私の大好きな彼氏はみんなに優しい

第126話

「先輩…？先輩がどうしてここに、」

　空気が少し肌寒くなり始める時間帯、放課後の静けさが辺りを包んでいる。

　この時間に、ここで柊先輩と出会うなんて予想していなかった。

　いつもなら、もう家に帰っているはずなのに。  

　だからこそ、目の前の光景に違和感を覚えた。  

「心桜のこと待ってたんだよ」

　その言葉が、夕焼けに染まる空に溶ける。  

　まだ学校にいるはずの沙紀先輩じゃなくて、私を？どうして？  

　少し息を吐き、視線を落とす。  

「沙紀先輩は、？」

　その疑問が喉の奥に引っかかる。
　違和感を飲み込むように、問いかける。  

　この状況を整理するための言葉。

　だけど、それを口にしても、答えがしっくりこない気がする。  

「病院に行くって言って先帰ったよ」

　淡々とした答えが返ってくる。
　病院にいるはずの人がどうして学校に、

「え、でも…」

　まだ校舎にいたはずなのに。

　数分前まで、確かに沙紀先輩はそこにいた。
　いつの間にか帰ってしまったのか。

　夕陽の光が強く射し込み、周囲を赤く染める。
　その中で、胸の奥に微かな不安が広がる。  

「あいつは文化祭までは現れないみたいだし、心配ないよ」

「それもそう、だね、」

　答えながらも、ほんの少し視線を揺らす。
　納得できたわけじゃない。  

　でも、それを深く考えすぎるのも怖い気がした。  

　ふっと、遥希くんが隣で息を吐く。  

「じゃあ俺はここで」

　遥希くんがそう言って、一歩引く。

　その瞬間、空気がわずかに揺れる。  

　そして――  

「あれ、柊？」

　その声が、空気を切り裂くように響いた。  

　この声は、

　視線を向けると、そこには沙紀先輩の姿があった。  

「え、沙紀。病院行ったんじゃなかったのか？」

　柊先輩も、驚いたような声を出す。

　でも、その表情は微妙な変化を見せる。  

「それが病院は明日で、途中で気づいて学校に戻ったんだけど、柊がいなくなってて。すぐに帰ろうと思ったんだけど先生に捕まっちゃって」

　すらすらと言葉が出てくる。  

　嘘。  

　よくそんな嘘がつけるもんだよ。  

　胸の奥が軋んで、少し痛くなる。  

　私はじっと、その場に立ち尽くした。  
　でも、そんな指摘はできない。

　電話を聞いていたことがバレてしまうから。

　それを言ったら、すべてが崩れてしまう。確実に。

　あの時、偶然耳にした会話。

　その内容が頭の中にこびりついているのに、知らないふりをしなければいけなかった。  

　喉の奥がひりつくような感覚が広がる。

　言葉にできない違和感が、体の奥でくすぶっている。  

　沙紀先輩のすらすらと出てくる言葉。
　その一つ一つを聞くたびに、心の奥が軋む。  

　嘘をついているのに。
　それを知っているのに。指摘できない。

　視線を落としながら、少し息を吐く。
　夕陽に染まる地面が滲んで見える。  

　遥希くんも、何も言わずにその場に立っている。  

　空気が冷えていく。風が頬を撫でる。  

　指先をぎゅっと握る。  

　何も知らないふりをしなければいけない。  



　それが、今の私にできる唯一の選択だった。