文化祭実行委員会、恋も友情も停電も!―桜陽高校ラブフェスティバル―

乾為天女

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第10話「雨上がりの叱責」

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 六月十一日、水曜日の放課後。
  雨は朝方に止み、濡れた中庭のベンチに、水たまりの名残が小さく光っていた。
 そこに、亮汰はぼんやりと腰かけていた。
  スマホを片手に握りしめていたが、画面はつけっぱなしで、何も見ていない。
 無言のまま、時間だけが過ぎていく。
 その沈黙を破るように、革靴の足音が、濡れた地面に近づいてきた。
「……亮汰」
 静かな声だった。
  けれど、その響きには凛とした鋭さがあった。
 亮汰が顔を上げると、そこに立っていたのは――遥輝だった。
「あ、遥輝。悪い、なんか――」
 軽く笑って誤魔化そうとした瞬間、その笑顔が凍りつく。
 遥輝の目が、いつになく冷たかった。
「話がある。座ってもいい?」
「あ……うん」
 亮汰が返事をする前に、遥輝は隣に腰を下ろした。
  距離は近いのに、空気が妙に重い。
「昨日、資料の件で、志歩にかなり迷惑をかけたらしいな」
「……まあ、そうなんだけど。ちゃんと謝ったし、もう――」
「亮汰」
 名を呼ぶ声に、語尾が消える。
「“謝ったからチャラ”だと思ってるなら、今ここで訂正する」
 遥輝は、いつもの穏やかさを封印したように、まっすぐに亮汰を見据えていた。
「委員会は、“仲良しグループ”じゃない。信頼をベースに動いてる。
  誰か一人が流しただけで、全体の信頼が壊れることもある」
「……うん、でも、俺だってちゃんと反省して――」
「じゃあ、なんで志歩だけに謝った? 全体に迷惑をかけたのに」
 その指摘に、亮汰の顔がこわばる。
「……そこまでは、考えてなかった」
「考えてなかった、じゃすまないんだ」
 遥輝の声は低く、淡々としているのに、胸にズシリと響いた。
 亮汰は初めて、自分がやってしまったことの“本当の大きさ”に気づきはじめていた。



「亮汰、お前ってさ――どこかで“誰かが何とかしてくれる”って思ってないか?」
 遥輝の問いは、責めるというよりも、深く静かに刺さってくる。
 亮汰は俯いたまま、無言だった。
「志歩がどれだけ準備をしてたか、わかってたんだろ? それでも動かなかったのは、“ギリギリまで何とかなる”って、他人任せだったからじゃないか?」
 亮汰の喉がごくりと鳴る。
 その通りだった。
 ――志歩が怒ったのは、書類の件だけじゃない。
  “自分ひとりで全部背負わせられている”という絶望が、あの怒鳴り声の正体だったのだ。
「……俺、怖かったんだ」
 ぽつりと漏らした亮汰の声は、かすれていた。
「間違えるのが。責任取れって言われるのが。……何か言われる前に、逃げたほうが楽だから、つい、そうやって……」
「……そっか」
 遥輝は、それ以上は追及しなかった。
  ただ、静かに頷いた。
「でも、それを許していいって空気じゃない。俺も、見て見ぬふりしてたから、同罪だと思ってる」
「は……?」
「亮汰が“逃げてる”って、薄々気づいてた。でも、うまく言えなくて――こうして、溜め込ませたのは俺の責任でもある」
「いや、待てよ、それは――」
 亮汰が顔を上げる。遥輝の横顔は、どこか寂しげだった。
「俺が委員長としてやるべきだったのは、“許すこと”じゃなくて、“ちゃんと伝えること”だったんだと思う」
 その言葉が、ようやく亮汰の心を打った。
「……なんか、俺より反省してない?」
「たぶん、亮汰より反省してる」
 遥輝は苦笑した。
  その瞬間、空気がほんの少しだけ和らいだ。
 水たまりに映る二人の姿が、少しずつ近づいていく。



「俺、変われるかな」
 亮汰がぽつりとつぶやいた。
  自分の声が、こんなにも頼りなく響いたのは、いつ以来だろう。
「変われるかじゃなくて、変わりたいかどうかだよ」
  遥輝はそう答えながら、軽く肩をすくめた。
「変わりたいと思うなら、時間はかかっても、きっと変われる」
 その言葉が、妙にストレートに胸へ届いた。
 亮汰は膝の上で拳を握りしめる。
「……次の委員会で、俺から謝る。全員に。……自分の言葉で」
「うん。それができたら、みんなもちゃんと向き合ってくれる」
 遥輝はそう言って、立ち上がった。
「じゃあ、俺はこれで。教室に荷物置いたままだから」
「……遥輝」
「ん?」
「さっき言ってた“ちゃんと伝えること”ってさ、お前、ちゃんとできてるよ」
 それは亮汰なりの、照れくさい精一杯だった。
 遥輝は一瞬目を見開き、そして――にこりと、いつものように笑った。
「ありがとう。じゃあ、次は亮汰の番な」
 そう言って、歩き出す。
 中庭を吹き抜ける風が、濡れた木々の葉を揺らした。
  その音が、まるで新しい空気を運んできたように感じられた。
 ベンチに一人残った亮汰は、もう一度だけ深呼吸して立ち上がる。
  制服のポケットに入れていた折りたたみ傘を開きながら、小さくつぶやいた。
「……変わってやるよ、ちくしょう」
 それは誰にも届かない宣言。
  けれど、自分だけにははっきりと聞こえた。
(第10話 完)
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