文化祭実行委員会、恋も友情も停電も!―桜陽高校ラブフェスティバル―

乾為天女

文字の大きさ
9 / 26

第9話「梅雨入りと未提出書類」

しおりを挟む
 六月十日、火曜日。桜陽高校の窓ガラスに、梅雨入りを知らせる細かな雨粒が打ちつけていた。
 文化祭実行委員としての活動も、少しずつ歯車が動き始めたころ。
  その日、校舎B棟の資料室は薄暗く、雨音と紙のこすれる音だけが響いていた。
「……ない。やっぱり、どこにもないってば」
 志歩が、キャビネットの引き出しを荒っぽく閉めた。
  机の上に置かれたファイルには、「備品リスト」「機材貸出希望書」「日程調整表」など、文化祭準備に必要な書類名が並んでいる。
 そのうちのひとつ、重要な「スケジュール進捗確認表」が、どうしても見つからなかった。
 志歩は焦りを押し殺すように深く息を吐いた。
「……亮汰が持ち出したままじゃないの? この前、確認お願いしたやつ」
 彼女の脳裏には、一週間前の委員会の帰り際のやり取りが浮かぶ。
『あー、それ俺が持っとくわ。家で見とくし』
 『いや、ちゃんと学校に戻して――』
 『大丈夫大丈夫、信用して?』
 あの軽い口調と、笑いながら去っていった背中。
(……信用しなきゃよかった)
 雨のせいか、それとも苛立ちのせいか、志歩の前髪が肌にぴったり張り付いて鬱陶しい。
 そこへ――ガラリとドアが開き、本人が姿を現した。
「おー、ここにいたのか。志歩ー。なんか探してた?」
 亮汰はいつもの調子で、手をポケットに突っ込みながら近づいてくる。
 その無神経な足音が、志歩の神経を逆なでする。
「“例の書類”、まだ返してないよね?」
「え? えーと……あれって今週出すやつだっけ?」
「先週末の締切って、伝えてた。しかも、二回」
 志歩は机を指差しながら言い放つ。
「で、いまこの部屋中ひっくり返して探してるの。あなたが返してくれてたはずのやつ」
「うわ……マジか。俺、どっかに置いたかも……」
  亮汰は頭をかきながら目を泳がせた。
 志歩の顔が、みるみる赤くなる。
「“どっかに”って何!? 仕事って、忘れたら終わりなんだよ?!」
 堪えきれず、彼女は一歩詰め寄った。
 その声に、廊下を通りかかった生徒たちがガラス越しにちらちらと様子をうかがう。
「お、おい、そんな怒んなって。ほら、俺、たぶん家に――」
「たぶん? たぶんで回せるの、あんたの感覚だけだよ!!」
 言い切った志歩の声が、資料室の壁に反響した。



「……はあ。もういい。自分でなんとかするから」
 志歩はそう言い放つと、机に手をついて立ち上がった。
  その勢いで資料の一部が床に散らばったが、拾う気にはなれなかった。
「志歩……」
  亮汰は言葉を探すように口を開けていたが、何も出てこない。
 その沈黙が、志歩の怒りを逆なでする。
「“ごめん”の一言も言えないの? また誰かのせいにするの? それとも、“運が悪かった”って言う?」
 声は震えていた。怒りとも、悔しさともつかない感情が胸の奥でぐるぐると渦巻いている。
 しかし、亮汰はぽつりと呟いた。
「……いや、今回は、俺が悪い」
 その言葉に、志歩は目を見開いた。
「え?」
「返すの忘れてたし、確認もしなかった。責任転嫁……する気にもなれなかった」
  亮汰の声は、思いのほか小さく、けれど確かだった。
「それだけ重要だったって、いまわかった。マジで、ごめん」
 彼は、目をそらさずに謝った。
 志歩の怒りは、急速にしぼんでいく――はずだった。
 だが、そのかわりにこみ上げてきたのは、自分でも予期していなかった感情だった。
「……なによ、それ」
  志歩は口元をきゅっと結び、そっぽを向いた。
「そうやって謝られると、なんか、損した気分じゃん」
 泣きそうだった。
  でも絶対に泣きたくなかった。
「最初から素直に認めてたら、私だって――」
 言いかけて、やめた。
 亮汰が、無言で資料を拾い始めたからだ。
  床に散らばった用紙を、丁寧に順番をそろえながら、志歩の前に差し出す。
「……返すの遅れたけど、次はちゃんとやる。これ、志歩に渡すのが一番正しいと思ったから」
 その言葉に、志歩はようやく肩から力を抜いた。
「……ったく。ほんっと、手間ばっかかけさせるんだから」
 そう呟きながら、受け取った紙束。
  いつの間にか、手が震えているのに気づいた。



 資料室を出る頃には、雨脚がわずかに強まっていた。
 二人は無言のまま並んで歩く。廊下の蛍光灯が天井に鈍く反射し、雨音だけが耳に残る。
「……あのさ」
  亮汰が口を開いた。
「志歩って、さ。すげぇ頑張ってんの、知ってるよ」
 唐突すぎて、志歩は思わず立ち止まった。
「毎回委員会で発言してるし、進捗チェックも人一倍やってるし。
  ……俺が適当に流してるの、ずっと見てたよな」
「見てたし、ムカついてた」
 志歩の返答は速かった。
  けれどその声に、さっきのような怒気はもうなかった。
「でも、ちゃんと謝ったの、今回が初めてだったから――正直、ちょっとびっくりしてる」
「へえ、やっと加点きた?」
「いや、±ゼロ」
「手厳しいな」
 亮汰が笑い、志歩も思わず口元をゆるめる。
「……まあ、次にちゃんとやってくれたら、ちょっとは点つけてもいい」
「マジ? じゃあ次の当番、俺やるわ。資料室の掃除もやるし、備品チェックも――」
「それ、今ここで言うとこ?」
「今じゃなきゃ、言えないと思った」
 その一言に、志歩はまた足を止めた。
 梅雨の湿気に包まれた空気の中、なぜか胸の奥にだけ、涼しい風が吹いた気がした。
 ――たぶん、少しだけ、信じてもいいかもしれない。
「……じゃあ、言ったからにはやってよね」
「もちろん」
 亮汰が真面目な顔でうなずいた直後、
  通りがかった生徒が水たまりを踏んだ音が聞こえて、二人は同時にそちらを振り返った。
 世界はいつも通り動いている。
  けれど、ほんの少しだけ――二人の距離が変わった。
 それが、雨の日の午後に起きた、ささやかな前進だった。
(第9話 完)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。

猫菜こん
児童書・童話
 小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。  中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!  そう意気込んでいたのに……。 「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」  私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。  巻き込まれ体質の不憫な中学生  ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主  咲城和凜(さきしろかりん)  ×  圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良  和凜以外に容赦がない  天狼絆那(てんろうきずな)  些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。  彼曰く、私に一目惚れしたらしく……? 「おい、俺の和凜に何しやがる。」 「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」 「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」  王道で溺愛、甘すぎる恋物語。  最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。

極甘独占欲持ち王子様は、優しくて甘すぎて。

猫菜こん
児童書・童話
 私は人より目立たずに、ひっそりと生きていたい。  だから大きな伊達眼鏡で、毎日を静かに過ごしていたのに――……。 「それじゃあこの子は、俺がもらうよ。」  優しく引き寄せられ、“王子様”の腕の中に閉じ込められ。  ……これは一体どういう状況なんですか!?  静かな場所が好きで大人しめな地味子ちゃん  できるだけ目立たないように過ごしたい  湖宮結衣(こみやゆい)  ×  文武両道な学園の王子様  実は、好きな子を誰よりも独り占めしたがり……?  氷堂秦斗(ひょうどうかなと)  最初は【仮】のはずだった。 「結衣さん……って呼んでもいい?  だから、俺のことも名前で呼んでほしいな。」 「さっきので嫉妬したから、ちょっとだけ抱きしめられてて。」 「俺は前から結衣さんのことが好きだったし、  今もどうしようもないくらい好きなんだ。」  ……でもいつの間にか、どうしようもないくらい溺れていた。

モブの私が理想語ったら主役級な彼が翌日その通りにイメチェンしてきた話……する?

待鳥園子
児童書・童話
ある日。教室の中で、自分の理想の男の子について語った澪。 けど、その篤実に同じクラスの主役級男子鷹羽日向くんが、自分が希望した理想通りにイメチェンをして来た! ……え? どうして。私の話を聞いていた訳ではなくて、偶然だよね? 何もかも、私の勘違いだよね? 信じられないことに鷹羽くんが私に告白してきたんだけど、私たちはすんなり付き合う……なんてこともなく、なんだか良くわからないことになってきて?! 【第2回きずな児童書大賞】で奨励賞受賞出来ました♡ありがとうございます!

「いっすん坊」てなんなんだ

こいちろう
児童書・童話
 ヨシキは中学一年生。毎年お盆は瀬戸内海の小さな島に帰省する。去年は帰れなかったから二年ぶりだ。石段を上った崖の上にお寺があって、書院の裏は狭い瀬戸を見下ろす絶壁だ。その崖にあった小さなセミ穴にいとこのユキちゃんと一緒に吸い込まれた。長い長い穴の底。そこにいたのがいっすん坊だ。ずっとこの島の歴史と、生きてきた全ての人の過去を記録しているという。ユキちゃんは神様だと信じているが、どうもうさんくさいやつだ。するといっすん坊が、「それなら、おまえの振り返りたい過去を三つだけ、再現してみせてやろう」という。  自分の過去の振り返りから、両親への愛を再認識するヨシキ・・・           

14歳で定年ってマジ!? 世界を変えた少年漫画家、再起のノート

谷川 雅
児童書・童話
この世界、子どもがエリート。 “スーパーチャイルド制度”によって、能力のピークは12歳。 そして14歳で、まさかの《定年》。 6歳の星野幸弘は、将来の夢「世界を笑顔にする漫画家」を目指して全力疾走する。 だけど、定年まで残された時間はわずか8年……! ――そして14歳。夢は叶わぬまま、制度に押し流されるように“退場”を迎える。 だが、そんな幸弘の前に現れたのは、 「まちがえた人間」のノートが集まる、不思議な図書室だった。 これは、間違えたままじゃ終われなかった少年たちの“再スタート”の物語。 描けなかった物語の“つづき”は、きっと君の手の中にある。

9日間

柏木みのり
児童書・童話
 サマーキャンプから友達の健太と一緒に隣の世界に迷い込んだ竜(リョウ)は文武両道の11歳。魔法との出会い。人々との出会い。初めて経験する様々な気持ち。そして究極の選択——夢か友情か。  大事なのは最後まで諦めないこと——and take a chance! (also @ なろう)

マジカル・ミッション

碧月あめり
児童書・童話
 小学五年生の涼葉は千年以上も昔からの魔女の血を引く時風家の子孫。現代に万能な魔法を使える者はいないが、その名残で、時風の家に生まれた子どもたちはみんな十一歳になると必ず不思議な能力がひとつ宿る。 どんな能力が宿るかは人によってさまざまで、十一歳になってみなければわからない。 十一歳になった涼葉に宿った能力は、誰かが《落としたもの》の記憶が映像になって見えるというもの。 その能力で、涼葉はメガネで顔を隠した陰キャな転校生・花宮翼が不審な行動をするのを見てしまう。怪しく思った涼葉は、動物に関する能力を持った兄の櫂斗、近くにいるケガ人を察知できるいとこの美空、ウソを見抜くことができるいとこの天とともに花宮を探ることになる。

影隠しの森へ ~あの夏の七日間~

橘 弥久莉
児童書・童話
 小学六年の相羽八尋は自己肯定感ゼロ男子。 幼いころに母親を亡くした心の傷を抱えつつ、 大きな夢を抱いていたが劣等生という引け目 があって前を向けずにいた。 そんなある日、八尋はふとしたきっかけで 入ってはいけないと言われている『影隠しの 森』に足を踏み入れてしまう。そこは夏の間、 奥山から山神様が降りてくるという禁断の森 で、神様のお役目を邪魔すると『影』を取ら れてしまうという恐ろしい言い伝えがあった。  神様も幽霊も信じていない八尋は、軽い気 持ちで禁忌を犯して大事な影を取られてしま う。影、カゲ、かげ――。なくても生きてい けるけど、ないとすごく困るもの。自分の存 在価値すらあやうくなってしまうもの。再び 影隠しの森に向かった八尋は、影を取り戻す ため仲間と奮闘することになって……。  初恋、友情、そしてひと夏の冒険。忘れら れない奇跡の七日間が始まる。※第3回きずな児童書大賞奨励賞受賞作品 ※この物語はフィクションです。作中に登場 する人物、及び団体は実在しません。 ※表紙画像はたろたろ様のフリー画像から お借りしています。

処理中です...