鎌倉青春シンフォニー:笑顔の鎧を脱ぎ捨てて、私たちは波を乗りこなす

乾為天女

文字の大きさ
39 / 97

第20章:七里ヶ浜、風と波の間で(00)

しおりを挟む
 白んだ空に、海の輪郭が滲んでいく。
 潮の匂いに混じって、ほんのかすかに汗のにおいがした。夏の早朝、七里ヶ浜。まだ観光客の姿もまばらなその海岸に、三人の影が静かに揃っていた。
「よし、準備体操、済ませたら一本ずついくぞ」
 濡れた砂浜を裸足で踏みしめ、渚は低い声でそう言った。体操着のようなラッシュガードの裾をまくり上げ、腕を振り回すその動作には、どこか軍人じみたきびきびとした厳しさがある。
「うーす……あっつ、やっぱウェットスーツじゃなくて水着で良かったっしょ?」
 隣で背伸びしながら伸びをしていた亮汰が、けらけら笑いながらサーフボードにまたがる。上下揃いのボードショーツ姿が、いかにも“海の男”を気取っているようだった。
「亮汰さん、日焼け止めはもう塗った? この時間でも、UVは容赦ないから」
 やや離れた位置で、サラが口調穏やかに注意を促す。背丈ほどもある白いサーフボードを抱えながら、丁寧に脚をストレッチしていた。
「だいじょぶだいじょぶ、オレ焼けるとこがチャームポイントなんで」
 にっこりと親指を立てる亮汰を、渚は一瞥した。
「……チャームポイントで大会は勝てないぞ」
「う……言うねえ、さすが“波の女王”」
 渚はその言葉には答えず、波打ち際に目をやった。
 この浜は、地元では有名な中級者向けのスポット。台風の前後で波が不安定になりやすく、フォームの基本を見直すには格好のコンディションだ。
「じゃ、サラから。一本目、フォーム確認。亮汰はその間、立ち位置と波の癖を観察しておけ」
「オッケー、行ってきまーす!」
 サラは明るく応じると、軽く砂を払ってボードを抱え、波間へと駆け出した。
 朝の光を跳ね返す海面。小さなうねりが、彼女の足元で優しく崩れていく。水しぶきのなかを器用にパドリングし、ぐい、と波に乗った瞬間――
「うまいな」
 思わず渚が口をついた。
 サラの動きは、流れるように滑らかだった。特にフォームの安定感。背筋が真っ直ぐで、バランスの取り方に余裕がある。
「昨日アマリから『重心移動は下半身から』ってアドバイスもらったらしいぞ」
 亮汰がぽつりと呟いた。
 ふだんなら冗談ばかりの彼にしては、珍しく真面目な声だった。
 やがて波に乗ったサラが、浜辺まで流れるように帰ってきた。濡れた髪を掻き上げながら、渚の前に立つ。
「どう? 上半身、力入りすぎてない?」
「いや、むしろ抜けてていい。肩甲骨まわりが柔らかい分、足元がぶれにくくなってる。フォームを維持する意識、ちゃんと伝わってる」
 渚の分析に、サラは目を細めた。
「わたし、日本の言葉では“ほめられてる”で合ってる?」
「ああ。100点だ。次は亮汰、いけるか?」
「おう、見とけよ。自己流でも波は読めるってとこ、証明してやっから!」
 亮汰は勢いよくボードを持ち、砂浜を蹴って海へと飛び出した。
 彼の動きは確かに速い。脚力もあるし、パドリングの力強さもある。ただ――
「ちょっと勢いだけで突っ込みすぎだな……」
 渚の額に、微かにしわが寄る。
 その言葉の直後だった。
 波のタイミングを早く読みすぎた亮汰が、ボードに立ちかけた瞬間、大きくバランスを崩し――
 派手に転倒した。
 波にさらわれたサーフボードが、ぱしゃりと水を跳ね上げる。
「うっわ、やっちまった……」
 砂浜に戻ってきた亮汰は、髪から滴を垂らしながら、苦笑いで肩を竦めた。
「おかえり、サーファー様。調子は?」
 渚が皮肉混じりに声をかける。
「……正直、ダサかった」
「じゃあ次は、正直なサーフィンをしてみたらどうだ?」
「……!」
 亮汰が息を飲んだ。
 渚の声は淡々としていたが、内にはしっかりとした熱がある。その静かな叱咤に、亮汰の肩がわずかに震えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です

朝陽七彩
恋愛
 私は。 「夕鶴、こっちにおいで」  現役の高校生だけど。 「ずっと夕鶴とこうしていたい」  担任の先生と。 「夕鶴を誰にも渡したくない」  付き合っています。  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  神城夕鶴(かみしろ ゆづる)  軽音楽部の絶対的エース  飛鷹隼理(ひだか しゅんり)  アイドル的存在の超イケメン先生  ♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡  彼の名前は飛鷹隼理くん。  隼理くんは。 「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」  そう言って……。 「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」  そして隼理くんは……。  ……‼  しゅっ……隼理くん……っ。  そんなことをされたら……。  隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。  ……だけど……。  え……。  誰……?  誰なの……?  その人はいったい誰なの、隼理くん。  ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。  その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。  でも。  でも訊けない。  隼理くんに直接訊くことなんて。  私にはできない。  私は。  私は、これから先、一体どうすればいいの……?

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜

来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。 望んでいたわけじゃない。 けれど、逃げられなかった。 生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。 親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。 無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。 それでも――彼だけは違った。 優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。 形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。 これは束縛? それとも、本当の愛? 穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

エリート警察官の溺愛は甘く切ない

日下奈緒
恋愛
親が警察官の紗良は、30歳にもなって独身なんてと親に責められる。 両親の勧めで、警察官とお見合いする事になったのだが、それは跡継ぎを産んで欲しいという、政略結婚で⁉

鬼隊長は元お隣女子には敵わない~猪はひよこを愛でる~

霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
「ひなちゃん。 俺と結婚、しよ?」 兄の結婚式で昔、お隣に住んでいた憧れのお兄ちゃん・猪狩に再会した雛乃。 昔話をしているうちに結婚を迫られ、冗談だと思ったものの。 それから猪狩の猛追撃が!? 相変わらず格好いい猪狩に次第に惹かれていく雛乃。 でも、彼のとある事情で結婚には踏み切れない。 そんな折り、雛乃の勤めている銀行で事件が……。 愛川雛乃 あいかわひなの 26 ごく普通の地方銀行員 某着せ替え人形のような見た目で可愛い おかげで女性からは恨みを買いがちなのが悩み 真面目で努力家なのに、 なぜかよくない噂を立てられる苦労人 × 岡藤猪狩 おかふじいかり 36 警察官でSIT所属のエリート 泣く子も黙る突入部隊の鬼隊長 でも、雛乃には……?

処理中です...