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2話 ファルファラ
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「今日はもう寝るか?」
疲れただろうと気遣ってくれる男になんと返せばいいかと詰まっていたら、お腹が先に返事をしてしまった。キューと鳴ったお腹を押さえて少年は恥ずかしそうに下を向いた。そんな可愛らしい様子に男は笑みをこぼした。
「寝る前に何か食べよう。サリー、軽食を頼む」
「かしこまりました。少々お待ちください」
サリーと呼ばれた執事は綺麗なお辞儀をして退出していった。
男は少年を絵画近くの椅子に座らせて、パソコンを片付け、対面の椅子を横に移動させた。
「名前は何というんだ?」
少年は男をちらっと見て下を向き、静かに首を横に振った。
「ないのか?」
それにも少年は首を振った。男は困り、黙って少年を見た。少年はまたちらっと見上げた。
「…わ、わかりませんっ」
「自分の名前がわからないのか?」
少年はこくこくと数回うなずいた。屋敷では徹底的に坊ちゃんとしか呼ばれなかったから自分の名前なんて忘れてしまった。
「俺が名前を決めてもいいか?」
少年は大きい目をさらに大きくして男を見返したが、男と目が合ってしまい慌てて下げた。
これまでいた屋敷の人々は少年の相手を見透かすようなオッドアイを気味悪がり、メイドや家庭教師たちはこちらを見るなと無害な彼に手を上げることもあった。そうした愛のない環境で暮らしてきた少年は自分の容姿にコンプレックスを抱き、悪意に敏感になってしまった。
「…駄目か」
目をつむって動かない少年に、男は少し悲しそうに呟いた。それを聞いた少年は慌てて、でもどうしたらいいのかわからず、男の手を触った。
「違い、ます…」
男は言葉を探す少年の手を包み、次の言葉を待った。
「えっと…こんなに、優しくしてもらうの…初めてです。だから、どうしたらいいか、わかりません…」
男は少年の可愛らしさに思わずまた抱きしめた。それに少年は驚き、みじろぎした。
「言ってくれてありがとう。ゆっくりでいいから今みたいに自分の思いを言って欲しい」
今までの何もかもを否定するような男の言葉たちに少年は翻弄されながらも、小さく首を縦に振った。
「…あなたは、きっと悪い人じゃないです。だから、名前…ぼくの名前を決めて欲しい、です」
やはり小さいが先ほどよりもしっかりした声に、感情の昂りをより強く感じた。ありがとうと囁き、男は身体を離した。手を繋げたまま、少年のオッドアイを見つめて名前を深慮した。
「ファルファラ」
脳に響く心地よい低音で言われた言葉に少年はピクリと反応した。
「蝶々、という意味だ。綺麗なお前に合ってると思うんだが…どうだ?」
「…綺麗?ぼくが…?」
「ああ。透き通るブルーとグリーンの目も眩しいブロンドの髪もなめらかな肌も、全部綺麗だ」
少年の言葉に心底不思議そうに返されたキザな台詞に嘘はなく、それがわかるために少年の心はさらに解れた。
「ファルファラ、で大丈夫です…」
赤面の少年、改めファルファラの可愛さに思わず頭にキスを落とした。照れたファルファラは男をちらりと見上げ、彼の名前を尋ねた。
「まだ名乗ってなかったか。俺はトラモント・デゼルトという。お前はファルファラ・デゼルトになるな」
「トラモントさん…」
「ファル、家では好きに呼んでくれていいが、外では父と呼んでくれると助かる」
ファルファラは頷き、屋敷で実父を呼ぶときと同じように言った。
「…お父様、でいいですか?」
「そんな堅苦しくなくていい。ここはお前の家になったんだから気楽にしていいんだ」
少しの間考えて、上目遣いで応えた。
「…父さん?」
気安くそう呼び直してくれたファルファラにトラモントは喜び、たくさんキスを降らせた。
ドアのノック音でキスはようやく止まった。
「失礼します。夜食をお持ちいたしました」
ことりとお皿とティーカップが置かれた。お皿にはたまごサンドウィッチが盛られ、ティーカップにはりんごに似たほのかに甘い匂いのするカモミールティーが淹れられていた。
食べていいかと聞くようにトラモントを見上げると、察してくれた彼はこくりと頷いた。
「いただきます」
サンドウィッチを頬張ると、溢れてきたたまごのまろやかな味に顔がほころんだ。カモミールティーを飲むと、スッキリとした味わいに気分も少し落ち着いてきた。
「シャワーを浴びてくるから食べててくれ」
頬を膨らませたまま頷いたファルファラにトラモントはまた1つキスを落として行った。
完食して少しした頃、こざっぱりしたトラモントが戻ってきた。髪を下ろしていると年相応に見える。
「ファルファラ、紹介していなかったな。執事のサリーチェだ。俺がいない時はサリーといなさい」
傍に控えていたサリーチェはよろしくお願いしますねとファルファラに微笑みかけた。ファルファラは立ち上がってよろしくお願いしますとお辞儀を返した。礼儀正しい彼にサリーチェはかがんで握手を求め、握った彼の手の小ささに少し目を見開いた。
「ファルファラ坊ちゃん、私のことはどうぞサリーとお呼びください」
「…サリーさん」
「はい、坊ちゃん」
呼べば、笑顔で応えてくれる。嬉しくて数回それを繰り返した。
「ファル、そろそろ寝ようか」
「はい」
おやすみなさいませと言い置いてサリーチェは退出した。ひょいと抱き上げられ、ベッドまで連れて行かれた。トラモントの腕に抱かれて、おやすみのキスを額に受けた。安心感のある胸板に慎重に身体を預けて、ファルファラはすぐに寝息を立て始めた。
疲れただろうと気遣ってくれる男になんと返せばいいかと詰まっていたら、お腹が先に返事をしてしまった。キューと鳴ったお腹を押さえて少年は恥ずかしそうに下を向いた。そんな可愛らしい様子に男は笑みをこぼした。
「寝る前に何か食べよう。サリー、軽食を頼む」
「かしこまりました。少々お待ちください」
サリーと呼ばれた執事は綺麗なお辞儀をして退出していった。
男は少年を絵画近くの椅子に座らせて、パソコンを片付け、対面の椅子を横に移動させた。
「名前は何というんだ?」
少年は男をちらっと見て下を向き、静かに首を横に振った。
「ないのか?」
それにも少年は首を振った。男は困り、黙って少年を見た。少年はまたちらっと見上げた。
「…わ、わかりませんっ」
「自分の名前がわからないのか?」
少年はこくこくと数回うなずいた。屋敷では徹底的に坊ちゃんとしか呼ばれなかったから自分の名前なんて忘れてしまった。
「俺が名前を決めてもいいか?」
少年は大きい目をさらに大きくして男を見返したが、男と目が合ってしまい慌てて下げた。
これまでいた屋敷の人々は少年の相手を見透かすようなオッドアイを気味悪がり、メイドや家庭教師たちはこちらを見るなと無害な彼に手を上げることもあった。そうした愛のない環境で暮らしてきた少年は自分の容姿にコンプレックスを抱き、悪意に敏感になってしまった。
「…駄目か」
目をつむって動かない少年に、男は少し悲しそうに呟いた。それを聞いた少年は慌てて、でもどうしたらいいのかわからず、男の手を触った。
「違い、ます…」
男は言葉を探す少年の手を包み、次の言葉を待った。
「えっと…こんなに、優しくしてもらうの…初めてです。だから、どうしたらいいか、わかりません…」
男は少年の可愛らしさに思わずまた抱きしめた。それに少年は驚き、みじろぎした。
「言ってくれてありがとう。ゆっくりでいいから今みたいに自分の思いを言って欲しい」
今までの何もかもを否定するような男の言葉たちに少年は翻弄されながらも、小さく首を縦に振った。
「…あなたは、きっと悪い人じゃないです。だから、名前…ぼくの名前を決めて欲しい、です」
やはり小さいが先ほどよりもしっかりした声に、感情の昂りをより強く感じた。ありがとうと囁き、男は身体を離した。手を繋げたまま、少年のオッドアイを見つめて名前を深慮した。
「ファルファラ」
脳に響く心地よい低音で言われた言葉に少年はピクリと反応した。
「蝶々、という意味だ。綺麗なお前に合ってると思うんだが…どうだ?」
「…綺麗?ぼくが…?」
「ああ。透き通るブルーとグリーンの目も眩しいブロンドの髪もなめらかな肌も、全部綺麗だ」
少年の言葉に心底不思議そうに返されたキザな台詞に嘘はなく、それがわかるために少年の心はさらに解れた。
「ファルファラ、で大丈夫です…」
赤面の少年、改めファルファラの可愛さに思わず頭にキスを落とした。照れたファルファラは男をちらりと見上げ、彼の名前を尋ねた。
「まだ名乗ってなかったか。俺はトラモント・デゼルトという。お前はファルファラ・デゼルトになるな」
「トラモントさん…」
「ファル、家では好きに呼んでくれていいが、外では父と呼んでくれると助かる」
ファルファラは頷き、屋敷で実父を呼ぶときと同じように言った。
「…お父様、でいいですか?」
「そんな堅苦しくなくていい。ここはお前の家になったんだから気楽にしていいんだ」
少しの間考えて、上目遣いで応えた。
「…父さん?」
気安くそう呼び直してくれたファルファラにトラモントは喜び、たくさんキスを降らせた。
ドアのノック音でキスはようやく止まった。
「失礼します。夜食をお持ちいたしました」
ことりとお皿とティーカップが置かれた。お皿にはたまごサンドウィッチが盛られ、ティーカップにはりんごに似たほのかに甘い匂いのするカモミールティーが淹れられていた。
食べていいかと聞くようにトラモントを見上げると、察してくれた彼はこくりと頷いた。
「いただきます」
サンドウィッチを頬張ると、溢れてきたたまごのまろやかな味に顔がほころんだ。カモミールティーを飲むと、スッキリとした味わいに気分も少し落ち着いてきた。
「シャワーを浴びてくるから食べててくれ」
頬を膨らませたまま頷いたファルファラにトラモントはまた1つキスを落として行った。
完食して少しした頃、こざっぱりしたトラモントが戻ってきた。髪を下ろしていると年相応に見える。
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傍に控えていたサリーチェはよろしくお願いしますねとファルファラに微笑みかけた。ファルファラは立ち上がってよろしくお願いしますとお辞儀を返した。礼儀正しい彼にサリーチェはかがんで握手を求め、握った彼の手の小ささに少し目を見開いた。
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