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23.イケメンが怖かったです
しおりを挟む露わになった身体に温かい手が這わされて、ビクリと身体が跳ねた。
「……………ッ!!」
ゆっくりと喉を辿るように動く指先が、忘れようとした資料室での出来事を思い出させるように動く。
常とは違う悠の雰囲気に、完全に圧倒されてしまった。
身体が竦んだように動けなくなる。
唇が触れそうな位置から、強いくらいの眼差しで目の中を覗きこんでくる悠に、視線を逸らすことも出来ない。
ただただ熱を帯びたような瞳でこちらを見つめる悠の視線を、そのまま見つめ返すだけでいっぱいっぱいだった。
動けない俺を見つめたまま、まるで愛撫するかのように触ってくる悠の手の動きに、神経が尖る。
小さな刺激にも過敏になっているのか、辿る指先にいちいち息が震えた。
緊張感から上手く唾を飲み込めないせいで、喉がヒリついてくる。
保健室の話から、何でこんな事をされているのかがさっぱり分からねぇ。
悠がこんな事をし始めた意図も分からないせいで、頭が混乱してくる。
ただ、今の悠の雰囲気は何だか怖い……。
これが『上位種』の圧なんだろうか。
俺の知っている悠じゃないみたいだ。
こんな悠なんて知らねぇ。
息をすることさえ憚られるような、この張り詰めた空気が怖くてたまらない……!
「ぅ……、は…っ」
「……アキ、大丈夫だから。そのまま大人しく…出来るだろう?」
鎖骨付近を妖しく触れていた指先が、項にかかった後ろ髪を掻き上げるように持ち上げてきた。
そのまま強い力で悠の胸に、顔を押し付けられる。
「───…ッ!」
熱い身体に抱かれるように、視界を悠の胸で塞がれてしまったせいで、余計に首筋を触る指先に神経が集中してしまう。
本気で悠が何をしたいのかが分からなくて、恐怖で震えた。
(マジでなに考えてんだよコイツ! 男相手にこんな触り方なんて、普通はしねぇだろっ。なんで資料室に来ると毎回おかしくなるんだよお前は!)
普段は普通なのに、資料室限定でおかしくなる悠。
ここにはαをおかしくする、何かがあるんだろうか?
とりあえず震える身体を少しでも落ち着けようと、小さく深呼吸する。
胸に押し付けられたままの悠の身体からは、高級そうな柔軟剤の香りがした。
───あれ?
いつもと香りが違う……?
いつもはもっと柔らかい、グリーン系の香りだったはず。
柔軟剤が違うのか?
こっちも悪くないけど、いつもの香りの方が悠には合ってたと思うんだけどな。
「……オレの匂いが気になる?」
突然かけられた声に、ドキッと肩が揺れた。
やべぇ…。匂いを嗅いでいたのがバレた!
悠も十分ヤバイけど、男の胸の匂いをスンスン嗅ぐ俺も、悠からしたら十分変態に見えんじゃん。
「えっ!? あ…や、特には。あー…もしかして柔軟剤変えた?」
「柔軟剤? 変えてないけど」
「……そう、なんだ」
思わず首を捻ってしまう。
じゃあやっぱあの香りは、コロンか何かだったのかな?
今日はたまたま付けていなかっただけなのかも。
そんな風に考えていたせいで、悠の指が首を辿って項に伸びてきていることに気づくのが遅れた。
スゥッとなぞってくる指先の感覚に、ゾクンと背筋に震えが走る。
触れるか触れないか……。
そんな微妙なタッチで項を撫でられると、背中がゾクゾクしてくる。
快感なのか擽ったいのか、自分でもよく分かんねぇけど、変な声が漏れそうになるからそこは触らないでほしい。
「ぁ……、ちょ…っ、止めろ、って!」
両手を拘束されているせいで、頭を振ることでしか抵抗が出来ない。
バグを起こしたうちのクララさんが、何故か悠が項に触れてくるたびに、じんわりと熱をもっていくのに焦りを覚える。
(悠相手に勃つなんて、マジで洒落になんないんですけど…っ!!)
トイレと違って今は目の前に悠がいる。
ちょっと触られただけで、男相手にちんこをおっ勃てるような奴だなんて、思われたくもねぇっ。
「悠ッ!!」
「──アキは覚えてないかもしれないけど、昨日オレ……アキのここを噛んだんだよ」
俺の怒鳴り声が耳に入っていないのか、悠が全然違う事を言い出し始めた。
は?
「噛んだ……?」
「そう。この部分……覚えてない?」
『この部分』と言いながら、円を描くように俺の項を執拗に触ってくる。
ぜんっぜん意味が分かんねぇよ!
(βの首筋を噛んだのかこいつ……。何やってんだよ)
恐怖心も忘れて、ついつい呆れてしまった。
「はぁー。お前ね、人が寝てる間に何やってんだよ……。βの首なんか齧ったって美味しくないだろ」
「美味しくないはずなのに……なぜか昨日のアキのここからは、すごく良い匂いがしたんだ。不思議だと思わないか?」
「はぁっ?」
俺の首から匂いがしただって?
「大丈夫かお前? 鼻がおかしくなってねぇ?」
「オレもおかしくなったのかなって思ったんだけど……でも間違いなくここからすごく良い匂いがしたんだ。その香りに誘われて思わずアキの項を噛んだら、ここから堪らない匂いが溢れ出した。──今だって昨日の匂いを思い返すだけで、ほら…こんなに熱くなっている」
そう言って悠が拘束していた俺の右手を、自分の股間に導いてきた。
硬い。……てかデケェ!!
はっ?
ちょっと待て!!
俺のバグったクララどころじゃねぇじゃん!
何でお前も勃ってんだよ!!しかも完勃ちじゃねぇかっ!?
「ゆ、悠っ、ちょっと落ち着け! 俺からそんな匂いなんかしねーよっ。だから正気に戻れ!!」
「間違いなんかじゃない。あんなに頭がおかしくなるような香り…アキ以外からは感じたことがないんだ」
はぁ、と熱に浮かされたような息を吐きながら抱きしめられるけど。
ちょ…っ、悠さんストップ!
頼むから落ち着いてくれぇええっ!
「お、落ち着け悠ッ!なな、何かかの間違い──んぎゅっ!」
ちょっと待って。本気で力加減間違えてる!
お前の胸板で、窒息しそうなんだけど……!!
押し付けすぎ!……押し付けすぎなんだって!!
(おかしいのはお前の頭だけだっつの…! 俺を殺す気かよっ!)
悠の胸をドンドンと叩くけど、何かのスイッチが入っているのか、ますます力強く抱き込まれてしまう。
俺の力じゃ、悠を引き離すのは無理だ。
藁をも掴む思いで悠のデカブツをギュッと握りしめたら、悠がビクリと身体を揺らした。
その隙に、力いっぱい悠を押しのける。
そのまま後ろに倒れこむかと思いきや、少しよろめいただけで直ぐに体勢を立て直して来る所が、相変わらず可愛くない。
でもまぁいい。
とりあえず命の危機からは脱出できた……!!
「アキ……」
熱っぽい視線を向けたまま、再びこちらに伸ばそうとしてきた手首を慌てて掴む。
「悠っ、おまえは本気で落ち着け! 嗅ぎたいなら嗅がせてやるから…!」
「………………」
「その代わり抱き込むのは無しっ! いいか、あくまで嗅ぐだけな。それでお前の誤解をとけよ。俺はβ以外の何者でもねーんだって」
「………分かった」
よし、言質はしっかりとったぞ。
ちゃんと念押ししたからな。
悠に背中を向けるようにして立つ。
腕にかろうじて引っかかっているだけのシャツのせいで、ほぼ半裸状態だ。
剥き出しの肩甲骨に悠の制服の布地を感じた。
項に悠の息がかかる。く…擽ってぇ……。
そのまま鼻を押し付けるようにして、悠が俺の項の匂いを嗅いでくる。
自分で確かめろ、と言ったくせに心臓がバクバクしてきた。
匂いなんてするはずがないと思っていても、もしかして…と馬鹿な考えが頭を過る。
緊張しながら耐えること数秒間───…
息をのむ声が後ろから聞こえてきた。
えっ! ……なに!?
俺に構う余裕もないのか、悠が何度も何度も匂いを確かめるように嗅いでくる。
ほんとに何なんだよ。
不安が胸に湧いてくる。もしかして本当に俺……。
「ど、どうしたんだよ。俺から何か匂いでもしてんのか?」
「──しない。アキの体臭だけ……特に惹かれる香りも何も、ない…?」
愕然としたように呟かれる、悠の言葉。
俺にとっては当たり前の言葉なのに、もしかしたら……と思い始めていたせいか、一気に身体中から力が抜けた。
安堵感が胸に広がっていく。
び、びっくりした──…。
悠が変な事を言うから、ちょっと自分のバース性を疑っちゃったじゃん。
やっぱ匂いなんて、無かったんじゃん。
安心したら何だか笑えてきた。
ほんと、このα様は振り回してくるよ。
「はぁ、これでわかっただろ? 期待させたのは申し訳ないけど、俺は元々βなんだって」
「でも昨日は確かに……」
「他の匂いと勘違いしたんじゃねーの? てか、バイトに行くからもうこれ着るぞ?」
「あ、あぁ…」
悠は戸惑いながらも俺から少し距離をとってくれた。
はぁー。
重苦しかった空気も霧散したおかげで、やっとまともに息がつける。
悠は何か難しそうな顔であれこれ考えてるっぽいけど、俺がβという事実は変わらんぞ?
そんな悠の姿を視界の端に捉えたまま、俺はシャツのボタンを留めていく。
机の上に置かれていたネクタイは…どうしようか。
もう帰るだけだし、外したままでもいっか。
掴んだまま悩むように見ていたら、横から悠にネクタイを取られてしまった。
「あっ、おいっ!」
「結ぶよ。さっきは怖い思いをさせてごめん」
首にネクタイをかけながら謝ってくれる。
そのまま手早く結んでくれたんだけど。
何これヤベェ……ッ。
俺が結ぶよりも、すげー綺麗な形に整えられてんじゃん。
えっ、こんな所にまで才能の差って出るのかよ!?
「お前ってネクタイまで結ぶのが上手いのな。ビックリした」
「いや、家柄的にネクタイを締める機会が多いだけだよ。コツを掴めばアキも、このくらいはすぐに出来る」
「へー。じゃあ今度、綺麗に見えるネクタイの結び方のコツを教えてくれよ」
「あぁ」
纏う空気がいつもどおりの悠になったので、俺も気軽に軽口が叩けるようになった。
うん、こっちの悠の方がやっぱいいな。
あっちの悠は鬼門だ、気をつけないと…
またおかしくなられても困るので、もう一度しっかり悠には念を押しておく。
「きっとさ、昨日の匂いは羽鳥先輩の濃厚なΩの香りに当てられたせいで、鼻が誤作動でも引き起こしたんじゃねぇの?」
「いや。あの匂いは確かに存在していた。これだけは間違っていない」
違うって言ってんのに、なぜか悠もキッパリ否定してくる。
まだ納得がいってないのかよ。
面倒な奴だな。間違いを認めるのも大事だぞ。
「でも俺からはそんな匂いがしないって、お前自身が言ったんじゃねーか。 俺もお前からは柔軟剤の匂いしか感じねーよ」
「それがわからないから混乱している。この間までは昨日ほどではないとしても、確かにアキからはどこかしら惹かれる匂いがしていたんだ」
俺の首筋をじっと見つめながら悠が言ってくる。
本当に自分の否を認められない、困ったα様だ。
「この間の匂いまでは分かんねーけど、昨日の匂いはアレだ。お前のフェロモンのせいだと思うわ」
「……オレの?」
「そうそう。昨日は俺の身体にお前のフェロモンが入っちゃって、ひっどい目にあったんだよ。毛穴に詰まった感じになって、なかなか出ていかなかったから、多分それが匂いとなってお前に感じられたんじゃねーの?」
適当に思いついたことを口にしてみただけだけど、自分で言っているうちに何だかそんな気がしてきた。
うん、もうこれで正解な気がする。
しかし俺の言葉にまだ納得がいかないのか、悠は顔を顰めたままだ。
「……自分の匂いであんな気持ちにはならないし、そんな話も聞いたことがない」
あーもう、頭が固いなお前。
こういうのはな、聞いた聞かないじゃなく、なんとなくで感じとればいいんだって。
「俺もよく分かんねーけど、それくらいしか原因が思いつかないんだから、それでいいじゃん。どっちみち勘違いだったのは確かだし。とりあえずこの話はここまでな」
「──そう、だな」
無理矢理話を切り上げたけど、悠が大人しく引き下がってくれて良かった。
これ以上話してもどうせ平行線だろうし。
「まぁあれだ、俺の匂いなんかどうでもいいじゃん。それよりもお前は羽鳥先輩とのことを考えなきゃ駄目だろ。向こうは待ってくれないぞ」
「あぁ、わかっている」
「俺はどっちを選んでも悠の味方だし、手伝えることがあったら手伝うからさ」
「あぁ、ありがとう」
「じゃあ俺、バイト行くな。あ、……俺相手に勃った不名誉な事実は忘れてやるから、お前も気にすんなよ」
「あぁ、アキありがとう。バイト頑張って。オレも鍵を返したら帰るよ」
「おう、じゃあまた来週な!」
元に戻った雰囲気に安心しながら、そそくさと資料室を後にする。
悠の違和感にはあえて気づかないフリをした。
だって俺はβだし。
これ以上は俺が関わっちゃいけない気がする。
とにかく、色々ビックリするようなことはあったけど、全部が誤解で本当に良かった。
まさかこんなにもβだったことに安堵する日がくるなんてな。
自分のバースに安心しつつ、バイトに遅れないように俺は廊下を走り出した。
───だから気づかなかったんだ……。
悠が俺の後ろ姿を仄暗い眼差しで見ていた事に。
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