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4.二人の約束(2)
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食事が終わり、アーネストは本館の三階へと足を向けようとして、やめた。アーネストもそこに私室をかまえている。
しかし、オレリアの様子が気になっていた。先ほどの族長は大人気ないだろうとアーネストも思っていたのだ。
あの場で彼女を追いかけて慰めるべきだったか。
そう考えたが、彼女は全身でそれを拒んでいた。
だからアーネストはあの場に残り、族長を納得させることに注力した。その結果がよかったのか悪かったのか、わからない。だけど、この馬鹿げた結婚を認める者の存在を知ったのは、心強いだろう。
空はすっかりと闇に飲み込まれ、天窓から見える空には、星が数個輝く程度。
回廊にはランプが等間隔で灯されており、歩く分には問題ない。それでも暗いこの空間を、彼女が一人で戻ったことを考えると、胸がズキリと痛んだ。きっと、周囲からは好奇の目を向けられたにちがいない。彼女が他の国からやってきたというのは、その髪色だけですぐにわかる。
好奇の目からオレリアを守れなかったことを、悔やむ。
離れの部屋の扉の前で、柄にもなく緊張して立っていた。ひんやりとした叩き鐘を手にしたまではよかったが、それを動かせずにいる。
一夫多妻を認めていないハバリー国であるが、結婚できる年齢には決まりがない。十歳にも満たない子が、他家に嫁ぐというのは、働き手の確保や食いぶちを減らすといった意味で、昔から使われてきた手法でもある。
アーネストとオレリアには二十歳の年の差があるものの、ハバリー国が建国される前の各部族間では、十代の娘が族長の後妻になるという話も聞こえてきたものだ。
それでも一夫一妻を貫く部族の教えは、誇らしいものだと思っている。
コツ、コツとゆっくりと叩き鐘を鳴らすと、扉が開いた。
「閣下。このような時間にどうされましたか?」
姿を現したのはメーラである。オレリアが連れてきた唯一の人物。トラゴス国のことだから、使用人をぞろぞろと連れてくるだろうと思っていたから、それがたったの一人というのも意外だった。
「オレリアの様子を見に来たのだが、迷惑だったろうか?」
「いえ、めっそうもございません。ですが、閣下は他の部屋でおやすみになられると聞いておりましたので……失礼しました」
部屋に入ると、薄暗かった。ただ、奥の部屋の一角だけが明るく、そこにオレリアがいるのだろうと予想がついた。
「……オレリア」
「アーネストさま?」
すでに着替えていたオレリアは、薄紅色のゆったりとしたドレスを着ていた。先ほどは結い上げられていた髪もほどかれ、三つ編みにして前に垂らしている。
「どうされたのですか?」
「夫が妻に会いにくるのに、理由がなければいけないのか?」
メーラがすっと姿を消した気配を感じ取った。彼女はよくできた侍女のようだ。
「……ですが、わたしたちはまだ結婚をしておりません」
「結婚を前提に、お前はここへ来たのだろう?」
オレリアの隣に、腰をおろす。
「だったら、何も問題はない。それに、お前をトラゴスに追い返すようなこともしない」
彼女の大人びた表情が、ゆっくりと崩れていった。
「俺は、お前を守るから、安心してほしい」
「守る? いったい何から?」
「わからん。だけど俺は、お前を守りたいと思った。迷惑か?」
ふるふると首を左右に振る姿だけは、子どものように見えた。いや、彼女はまだ子どもである。
「マルガレットもシャトラン様――陛下の母親も、お前の味方だ。人質のようにハバリー国へとやってきたお前を案じている」
「人質……それは間違いないと思いますが、わたしには人質としての価値はないかもしれません」
その言葉がしっくりとこなかったが、今、彼女に問いただす必要もない。まだハバリー国に来て一日目。移動だけでもだいぶ疲れただろうに。
「今日はゆっくりと休め。湯につかるか?」
ゆったりと風呂に入れば、疲れもとれる。
「部屋はすべて見て回ったか?」
離れの部屋といっても、二人で生活するには十分な広さがある。居間、寝室、衣装部屋、そして浴室。使用人のための控えの間を準備したのは、オレリアがトラゴス国の人間だからだ。少なくとも、アーネストにとっては不要な部屋である。
「はい。このような立派なお部屋を用意していただいて、感謝しかありません。アーネストさまは、他にも邸宅を持っていらっしゃるのですか?」
「いや。俺もここで暮らしている。ここが俺の家のようなものだ」
「ですから先ほど、本館で寝泊まりされているとおっしゃったのですね」
「ああ。ミルコ族は、たいていが首都サランに家をかまえている。俺は族長に育てられたようなものだからな。物心ついたときから、ここにいた」
ラフォン城は、昔からミルコ族の族長が守っていた城なのだ。
「ミルコ族、ハバリー国については、まだ知らないことがたくさんあります。これから、教えてください」
「ああ、時間はたっぷりとあるからな。ゆっくりと覚えていくといい。さて、浴室の準備をしよう」
「そのようなこと、アーネストさまがなさらなくても……」
「ミルコ族は、自分のことは自分でやる。できないときは、他人に助けを求める。それがここでは当たり前だ」
アーネストが立ち上がると、オレリアも慌てて立ち上がった。
「これから風呂の用意をするんだ。お前はまだ、休んでいてもいい」
彼女はまた、ふるふると首を横に振った。だけど先ほどと違って、その目だけはまっすぐにアーネストを見ている。
「自分のことは自分でするのですよね? 浴室の準備の仕方。それを教えてください」
「わかった」
アーネストは相好を崩してから、オレリアを浴室へと案内した。
しかし、オレリアの様子が気になっていた。先ほどの族長は大人気ないだろうとアーネストも思っていたのだ。
あの場で彼女を追いかけて慰めるべきだったか。
そう考えたが、彼女は全身でそれを拒んでいた。
だからアーネストはあの場に残り、族長を納得させることに注力した。その結果がよかったのか悪かったのか、わからない。だけど、この馬鹿げた結婚を認める者の存在を知ったのは、心強いだろう。
空はすっかりと闇に飲み込まれ、天窓から見える空には、星が数個輝く程度。
回廊にはランプが等間隔で灯されており、歩く分には問題ない。それでも暗いこの空間を、彼女が一人で戻ったことを考えると、胸がズキリと痛んだ。きっと、周囲からは好奇の目を向けられたにちがいない。彼女が他の国からやってきたというのは、その髪色だけですぐにわかる。
好奇の目からオレリアを守れなかったことを、悔やむ。
離れの部屋の扉の前で、柄にもなく緊張して立っていた。ひんやりとした叩き鐘を手にしたまではよかったが、それを動かせずにいる。
一夫多妻を認めていないハバリー国であるが、結婚できる年齢には決まりがない。十歳にも満たない子が、他家に嫁ぐというのは、働き手の確保や食いぶちを減らすといった意味で、昔から使われてきた手法でもある。
アーネストとオレリアには二十歳の年の差があるものの、ハバリー国が建国される前の各部族間では、十代の娘が族長の後妻になるという話も聞こえてきたものだ。
それでも一夫一妻を貫く部族の教えは、誇らしいものだと思っている。
コツ、コツとゆっくりと叩き鐘を鳴らすと、扉が開いた。
「閣下。このような時間にどうされましたか?」
姿を現したのはメーラである。オレリアが連れてきた唯一の人物。トラゴス国のことだから、使用人をぞろぞろと連れてくるだろうと思っていたから、それがたったの一人というのも意外だった。
「オレリアの様子を見に来たのだが、迷惑だったろうか?」
「いえ、めっそうもございません。ですが、閣下は他の部屋でおやすみになられると聞いておりましたので……失礼しました」
部屋に入ると、薄暗かった。ただ、奥の部屋の一角だけが明るく、そこにオレリアがいるのだろうと予想がついた。
「……オレリア」
「アーネストさま?」
すでに着替えていたオレリアは、薄紅色のゆったりとしたドレスを着ていた。先ほどは結い上げられていた髪もほどかれ、三つ編みにして前に垂らしている。
「どうされたのですか?」
「夫が妻に会いにくるのに、理由がなければいけないのか?」
メーラがすっと姿を消した気配を感じ取った。彼女はよくできた侍女のようだ。
「……ですが、わたしたちはまだ結婚をしておりません」
「結婚を前提に、お前はここへ来たのだろう?」
オレリアの隣に、腰をおろす。
「だったら、何も問題はない。それに、お前をトラゴスに追い返すようなこともしない」
彼女の大人びた表情が、ゆっくりと崩れていった。
「俺は、お前を守るから、安心してほしい」
「守る? いったい何から?」
「わからん。だけど俺は、お前を守りたいと思った。迷惑か?」
ふるふると首を左右に振る姿だけは、子どものように見えた。いや、彼女はまだ子どもである。
「マルガレットもシャトラン様――陛下の母親も、お前の味方だ。人質のようにハバリー国へとやってきたお前を案じている」
「人質……それは間違いないと思いますが、わたしには人質としての価値はないかもしれません」
その言葉がしっくりとこなかったが、今、彼女に問いただす必要もない。まだハバリー国に来て一日目。移動だけでもだいぶ疲れただろうに。
「今日はゆっくりと休め。湯につかるか?」
ゆったりと風呂に入れば、疲れもとれる。
「部屋はすべて見て回ったか?」
離れの部屋といっても、二人で生活するには十分な広さがある。居間、寝室、衣装部屋、そして浴室。使用人のための控えの間を準備したのは、オレリアがトラゴス国の人間だからだ。少なくとも、アーネストにとっては不要な部屋である。
「はい。このような立派なお部屋を用意していただいて、感謝しかありません。アーネストさまは、他にも邸宅を持っていらっしゃるのですか?」
「いや。俺もここで暮らしている。ここが俺の家のようなものだ」
「ですから先ほど、本館で寝泊まりされているとおっしゃったのですね」
「ああ。ミルコ族は、たいていが首都サランに家をかまえている。俺は族長に育てられたようなものだからな。物心ついたときから、ここにいた」
ラフォン城は、昔からミルコ族の族長が守っていた城なのだ。
「ミルコ族、ハバリー国については、まだ知らないことがたくさんあります。これから、教えてください」
「ああ、時間はたっぷりとあるからな。ゆっくりと覚えていくといい。さて、浴室の準備をしよう」
「そのようなこと、アーネストさまがなさらなくても……」
「ミルコ族は、自分のことは自分でやる。できないときは、他人に助けを求める。それがここでは当たり前だ」
アーネストが立ち上がると、オレリアも慌てて立ち上がった。
「これから風呂の用意をするんだ。お前はまだ、休んでいてもいい」
彼女はまた、ふるふると首を横に振った。だけど先ほどと違って、その目だけはまっすぐにアーネストを見ている。
「自分のことは自分でするのですよね? 浴室の準備の仕方。それを教えてください」
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アーネストは相好を崩してから、オレリアを浴室へと案内した。
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