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第41話
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車のドアが閉まる音のあと、わずかな沈黙が落ちた。
車内の空気はひんやりと静かで、遠くからかすかに人の話し声や車の走行音が混じって聞こえる。
その微かな音の一つひとつが、かえって車内の静けさを際立たせていた。
私は両手を膝に乗せて、視線を前方の窓に向けた。
曇りガラス越しに見える街灯の明かりがにじんで、どこか遠くの景色のように思えた。
心がぼんやりとしていて、何をどう感じればいいのかさえ、うまく掴めなかった。
「壱馬様、本当に莉沙さんを一人にして良かったんですか?」
言葉が口から滑り出たのは、思考より先だった。
ずっと胸に引っかかっていた。
あのときの莉沙さんの顔。
あの場に残された彼女の表情は、明るさの奥に何かがちらりと見えた気がして、
それが気になって仕方がなかった。
「莉沙がいいって言ったんだからいいんだよ」
助手席側から返ってきたその言葉は、重さを感じないほど軽やかだった。
莉沙さんが「いい」と言ったなら、それ以上は踏み込む必要はない。
はずなのに。
「本心じゃないかもしれないって、少しだけ思ってしまって、」
何に不安を感じているのか、正確には分からない。
でも、あの食事の時間の中で、彼女の言葉や笑顔のひとつひとつが、
私の中に静かに波紋を広げていたことは確かだった。
運転席側からの壱馬様の横顔をちらりと盗み見る。
薄暗い街灯がその輪郭を撫で、瞳は前だけを見ていた。
「莉沙は気を使ったりできるやつじゃないから、心配しなくていいよ」
壱馬様の声が、さっきよりわずかに優しかった。
それは私に向けられた温度だった。
莉沙さんと話していた時とは違った、優しい口調。
それがかえって胸に刺さった。
その優しさは、目の前にいる私に向けられたものなのに。
どうして、こんなにも苦しく感じてしまうんだろう。
「仲いいんですね」
静かにそう返すと、思わず自分の言葉に少しだけ後悔した。
聞くつもりじゃなかったのに、口が勝手に動いていた。
さりげないはずの一言が、今の私には遠すぎる話題のように思えた。
「まぁ、家族ぐるみの仲だからね」
その言葉が、確かな境界線を描く。
昔から知っている関係。
性格も癖も知っていて、何も説明しなくても通じ合える安心感。
私にはその“共通言語”がない
私と壱馬様の関係は、まだ始まりかけたばかりで、彼女との距離感には到底届かない。
気を遣う必要のない安心感や、思ったまま言葉にできる気楽さ。
それはきっと、長く共に過ごした時間の積み重ねで生まれるもの。
私が、入り込む余地なんてない。
「そうですか」
口の中に残った言葉が、喉の奥に引っかかるようで、それ以上何も言えなかった。
手を膝に置いたまま指先をわずかに丸め、自分が今ここにいる意味を探そうとした。
けれど、車内の静けさがそれを邪魔していた。
外は静かな夜。
街灯がぼんやりと降り注ぐ車内には、
温度のない空気だけが、じんわり広がっていた。
車内の空気はひんやりと静かで、遠くからかすかに人の話し声や車の走行音が混じって聞こえる。
その微かな音の一つひとつが、かえって車内の静けさを際立たせていた。
私は両手を膝に乗せて、視線を前方の窓に向けた。
曇りガラス越しに見える街灯の明かりがにじんで、どこか遠くの景色のように思えた。
心がぼんやりとしていて、何をどう感じればいいのかさえ、うまく掴めなかった。
「壱馬様、本当に莉沙さんを一人にして良かったんですか?」
言葉が口から滑り出たのは、思考より先だった。
ずっと胸に引っかかっていた。
あのときの莉沙さんの顔。
あの場に残された彼女の表情は、明るさの奥に何かがちらりと見えた気がして、
それが気になって仕方がなかった。
「莉沙がいいって言ったんだからいいんだよ」
助手席側から返ってきたその言葉は、重さを感じないほど軽やかだった。
莉沙さんが「いい」と言ったなら、それ以上は踏み込む必要はない。
はずなのに。
「本心じゃないかもしれないって、少しだけ思ってしまって、」
何に不安を感じているのか、正確には分からない。
でも、あの食事の時間の中で、彼女の言葉や笑顔のひとつひとつが、
私の中に静かに波紋を広げていたことは確かだった。
運転席側からの壱馬様の横顔をちらりと盗み見る。
薄暗い街灯がその輪郭を撫で、瞳は前だけを見ていた。
「莉沙は気を使ったりできるやつじゃないから、心配しなくていいよ」
壱馬様の声が、さっきよりわずかに優しかった。
それは私に向けられた温度だった。
莉沙さんと話していた時とは違った、優しい口調。
それがかえって胸に刺さった。
その優しさは、目の前にいる私に向けられたものなのに。
どうして、こんなにも苦しく感じてしまうんだろう。
「仲いいんですね」
静かにそう返すと、思わず自分の言葉に少しだけ後悔した。
聞くつもりじゃなかったのに、口が勝手に動いていた。
さりげないはずの一言が、今の私には遠すぎる話題のように思えた。
「まぁ、家族ぐるみの仲だからね」
その言葉が、確かな境界線を描く。
昔から知っている関係。
性格も癖も知っていて、何も説明しなくても通じ合える安心感。
私にはその“共通言語”がない
私と壱馬様の関係は、まだ始まりかけたばかりで、彼女との距離感には到底届かない。
気を遣う必要のない安心感や、思ったまま言葉にできる気楽さ。
それはきっと、長く共に過ごした時間の積み重ねで生まれるもの。
私が、入り込む余地なんてない。
「そうですか」
口の中に残った言葉が、喉の奥に引っかかるようで、それ以上何も言えなかった。
手を膝に置いたまま指先をわずかに丸め、自分が今ここにいる意味を探そうとした。
けれど、車内の静けさがそれを邪魔していた。
外は静かな夜。
街灯がぼんやりと降り注ぐ車内には、
温度のない空気だけが、じんわり広がっていた。
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