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6-1. 清廉な独白
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第三騎士団の精鋭が円卓を囲んでいる頃、勇者のお供の修道騎士の元に、教会から放たれた独立飛行魔法術式が飛んできた。描かれている術式は、教会が普段使っている”燕”ではなく”隼”。出来るだけ早く、情報を伝えようとしたのだろう。
”隼”は、開かれていた窓から部屋の中に入って来て、椅子に座るディエスの膝上へと着地し、元の羊皮紙の姿へと変化した。
その羊皮紙に書かれていた文章の内容をまとめると、次のようになる。
・貴君らが見たような人相では無いが、上級魔法を扱える男性の魔導士が一名、行方不明になっている。その魔導士が姿を変える魔法を使って、貴君らに接触してきたと考えるのが妥当だろう。
・最近あらゆる場所で行方不明者の報告が相次いでいる。行方不明になる人物の共通点は今のところ見つかっておらず、原因も不明だ。教会はこれが、天啓にあった”枝葉が枯れ落ちる”という部分が示していた事態だと考えており、”幹が腐り折れる”という部分が何を予期しているのかを突き止めるべく、全力を挙げて調査を進めている。
・教会は、この一連の事態を独力で解決するのは困難だと判断し、王国第三騎士団の助力を得る事にした。貴君は引き続き勇者の監視に務め、得られた情報を随時教会へ報告せよ。
事態が思っていた以上に深刻になっているらしい事を知ったディエスは、すぐに隣の部屋にいる勇者へ、この文書を渡した。
「この男性の魔導士は、私達が出会った女性とは別人でしょうね」
文書を読んだラリアは、確信に満ちた口調でそう言った。
「素性を隠して私達に接触したかったのだとしたら、別にわざわざ女性の姿になる必要なんて無くて、自分と同性の姿に変化した方が、振る舞いや喋り方が不自然にならないですから」
「では、我々が見たあの女性は何者なんですか?人に化けた魔獣ですか?相手の脳を食べて、その相手が持つ知識を奪う脳漿喰いという魔獣を聞いた事だけはありますが、そのような魔獣が魔導士を喰らい、女性の姿に化けて我々の前に現れる可能性の方が、男性の魔導士が女性の姿に化けていたという可能性よりも高いと思っているのですか」
「そうではありません。もっと別の、私達が思いもつかないようなものが、あの女性の正体だと思うんです」
半日に渡って部屋に籠り、考え続けていたラリアは、一つの結論に達していた。
すなわち、あの女性は現在の私達には理解できない新たな存在なのだ、と。
ディエスは、ラリアの言葉が妙に腑に落ちている自分を不思議に思った。どちらか分からないから、どちらでもないなんて、都合の良すぎる解釈だというのに。
言葉を紡ぐラリアの瞳が、自信の煌きに満ちていたからかもしれない。
「魔獣でも人間でもないという事ですか……」
「ええ。あの時、私はあの女性が人間ではないと感じていたけれど、魔獣だとも感じなかったんです。初めは、帯びている雰囲気が人間にしては不気味過ぎるのに、見た目や立ち振る舞いが人間らしかったから、そう感じたのだと思っていたんですが、考えている内に、違うと気付いたんです」
今まで、ラリアは自分の胸の内を他人に話した事が無かった。人々が自分に求めていたのは神からの言葉で、自分自身の言葉に耳を傾けようとする人はいないと思っていたから。
一息置いて、自分の考えを整理してからラリアは続ける。
「私は今まで、ほとんど無意識に人民を守り、魔獣を狩ってきました。魔獣を視界にとらえると反射的に剣を抜き、即座に斬りかかっていたんです。人間と魔獣とでは纏っている雰囲気が違うので、魔獣が人間の姿形をしていようとも関係ありませんでした。それなのに、あの女性と対面した時、私は考えてしまったんです。どうしたらいいのか、分からなくなったんです。初めての経験でした」
丁寧に、結論に至るまでに通っていった思考の道筋を辿っていく。
「教会から知らされていると思いますけど、私は今回初めて、自分の意志で行動しています。そのせいで、あんな迷いが生じたと思ったんです。自分で考えて行動するのは、怖いですから」
怖い、か。
ディエスは、人並みの感情を抱く勇者に、初めて共感に近い感情を抱いた。無論、表情には出さないが。
弱者が力を振るわれる事に恐怖しているのと同様に、強者は力を振るう事を恐怖している。特に、人間の命の価値は皆平等に比類なく尊いと思っている強者は、自分の判断で何人もの弱者の命に対して責任が生じる事に苦心する。
「でも、考えてみたら、おかしいんです。確かに、教会の言いなりではなく自分の意志に従うようになって、何が善くて、何が悪いのかを思案するようになりましたが、人間なら守り、魔獣なら斬るという信念が揺らいだ事は一度もないんです。それなのに、あの女性を目の前にして、私は揺らいでしまったんです」
ラリアは、自分の説明がディエスに伝わっているかが不安になった。
自分の説明が理論的でなく、説得力に欠けている事をラリアは重々承知していた。結論には自信があった。だが、この結論に説得力を帯びさせるための言葉を、彼女は持っていなかった。
「ここまで考えてから、当時の感覚をもう一度思い起こしてみると、私は、あの女性に人間と魔獣の両方の性質を感じ取っていたんだと気付いたんです」
ディエスはラリアの言葉を聴いて、自分が最も知りたい事を、ラリアが話していないと思った。
「あなたの考えは分かりました。それで、あなたは次にあの女性に出会った時、どうするつもりなのですか?斬るのですか、それとも、守るのですか?」
ディエスは、ラリアの胸の内にある蟠りがどのように解消されたか、という事に関心は無い。彼は、ラリアがどんな行動をするのかにだけ興味がある。あの女性にもう一度遭遇した時に、あのようなどっちつかずな態度を取られては困るから。
ラリアは、ディエスの質問に対する答えを既に持っていた。
「それは、何とも言えません。でも、もう一度あの顔を見て、話をすれば、どちらが正しいのか分かる気がするんです」
その答えは、ディエスが予想していた中で最悪のものだった。
「そうですか」
ディエスは、次にあの女性を見つけたら、全身全霊をもってその首を斬り落とすと覚悟を決めた。
もし、勇者があの女性に懐柔されでもしたら、自分の命のみならず、王国そのものを危険に晒す事になりかねないのだから。
「ですから、もう一度、あの女性に会わなければならないんです」
ラリアは、晴れやかな気持ちで窓の外に視線を向けた。
空は灰色の分厚い雲に覆われていたが、雲と雲の切れ目から暖かな橙色の夕陽が覗いていた。
「今日はもう遅いですから、出発は明日の朝にしましょう」
「分かりました」
ディエスは、初めて教会に心から祈った。
勇者があの化け物に出逢う前に、教会が化け物を駆除してくれるように。
”隼”は、開かれていた窓から部屋の中に入って来て、椅子に座るディエスの膝上へと着地し、元の羊皮紙の姿へと変化した。
その羊皮紙に書かれていた文章の内容をまとめると、次のようになる。
・貴君らが見たような人相では無いが、上級魔法を扱える男性の魔導士が一名、行方不明になっている。その魔導士が姿を変える魔法を使って、貴君らに接触してきたと考えるのが妥当だろう。
・最近あらゆる場所で行方不明者の報告が相次いでいる。行方不明になる人物の共通点は今のところ見つかっておらず、原因も不明だ。教会はこれが、天啓にあった”枝葉が枯れ落ちる”という部分が示していた事態だと考えており、”幹が腐り折れる”という部分が何を予期しているのかを突き止めるべく、全力を挙げて調査を進めている。
・教会は、この一連の事態を独力で解決するのは困難だと判断し、王国第三騎士団の助力を得る事にした。貴君は引き続き勇者の監視に務め、得られた情報を随時教会へ報告せよ。
事態が思っていた以上に深刻になっているらしい事を知ったディエスは、すぐに隣の部屋にいる勇者へ、この文書を渡した。
「この男性の魔導士は、私達が出会った女性とは別人でしょうね」
文書を読んだラリアは、確信に満ちた口調でそう言った。
「素性を隠して私達に接触したかったのだとしたら、別にわざわざ女性の姿になる必要なんて無くて、自分と同性の姿に変化した方が、振る舞いや喋り方が不自然にならないですから」
「では、我々が見たあの女性は何者なんですか?人に化けた魔獣ですか?相手の脳を食べて、その相手が持つ知識を奪う脳漿喰いという魔獣を聞いた事だけはありますが、そのような魔獣が魔導士を喰らい、女性の姿に化けて我々の前に現れる可能性の方が、男性の魔導士が女性の姿に化けていたという可能性よりも高いと思っているのですか」
「そうではありません。もっと別の、私達が思いもつかないようなものが、あの女性の正体だと思うんです」
半日に渡って部屋に籠り、考え続けていたラリアは、一つの結論に達していた。
すなわち、あの女性は現在の私達には理解できない新たな存在なのだ、と。
ディエスは、ラリアの言葉が妙に腑に落ちている自分を不思議に思った。どちらか分からないから、どちらでもないなんて、都合の良すぎる解釈だというのに。
言葉を紡ぐラリアの瞳が、自信の煌きに満ちていたからかもしれない。
「魔獣でも人間でもないという事ですか……」
「ええ。あの時、私はあの女性が人間ではないと感じていたけれど、魔獣だとも感じなかったんです。初めは、帯びている雰囲気が人間にしては不気味過ぎるのに、見た目や立ち振る舞いが人間らしかったから、そう感じたのだと思っていたんですが、考えている内に、違うと気付いたんです」
今まで、ラリアは自分の胸の内を他人に話した事が無かった。人々が自分に求めていたのは神からの言葉で、自分自身の言葉に耳を傾けようとする人はいないと思っていたから。
一息置いて、自分の考えを整理してからラリアは続ける。
「私は今まで、ほとんど無意識に人民を守り、魔獣を狩ってきました。魔獣を視界にとらえると反射的に剣を抜き、即座に斬りかかっていたんです。人間と魔獣とでは纏っている雰囲気が違うので、魔獣が人間の姿形をしていようとも関係ありませんでした。それなのに、あの女性と対面した時、私は考えてしまったんです。どうしたらいいのか、分からなくなったんです。初めての経験でした」
丁寧に、結論に至るまでに通っていった思考の道筋を辿っていく。
「教会から知らされていると思いますけど、私は今回初めて、自分の意志で行動しています。そのせいで、あんな迷いが生じたと思ったんです。自分で考えて行動するのは、怖いですから」
怖い、か。
ディエスは、人並みの感情を抱く勇者に、初めて共感に近い感情を抱いた。無論、表情には出さないが。
弱者が力を振るわれる事に恐怖しているのと同様に、強者は力を振るう事を恐怖している。特に、人間の命の価値は皆平等に比類なく尊いと思っている強者は、自分の判断で何人もの弱者の命に対して責任が生じる事に苦心する。
「でも、考えてみたら、おかしいんです。確かに、教会の言いなりではなく自分の意志に従うようになって、何が善くて、何が悪いのかを思案するようになりましたが、人間なら守り、魔獣なら斬るという信念が揺らいだ事は一度もないんです。それなのに、あの女性を目の前にして、私は揺らいでしまったんです」
ラリアは、自分の説明がディエスに伝わっているかが不安になった。
自分の説明が理論的でなく、説得力に欠けている事をラリアは重々承知していた。結論には自信があった。だが、この結論に説得力を帯びさせるための言葉を、彼女は持っていなかった。
「ここまで考えてから、当時の感覚をもう一度思い起こしてみると、私は、あの女性に人間と魔獣の両方の性質を感じ取っていたんだと気付いたんです」
ディエスはラリアの言葉を聴いて、自分が最も知りたい事を、ラリアが話していないと思った。
「あなたの考えは分かりました。それで、あなたは次にあの女性に出会った時、どうするつもりなのですか?斬るのですか、それとも、守るのですか?」
ディエスは、ラリアの胸の内にある蟠りがどのように解消されたか、という事に関心は無い。彼は、ラリアがどんな行動をするのかにだけ興味がある。あの女性にもう一度遭遇した時に、あのようなどっちつかずな態度を取られては困るから。
ラリアは、ディエスの質問に対する答えを既に持っていた。
「それは、何とも言えません。でも、もう一度あの顔を見て、話をすれば、どちらが正しいのか分かる気がするんです」
その答えは、ディエスが予想していた中で最悪のものだった。
「そうですか」
ディエスは、次にあの女性を見つけたら、全身全霊をもってその首を斬り落とすと覚悟を決めた。
もし、勇者があの女性に懐柔されでもしたら、自分の命のみならず、王国そのものを危険に晒す事になりかねないのだから。
「ですから、もう一度、あの女性に会わなければならないんです」
ラリアは、晴れやかな気持ちで窓の外に視線を向けた。
空は灰色の分厚い雲に覆われていたが、雲と雲の切れ目から暖かな橙色の夕陽が覗いていた。
「今日はもう遅いですから、出発は明日の朝にしましょう」
「分かりました」
ディエスは、初めて教会に心から祈った。
勇者があの化け物に出逢う前に、教会が化け物を駆除してくれるように。
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