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第11話「志歩の自主トレ」
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六月十四日、土曜日の朝。
桜陽高校の体育館裏は、まだ人の気配もまばらだった。
重たい曇り空の下、ひとりの少女が静かに立っていた。
志歩だった。
前髪をポニーテールにまとめ、Tシャツとジャージ姿で、両手には新品のトレーニング用グローブ。
その目には、昨日までとは違う光が宿っている。
(……どうせなら、ちゃんとやってやる)
資料室での亮汰との一件が、心に火をつけた。
「迷惑かけられた」と文句を言うだけで終わる自分に、どこかで嫌気が差していたのだ。
準備不足、思いつき、他責の空気――そういうのにイラつくのは、結局「自分も自信がないから」だ。
なら、自信をつければいい。
体力も、判断力も、実行力も――文句を言う前に、自分を鍛えるしかない。
「さて……何からやる?」
志歩は小さく伸びをしてから、体育館の裏手にある備品倉庫のシャッターを開けた。
そのときだった。
「……やっぱり来てたか」
低く落ち着いた声が背後から聞こえた。
「……優作?」
振り返ると、そこにいたのは、黒のピステに身を包んだ優作だった。
いつものように真っ直ぐな姿勢で、志歩を見下ろしている。
「予想はしてたけど、ここで朝から筋トレするって、なかなかの覚悟だな」
「……どうせ笑うと思ったけど」
「笑わない。むしろ、俺が見てやる」
「えっ」
志歩が目を丸くする。
「自分から“やる”って言い出す人間、俺は好きだ」
そう言って、優作は倉庫の奥から縄跳びとメディシンボールを取り出し、志歩の目の前に差し出した。
「最初は基礎。今日の目標は、15分持続の縄跳びと、腹筋50回」
「ちょっ、急にそんな――」
「やるって言ったのは君だろ?」
優作の目は本気だった。
そして志歩は――負けたくなかった。
縄跳びは想像以上にきつかった。
開始から3分で、志歩は既に息が上がっていた。
「ぜぇっ……ぜぇっ……な、なんでこんな……小学生の遊びみたいな……」
「ナメるな。これは心肺機能と持久力を一気に鍛えるメニューだ。あと12分」
「じゅ、12……!?」
汗が額からつたう。ジャージの背中が早くも湿っていた。
でも、優作は何も言わない。ただ腕を組んで、黙って見ている。
その視線が、かえって重い。
“サボれない”というプレッシャーではない。
“やれると思って見ている”という眼差し――それが、志歩には何より応えた。
(くっそ……なんで、あたしだけこんな……)
そう思いかけて、志歩は自分で苦笑した。
(違う。“あたしだけ”じゃない。自分でやるって言ったんだ、これが“自分の選択”なんだ)
気がつけば、縄の音に呼吸を合わせられるようになっていた。
シャッ、シャッ、シャッ――
単調なリズムの中で、思考が削ぎ落とされていく。
どこかで、“文句を言いながらラクを選ぶ”自分が、少しずつ崩れていくのを感じた。
そして、ようやく15分。
ぴたりと動きを止めた瞬間、脚ががくがく震え、全身が汗でずぶ濡れだった。
「お疲れ。水、飲んで」
優作が差し出したのは、冷えたスポーツドリンクのボトルだった。
「……持ってきてたの?」
「君が来ると思って、2本持参した」
「予言者かよ……」
受け取ったボトルの冷たさが、全身にしみた。
ゴクゴクと飲みながら、志歩は不意に顔をあげた。
「……なんで、そこまでしてくれるの?」
「“成長したい”って人を見捨てる理由が、俺にはない」
優作の答えは、ただそれだけだった。
水分をとった後、志歩はその場に寝転がった。
息はまだ整わず、胸が上下している。
「腹筋、いけるか?」
「……いける。やるって言ったから、やる」
志歩は腹筋に入り、上体をゆっくりと起こした。
1回、2回……10回目あたりで、腹の奥がじんわりと痛み始める。
でも、ここで止めたら、また“自分に甘い”自分に戻る気がして。
(負けるな、志歩)
歯を食いしばり、20回、30回……声を出しながら数を刻んでいく。
40回を超えた頃には、完全に体が悲鳴を上げていた。
優作はそばで静かに数えていたが、助け舟は出さなかった。
50回目を終えた瞬間、志歩はその場に倒れこむように息を吐いた。
「おつかれ」
「っは……はぁ……マジで……死ぬかと思った……」
全身汗だく。手のひらは小さく震えていた。
それでも、志歩はうつ伏せになったまま、笑っていた。
「こんなに……達成感あるの、ひさびさかも……」
「“やった人間”にしか得られない報酬だ」
優作はタオルを差し出した。
「これが続けば、たぶん何かが変わる。君自身も、周囲の見方も」
「……そっか」
志歩は顔の汗をぬぐいながら、天井――いや、どんよりとした曇り空を見上げた。
重たい雲の隙間から、ほんの一瞬だけ、日が差し込んだ。
「じゃあ、来週も……朝練、付き合ってもらっていい?」
そう言った自分の声が、妙に明るかった。
「もちろん」
優作の答えもまた、まっすぐだった。
土曜日の朝、誰も見ていない場所で、小さな成長が一つ、確かに芽吹いていた。
(第11話 完)
桜陽高校の体育館裏は、まだ人の気配もまばらだった。
重たい曇り空の下、ひとりの少女が静かに立っていた。
志歩だった。
前髪をポニーテールにまとめ、Tシャツとジャージ姿で、両手には新品のトレーニング用グローブ。
その目には、昨日までとは違う光が宿っている。
(……どうせなら、ちゃんとやってやる)
資料室での亮汰との一件が、心に火をつけた。
「迷惑かけられた」と文句を言うだけで終わる自分に、どこかで嫌気が差していたのだ。
準備不足、思いつき、他責の空気――そういうのにイラつくのは、結局「自分も自信がないから」だ。
なら、自信をつければいい。
体力も、判断力も、実行力も――文句を言う前に、自分を鍛えるしかない。
「さて……何からやる?」
志歩は小さく伸びをしてから、体育館の裏手にある備品倉庫のシャッターを開けた。
そのときだった。
「……やっぱり来てたか」
低く落ち着いた声が背後から聞こえた。
「……優作?」
振り返ると、そこにいたのは、黒のピステに身を包んだ優作だった。
いつものように真っ直ぐな姿勢で、志歩を見下ろしている。
「予想はしてたけど、ここで朝から筋トレするって、なかなかの覚悟だな」
「……どうせ笑うと思ったけど」
「笑わない。むしろ、俺が見てやる」
「えっ」
志歩が目を丸くする。
「自分から“やる”って言い出す人間、俺は好きだ」
そう言って、優作は倉庫の奥から縄跳びとメディシンボールを取り出し、志歩の目の前に差し出した。
「最初は基礎。今日の目標は、15分持続の縄跳びと、腹筋50回」
「ちょっ、急にそんな――」
「やるって言ったのは君だろ?」
優作の目は本気だった。
そして志歩は――負けたくなかった。
縄跳びは想像以上にきつかった。
開始から3分で、志歩は既に息が上がっていた。
「ぜぇっ……ぜぇっ……な、なんでこんな……小学生の遊びみたいな……」
「ナメるな。これは心肺機能と持久力を一気に鍛えるメニューだ。あと12分」
「じゅ、12……!?」
汗が額からつたう。ジャージの背中が早くも湿っていた。
でも、優作は何も言わない。ただ腕を組んで、黙って見ている。
その視線が、かえって重い。
“サボれない”というプレッシャーではない。
“やれると思って見ている”という眼差し――それが、志歩には何より応えた。
(くっそ……なんで、あたしだけこんな……)
そう思いかけて、志歩は自分で苦笑した。
(違う。“あたしだけ”じゃない。自分でやるって言ったんだ、これが“自分の選択”なんだ)
気がつけば、縄の音に呼吸を合わせられるようになっていた。
シャッ、シャッ、シャッ――
単調なリズムの中で、思考が削ぎ落とされていく。
どこかで、“文句を言いながらラクを選ぶ”自分が、少しずつ崩れていくのを感じた。
そして、ようやく15分。
ぴたりと動きを止めた瞬間、脚ががくがく震え、全身が汗でずぶ濡れだった。
「お疲れ。水、飲んで」
優作が差し出したのは、冷えたスポーツドリンクのボトルだった。
「……持ってきてたの?」
「君が来ると思って、2本持参した」
「予言者かよ……」
受け取ったボトルの冷たさが、全身にしみた。
ゴクゴクと飲みながら、志歩は不意に顔をあげた。
「……なんで、そこまでしてくれるの?」
「“成長したい”って人を見捨てる理由が、俺にはない」
優作の答えは、ただそれだけだった。
水分をとった後、志歩はその場に寝転がった。
息はまだ整わず、胸が上下している。
「腹筋、いけるか?」
「……いける。やるって言ったから、やる」
志歩は腹筋に入り、上体をゆっくりと起こした。
1回、2回……10回目あたりで、腹の奥がじんわりと痛み始める。
でも、ここで止めたら、また“自分に甘い”自分に戻る気がして。
(負けるな、志歩)
歯を食いしばり、20回、30回……声を出しながら数を刻んでいく。
40回を超えた頃には、完全に体が悲鳴を上げていた。
優作はそばで静かに数えていたが、助け舟は出さなかった。
50回目を終えた瞬間、志歩はその場に倒れこむように息を吐いた。
「おつかれ」
「っは……はぁ……マジで……死ぬかと思った……」
全身汗だく。手のひらは小さく震えていた。
それでも、志歩はうつ伏せになったまま、笑っていた。
「こんなに……達成感あるの、ひさびさかも……」
「“やった人間”にしか得られない報酬だ」
優作はタオルを差し出した。
「これが続けば、たぶん何かが変わる。君自身も、周囲の見方も」
「……そっか」
志歩は顔の汗をぬぐいながら、天井――いや、どんよりとした曇り空を見上げた。
重たい雲の隙間から、ほんの一瞬だけ、日が差し込んだ。
「じゃあ、来週も……朝練、付き合ってもらっていい?」
そう言った自分の声が、妙に明るかった。
「もちろん」
優作の答えもまた、まっすぐだった。
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(第11話 完)
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