソプレンもブタジエンの化合物だけど、材料としては両方必要になる。
そしてなぜこのふたつを今回作ることにしたのかというと……実は、このふたつは材料が共通なのだ。
不可視インベントリから、昨日買ったスピリタスの瓶を取り出す。買った時より若干量が減っているけど、飲んだわけじゃないからね?
「しかしとんでもなく強い酒があって助かったよ。無水アルコールを大量に求めるとか結構めんどくさいから……基礎材料ギルドなんかで買ったら絶対怪しまれるしね」
「その点お酒なら 蟒蛇ってことで済ませられますしね。……まあ、96%は飲用と言っていいのかどうかって疑問はありますけど」
「元フィンランド人のエリナさんがそれ言っちゃう?」
「私はそもそもお酒飲みませんー。好きな飲み物はヤッファ・アッペルシーニ。ファンタオレンジよりオレンジの味が濃くて好きです」
「アッペルシーニなのにオレンジ……?」
「何か変ですか?」
「それ響き的にはオレンジじゃなくてむしろ……いや、何でもない」
「リンゴではありませんよ?」
……やっぱりそう思うんだ皆。ではなく。
まあいずれにしても不純物のほとんどないアルコールをこうして手に出来てるわけだけど、実際に何かを作るのに向いた材料なのかはわからない。というわけでアルコールで作れるものを先に作ろうという話になったのだった。コールタール採取に比べて、エタノール抽出ならさして手間にはならないしな。
「それじゃさっそく始めようか。最初はポリブタジエンからだな」
ポリブタジエンを作る前にモノマーであるブタジエンを作らなければならないけど、これはエタノールを触媒化で高熱処理して水と水素を分離すれば作れる。……とはいえこの世界でそんな工業的なことが出来るはずもないし、そもそもブタジエンも気体だからそんな作り方をしていたら分離がものすごく面倒なことになる。
というわけでちょっと横着しよう。
「ええと、エタノール分子同士を圧縮合成して水と水素を分解、同時にブタジエン同士をノータイムで圧縮合成してポリマー化……ロスをなくすには……」
「気体のロスをなくすということなら、容器に蓋をして内部にだけ魔法を適用すればいいのでは?」
「エリナさん」
「私も協力しなくちゃいけませんから。私は素材分解が出来ないから実際の作業をお手伝いすることは出来ませんし」
「ありがとう。……しかし蓋と言っても、完全に密閉したやつじゃないと無理なんだよな……」
「取り敢えずはその酒瓶を使えばいいと思います。蓋に関しても取り敢えずは今あるものを使うことにしましょう」
……この間も思ったけど、エリナさん本当にこの手の話に詳しいな。もしかしたら前世ではそういう関係の職業についていたとかそういう関係が専門の学生だったとかかな。ある程度言葉が通じるようになったら、基礎材料とか重工業関係のギルドに加入してもらうのもいいかもしれない。
とにかくこれで作ってみて……って、村長さんが何か微妙な目で見てるけど何だろう。
「あの、村長さん? どうかしましたか?」
「いえ、ただ、日本語とエリナさんの……フィンランド語ですか? で、よくお互いに話が通じるなーと……」
「そこらへんは多方向翻訳能力のややこしいところですね。1対1とかなら混乱もないですけど、確かに傍から見ると奇妙ではありますよね」
まあだから、会話の内容を完全に把握されないっていう利点もあるんだけど……
取り敢えずは実験だ実験。
「さてと、それじゃ始めますか」
実験開始からおおよそ1時間ほど後。
手元の酒瓶の中には黒くてドロドロした液体が、それとは別に急遽持ってきてもらったもうひとつの瓶の中には透明の液体が出来ていた。黒い方がポリブタジエンで無色の方がイソプレンのはずだけど……成功したかな。
「トーゴさん、それで成功ですか?」
「……多分。後はイソプレンをポリマー化して、これと硫黄とカーボンブラック、シリカを混ぜ合わせて――」
「加硫を起こして架橋構造を形成する、ですか」
「うん」
もっとも今この場にそれらの材料なんかないわけで、実験はひとまずこれで終了って感じなんだけど……思いの外上手く出来たな、後は容器の問題さえ解決出来ればタイヤを作るのはそこまで難しくないかもしれない。
素材合成に素材分解。使えるなんてもんじゃない。
「しかし水元さん、本当にエタノールからそこまで作れるなんて……少しその材料、見せてもらっても構いませんか?」
「いいですけど、慎重に取り扱ってくださいね? 特にイソプレンは引火したら爆発するし、外に出して蒸気でも放出しようものならここら辺一帯が健康被害で溢れますから」
「大丈夫です。その辺りの失敗は、前世で結構してましたから」
「……村長さんの前世が凄く気になりますよ。なりますけど……それはそれでマナー違反ですね。それでは、はい」
言って手渡すと、牧田さんは物珍しそうな目で瓶の中身を眺める。するとエリナさんが俺の隣に寄ってきて言う。
「取り敢えず、これで合成ゴムが出来るめどは立ちましたけど……こんなあらゆる意味で危険なもの、街中で作るわけにはいきませんよね」
「……うん、俺もちょうどそんなふうに思ってたとこ」
もちろん引火しやすいとか蒸気に有害物質が含まれているとか、有機材料によくある話もさることながら、この材料はとにかく技術的に危ない。色々なギルドを見てみた感じ、この世界の人間にとってゴムは間違いなく未知の材料だし、ばらされたら色々と面倒なことになりそうだ。ここを実験場所に選んだのも、理由のひとつはそこへの懸念だったわけだし。
「しかしそうなると、必要な量はどこで作ろうかな。不可視インベントリも感覚的に無限の容量がある感じはしないし、持ち運ぶのも億劫そうなんだよな……」
「そうですね……」
「……あの、水元さん」
「あ、終わりましたか村長さん?」
「はい、ありがとうございます。……それでそれについての話ですが、もしよろしければこの村の一角を是非お使いください」
「……いいんですか?」
「私たちも、水元さんたちの挑戦というか取り組みに興味がありますし……それにこの世界の情報や街との交易をしていただけるのであればこちらとしても助かりますし」
……なるほど、要は体裁を整えているということか。それなら断る理由はないな。
「それではご迷惑おかけするかと思いますが、よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ期待しています、頑張ってください」
そう言葉を交わして俺たちは握手をする。本当にありがたいことだ。
---
スオミではオレンジ=アッペルシーニ、リンゴ=オメナ、塩化アンモニウム=サルミアッキ
……いや最後のはいらねえか。
次回更新は11/23の予定です!
……しまった、何かお土産に買っていけばよかったな。
「しょうがない、この次までにお土産になりそうなものを見繕っておくか……」
「……それで、あの、トーゴさん? 何故またこの村に?」
「本当は実験用のスペースさえあればこの村でなくてもよかったんだけど、郊外に出てあまりに近いと知らない人に見られる可能性があるしね。俺たちの事情を知ってる人たちで固められている場所っていうと、ここしか思いつかなかったんだよ」
「はあ、なるほど……?」
もっともそのおかげで、ペトラ杉の依頼を受注した時と同じくらい朝早くに出なくちゃならなかったわけだけど。総合職ギルドがふたつ返事で魔動車を貸してくれて助かった、後でお礼を言っておかないと。
「それにしても水元さん、なかなか凄いことを考えますね。確かにこの魔動車? にしても、頑丈そうな車輪ではありますけど重そうですからね」
「ええ、木のホイールに鉄板を履かせた奴ですから、頑丈と言っても前世のに比べれば壊れやすいですし重いですよね……まあでも、実際作れるかどうかはやってみないと分かりませんのでね。その為の実験ですから」
――今回試しに作ってみる材料は2種類。
まずはポリイソプレン、所謂合成天然ゴム。本当はゴムの木の樹液から抽出出来ればよかったんだけど、この世界にそんな便利なものは存在しない。存在していたらもうちょっと天然ゴムを使ったおもちゃなんかがあってもいいものが、それも全くなかったので予想通りと言えば予想通りだったけど……
そしてもうひとつはポリブタジエン。ブタジエンという常温で気体をとる炭化水素のポリマーで、とんでもなく柔らかい合成ゴム。基本的な構成はイソプレンとそう変わることはないというかイソプレンもブタジエンの化合物だけど、材料としては両方必要になる。
そしてなぜこのふたつを今回作ることにしたのかというと……実は、このふたつは材料が共通なのだ。
不可視インベントリから、昨日買ったスピリタスの瓶を取り出す。買った時より若干量が減っているけど、飲んだわけじゃないからね?
「しかしとんでもなく強い酒があって助かったよ。無水アルコールを大量に求めるとか結構めんどくさいから……基礎材料ギルドなんかで買ったら絶対怪しまれるしね」
「その点お酒なら 蟒蛇ってことで済ませられますしね。……まあ、96%は飲用と言っていいのかどうかって疑問はありますけど」
「元フィンランド人のエリナさんがそれ言っちゃう?」
「私はそもそもお酒飲みませんー。好きな飲み物はヤッファ・アッペルシーニ。ファンタオレンジよりオレンジの味が濃くて好きです」
「アッペルシーニなのにオレンジ……?」
「何か変ですか?」
「それ響き的にはオレンジじゃなくてむしろ……いや、何でもない」
「リンゴではありませんよ?」
……やっぱりそう思うんだ皆。ではなく。
まあいずれにしても不純物のほとんどないアルコールをこうして手に出来てるわけだけど、実際に何かを作るのに向いた材料なのかはわからない。というわけでアルコールで作れるものを先に作ろうという話になったのだった。コールタール採取に比べて、エタノール抽出ならさして手間にはならないしな。
「それじゃさっそく始めようか。最初はポリブタジエンからだな」
ポリブタジエンを作る前にモノマーであるブタジエンを作らなければならないけど、これはエタノールを触媒化で高熱処理して水と水素を分離すれば作れる。……とはいえこの世界でそんな工業的なことが出来るはずもないし、そもそもブタジエンも気体だからそんな作り方をしていたら分離がものすごく面倒なことになる。
というわけでちょっと横着しよう。
「ええと、エタノール分子同士を圧縮合成して水と水素を分解、同時にブタジエン同士をノータイムで圧縮合成してポリマー化……ロスをなくすには……」
「気体のロスをなくすということなら、容器に蓋をして内部にだけ魔法を適用すればいいのでは?」
「エリナさん」
「私も協力しなくちゃいけませんから。私は素材分解が出来ないから実際の作業をお手伝いすることは出来ませんし」
「ありがとう。……しかし蓋と言っても、完全に密閉したやつじゃないと無理なんだよな……」
「取り敢えずはその酒瓶を使えばいいと思います。蓋に関しても取り敢えずは今あるものを使うことにしましょう」
……この間も思ったけど、エリナさん本当にこの手の話に詳しいな。もしかしたら前世ではそういう関係の職業についていたとかそういう関係が専門の学生だったとかかな。ある程度言葉が通じるようになったら、基礎材料とか重工業関係のギルドに加入してもらうのもいいかもしれない。
とにかくこれで作ってみて……って、村長さんが何か微妙な目で見てるけど何だろう。
「あの、村長さん? どうかしましたか?」
「いえ、ただ、日本語とエリナさんの……フィンランド語ですか? で、よくお互いに話が通じるなーと……」
「そこらへんは多方向翻訳能力のややこしいところですね。1対1とかなら混乱もないですけど、確かに傍から見ると奇妙ではありますよね」
まあだから、会話の内容を完全に把握されないっていう利点もあるんだけど……
取り敢えずは実験だ実験。
「さてと、それじゃ始めますか」
実験開始からおおよそ1時間ほど後。
手元の酒瓶の中には黒くてドロドロした液体が、それとは別に急遽持ってきてもらったもうひとつの瓶の中には透明の液体が出来ていた。黒い方がポリブタジエンで無色の方がイソプレンのはずだけど……成功したかな。
「トーゴさん、それで成功ですか?」
「……多分。後はイソプレンをポリマー化して、これと硫黄とカーボンブラック、シリカを混ぜ合わせて――」
「加硫を起こして架橋構造を形成する、ですか」
「うん」
もっとも今この場にそれらの材料なんかないわけで、実験はひとまずこれで終了って感じなんだけど……思いの外上手く出来たな、後は容器の問題さえ解決出来ればタイヤを作るのはそこまで難しくないかもしれない。
素材合成に素材分解。使えるなんてもんじゃない。
「しかし水元さん、本当にエタノールからそこまで作れるなんて……少しその材料、見せてもらっても構いませんか?」
「いいですけど、慎重に取り扱ってくださいね? 特にイソプレンは引火したら爆発するし、外に出して蒸気でも放出しようものならここら辺一帯が健康被害で溢れますから」
「大丈夫です。その辺りの失敗は、前世で結構してましたから」
「……村長さんの前世が凄く気になりますよ。なりますけど……それはそれでマナー違反ですね。それでは、はい」
言って手渡すと、牧田さんは物珍しそうな目で瓶の中身を眺める。するとエリナさんが俺の隣に寄ってきて言う。
「取り敢えず、これで合成ゴムが出来るめどは立ちましたけど……こんなあらゆる意味で危険なもの、街中で作るわけにはいきませんよね」
「……うん、俺もちょうどそんなふうに思ってたとこ」
もちろん引火しやすいとか蒸気に有害物質が含まれているとか、有機材料によくある話もさることながら、この材料はとにかく技術的に危ない。色々なギルドを見てみた感じ、この世界の人間にとってゴムは間違いなく未知の材料だし、ばらされたら色々と面倒なことになりそうだ。ここを実験場所に選んだのも、理由のひとつはそこへの懸念だったわけだし。
「しかしそうなると、必要な量はどこで作ろうかな。不可視インベントリも感覚的に無限の容量がある感じはしないし、持ち運ぶのも億劫そうなんだよな……」
「そうですね……」
「……あの、水元さん」
「あ、終わりましたか村長さん?」
「はい、ありがとうございます。……それでそれについての話ですが、もしよろしければこの村の一角を是非お使いください」
「……いいんですか?」
「私たちも、水元さんたちの挑戦というか取り組みに興味がありますし……それにこの世界の情報や街との交易をしていただけるのであればこちらとしても助かりますし」
……なるほど、要は体裁を整えているということか。それなら断る理由はないな。
「それではご迷惑おかけするかと思いますが、よろしくお願いします」
「いえいえ、こちらこそ期待しています、頑張ってください」
そう言葉を交わして俺たちは握手をする。本当にありがたいことだ。
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