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霧の外の事実
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しんと静まり返った部屋に時計の秒針が進む音だけが小さく響く。
龍弥の手を握る修の手は少し冷たくて、肌が重なっている部分の感覚が研ぎ澄まされる。
「もう一つ、これは憬の望みではなくて僕のお節介で言っていることだ。彼が望んで会いたいと口にした訳じゃない」
「……あの人が望まないのに会わせてどうする。俺たちはとっくの昔に縁が切れてる。裏でどんな事情があったかは知らないが、とっくに別れてるんだよ」
「はっきりと頼まれたわけじゃないんだ。でも憬が何気なく、龍弥はどうしてるかなって。多分ぽろりと溢れただけの言葉だろうけど」
「だったら尚更、病気で弱って気まぐれに名前を出しただけだろ」
握り込まれた修の手を振り払うと、グラスを手に取ってワインを呷る。
憬が大病を患って持ち崩してることには同情するが、龍弥にしてみれば10年も前に捨てられた相手だ。今更感傷的に名前を出したからって、病床の憬に会ってやる謂れがない。
「それは違うよ龍弥」
「はあ?」
「憬が癌を発症したのは10年前だ。既にその時から治療法がなくて、手術が成功しても生き長らえるのは無理だと宣告されてたんだよ」
「……どういうことだよ」
「皮肉な話だけどね、術後再発を繰り返しながらも、なんとか今まで生き長らえてきた。だけどもう神様がそれを許してくれないらしい。憬はね龍弥、君を目に見えない愛情で縛り付けるんじゃなくて、他の形で遺していこうとしたんだよ」
修の言葉で顛末をようやく悟る。つまり癌の告知を受けた憬は龍弥に、経営する店を譲渡する事で財産を残し、手酷く捨てることで自分への心残りは捨てさせ、パートナーとして出来得る限りのことをしたと言いたいのだろう。
病気を理由に惰性で面倒を見させるのが嫌だったのか、それとも亡くして失う辛さを背負わせたくなかったのか。
仔細は分からないが、どの道だろうと龍弥が傷を受けるのは目に見えている。
「だからって手切金代わりに店の権利を寄越すなんて。やり方が雑過ぎるだろ」
「じゃあ龍弥、君なら将来ある20代の若者に、死んでしまうけど傍にいてくれって言えるかい?」
「……それは」
「憬だって龍弥を嫌った訳じゃない。君が大切だったから、どれが正解かなんて分からないけど、パートナーとしての最善策を取ったんじゃないかな」
修が言うことが事実に近いのだろうか。
『お前もういいよ。店やら全部くれてやるから消えろ』
表情を崩さず抑揚のない冷たい声。
憬が姿を消してからも突然のことにそれを受け止め切れず、けれど痕跡を消した彼を探そうにも糸口すら見当たらず、しばらく酒浸りになって男を漁った。
大切だったから遺そうとした?そんなやり方があるだろうか。龍弥はあの仕打ちを受けて深く傷付いた。それが例え龍弥を思っての行動だったとしても、捨てられた苦さは拭えない。手切金?ふざけるなと仕事も何度か投げ出そうとした。
大切にされていたからこそ店を託されたのではないか。修はそう言うが、飽き性で面倒臭がりな憬が本当にそんなことを思っていたのだろうか。
「……腑に落ちないよね。顔に書いてある。だからね龍弥、憬が生きてるうちに会って蟠りを解くことは出来ないかな」
「それは兄貴に孝行してやりたい修のエゴだろ」
「そうだね。僕のエゴだろうね」
悲しそうに目を伏せる修の顔を見ると、ジクッと胸の奥が疼くように痛む。修を悲しませたくて言ってる訳じゃない。
10年も経った今頃になって、捨てられた相手に実は大事にされていたと聞かされても心が追い付かない。
「……悪い。急なことに心が追い付いていかないんだ。アンタを責めたい訳じゃない」
「大丈夫だよ。僕は身勝手に歪んだ歯車を噛み合わせたいだけなんだ。龍弥の言う通り、それはエゴでしかない。ただの自己満足だよね」
「そんなにあの人が、兄貴が大事か」
「そうだね。憬はいつでも僕の味方だったから、僕のヒーローが弱っていく姿を見ているのは辛いことだね」
「……憬が長くないって、どれくらいなんだ」
「今日また施設から連絡があってね、もういつ居なくなってもおかしくない」
張り詰めた糸が切れたように修の声が少し震える。
龍弥は修を抱き寄せると、だから俺を探したのか?と気に掛かっていたことを耳元で呟く。
「脚がどうこうって、街で噂になってるのアンタだろ」
「……龍弥?」
「憬に会わせる為に俺を探したのか」
龍弥の脚の付け根には、臀部に近い後方から骨盤に掛けて蛇が這うようなタトゥを入れてある。昨夜肌を合わせた修はもうとっくに気が付いてるはずだ。
いや、それよりも前に巽のバーで世間話をした時に、おおよその見当すらついていたかも知れない。
「まさか君だとは思わなかったけど、随分前から探していたことは否定しない」
憬から聞いていた雰囲気と違ったので、まさか龍弥がその相手だとは思わなかったと修が腕の中で口籠った。
龍弥の手を握る修の手は少し冷たくて、肌が重なっている部分の感覚が研ぎ澄まされる。
「もう一つ、これは憬の望みではなくて僕のお節介で言っていることだ。彼が望んで会いたいと口にした訳じゃない」
「……あの人が望まないのに会わせてどうする。俺たちはとっくの昔に縁が切れてる。裏でどんな事情があったかは知らないが、とっくに別れてるんだよ」
「はっきりと頼まれたわけじゃないんだ。でも憬が何気なく、龍弥はどうしてるかなって。多分ぽろりと溢れただけの言葉だろうけど」
「だったら尚更、病気で弱って気まぐれに名前を出しただけだろ」
握り込まれた修の手を振り払うと、グラスを手に取ってワインを呷る。
憬が大病を患って持ち崩してることには同情するが、龍弥にしてみれば10年も前に捨てられた相手だ。今更感傷的に名前を出したからって、病床の憬に会ってやる謂れがない。
「それは違うよ龍弥」
「はあ?」
「憬が癌を発症したのは10年前だ。既にその時から治療法がなくて、手術が成功しても生き長らえるのは無理だと宣告されてたんだよ」
「……どういうことだよ」
「皮肉な話だけどね、術後再発を繰り返しながらも、なんとか今まで生き長らえてきた。だけどもう神様がそれを許してくれないらしい。憬はね龍弥、君を目に見えない愛情で縛り付けるんじゃなくて、他の形で遺していこうとしたんだよ」
修の言葉で顛末をようやく悟る。つまり癌の告知を受けた憬は龍弥に、経営する店を譲渡する事で財産を残し、手酷く捨てることで自分への心残りは捨てさせ、パートナーとして出来得る限りのことをしたと言いたいのだろう。
病気を理由に惰性で面倒を見させるのが嫌だったのか、それとも亡くして失う辛さを背負わせたくなかったのか。
仔細は分からないが、どの道だろうと龍弥が傷を受けるのは目に見えている。
「だからって手切金代わりに店の権利を寄越すなんて。やり方が雑過ぎるだろ」
「じゃあ龍弥、君なら将来ある20代の若者に、死んでしまうけど傍にいてくれって言えるかい?」
「……それは」
「憬だって龍弥を嫌った訳じゃない。君が大切だったから、どれが正解かなんて分からないけど、パートナーとしての最善策を取ったんじゃないかな」
修が言うことが事実に近いのだろうか。
『お前もういいよ。店やら全部くれてやるから消えろ』
表情を崩さず抑揚のない冷たい声。
憬が姿を消してからも突然のことにそれを受け止め切れず、けれど痕跡を消した彼を探そうにも糸口すら見当たらず、しばらく酒浸りになって男を漁った。
大切だったから遺そうとした?そんなやり方があるだろうか。龍弥はあの仕打ちを受けて深く傷付いた。それが例え龍弥を思っての行動だったとしても、捨てられた苦さは拭えない。手切金?ふざけるなと仕事も何度か投げ出そうとした。
大切にされていたからこそ店を託されたのではないか。修はそう言うが、飽き性で面倒臭がりな憬が本当にそんなことを思っていたのだろうか。
「……腑に落ちないよね。顔に書いてある。だからね龍弥、憬が生きてるうちに会って蟠りを解くことは出来ないかな」
「それは兄貴に孝行してやりたい修のエゴだろ」
「そうだね。僕のエゴだろうね」
悲しそうに目を伏せる修の顔を見ると、ジクッと胸の奥が疼くように痛む。修を悲しませたくて言ってる訳じゃない。
10年も経った今頃になって、捨てられた相手に実は大事にされていたと聞かされても心が追い付かない。
「……悪い。急なことに心が追い付いていかないんだ。アンタを責めたい訳じゃない」
「大丈夫だよ。僕は身勝手に歪んだ歯車を噛み合わせたいだけなんだ。龍弥の言う通り、それはエゴでしかない。ただの自己満足だよね」
「そんなにあの人が、兄貴が大事か」
「そうだね。憬はいつでも僕の味方だったから、僕のヒーローが弱っていく姿を見ているのは辛いことだね」
「……憬が長くないって、どれくらいなんだ」
「今日また施設から連絡があってね、もういつ居なくなってもおかしくない」
張り詰めた糸が切れたように修の声が少し震える。
龍弥は修を抱き寄せると、だから俺を探したのか?と気に掛かっていたことを耳元で呟く。
「脚がどうこうって、街で噂になってるのアンタだろ」
「……龍弥?」
「憬に会わせる為に俺を探したのか」
龍弥の脚の付け根には、臀部に近い後方から骨盤に掛けて蛇が這うようなタトゥを入れてある。昨夜肌を合わせた修はもうとっくに気が付いてるはずだ。
いや、それよりも前に巽のバーで世間話をした時に、おおよその見当すらついていたかも知れない。
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