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第19話 シンデレラの靴は白い靴下
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日曜日の午前、みつよ食堂のテーブル席には、見慣れない大きな黒いケースが置かれていた。
スタジオのロゴが入ったそのケースから、銀色の三脚や、レフ板と呼ばれる白い板が次々と取り出されていく。
「うわあ、本物の撮影隊だ」
カウンター越しにその様子を見ながら、桜子は思わず声を漏らした。
店の奥では、カメラマンとアシスタントらしき人たちが、小さな声で打ち合わせをしている。
「そりゃそうだろ」
勇一が、スケッチブックを小脇に抱えたまま笑う。
「商店街の目玉企画なんだから。
へたなスマホ写真で済ませたら、逆に怒られるよ」
「怒るの、誰ですか」
「たぶん、八百屋のおばちゃんあたり」
「ありえる」
実記がノートパソコンを開きながら相槌を打つ。
今日の午後、「手のひらシンデレラ」のポスター撮影が行われる。
商店街全体のグルメ企画の中で、みつよ食堂の紹介を担う一枚だ。
皿はすでに決まった。
あとは、その皿の隣に立つ「人」の姿を決めるだけだ。
「で、本当にそれ着るの?」
実記の視線が、椅子の背に掛けられた紙袋に向く。
「一応……」
桜子は、紙袋の口を少しだけ開いた。
中には、街のデパートで買ったばかりのワンピースと、薄いベージュのハイヒールが入っている。
きちんと感のある膝丈のワンピースに、細いストラップの付いた靴。
鏡の前で合わせたとき、店員に「とてもお似合いですよ」と言われた。
「ポスターに写るなら、ちゃんとしたほうがいいかなって」
「“ちゃんとした”ねえ」
勇一が、どこか意味ありげに笑う。
「まあ、今日くらいはシンデレラもガラスの靴、履いてみる? みたいな」
「ガラスじゃないです。
合皮です」
「そこはノリで乗っかっておきなよ」
からかう声に、桜子は苦笑しながらも、心のどこかで落ち着かなかった。
厨房のほうから、鍋の蓋がかすかに鳴る音がする。
包帯の上からビニール手袋をつけた琉叶は、いつものように出汁の味を確かめ、まな板の前に立っていた。
切り傷はまだ完全にはふさがっていない。
けれど、利き手をうまくかばいながら、仕事の手を止めることはなかった。
「琉叶さん」
「はい」
声をかけると、琉叶が振り向いた。
「今日のポスター……やっぱり、私なんですよね」
「はい。
“この皿を一緒に考えた人”を写したいって、商店街側も言ってましたから」
「変じゃないですか。
もっと、見栄えのいい人のほうが……」
「少なくとも、僕は変だと思ってません」
即答された。
それが、逆に照れくさい。
「服、着替えるとこ、裏使っていいですよ」
「ありがとうございます」
頭を下げてから、桜子は紙袋を抱え、奥の小さな更衣スペースに入った。
*
姿見の前で、ワンピースのファスナーを上げる。
いつもジーンズかパンツスタイルばかりの自分には、ひざ丈の裾が妙に落ち着かない。
髪をひとつにまとめ、軽くメイクを整えると、鏡の中に、どこにでもいそうな「きちんとした女性」が映った。
「……悪くない、はず」
最後に、ハイヒールのストラップを足首にかける。
細いヒールが床にコツンと音を立て、右足と左足の高さが、普段より少しだけ高くなる。
立ち上がった瞬間、足首がふわりと不安定になった。
店員の前では「歩きやすいです」と笑って見せたけれど、実際は、緊張で足の裏が固まっていたのかもしれない。
それでも、「ポスター」という言葉を思い出すと、引き返しづらかった。
商店街の人たちに見られる。
会社の人に見られるかもしれない。
凌に「いいじゃん」と言われるような姿で写っておきたい――そんな気持ちが、まだどこかに残っていた。
「よし」
自分に言い聞かせるように小さく呟き、桜子はゆっくりと扉を開けた。
*
「わ、お姉さん感出てきた」
カウンター席の勇一が、真っ先に反応した。
「これはこれでアリだな」
「うん、普通に似合う」
実記も、素直にうなずく。
「ただ……」
「ただ?」
「床、気をつけてね。
うち、ところどころ段差あるから」
言われて初めて、桜子は足元に意識を向けた。
厨房との境目の小さな段差、テーブルとカウンターの間の狭い通路。
普段はスニーカーで何度も行き来している場所が、今は別の世界のように見える。
「大丈夫です。
気をつけます」
そう言いながら、一歩踏み出した瞬間だった。
細いヒールが、床のわずかな溝に引っかかった。
身体がぐらりと前に傾く。
視界の端で、テーブルの角が迫ってきた。
「危ない」
腕を引かれる感覚と同時に、胸の前に固いものが当たった。
次の瞬間には、桜子の身体は、琉叶の胸元に預けられていた。
包帯の上から伸ばされた手が、しっかりと桜子の肘を支えている。
もう片方の手は、いつものようにエプロンの紐を握っていた。
「すみません!」
慌てて身を離そうとすると、逆に、支えている手の力が少し強くなる。
「動かないでください。
ヒール、抜けてません」
下を見ると、片足のかかとだけが床に残り、つま先のほうはまだ溝にはまり込んでいた。
「……なんで、こういうときに限って」
情けなくなって、思わず笑いがこみ上げる。
「ほんとですよ」
琉叶も、苦笑混じりにため息をついた。
「うち、ガラスの床じゃなくてよかったですね」
「割れてますね」
「間違いなく」
二人のやりとりに、周りから安堵混じりの笑いが起こる。
その中で、ただ一人、腕組みをしていた美津代が、ゆっくりと近づいてきた。
「はい、ストップ」
その声には、いつものように柔らかさと厳しさが半分ずつ混ざっている。
「あんた、その靴、今日一日履くつもりだったの」
「えっと……一応、そのつもりで」
「うちの床、そんなに優しくないよ」
美津代は、桜子の足元を見下ろし、軽くため息をついた。
「それじゃ、あんたの足も床も、両方傷つく」
言葉に、どきりとする。
つい最近まで、「ちゃんとした場所」に合わせるために、自分の足をぎゅうぎゅうに靴に押し込んでいたことを思い出した。
誰かの基準に合うように、丈や色や高さを決めていたことも。
「うちのシンデレラはね」
美津代は、カウンターの下を探り、いつもの白いスニーカーを取り出した。
「白い靴下でいいんだよ。
走れる靴、踏ん張れる靴。
皿が落ちそうになったら、とっさに飛び出せる靴」
「でも、ポスター……」
「ポスターに、“この店は背伸びしないでいい場所です”って写せるなら、そのほうがよっぽどいい」
その言葉が、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。
背伸びして届く景色もある。
けれど、腰を落として立てる場所のほうが、長くいられる。
「履き替えておいで」
「……はい」
桜子は、ハイヒールのストラップを外し、ゆっくりと足を抜いた。
細いヒールが床から離れると、途端に身体の重心が元の位置に戻る。
白い靴下のまま裏に下がり、いつものスニーカーに足を滑り込ませた。
靴ひもをぎゅっと結ぶと、足の裏が安心したように床を捉える。
鏡を見ると、ワンピースにスニーカーという、少しちぐはぐな組み合わせの自分が映っていた。
でも、そのちぐはぐさが、どこか「自分らしい」とも思えた。
*
撮影の時間になり、店内の照明が少しだけ調整された。
カウンターの上には、「手のひらシンデレラ」の皿が、いつもより少しだけ胸を張った顔で置かれている。
その隣に、エプロン姿の桜子が立つ。
「足元、もうちょっとこちらに」
カメラマンが指示を出す。
白いスニーカーが、床の木目の上をすべる。
ハイヒールなら怖かった一歩が、今は不思議なほど軽い。
「そうそう。
その感じで、皿のほうに少し体を傾けてください」
カメラマンの声に合わせて、桜子は皿を見下ろした。
グラスと小鉢たちが、「ここに立ってていいよ」と言ってくれているように見える。
その横で、琉叶が「手」を皿の端にそっと添えた。
包帯は外れ、まだ薄く赤みの残る指先。
それでも、皿を支える角度は、いつものように丁寧だ。
「すみません」
カメラマンが、琉叶のほうを見て首をかしげる。
「その指先、隠さなくて大丈夫ですか。
気になるようなら、写らない角度にしますけど」
「いえ。
大丈夫です」
琉叶は、少し考えてから答えた。
「それも含めて、うちの皿なので」
そのやりとりを聞いていた美津代が、ふっと笑う。
「そうそう。
うちは“きれいなとこだけ見てください”なんて店じゃないよ」
「じゃあ、そのままいきますね」
カメラマンがシャッターを構えた。
「はい、じゃあ、何枚かいきまーす。
まずは真面目な顔で。
次は、少しだけ笑って」
シャッター音が、小気味よく店内に響く。
桜子は、皿と、自分の足元と、包帯の痕が残る「手」を順番に意識した。
ここに立つと決めた自分。
この皿を一緒に作った「手」。
そのどちらも、きれいごとだけではいられない。
「最後に一枚。
足元だけ、撮らせてもらっていいですか」
カメラマンがそう言って、レンズの角度を変えた。
ファインダー越しに見えるのは、ワンピースの裾と、白い靴下に包まれた足首、そしてスニーカーのつま先だけ。
「コンセプトカットですか?」
実記が、興味津々で尋ねる。
「ええ。
“身近なシンデレラ”ってテーマでいくなら、こういうのもありかなって」
「身近なシンデレラ」
その言葉を聞いた瞬間、桜子の胸に、じんわりと温かいものが広がった。
誰かに選ばれるお姫さまじゃない。
自分の足で、厨房と客席の間を行ったり来たりするシンデレラ。
ガラスの靴じゃなくて、白い靴下とスニーカーで十分だ。
*
撮影がひと段落すると、カメラマンがノートパソコンを開き、撮ったばかりの写真を何枚か見せてくれた。
画面の中には、見慣れたはずの自分が、少しだけ知らない顔で立っている。
皿の隣で笑っている写真。
真剣な顔で皿を見つめている写真。
そして、足元だけの一枚。
「これ、いいですね」
雄之が、画面を覗き込みながら言った。
「ワンピースとスニーカーってところが、すごく“らしい”」
「“らしい”ってなんですか」
「背伸びしてないけど、手を抜いてない感じ」
勇一が、いつもの調子で言葉を挟む。
「“今日くらい、自分の手で選んでいい”ってコピーと並べたら、かなり強いよ」
「それ、ポスターの文字に使うやつですよね」
「予定です」
実記がキーボードを叩きながら笑う。
画面の隅には、包帯の痕がうっすら残る琉叶の指先も写っていた。
完璧ではないけれど、確かにそこにある「手」。
「……変じゃないですか」
思わず尋ねると、カメラマンは首を振った。
「むしろ、いいと思いますよ。
お客さんだって、完璧な店より、“ここで働いてる人の息づかい”が見えたほうが安心するんじゃないですか」
その言葉に、桜子は小さく笑った。
「じゃあ、このポスター、私の足元ごと、ちゃんと世に出してあげてください」
「もちろん」
カメラマンが、力強くうなずく。
撮影隊が機材を片づけ、店内がいつもの静けさを取り戻すころには、もう夕方近くになっていた。
アーケードの外の光が少し傾き、ガラス戸に映る自分の姿が、昼とは違う表情をしている。
白い靴下とスニーカーのつま先が、床の木目をしっかりと捉えていた。
その足元から、厨房の音と客席のざわめきが、じんわりと身体の中に染み込んでいく。
(ここが、私の立つ場所だ)
そう思えたとき、やっと、「ちゃんとした場所」という言葉が、少しだけ違う意味に変わった気がした。
スタジオのロゴが入ったそのケースから、銀色の三脚や、レフ板と呼ばれる白い板が次々と取り出されていく。
「うわあ、本物の撮影隊だ」
カウンター越しにその様子を見ながら、桜子は思わず声を漏らした。
店の奥では、カメラマンとアシスタントらしき人たちが、小さな声で打ち合わせをしている。
「そりゃそうだろ」
勇一が、スケッチブックを小脇に抱えたまま笑う。
「商店街の目玉企画なんだから。
へたなスマホ写真で済ませたら、逆に怒られるよ」
「怒るの、誰ですか」
「たぶん、八百屋のおばちゃんあたり」
「ありえる」
実記がノートパソコンを開きながら相槌を打つ。
今日の午後、「手のひらシンデレラ」のポスター撮影が行われる。
商店街全体のグルメ企画の中で、みつよ食堂の紹介を担う一枚だ。
皿はすでに決まった。
あとは、その皿の隣に立つ「人」の姿を決めるだけだ。
「で、本当にそれ着るの?」
実記の視線が、椅子の背に掛けられた紙袋に向く。
「一応……」
桜子は、紙袋の口を少しだけ開いた。
中には、街のデパートで買ったばかりのワンピースと、薄いベージュのハイヒールが入っている。
きちんと感のある膝丈のワンピースに、細いストラップの付いた靴。
鏡の前で合わせたとき、店員に「とてもお似合いですよ」と言われた。
「ポスターに写るなら、ちゃんとしたほうがいいかなって」
「“ちゃんとした”ねえ」
勇一が、どこか意味ありげに笑う。
「まあ、今日くらいはシンデレラもガラスの靴、履いてみる? みたいな」
「ガラスじゃないです。
合皮です」
「そこはノリで乗っかっておきなよ」
からかう声に、桜子は苦笑しながらも、心のどこかで落ち着かなかった。
厨房のほうから、鍋の蓋がかすかに鳴る音がする。
包帯の上からビニール手袋をつけた琉叶は、いつものように出汁の味を確かめ、まな板の前に立っていた。
切り傷はまだ完全にはふさがっていない。
けれど、利き手をうまくかばいながら、仕事の手を止めることはなかった。
「琉叶さん」
「はい」
声をかけると、琉叶が振り向いた。
「今日のポスター……やっぱり、私なんですよね」
「はい。
“この皿を一緒に考えた人”を写したいって、商店街側も言ってましたから」
「変じゃないですか。
もっと、見栄えのいい人のほうが……」
「少なくとも、僕は変だと思ってません」
即答された。
それが、逆に照れくさい。
「服、着替えるとこ、裏使っていいですよ」
「ありがとうございます」
頭を下げてから、桜子は紙袋を抱え、奥の小さな更衣スペースに入った。
*
姿見の前で、ワンピースのファスナーを上げる。
いつもジーンズかパンツスタイルばかりの自分には、ひざ丈の裾が妙に落ち着かない。
髪をひとつにまとめ、軽くメイクを整えると、鏡の中に、どこにでもいそうな「きちんとした女性」が映った。
「……悪くない、はず」
最後に、ハイヒールのストラップを足首にかける。
細いヒールが床にコツンと音を立て、右足と左足の高さが、普段より少しだけ高くなる。
立ち上がった瞬間、足首がふわりと不安定になった。
店員の前では「歩きやすいです」と笑って見せたけれど、実際は、緊張で足の裏が固まっていたのかもしれない。
それでも、「ポスター」という言葉を思い出すと、引き返しづらかった。
商店街の人たちに見られる。
会社の人に見られるかもしれない。
凌に「いいじゃん」と言われるような姿で写っておきたい――そんな気持ちが、まだどこかに残っていた。
「よし」
自分に言い聞かせるように小さく呟き、桜子はゆっくりと扉を開けた。
*
「わ、お姉さん感出てきた」
カウンター席の勇一が、真っ先に反応した。
「これはこれでアリだな」
「うん、普通に似合う」
実記も、素直にうなずく。
「ただ……」
「ただ?」
「床、気をつけてね。
うち、ところどころ段差あるから」
言われて初めて、桜子は足元に意識を向けた。
厨房との境目の小さな段差、テーブルとカウンターの間の狭い通路。
普段はスニーカーで何度も行き来している場所が、今は別の世界のように見える。
「大丈夫です。
気をつけます」
そう言いながら、一歩踏み出した瞬間だった。
細いヒールが、床のわずかな溝に引っかかった。
身体がぐらりと前に傾く。
視界の端で、テーブルの角が迫ってきた。
「危ない」
腕を引かれる感覚と同時に、胸の前に固いものが当たった。
次の瞬間には、桜子の身体は、琉叶の胸元に預けられていた。
包帯の上から伸ばされた手が、しっかりと桜子の肘を支えている。
もう片方の手は、いつものようにエプロンの紐を握っていた。
「すみません!」
慌てて身を離そうとすると、逆に、支えている手の力が少し強くなる。
「動かないでください。
ヒール、抜けてません」
下を見ると、片足のかかとだけが床に残り、つま先のほうはまだ溝にはまり込んでいた。
「……なんで、こういうときに限って」
情けなくなって、思わず笑いがこみ上げる。
「ほんとですよ」
琉叶も、苦笑混じりにため息をついた。
「うち、ガラスの床じゃなくてよかったですね」
「割れてますね」
「間違いなく」
二人のやりとりに、周りから安堵混じりの笑いが起こる。
その中で、ただ一人、腕組みをしていた美津代が、ゆっくりと近づいてきた。
「はい、ストップ」
その声には、いつものように柔らかさと厳しさが半分ずつ混ざっている。
「あんた、その靴、今日一日履くつもりだったの」
「えっと……一応、そのつもりで」
「うちの床、そんなに優しくないよ」
美津代は、桜子の足元を見下ろし、軽くため息をついた。
「それじゃ、あんたの足も床も、両方傷つく」
言葉に、どきりとする。
つい最近まで、「ちゃんとした場所」に合わせるために、自分の足をぎゅうぎゅうに靴に押し込んでいたことを思い出した。
誰かの基準に合うように、丈や色や高さを決めていたことも。
「うちのシンデレラはね」
美津代は、カウンターの下を探り、いつもの白いスニーカーを取り出した。
「白い靴下でいいんだよ。
走れる靴、踏ん張れる靴。
皿が落ちそうになったら、とっさに飛び出せる靴」
「でも、ポスター……」
「ポスターに、“この店は背伸びしないでいい場所です”って写せるなら、そのほうがよっぽどいい」
その言葉が、胸の奥にゆっくりと沈んでいく。
背伸びして届く景色もある。
けれど、腰を落として立てる場所のほうが、長くいられる。
「履き替えておいで」
「……はい」
桜子は、ハイヒールのストラップを外し、ゆっくりと足を抜いた。
細いヒールが床から離れると、途端に身体の重心が元の位置に戻る。
白い靴下のまま裏に下がり、いつものスニーカーに足を滑り込ませた。
靴ひもをぎゅっと結ぶと、足の裏が安心したように床を捉える。
鏡を見ると、ワンピースにスニーカーという、少しちぐはぐな組み合わせの自分が映っていた。
でも、そのちぐはぐさが、どこか「自分らしい」とも思えた。
*
撮影の時間になり、店内の照明が少しだけ調整された。
カウンターの上には、「手のひらシンデレラ」の皿が、いつもより少しだけ胸を張った顔で置かれている。
その隣に、エプロン姿の桜子が立つ。
「足元、もうちょっとこちらに」
カメラマンが指示を出す。
白いスニーカーが、床の木目の上をすべる。
ハイヒールなら怖かった一歩が、今は不思議なほど軽い。
「そうそう。
その感じで、皿のほうに少し体を傾けてください」
カメラマンの声に合わせて、桜子は皿を見下ろした。
グラスと小鉢たちが、「ここに立ってていいよ」と言ってくれているように見える。
その横で、琉叶が「手」を皿の端にそっと添えた。
包帯は外れ、まだ薄く赤みの残る指先。
それでも、皿を支える角度は、いつものように丁寧だ。
「すみません」
カメラマンが、琉叶のほうを見て首をかしげる。
「その指先、隠さなくて大丈夫ですか。
気になるようなら、写らない角度にしますけど」
「いえ。
大丈夫です」
琉叶は、少し考えてから答えた。
「それも含めて、うちの皿なので」
そのやりとりを聞いていた美津代が、ふっと笑う。
「そうそう。
うちは“きれいなとこだけ見てください”なんて店じゃないよ」
「じゃあ、そのままいきますね」
カメラマンがシャッターを構えた。
「はい、じゃあ、何枚かいきまーす。
まずは真面目な顔で。
次は、少しだけ笑って」
シャッター音が、小気味よく店内に響く。
桜子は、皿と、自分の足元と、包帯の痕が残る「手」を順番に意識した。
ここに立つと決めた自分。
この皿を一緒に作った「手」。
そのどちらも、きれいごとだけではいられない。
「最後に一枚。
足元だけ、撮らせてもらっていいですか」
カメラマンがそう言って、レンズの角度を変えた。
ファインダー越しに見えるのは、ワンピースの裾と、白い靴下に包まれた足首、そしてスニーカーのつま先だけ。
「コンセプトカットですか?」
実記が、興味津々で尋ねる。
「ええ。
“身近なシンデレラ”ってテーマでいくなら、こういうのもありかなって」
「身近なシンデレラ」
その言葉を聞いた瞬間、桜子の胸に、じんわりと温かいものが広がった。
誰かに選ばれるお姫さまじゃない。
自分の足で、厨房と客席の間を行ったり来たりするシンデレラ。
ガラスの靴じゃなくて、白い靴下とスニーカーで十分だ。
*
撮影がひと段落すると、カメラマンがノートパソコンを開き、撮ったばかりの写真を何枚か見せてくれた。
画面の中には、見慣れたはずの自分が、少しだけ知らない顔で立っている。
皿の隣で笑っている写真。
真剣な顔で皿を見つめている写真。
そして、足元だけの一枚。
「これ、いいですね」
雄之が、画面を覗き込みながら言った。
「ワンピースとスニーカーってところが、すごく“らしい”」
「“らしい”ってなんですか」
「背伸びしてないけど、手を抜いてない感じ」
勇一が、いつもの調子で言葉を挟む。
「“今日くらい、自分の手で選んでいい”ってコピーと並べたら、かなり強いよ」
「それ、ポスターの文字に使うやつですよね」
「予定です」
実記がキーボードを叩きながら笑う。
画面の隅には、包帯の痕がうっすら残る琉叶の指先も写っていた。
完璧ではないけれど、確かにそこにある「手」。
「……変じゃないですか」
思わず尋ねると、カメラマンは首を振った。
「むしろ、いいと思いますよ。
お客さんだって、完璧な店より、“ここで働いてる人の息づかい”が見えたほうが安心するんじゃないですか」
その言葉に、桜子は小さく笑った。
「じゃあ、このポスター、私の足元ごと、ちゃんと世に出してあげてください」
「もちろん」
カメラマンが、力強くうなずく。
撮影隊が機材を片づけ、店内がいつもの静けさを取り戻すころには、もう夕方近くになっていた。
アーケードの外の光が少し傾き、ガラス戸に映る自分の姿が、昼とは違う表情をしている。
白い靴下とスニーカーのつま先が、床の木目をしっかりと捉えていた。
その足元から、厨房の音と客席のざわめきが、じんわりと身体の中に染み込んでいく。
(ここが、私の立つ場所だ)
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