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第二十六章「熊谷市 〜涼風の扇と太鼓の記憶〜」
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熊谷うちわ祭りが近づいていた。けれど、その気配は町からすっかり消えていた。七月に入っても猛暑は衰えず、日中のアスファルトからは容赦ない陽炎が立ち上っている。例年ならこの時期、祭りの準備に町全体が熱を帯びていたはずだった。だが、今年の熊谷は違っていた。
「……涼しくなんねぇなぁ、今年は特に」
貫太は額の汗を拭いながら、八木原地区の交差点を見渡した。屋台の骨組みは並び始めているものの、人の姿はまばらで、空気の重さに誰もが黙り込んでいる。
「“涼風の扇”が……なくなったんだって」
隣でかき氷をつついていたしおりが、ぽつりと言った。目元に浮かんだ汗を気にしながら、どこか遠くを見つめている。
「どういう意味だよ、それ。なんだよ、“扇”って」
「文字通り、涼風を呼ぶ扇子。毎年、うちわ祭りのときに使われる“アラカワ・カムイ”への捧げ物。……でも、それが盗まれたって噂」
貫太は目を細め、遠くにそびえる妻沼聖天山の屋根を見た。うだるような暑さの中、神殿の屋根瓦がぼんやりと白く光っていた。
「風がない……空気が死んでる感じがする」
「そう。あの扇子が、風の通り道を作ってくれてたの。人混みの中でも、突然ふっと涼しくなる瞬間があったでしょ?」
「……あれが、神の力だったのか」
しおりはかき氷を置き、立ち上がった。
「和貴のゼリーフライ屋台に行こう。さっき、彼が“祭り唄に手がかりがある”って言ってた」
「ゼリーフライに手がかりってのも、すげぇ話だな」
貫太は軽く笑ったが、口元には微かな焦りがにじんでいた。このままでは、熊谷の祭りそのものが“灼熱”という皮肉な象徴になってしまう。誰もが熱中症に怯えて家にこもり、町に活気が戻ることはないだろう。だからこそ、“扇”を取り戻さなければならなかった。
荒川沿いの道を歩く。照り返しが強く、靴底から焼けるような熱が伝わってくる。
やがて和貴の屋台が見えた。白い前掛けをした和貴は、鉄板の前でゼリーフライを揚げていた。里芋とおからを練って揚げたそれは、サクッと音を立てながら油の中に沈んでいく。
「おう、来たか」
和貴は手を止めずに言った。
「“涼風の扇”、見つけたって話は聞いてない。でも、“うちわ祭り唄”の二番に、不自然に欠けてる節がある。そこに“扇の名”があったはずなんだ」
「唄が鍵ってことか?」
「それだけじゃねぇ。“涼風を呼ぶ節回し”があるって、琴音が言ってた。河川敷の東屋で練習してるはずだ」
「じゃあ、そこに行けば……」
「ちょっと待て。その前に、腹に風を入れてけ」
和貴は笑いながら、揚げたてのゼリーフライを二人に差し出した。アツアツのそれを受け取ると、口の中にほろりとした甘みと香ばしさが広がった。
「……なんだこれ、うめぇな」
「この暑さで揚げ物って正気じゃないけど……癖になる」
しおりもつぶやいた。
「それが、熊谷だ。“火の中に風を呼ぶ”ってのが、俺たちの祭りなんだよ」
貫太はゼリーフライを頬張りながら、ふっと笑った。
「よし、じゃあ風を探しに行こうぜ。火の中でも、風は吹くってことを、見せてやろう」
彼らは再び歩き出した。次なる目的地――荒川河川敷の東屋。その先に、“涼風の扇”を取り戻すための旋律が待っている。
荒川の河川敷に差しかかると、照り返す陽光の白さがいっそう強くなった。遠くの地平線がかすんで見え、川のせせらぎさえ熱気に包まれているように思える。だが、その中でも、一本だけ風が吹き抜けていた。人が通らないような茂みの先にある東屋。そこには、扇風機の代わりに、誰かの唄が響いていた。
「はぁ~ 太鼓と鉦(かね)で 祭りをあげりゃ~……」
遠くから聞こえてくるその旋律に、貫太としおりは無言で歩を早めた。東屋の柱に寄りかかって唄っていたのは琴音だった。汗に濡れた前髪を手拭いでまとめ、着慣れた白の浴衣に、紅の帯が鮮やかに揺れていた。
「来たんだね」
琴音は二人に気づくと、唄を止めて静かに頷いた。
「“涼風を呼ぶ節回し”、少しずつ思い出してる。子どもの頃、うちの祖母が唄ってた。うちわ祭りの夜、扇を捧げる前にだけ唄うやつ」
「それ……ちゃんと覚えてるのか?」
貫太が息を飲んで尋ねると、琴音は小さく笑った。
「ううん、完全じゃない。でも……風が教えてくれる。唄ってると、少しずつ思い出すの。今も……吹いてきたでしょ?」
三人の間に、ふいに涼しい風が通り抜けた。体を包んでいた熱気がわずかに引いて、視界の先に、川面を渡る白い帯のような風の道が見える。
「風が、答えてる……」
しおりは無意識に口にした。
「旋律が扇を呼ぶんじゃない。扇が旋律を求めてるの。“涼風の扇”は、音に反応する道具なんだよ」
「だったら、扇がある場所でその旋律を唄えば、出てくるってことか?」
「……うん、たぶん」
琴音は少しだけうつむきながらも、はっきりと頷いた。
「じゃあ、妻沼聖天山だな」
貫太の言葉に、三人は顔を見合わせる。
「祭り唄の最終節、“神に扇を返す”って詠まれてる。つまり、扇は最終的に妻沼の神前に戻されるって意味だろ?」
「それ、現地で試すしかないね」
しおりが表情を引き締めた。
「ただ、あそこには“アラカワ・カムイ”がいる。願いが不純なら、試される」
「……試されるのは、悪くない」
貫太は空を見上げた。
「それでも、戻ってきてほしい。俺は、ただ、あの涼しい風の中で、みんなで笑って太鼓叩きてぇだけなんだよ」
熊谷のうちわ祭りは、熱の祭りだ。太鼓と鉦が鳴り響く中、うちわを掲げて練り歩く。それはただのイベントではない。猛暑の中、町の人々が心をひとつにして汗をかき、笑い、叫ぶことで、“熱”と“風”のバランスを取ってきた。神に頼るのではなく、神と共に在ること。それが祭りの本質だった。
「じゃあ、行こうか」
琴音が唄の帳面を懐にしまい、ふっと笑った。
「準備はできてるよ。涼風の調べ、もう一度、三人で唄おう」
東屋を後にし、妻沼聖天山へと向かう道のりは、熱く、遠かった。だが、不思議と汗はそれほど気にならなかった。三人の間には、確かに風が吹いていたからだ。
そして、遠く聖天山の屋根が見えたとき、貫太の胸に小さな震えが走った。
何かが、そこにいる。待っている。
次は、試される番だった。
妻沼聖天山の山門をくぐったとたん、三人は思わず足を止めた。境内に足を踏み入れた瞬間、空気の温度が確かに変わったのだ。熊谷の灼熱は続いているはずなのに、ここだけはまるで異なる“層”に包まれているかのような、澄み切った冷気が肌にすっと触れてくる。
「……ここだ」
貫太が呟いた。静寂の中に、太鼓と鉦の音がわずかに響いているような錯覚があった。音ではなく“記憶”なのかもしれない。ここは“涼風の扇”が納められ、神へと返される神域。
拝殿の正面、広がる玉砂利の奥には、小さな祠がひっそりと建っていた。注連縄が張られ、扇の形を模した石碑が半ば埋もれるように据えられている。
「琴音……唄、頼む」
しおりが祠の前で手を合わせ、ゆっくりと一歩下がる。貫太もその隣に並んで膝をついた。
琴音は息を整え、目を閉じてから、ゆっくりと旋律を奏ではじめた。
「うちわふりふり あらかわの風~……」
唄声は風と混ざり合い、神域を包む空気を振るわせた。旋律が進むたびに、拝殿の柱がかすかに軋みを上げ、石碑に刻まれた扇の紋様が淡い光を帯びていく。
「願いを、乗せて」
貫太は両掌を合わせた。
「町が、笑顔でいられるように。熱の中でも、みんなが“楽しかった”って思えるように」
「風が……動いてる」
しおりの声がかすれた。
そのときだった。拝殿の奥に、ふわりと姿を現した存在があった。
淡い紫をまとった風の渦。その中心から、一本の芋の蔓が伸び、風の中にひときわ大きな目玉がふたつ、くるりと回る。
「……イモタベ・カムイ」
風のカムイ。熊谷の祭りを見守り続ける“芋の神”。けれどその姿はどこか楽しげで、子どもが風車で遊んでいるような無邪気さがあった。
「ふむ、唄、なかなかじゃのぅ」
声が届いたのか届いていないのか曖昧な距離感で、神は風のように笑った。
「だが、そなたらの願い、真なるものか。我が“熱”の中を越えてきたか、試してくれようぞ」
その言葉と同時に、境内の空気が一変した。太陽が真上に昇ったかのような光が射し、突如として熱気が押し寄せてきた。風が止まる。息が詰まる。
「くっ……!」
貫太が歯を食いしばる。背中から汗が噴き出すように流れる。
「まだ……唄って!」
琴音が叫んだ。唇は乾いていたが、旋律は止めなかった。声が裏返っても、喉が焼けても、止めなかった。
しおりが震える膝で立ち上がり、扇の石碑に向かって叫ぶ。
「風は、ある! たとえ焼けるような夏でも、誰かのうちわ一振りで、あたしらは笑えた! それが熊谷の風だべぇ!!」
石碑が光を帯びた。芋の蔓が揺れる。カムイの瞳がくるりと一度、彼女たちを見た。
「……面白き娘たちよ。その心、涼風のごとし」
そして、突然――
「ふおおおおおおぉっ!!」
嵐のような風が、神殿全体を包み込んだ。砂利が舞い、木々がざわめき、どこからか太鼓の音が一斉に響き渡る。
その中心で、祠の前に置かれた石碑が割れ、ひとつの扇がふわりと宙に浮かび上がった。白木で作られ、芋の葉の絵が描かれたそれは、確かに“涼風の扇”だった。
貫太はその扇を両手で受け止めた。
手に取った瞬間、扇の表面が光に包まれ、芋の葉の模様が金色に変わる。
やがて扇は、芋の形をした淡い光の結晶へと変わって、彼の掌にすっぽりと収まった。
「これは……」
「熊谷の輝きだね」
しおりが微笑んだ。
「ようやく……涼しい風、戻ってきた」
琴音の言葉とともに、拝殿の奥から太鼓の音がもう一度、町へと響き渡った。
【アイテム:熊谷市の輝】入手
「……涼しくなんねぇなぁ、今年は特に」
貫太は額の汗を拭いながら、八木原地区の交差点を見渡した。屋台の骨組みは並び始めているものの、人の姿はまばらで、空気の重さに誰もが黙り込んでいる。
「“涼風の扇”が……なくなったんだって」
隣でかき氷をつついていたしおりが、ぽつりと言った。目元に浮かんだ汗を気にしながら、どこか遠くを見つめている。
「どういう意味だよ、それ。なんだよ、“扇”って」
「文字通り、涼風を呼ぶ扇子。毎年、うちわ祭りのときに使われる“アラカワ・カムイ”への捧げ物。……でも、それが盗まれたって噂」
貫太は目を細め、遠くにそびえる妻沼聖天山の屋根を見た。うだるような暑さの中、神殿の屋根瓦がぼんやりと白く光っていた。
「風がない……空気が死んでる感じがする」
「そう。あの扇子が、風の通り道を作ってくれてたの。人混みの中でも、突然ふっと涼しくなる瞬間があったでしょ?」
「……あれが、神の力だったのか」
しおりはかき氷を置き、立ち上がった。
「和貴のゼリーフライ屋台に行こう。さっき、彼が“祭り唄に手がかりがある”って言ってた」
「ゼリーフライに手がかりってのも、すげぇ話だな」
貫太は軽く笑ったが、口元には微かな焦りがにじんでいた。このままでは、熊谷の祭りそのものが“灼熱”という皮肉な象徴になってしまう。誰もが熱中症に怯えて家にこもり、町に活気が戻ることはないだろう。だからこそ、“扇”を取り戻さなければならなかった。
荒川沿いの道を歩く。照り返しが強く、靴底から焼けるような熱が伝わってくる。
やがて和貴の屋台が見えた。白い前掛けをした和貴は、鉄板の前でゼリーフライを揚げていた。里芋とおからを練って揚げたそれは、サクッと音を立てながら油の中に沈んでいく。
「おう、来たか」
和貴は手を止めずに言った。
「“涼風の扇”、見つけたって話は聞いてない。でも、“うちわ祭り唄”の二番に、不自然に欠けてる節がある。そこに“扇の名”があったはずなんだ」
「唄が鍵ってことか?」
「それだけじゃねぇ。“涼風を呼ぶ節回し”があるって、琴音が言ってた。河川敷の東屋で練習してるはずだ」
「じゃあ、そこに行けば……」
「ちょっと待て。その前に、腹に風を入れてけ」
和貴は笑いながら、揚げたてのゼリーフライを二人に差し出した。アツアツのそれを受け取ると、口の中にほろりとした甘みと香ばしさが広がった。
「……なんだこれ、うめぇな」
「この暑さで揚げ物って正気じゃないけど……癖になる」
しおりもつぶやいた。
「それが、熊谷だ。“火の中に風を呼ぶ”ってのが、俺たちの祭りなんだよ」
貫太はゼリーフライを頬張りながら、ふっと笑った。
「よし、じゃあ風を探しに行こうぜ。火の中でも、風は吹くってことを、見せてやろう」
彼らは再び歩き出した。次なる目的地――荒川河川敷の東屋。その先に、“涼風の扇”を取り戻すための旋律が待っている。
荒川の河川敷に差しかかると、照り返す陽光の白さがいっそう強くなった。遠くの地平線がかすんで見え、川のせせらぎさえ熱気に包まれているように思える。だが、その中でも、一本だけ風が吹き抜けていた。人が通らないような茂みの先にある東屋。そこには、扇風機の代わりに、誰かの唄が響いていた。
「はぁ~ 太鼓と鉦(かね)で 祭りをあげりゃ~……」
遠くから聞こえてくるその旋律に、貫太としおりは無言で歩を早めた。東屋の柱に寄りかかって唄っていたのは琴音だった。汗に濡れた前髪を手拭いでまとめ、着慣れた白の浴衣に、紅の帯が鮮やかに揺れていた。
「来たんだね」
琴音は二人に気づくと、唄を止めて静かに頷いた。
「“涼風を呼ぶ節回し”、少しずつ思い出してる。子どもの頃、うちの祖母が唄ってた。うちわ祭りの夜、扇を捧げる前にだけ唄うやつ」
「それ……ちゃんと覚えてるのか?」
貫太が息を飲んで尋ねると、琴音は小さく笑った。
「ううん、完全じゃない。でも……風が教えてくれる。唄ってると、少しずつ思い出すの。今も……吹いてきたでしょ?」
三人の間に、ふいに涼しい風が通り抜けた。体を包んでいた熱気がわずかに引いて、視界の先に、川面を渡る白い帯のような風の道が見える。
「風が、答えてる……」
しおりは無意識に口にした。
「旋律が扇を呼ぶんじゃない。扇が旋律を求めてるの。“涼風の扇”は、音に反応する道具なんだよ」
「だったら、扇がある場所でその旋律を唄えば、出てくるってことか?」
「……うん、たぶん」
琴音は少しだけうつむきながらも、はっきりと頷いた。
「じゃあ、妻沼聖天山だな」
貫太の言葉に、三人は顔を見合わせる。
「祭り唄の最終節、“神に扇を返す”って詠まれてる。つまり、扇は最終的に妻沼の神前に戻されるって意味だろ?」
「それ、現地で試すしかないね」
しおりが表情を引き締めた。
「ただ、あそこには“アラカワ・カムイ”がいる。願いが不純なら、試される」
「……試されるのは、悪くない」
貫太は空を見上げた。
「それでも、戻ってきてほしい。俺は、ただ、あの涼しい風の中で、みんなで笑って太鼓叩きてぇだけなんだよ」
熊谷のうちわ祭りは、熱の祭りだ。太鼓と鉦が鳴り響く中、うちわを掲げて練り歩く。それはただのイベントではない。猛暑の中、町の人々が心をひとつにして汗をかき、笑い、叫ぶことで、“熱”と“風”のバランスを取ってきた。神に頼るのではなく、神と共に在ること。それが祭りの本質だった。
「じゃあ、行こうか」
琴音が唄の帳面を懐にしまい、ふっと笑った。
「準備はできてるよ。涼風の調べ、もう一度、三人で唄おう」
東屋を後にし、妻沼聖天山へと向かう道のりは、熱く、遠かった。だが、不思議と汗はそれほど気にならなかった。三人の間には、確かに風が吹いていたからだ。
そして、遠く聖天山の屋根が見えたとき、貫太の胸に小さな震えが走った。
何かが、そこにいる。待っている。
次は、試される番だった。
妻沼聖天山の山門をくぐったとたん、三人は思わず足を止めた。境内に足を踏み入れた瞬間、空気の温度が確かに変わったのだ。熊谷の灼熱は続いているはずなのに、ここだけはまるで異なる“層”に包まれているかのような、澄み切った冷気が肌にすっと触れてくる。
「……ここだ」
貫太が呟いた。静寂の中に、太鼓と鉦の音がわずかに響いているような錯覚があった。音ではなく“記憶”なのかもしれない。ここは“涼風の扇”が納められ、神へと返される神域。
拝殿の正面、広がる玉砂利の奥には、小さな祠がひっそりと建っていた。注連縄が張られ、扇の形を模した石碑が半ば埋もれるように据えられている。
「琴音……唄、頼む」
しおりが祠の前で手を合わせ、ゆっくりと一歩下がる。貫太もその隣に並んで膝をついた。
琴音は息を整え、目を閉じてから、ゆっくりと旋律を奏ではじめた。
「うちわふりふり あらかわの風~……」
唄声は風と混ざり合い、神域を包む空気を振るわせた。旋律が進むたびに、拝殿の柱がかすかに軋みを上げ、石碑に刻まれた扇の紋様が淡い光を帯びていく。
「願いを、乗せて」
貫太は両掌を合わせた。
「町が、笑顔でいられるように。熱の中でも、みんなが“楽しかった”って思えるように」
「風が……動いてる」
しおりの声がかすれた。
そのときだった。拝殿の奥に、ふわりと姿を現した存在があった。
淡い紫をまとった風の渦。その中心から、一本の芋の蔓が伸び、風の中にひときわ大きな目玉がふたつ、くるりと回る。
「……イモタベ・カムイ」
風のカムイ。熊谷の祭りを見守り続ける“芋の神”。けれどその姿はどこか楽しげで、子どもが風車で遊んでいるような無邪気さがあった。
「ふむ、唄、なかなかじゃのぅ」
声が届いたのか届いていないのか曖昧な距離感で、神は風のように笑った。
「だが、そなたらの願い、真なるものか。我が“熱”の中を越えてきたか、試してくれようぞ」
その言葉と同時に、境内の空気が一変した。太陽が真上に昇ったかのような光が射し、突如として熱気が押し寄せてきた。風が止まる。息が詰まる。
「くっ……!」
貫太が歯を食いしばる。背中から汗が噴き出すように流れる。
「まだ……唄って!」
琴音が叫んだ。唇は乾いていたが、旋律は止めなかった。声が裏返っても、喉が焼けても、止めなかった。
しおりが震える膝で立ち上がり、扇の石碑に向かって叫ぶ。
「風は、ある! たとえ焼けるような夏でも、誰かのうちわ一振りで、あたしらは笑えた! それが熊谷の風だべぇ!!」
石碑が光を帯びた。芋の蔓が揺れる。カムイの瞳がくるりと一度、彼女たちを見た。
「……面白き娘たちよ。その心、涼風のごとし」
そして、突然――
「ふおおおおおおぉっ!!」
嵐のような風が、神殿全体を包み込んだ。砂利が舞い、木々がざわめき、どこからか太鼓の音が一斉に響き渡る。
その中心で、祠の前に置かれた石碑が割れ、ひとつの扇がふわりと宙に浮かび上がった。白木で作られ、芋の葉の絵が描かれたそれは、確かに“涼風の扇”だった。
貫太はその扇を両手で受け止めた。
手に取った瞬間、扇の表面が光に包まれ、芋の葉の模様が金色に変わる。
やがて扇は、芋の形をした淡い光の結晶へと変わって、彼の掌にすっぽりと収まった。
「これは……」
「熊谷の輝きだね」
しおりが微笑んだ。
「ようやく……涼しい風、戻ってきた」
琴音の言葉とともに、拝殿の奥から太鼓の音がもう一度、町へと響き渡った。
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