隠居賢者の子育て余生

具体的な幽霊 

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第二十三話 料理の味が気持ちで決まるなら、この料理はとても不味いだろう

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 書庫の出口にある本棚をずらし、子供達が外に出られるようにしてから、私は昼食を作るため台所へと向かう。
 するとそこには、包丁でリズムよく野菜を刻むレキムの姿があった。先ほどあれだけ落ち込んでいたから、てっきりまだ項垂れているのかと思っていたのだけれど、どうやら立ち直っていたらしい。
 
 「何作っているんですか?」

 「牛肉のミートローフだよ。君が子供達の面倒を見てくれていたようだから、昼食は私が作るべきだと思ってね」

 「良い心掛けですね」

 私はレキムの隣に立ち、料理の手伝いを始める。魔法で軽く加熱した玉ねぎの皮を剥き、みじん切りにしていく。
 レキムは人参のみじん切りを終え、魔法で牛肉の塊をミンチにしていた。それをやるなら、野菜も魔法で切ればよかったのに、なんて野暮なことは言わない。料理は手間がかけた方が、食べた時に美味しく感じるものだ。少なくとも私はそう思っているから、包丁を手に取っている。

 「いつの間に、そんな牛肉を手に入れたんですか?」

 気になったのは牛肉だ。生の牛肉の塊なんて、隠居してからは滅多に見たことがない。
 
 「ああ、これは去年の冬に行った『時間停止研究』の検証実験に用いた牛肉だ。見たところ腐っている様子もなかったので、料理しようと思ったのだよ」

 『時間停止研究』は、レキムが魔法研究者時代に行っていた研究の一つだ。その名の通り、時間を止める魔法を創り出すための研究で、成功すれば不老不死に応用できる可能性が高いことから、多くの貴族や資本家から出資を受けて行われていたのだけれど、時間という概念を上手く記述することが出来なかったために失敗に終わったのを覚えている。

 「それって、実験が成功していたってことですよね。成功の証拠を食べちゃっていいんですか?」

 私としては真っ当な疑問を投げかけたつもりなのだけれど、レキムは軽く笑う。
 
 「まだ半年ほどしか経っていないから、成功したとは言い切れまい。それに……」

 「それに?」

 「こんな魔法が普及しても、碌な事にならないだろう」

 碌なことにならない、か。

 「それはあなた一人の予想に過ぎないでしょう」
 
 私は切り終えた玉ねぎを刻まれた人参の入ったボウルに入れてから、はっきりとレキムの言葉を斬る。

 「その肉みたいに半永久的な食糧の保存ができるのなら、大規模な飢饉が起きた際に備えて食料の備蓄が容易になりますよね。そうなれば、貧しい人々が今よりも安心して暮らせるようになります」
 
 レキムは、ミンチにした牛肉を大きめのボウルに入れた後、今度はパンを魔法で粉にしつつ、反論を始めた。
 
 
 「この魔法で、無能な金持ちが長生きする可能性があることの方が問題なのだよ。死ぬことが不幸なのかどうかは死んだ後にしか分からないのに対し、無能な金持ちは現時点で明確に害悪だ。金は経済の血液であるにもかかわらず、自分のところで金が淀んでいることを誇っているのだから。あのような人種が長生きすると、経済の流れが滞ってしまう」

 レキムの言っていることは、きっと一つの事実なのだろう。魔法道具の販売で富裕層から搾り取った金を、国営の施設への投資によって国民に再分配することで貧富の差を是正しようとした人間らしい、合理的で冷たい考え方だ。
 フライパンに油を引いて、ボウルの中の人参と玉ねぎを投入して炒めつつ、私は再度意見する。
 
 「あなたは、命の価値を軽んじています」

 私の方を少し見たレキムは、やれやれという風に首を振った。

 「君は命を重く見過ぎている」

 空いたボウルの中に、粉々になったパンと卵と牛乳を混ぜながら、レキムは続ける。

 「君は人の命のことを平等に尊いものだと思っている節があるが、数千の命をとしてでも護るべきものは確かにあるのだ。それが後に、数万の命を救うことになるのならば」

 玉ねぎが透き通ってきたので、一度大皿に取って冷ます。それから、まるで未来を透視できるかのように語る男に文句を言う。
 
 「不確定な未来の命と、確かにある現在の命を比べようとしている時点で、あなたはおかしいんですよ。今を生きる人は、今ある命を大切にする選択肢を取るべきです。未来のために現在を蔑ろにしていては、現在の人々は未来人の奴隷になってしまいます」

 机上の計算上は、レキムの言い分に理があるかもしれない。けれど、実際問題として、未来を形成する現在の変数を全て把握するのが非常に困難である(そもそも未来が規則的な変数のみで形成されているか判らない)以上、取らぬ狸の皮算用をすべきではないと、私は思う。
 でも、レキムはそうは思わないらしい。

 「確かに、多くの場合において未来は不確定だが、ほとんど確定した未来もある。例えば、ほとんど動けない老人と、快活な若者ならば、若者の価値の方が高いことが明確であるように、未来において、一般に現在の若者は未来の若者よりも価値が低くなるだろう」

 冷めた玉ねぎ人参と、牛肉のミンチ、パン粉と卵と牛乳を混ぜたものを塩コショウと共に一つに練り混ぜて作ったタネを、パンを焼くときに使う型に詰めながら、レキムは続ける。

 「万物には一定の価値がある。無論、人間にもだ。道徳などという実益のない考えを無視して人間の価値を定めることが出来れば、より多くの人間が、より少ない犠牲で幸福を得ることができるはずだ」

 価値を定めるという行為は、社会の利益を最大化するために最も効率的な資源分配をするための重要な行為ではある。でも、やっぱりそれは理想論だ。
 私は使ったフライパンを洗いながら、にやりと笑って言う。

 「人間の価値を定められる存在が、神以外に存在するのだとしたら、あなたの考えに一定の理解を示せるかもしれませんね。まさか、人が人の価値を定めたとして、それを他の人が認めるなんて思っていませんよね」

 私の言葉に一瞬だけ手を止めたレキムは、こちらを見ることなく作業を再開し、パンの型に全てのネタを詰め、その後ゆっくりと口を開いた。

 「個人が狂気に染まるのは難しいが、集団が狂気に染まるのは通例だ。度の超えた合理性を追求する集団が実権を握れば、己を神と見紛って、命の価値を断定することが出来るかもしれない」
 
 レキムは、奥にある石窯に、現出させた火球を投じてから、苦い顔でもう一言呟く。

 「なにせ、過去に同じ人間を道具として扱うことを正当化した集団がいたのだからな」
 
 充分に温まった石窯の中に、ネタの入ったパンの型を入れ、薪をくべて火をつけたレキムは先ほどまでの話は無かったかのように笑った。

 「話が逸れたな。とにかく、『時間停止実験』の結果を公表する気はない。後は付け合わせとソースを作るだけだから、君は子供達の様子でも見に行ったらどうかね?」

 これ以上何を言っても無駄だと言わんばかりに、少し大きな声でレキムは言った。
 ここで「子供達のことが気になるのならば、自分で見に行けばいいじゃないですか」と言わない私は、凄く優しいと思う。
  
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造語解説

『時間停止実験』:不老不死を魔法で実現できるのではないか、という貴族の安直な考えから始まった研究。大量の資金が投入され、物理学者や哲学者まで巻き込んだ一大研究だったのだが、結局何の成果も得られなかった。客観的な時間をそのままにしたまま、特定の範囲の時間だけを停止させる、という現象の存在定義の記述が出来なかったのだ。
 ある物理学者の提案では、流れている時間と止まっている時間との境界の存在を説明できず、ある哲学者の提案では、断定的な主観が多すぎて存在定義足り得なかった。
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