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第20話 閉店後の「反省会」
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月末の夜、紙月堂のシャッターは、床から手のひら二枚分だけ持ち上がっていた。
外からの風は入るけれど、人が腰をかがめないと通れない高さ。店の前を通る人がいたら、「あ、今日もう閉めたのかな」と思うくらいの中途半端さだ。
「こうして見ると、秘密基地感ありますねえ」
シャッターの隙間から中に滑り込んできた靖治が、きょろきょろと店内を見回した。
照明は半分だけ。カウンターの前には、いつもの四角いテーブルではなく、丸い小さめのテーブルが一つ置かれている。その周りに、椅子がぎゅうぎゅうと寄せられていた。
「秘密基地っていうか、月末恒例、在庫と数字の確認会だ」
悠之介は、カウンターの奥からノートを二冊と、分厚いファイルを持ってきた。
ノートの表紙には、それぞれ「売上」「ひと息メモ」と手書きで書かれている。ファイルには、今月分のレシートと、昼の「今日のここまでメモ」のコピーがぎっしり挟まっていた。
「はいはい、始めますよー」
その横から、臣全がひょいと顔を出した。
手には、小さいホワイトボードとマーカー三本。すでにテンションは高めだ。
「本日の議題は三本立て! 『今月の数字』『やってよかったこと』『来月試したいこと』! 拍手!」
「会議じゃないんだから、拍手の強制はやめて」
紗菜が苦笑しながらも、いちおう軽く手を叩いた。亜友も、はにかんだ笑顔で指先だけ拍手を重ねる。
「咲亜矢さん、間に合うかな」
靖治が入口の方を振り向いたちょうどそのとき、シャッターの隙間から、紙袋を抱えた影がにじり入ってきた。
「遅れてすみません。データ入稿が、思ったより長引いて」
咲亜矢が、右手首をかばうように紙袋をテーブルの上に置いた。
中から出てきたのは、小さな紙箱がいくつも。ふたを開けると、一口サイズのサンドイッチが色とりどりに並んでいた。
「おお、今日の『反省会セット』」
臣全の目が輝く。
「紙月堂だけで食べ物を用意すると、どうしても甘い方に寄るので。今日は中身しょっぱい系でまとめてみました」
「さすが、『手首の在庫』を守るデザイナーだ」
紗菜が笑う。
「食べ始める前に、先に話を始めようか」
悠之介は、丸テーブルの中心にノートを重ねた。
全員が座ると、テーブルの上は一気に狭くなる。ノートと箱とマグカップと、亜友が持ってきた小さなポット。そのすき間に、臣全のホワイトボードが立てかけられた。
「じゃあまず、『今月の数字』から」
臣全が、わざとらしく咳払いをする。
「えー、紙月堂の今月の来客数、ざっくりですけど、先月よりおよそ一割増でございまーす!」
「声、大きい」
悠之介が、すぐさまツッコミを入れる。
「外に聞こえたら恥ずかしいだろ」
「いやいや、いいことなんだから、商店街中に響かせても」
「数字だけ響かせるのは、なんか違う気がするなあ」
紗菜が、ホワイトボードの端に小さく「+10%」と書き込んだ。
「でも、増えてるのはうれしいね」
亜友が、湯呑みを両手で包みながら微笑む。
「昼の『ひと息セット』、よく出てましたよね」
「はい。レシート見た感じ、特に水曜日が多いです」
悠之介が、「売上」のノートをめくる。
「Aビルの人たちの会議が、水曜の午後に固まってるって話、ありましたよね」
「あー、それ、貼り紙、あっちのビルの給湯室にも一枚増やしたからかもしれません」
臣全が、どこか誇らしげに胸を張る。
「『会議の前に、ひと息いかがですか』って」
「それ以上増やそうとしないでね」
紗菜が、釘を刺すのを忘れない。
「ランチタイムは、これ以上波を大きくすると、レジの中で誰かが溺れるから」
「溺れるレジって何」
靖治が、小さく笑いながらも、どこか他人事ではない表情を浮かべた。
「じゃあ、次の数字」
悠之介は、ノートの端をトントンと揃えた。
「夕方の『肩くるくる体操』の日は、その前後で飲み物の注文が少し増えてる」
「やったじゃないですか、臣全さん」
「やりましたねえ!」
臣全が、ガッツポーズを決める。
「でも、体操そのものは、数字に出ない部分の方が大きい気がします」
亜友が、ふと真面目な声で口を開いた。
「今日は、ラジオ体操のあとにうちに寄ってくれたお客さまが、『腕を回しただけなのに、仕事のことをちょっと横に置けた気がする』と言ってくれて」
「それ、すごくうれしい」
紗菜が、小さく頷く。
「数字にしなくてもいいけど、どこかにメモしておきたいね」
「『ひと息メモ』の方に書いておきますか」
悠之介は、もう一冊のノートを開いた。
そこには、「今日のここまでメモ」に書かれていた一言のうち、本人が許可したものだけが抜き書きされている。
『会議で一回は発言する』
『帰る前にデスクを片づける』
『メールをゼロにする前に、コーヒーを一杯飲む』
「このページの端に、『体操のあと、仕事を一回横に置けた』って足しておこう」
ペン先が、ノートの端に小さく文字を刻んでいく。
「で、『やってよかったこと』の話に移りたいんですけど」
紗菜が、ホワイトボードの左側に新しい欄を作った。
「せっかく全員いるから、一人一つずつ挙げてみようか」
「じゃあ俺から!」
臣全が勢いよく手を挙げる。
「今月やってよかったのは、『夕暮れ体操』と、『オフィスビルへのポスター配布』です!」
「二つ言ったな」
即座にツッコミが飛ぶ。
「欲張りは、一回深呼吸してからにしよう」
「じゃあ、『夕暮れ体操』一本に絞ります!」
臣全は、胸に手を当てて言い直した。
「だってあれ、ただの思いつきじゃなくて、ちゃんと続けられそうですし。参加してる人も、だんだん顔ぶれが固定されてきた感じがあります」
「固定、という言い方はどうかと思うけど」
紗菜が笑う。
「でも、分かる。『火曜と木曜は肩を回す日』って、少しずつ習慣になり始めてるのかも」
「じゃあ、僕」
靖治が、控えめに手を挙げた。
「今月やってよかったのは、『シフトの前に時間割を書くやつ』です」
「あー、靖治の在庫表」
「在庫表って言わないでください」
苦笑しながらも、どこか誇らしげだ。
「シフトを減らしたの、最初はちょっと後ろめたかったんですけど。おかげで、テスト期間、誰にも怒られずに済みましたし」
「怒られないためにやったわけじゃないけどね」
悠之介が穏やかに返す。
「でも、無茶しないで済んだなら、それはやってよかったことだ」
「あと、減らしたぶん、ちゃんと『ここで頑張る日』っていうのも決められたので。あれ、来月も続けたいです」
「それ、来月の欄にも書いておこう」
紗菜が、「来月試したいこと」の欄の端に小さく『靖治・シフトの線引き継続』と書き込んだ。
「じゃあ、私」
咲亜矢が、サンドイッチの箱を少し横にずらしながら口を開いた。
「今月やってよかったのは、『ポスターの枚数を決めてから作ったこと』です」
「あー、『手首一本で運べる枚数』」
「その単位、広めないでくださいってば」
咲亜矢は、苦笑しながらも頷く。
「でも、ほんとに。『作れるだけ作る』じゃなくて、『貼りたい場所の数を決めてから作る』っていうやり方にしたら、途中で自分に怒らずに済んだので」
「自分に怒らないの、大事だね」
亜友が、しみじみと言う。
「私も、羊羹の本数を決めるとき、『売れ残ったらどうしよう』って不安になるんですけど。最近は、『今日の分はここまで』って決めてから仕込むようにしてます」
「亜友さんの『ここまで』って、どれくらいなんですか」
靖治が、興味津々で身を乗り出す。
「その日、胸の中で『このくらいなら、最後まで丁寧に切れる』って思える本数、ですかね」
亜友は、少し照れくさそうに笑った。
「それ以上は、明日の自分に残しておきます」
「それ、すごくいいな」
悠之介が、小さく呟く。
「『明日の自分に残す』っていうの、帳簿にも使いたい」
「帳簿、残してました?」
紗菜が、すかさず突っ込む。
「さっきまで、『今日中にここまで』って言いながら、シャッター降ろしてましたけど」
「そこでばらさなくていい」
笑いがテーブルの上に広がる。
「じゃあ最後に、『来月試したいこと』を少しだけ」
紗菜が、ホワイトボードの右側を指さした。
「全部を書き出すんじゃなくて、『まず一つだけ』にしておこう。来月、確実にやるやつ」
「一つだけ、ですか」
臣全が、少し考え込む。
「じゃあ、僕から」
悠之介が、ノートの最後のページをめくった。
そこには、すでにいくつかの箇条書きが書かれている。
『レジ前の「ひと息シート」を、もう少し書きやすくする』
『閉店前の十五分を、「明日の仕込みタイム」に固定する』
『帳簿を、数字だけじゃなくて一言メモ付きにする』
「この中から、一つだけ選ぶなら……」
ペン先が、三つの中の一つをくるりと丸で囲んだ。
『帳簿を、数字だけじゃなくて一言メモ付きにする』
「来月は、これを試したい」
「一言メモ?」
「今日の売上のページの端に、『どんな人がどんな顔で来ていたか』を、一行だけ残しておきたいんだ」
悠之介は、少し照れくさそうに言った。
「数字だけ見てると、増えたか減ったかしか分からないから。でも、今日の『夕暮れ体操のあとに来てくれたスーツの人』みたいに、顔を思い出せるメモがあれば、たぶん続ける理由になると思う」
「それ、いいですね」
亜友が、目を細める。
「うちも、仕込みノートの端に、『今日あった会話』を書いてみようかな」
「じゃあ私の『来月試したいこと』は、それの真似です」
咲亜矢が、すぐに手を挙げた。
「案件ごとのフォルダに、『どんな相談から始まったのか』を一行だけ入れておく。データだけ見てると、つい『締切』しか見えなくなるので」
「真似、大歓迎」
悠之介が笑う。
「じゃあ、俺の来月のやつは……」
靖治が、腕を組んで考え込む。
「『シフト表の端っこに、休みの日の予定も書く』にします」
「予定って?」
「何もしない予定です」
「それ、予定って言うのかな」
「言います!」
きっぱりと言い切ったその顔に、テーブルの全員が吹き出した。
「でも、『何もしない』って書いておかないと、つい入れちゃうんですよ、用事」
「じゃあ、その『何もしない』も、来月の大事な仕事だな」
紗菜が、ホワイトボードの端に小さく『何もしない日を一日』と書き添えた。
丸テーブルの上には、いつの間にかサンドイッチの箱が空になり、マグカップの底にだけ温もりが残っていた。
シャッターの隙間から入ってくる夜風が、ノートの端を少しだけめくる。
「よし」
悠之介が、静かにノートを閉じた。
「今月の『反省会』、ここまでにしよう」
「『ここまで』って便利な言葉ですね」
靖治が、ぽつりと言う。
「終わりって感じもするし、『続きはまた今度』って余白もあるし」
「そうだな」
悠之介は、丸テーブルの真ん中に置かれたホワイトボードを見下ろした。
そこには、「今月やってよかったこと」と「来月試したいこと」が、少ない言葉で並んでいる。
「来月の一枚が、ここに一行ずつ足されていけばいい」
「じゃあ、来月もまた、シャッターを半分だけ下ろして集まりますか」
臣全が、いたずらっぽく笑った。
「そのときも、『数字の発表は声控えめで』でお願いしますね」
紗菜が、最後に念を押す。
月末の紙月堂は、シャッターの隙間から漏れる薄い光の中で、小さな「ここまで」と、少し先の「つづき」の話を、静かに共有していた。
外からの風は入るけれど、人が腰をかがめないと通れない高さ。店の前を通る人がいたら、「あ、今日もう閉めたのかな」と思うくらいの中途半端さだ。
「こうして見ると、秘密基地感ありますねえ」
シャッターの隙間から中に滑り込んできた靖治が、きょろきょろと店内を見回した。
照明は半分だけ。カウンターの前には、いつもの四角いテーブルではなく、丸い小さめのテーブルが一つ置かれている。その周りに、椅子がぎゅうぎゅうと寄せられていた。
「秘密基地っていうか、月末恒例、在庫と数字の確認会だ」
悠之介は、カウンターの奥からノートを二冊と、分厚いファイルを持ってきた。
ノートの表紙には、それぞれ「売上」「ひと息メモ」と手書きで書かれている。ファイルには、今月分のレシートと、昼の「今日のここまでメモ」のコピーがぎっしり挟まっていた。
「はいはい、始めますよー」
その横から、臣全がひょいと顔を出した。
手には、小さいホワイトボードとマーカー三本。すでにテンションは高めだ。
「本日の議題は三本立て! 『今月の数字』『やってよかったこと』『来月試したいこと』! 拍手!」
「会議じゃないんだから、拍手の強制はやめて」
紗菜が苦笑しながらも、いちおう軽く手を叩いた。亜友も、はにかんだ笑顔で指先だけ拍手を重ねる。
「咲亜矢さん、間に合うかな」
靖治が入口の方を振り向いたちょうどそのとき、シャッターの隙間から、紙袋を抱えた影がにじり入ってきた。
「遅れてすみません。データ入稿が、思ったより長引いて」
咲亜矢が、右手首をかばうように紙袋をテーブルの上に置いた。
中から出てきたのは、小さな紙箱がいくつも。ふたを開けると、一口サイズのサンドイッチが色とりどりに並んでいた。
「おお、今日の『反省会セット』」
臣全の目が輝く。
「紙月堂だけで食べ物を用意すると、どうしても甘い方に寄るので。今日は中身しょっぱい系でまとめてみました」
「さすが、『手首の在庫』を守るデザイナーだ」
紗菜が笑う。
「食べ始める前に、先に話を始めようか」
悠之介は、丸テーブルの中心にノートを重ねた。
全員が座ると、テーブルの上は一気に狭くなる。ノートと箱とマグカップと、亜友が持ってきた小さなポット。そのすき間に、臣全のホワイトボードが立てかけられた。
「じゃあまず、『今月の数字』から」
臣全が、わざとらしく咳払いをする。
「えー、紙月堂の今月の来客数、ざっくりですけど、先月よりおよそ一割増でございまーす!」
「声、大きい」
悠之介が、すぐさまツッコミを入れる。
「外に聞こえたら恥ずかしいだろ」
「いやいや、いいことなんだから、商店街中に響かせても」
「数字だけ響かせるのは、なんか違う気がするなあ」
紗菜が、ホワイトボードの端に小さく「+10%」と書き込んだ。
「でも、増えてるのはうれしいね」
亜友が、湯呑みを両手で包みながら微笑む。
「昼の『ひと息セット』、よく出てましたよね」
「はい。レシート見た感じ、特に水曜日が多いです」
悠之介が、「売上」のノートをめくる。
「Aビルの人たちの会議が、水曜の午後に固まってるって話、ありましたよね」
「あー、それ、貼り紙、あっちのビルの給湯室にも一枚増やしたからかもしれません」
臣全が、どこか誇らしげに胸を張る。
「『会議の前に、ひと息いかがですか』って」
「それ以上増やそうとしないでね」
紗菜が、釘を刺すのを忘れない。
「ランチタイムは、これ以上波を大きくすると、レジの中で誰かが溺れるから」
「溺れるレジって何」
靖治が、小さく笑いながらも、どこか他人事ではない表情を浮かべた。
「じゃあ、次の数字」
悠之介は、ノートの端をトントンと揃えた。
「夕方の『肩くるくる体操』の日は、その前後で飲み物の注文が少し増えてる」
「やったじゃないですか、臣全さん」
「やりましたねえ!」
臣全が、ガッツポーズを決める。
「でも、体操そのものは、数字に出ない部分の方が大きい気がします」
亜友が、ふと真面目な声で口を開いた。
「今日は、ラジオ体操のあとにうちに寄ってくれたお客さまが、『腕を回しただけなのに、仕事のことをちょっと横に置けた気がする』と言ってくれて」
「それ、すごくうれしい」
紗菜が、小さく頷く。
「数字にしなくてもいいけど、どこかにメモしておきたいね」
「『ひと息メモ』の方に書いておきますか」
悠之介は、もう一冊のノートを開いた。
そこには、「今日のここまでメモ」に書かれていた一言のうち、本人が許可したものだけが抜き書きされている。
『会議で一回は発言する』
『帰る前にデスクを片づける』
『メールをゼロにする前に、コーヒーを一杯飲む』
「このページの端に、『体操のあと、仕事を一回横に置けた』って足しておこう」
ペン先が、ノートの端に小さく文字を刻んでいく。
「で、『やってよかったこと』の話に移りたいんですけど」
紗菜が、ホワイトボードの左側に新しい欄を作った。
「せっかく全員いるから、一人一つずつ挙げてみようか」
「じゃあ俺から!」
臣全が勢いよく手を挙げる。
「今月やってよかったのは、『夕暮れ体操』と、『オフィスビルへのポスター配布』です!」
「二つ言ったな」
即座にツッコミが飛ぶ。
「欲張りは、一回深呼吸してからにしよう」
「じゃあ、『夕暮れ体操』一本に絞ります!」
臣全は、胸に手を当てて言い直した。
「だってあれ、ただの思いつきじゃなくて、ちゃんと続けられそうですし。参加してる人も、だんだん顔ぶれが固定されてきた感じがあります」
「固定、という言い方はどうかと思うけど」
紗菜が笑う。
「でも、分かる。『火曜と木曜は肩を回す日』って、少しずつ習慣になり始めてるのかも」
「じゃあ、僕」
靖治が、控えめに手を挙げた。
「今月やってよかったのは、『シフトの前に時間割を書くやつ』です」
「あー、靖治の在庫表」
「在庫表って言わないでください」
苦笑しながらも、どこか誇らしげだ。
「シフトを減らしたの、最初はちょっと後ろめたかったんですけど。おかげで、テスト期間、誰にも怒られずに済みましたし」
「怒られないためにやったわけじゃないけどね」
悠之介が穏やかに返す。
「でも、無茶しないで済んだなら、それはやってよかったことだ」
「あと、減らしたぶん、ちゃんと『ここで頑張る日』っていうのも決められたので。あれ、来月も続けたいです」
「それ、来月の欄にも書いておこう」
紗菜が、「来月試したいこと」の欄の端に小さく『靖治・シフトの線引き継続』と書き込んだ。
「じゃあ、私」
咲亜矢が、サンドイッチの箱を少し横にずらしながら口を開いた。
「今月やってよかったのは、『ポスターの枚数を決めてから作ったこと』です」
「あー、『手首一本で運べる枚数』」
「その単位、広めないでくださいってば」
咲亜矢は、苦笑しながらも頷く。
「でも、ほんとに。『作れるだけ作る』じゃなくて、『貼りたい場所の数を決めてから作る』っていうやり方にしたら、途中で自分に怒らずに済んだので」
「自分に怒らないの、大事だね」
亜友が、しみじみと言う。
「私も、羊羹の本数を決めるとき、『売れ残ったらどうしよう』って不安になるんですけど。最近は、『今日の分はここまで』って決めてから仕込むようにしてます」
「亜友さんの『ここまで』って、どれくらいなんですか」
靖治が、興味津々で身を乗り出す。
「その日、胸の中で『このくらいなら、最後まで丁寧に切れる』って思える本数、ですかね」
亜友は、少し照れくさそうに笑った。
「それ以上は、明日の自分に残しておきます」
「それ、すごくいいな」
悠之介が、小さく呟く。
「『明日の自分に残す』っていうの、帳簿にも使いたい」
「帳簿、残してました?」
紗菜が、すかさず突っ込む。
「さっきまで、『今日中にここまで』って言いながら、シャッター降ろしてましたけど」
「そこでばらさなくていい」
笑いがテーブルの上に広がる。
「じゃあ最後に、『来月試したいこと』を少しだけ」
紗菜が、ホワイトボードの右側を指さした。
「全部を書き出すんじゃなくて、『まず一つだけ』にしておこう。来月、確実にやるやつ」
「一つだけ、ですか」
臣全が、少し考え込む。
「じゃあ、僕から」
悠之介が、ノートの最後のページをめくった。
そこには、すでにいくつかの箇条書きが書かれている。
『レジ前の「ひと息シート」を、もう少し書きやすくする』
『閉店前の十五分を、「明日の仕込みタイム」に固定する』
『帳簿を、数字だけじゃなくて一言メモ付きにする』
「この中から、一つだけ選ぶなら……」
ペン先が、三つの中の一つをくるりと丸で囲んだ。
『帳簿を、数字だけじゃなくて一言メモ付きにする』
「来月は、これを試したい」
「一言メモ?」
「今日の売上のページの端に、『どんな人がどんな顔で来ていたか』を、一行だけ残しておきたいんだ」
悠之介は、少し照れくさそうに言った。
「数字だけ見てると、増えたか減ったかしか分からないから。でも、今日の『夕暮れ体操のあとに来てくれたスーツの人』みたいに、顔を思い出せるメモがあれば、たぶん続ける理由になると思う」
「それ、いいですね」
亜友が、目を細める。
「うちも、仕込みノートの端に、『今日あった会話』を書いてみようかな」
「じゃあ私の『来月試したいこと』は、それの真似です」
咲亜矢が、すぐに手を挙げた。
「案件ごとのフォルダに、『どんな相談から始まったのか』を一行だけ入れておく。データだけ見てると、つい『締切』しか見えなくなるので」
「真似、大歓迎」
悠之介が笑う。
「じゃあ、俺の来月のやつは……」
靖治が、腕を組んで考え込む。
「『シフト表の端っこに、休みの日の予定も書く』にします」
「予定って?」
「何もしない予定です」
「それ、予定って言うのかな」
「言います!」
きっぱりと言い切ったその顔に、テーブルの全員が吹き出した。
「でも、『何もしない』って書いておかないと、つい入れちゃうんですよ、用事」
「じゃあ、その『何もしない』も、来月の大事な仕事だな」
紗菜が、ホワイトボードの端に小さく『何もしない日を一日』と書き添えた。
丸テーブルの上には、いつの間にかサンドイッチの箱が空になり、マグカップの底にだけ温もりが残っていた。
シャッターの隙間から入ってくる夜風が、ノートの端を少しだけめくる。
「よし」
悠之介が、静かにノートを閉じた。
「今月の『反省会』、ここまでにしよう」
「『ここまで』って便利な言葉ですね」
靖治が、ぽつりと言う。
「終わりって感じもするし、『続きはまた今度』って余白もあるし」
「そうだな」
悠之介は、丸テーブルの真ん中に置かれたホワイトボードを見下ろした。
そこには、「今月やってよかったこと」と「来月試したいこと」が、少ない言葉で並んでいる。
「来月の一枚が、ここに一行ずつ足されていけばいい」
「じゃあ、来月もまた、シャッターを半分だけ下ろして集まりますか」
臣全が、いたずらっぽく笑った。
「そのときも、『数字の発表は声控えめで』でお願いしますね」
紗菜が、最後に念を押す。
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