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「名前……」
「どうした、ファンヌ。もしかしてオレの名前を忘れたわけじゃないよな?」
「知ってますよ」
「じゃ、名前で呼んで?」
 こんな風に愉悦に満ちた笑い方をするエルランドは見たことが無い。
 すかさずエルランドはファンヌの両手を握った。
「ファンヌがオレのことを名前で呼ぶまで、この手は離さない」
「先生……。なんか、性格がお変わりになりましたか? なんで、今日はそんなに積極的なんですか」
 ファンヌは自分の顔が火照っている自覚はあった。
「エリッサから言われた。そろそろ行動にうつせ、と」
 うぬぬぬとファンヌは唸ることしかできない。
(エリッサ……。どうして余計なことを先生に吹き込むのよ……)
 ファンヌはここでの仕事を終えると、エリッサのところによってお茶を飲んでから帰ることもあった。年代も近いこともあり、他愛のないおしゃべりに花を咲かせる。むしろ、ファンヌはエリッサからそういったおしゃべりを通して、このベロテニアについて学んでいた。
 特に獣人の血筋と、王族の関係について。獣人の血がまだ色濃く残っている王族。他の民とは何が違うのか。
 エリッサが言うには「よくわかんない」だったのだが。
(エリッサ。こういうことだけは、よくわかっているのね……)
 悔しそうに唇を噛みしめて、ファンヌはエルランドを見上げた。この顔は有言実行してやるという自信に満ちている顔だ。
 つまり、ファンヌが彼の名を口にするまで、本当に手を離さないつもりなのだろう。
「エルランド先生……」
 ぱっと、エルランドの顔が輝いた。
「エルランド先生とお呼びすればよろしいですか?」
「ファンヌがオレに『先生』をつけるなら、オレもファンヌのことをファンヌ『先生』と呼ぶ」
 初めて「ファンヌ先生」と呼ばれた彼女は、首をすくめた。全身に恥ずかしさが込み上げてきたからだ。
「や、やめてください。先生から先生と呼ばれると、気持ち悪いです」
「だったら、ファンヌもオレのことを先生と呼ぶな」
 呼ぶな、と言われてファンヌは少し考えてから口を開く。
「エルランド……さん?」
「エルでいい……」
 先生呼びから一気に愛称呼びはいろいろ途中の過程をすっ飛ばしているような気もするのだが。
 それでもぎっちりとエルランドが両手を握っているということは、愛称で呼ばないとその手を離さないという意味なのだろう。
「エル……さん……」
「なんだ?」
 エルランドは嬉しそうに笑った。
「呼べと言ったから、呼んだだけです……」
 ファンヌは恥ずかしくてエルランドの顔を見ることができなかった。視線を下に向け、彼から顔を背ける。それでもエルランドの輝く視線は感じていた。
 ただでさえ彼の『番』と周囲から言われ、動揺していた。やっと落ち着きを取り戻したところに、またファンヌを動揺させるような案件が発生した。
「よし、ファンヌ。早速だが、オレにも『調茶』について教えて欲しい」
「はい……」
『調茶』について考えることができれば、この動揺した気持ちも静まるだろうと、ファンヌはそう思っていた。
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