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第35章「声なき作戦会議」(02/End)
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午後の体育館は、午前中のざわめきが嘘のように整然としていた。
今はバレーボールの競技中。スパイクが決まるたびに歓声が上がり、観客席では他の競技に出場予定の学生たちが拍手を送っている。混乱を乗り越えた一体感が、空間をじんわり満たしていた。
スコアボードの隅に、紙で手書きされた即席の進行表が貼られている。競技と時刻、チーム名。その隣には、誰かがボールペンで描いた笑顔のマーク。文字の周囲には「ナイス判断!」「ありがとう!」「最高の運営!」と、さまざまな手書きコメントが加えられていた。
その手前で、三人の姿が見えた。
彩希は、ゼッケンを外しながらひと息ついた。香澄は手帳に「空気から試合を決める:応用可」のメモを書き加えている。良輔は、使い終わったマイクを大切に拭いていた。
「よかった、無事終わったね」
香澄が目線を落とさずに呟いた。
「ていうか、さ……」
彼女はちら、と二人を見る。
「今日一番、得点入れたのって良輔くんだと思う」
「得点?」
「言葉でね。みんなのテンションを、ピンポイントで“味方”につけてた」
香澄の言葉に、良輔は少しだけ照れくさそうに笑った。
「ありがとう。でも、俺だけじゃ無理だったよ。香澄の“空気観察”と、彩希の判断力があったから」
「……私も、さ」
彩希は一拍置き、ふと目を細めた。
「最初、正直焦ったんだ。台本がなくなったのに、自分が“先に言う”立場だったから」
それは彼女が滅多に見せない、等身大の気持ちだった。常に仕切る側で、ミスを許されないと自分に課してきた彼女にとって、“迷ってはいけない”という呪縛は常に背中にあった。
「でも……今日は、台本なくても、成り立つって知った。あたし、進行じゃなくて“人”を見てもいいんだね」
香澄がゆっくりと頷く。
「人の“顔”、ね」
「顔?」
「うん。言葉より表情。動き方やまばたきの速さで、気持ちが浮かんでくるんだよ」
良輔が二人を交互に見て、小さく笑った。
「俺たち、結構バランスいいトリオじゃない?」
「偶然だけど、すごくね」
彩希が言うと、三人は自然に笑い合った。
そのとき、背後のステージで誰かがマイクを握った。
「それでは最後に、本日の運営代表から一言、お願いします!」
声を掛けられ、彩希が反射的に一歩前に出た。
マイクを受け取り、見渡す体育館は、もう見慣れた空気だった。けれど、今日は少し違う。
彼女は深呼吸して、言葉を絞り出す。
「……今日は、少し混乱もありました。でも、こうして最後まで全試合を終えられたのは、一人ひとりの協力があったからです。進行表がなくても、人の熱が導いてくれました」
マイクを持つ手が、ほんの少しだけ震えていた。
「紙に書かれた順番だけが“正解”じゃないと、私は初めて思えました。今日の皆さんの行動が、私たちの指針になりました。本当に、ありがとう」
拍手が、一気に湧き上がった。
その音の中で、香澄はそっと自分のページに書き込む。
「“正解”は、見えるものじゃない——」
それが、今日という日が教えてくれた最も大きな収穫だった。
良輔がポケットからメモ帳を取り出し、「得点王:香澄の観察力」と記すと、わざとらしく香澄に見せて笑う。
香澄はすぐにメモ帳を取り上げ、「解説者:良輔」「審判:彩希」と付け加えた。
即興のチーム、即興の采配。だがそのどれもが、思い出として確かに刻まれていた。
体育館を吹き抜ける秋の風が、ページを一枚だけめくった。
今はバレーボールの競技中。スパイクが決まるたびに歓声が上がり、観客席では他の競技に出場予定の学生たちが拍手を送っている。混乱を乗り越えた一体感が、空間をじんわり満たしていた。
スコアボードの隅に、紙で手書きされた即席の進行表が貼られている。競技と時刻、チーム名。その隣には、誰かがボールペンで描いた笑顔のマーク。文字の周囲には「ナイス判断!」「ありがとう!」「最高の運営!」と、さまざまな手書きコメントが加えられていた。
その手前で、三人の姿が見えた。
彩希は、ゼッケンを外しながらひと息ついた。香澄は手帳に「空気から試合を決める:応用可」のメモを書き加えている。良輔は、使い終わったマイクを大切に拭いていた。
「よかった、無事終わったね」
香澄が目線を落とさずに呟いた。
「ていうか、さ……」
彼女はちら、と二人を見る。
「今日一番、得点入れたのって良輔くんだと思う」
「得点?」
「言葉でね。みんなのテンションを、ピンポイントで“味方”につけてた」
香澄の言葉に、良輔は少しだけ照れくさそうに笑った。
「ありがとう。でも、俺だけじゃ無理だったよ。香澄の“空気観察”と、彩希の判断力があったから」
「……私も、さ」
彩希は一拍置き、ふと目を細めた。
「最初、正直焦ったんだ。台本がなくなったのに、自分が“先に言う”立場だったから」
それは彼女が滅多に見せない、等身大の気持ちだった。常に仕切る側で、ミスを許されないと自分に課してきた彼女にとって、“迷ってはいけない”という呪縛は常に背中にあった。
「でも……今日は、台本なくても、成り立つって知った。あたし、進行じゃなくて“人”を見てもいいんだね」
香澄がゆっくりと頷く。
「人の“顔”、ね」
「顔?」
「うん。言葉より表情。動き方やまばたきの速さで、気持ちが浮かんでくるんだよ」
良輔が二人を交互に見て、小さく笑った。
「俺たち、結構バランスいいトリオじゃない?」
「偶然だけど、すごくね」
彩希が言うと、三人は自然に笑い合った。
そのとき、背後のステージで誰かがマイクを握った。
「それでは最後に、本日の運営代表から一言、お願いします!」
声を掛けられ、彩希が反射的に一歩前に出た。
マイクを受け取り、見渡す体育館は、もう見慣れた空気だった。けれど、今日は少し違う。
彼女は深呼吸して、言葉を絞り出す。
「……今日は、少し混乱もありました。でも、こうして最後まで全試合を終えられたのは、一人ひとりの協力があったからです。進行表がなくても、人の熱が導いてくれました」
マイクを持つ手が、ほんの少しだけ震えていた。
「紙に書かれた順番だけが“正解”じゃないと、私は初めて思えました。今日の皆さんの行動が、私たちの指針になりました。本当に、ありがとう」
拍手が、一気に湧き上がった。
その音の中で、香澄はそっと自分のページに書き込む。
「“正解”は、見えるものじゃない——」
それが、今日という日が教えてくれた最も大きな収穫だった。
良輔がポケットからメモ帳を取り出し、「得点王:香澄の観察力」と記すと、わざとらしく香澄に見せて笑う。
香澄はすぐにメモ帳を取り上げ、「解説者:良輔」「審判:彩希」と付け加えた。
即興のチーム、即興の采配。だがそのどれもが、思い出として確かに刻まれていた。
体育館を吹き抜ける秋の風が、ページを一枚だけめくった。
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