3 / 8
第三話
しおりを挟む
* * *
リュミエール伯爵領に戻ったエリサリナを待っていたのは、母と義姉による立派な淑女になるための教育だった。つまり社交の場で、意中の殿方を振り向かせるための振る舞い方や、社交界を生き延びる話術など。もちろん、今までそういった縁とほど遠かったエリサリナにとっては、騎士団での訓練よりも血反吐が出るような気持ちで授業を受けていた。
夜会や茶会の誘いを受けた母や義姉は、ここぞとばかりにエリサリナを連れ出す。華やかな場に馴染みのないエリサリナにとって、話を聞いては相づちを打つくらいしかできない。
異性からダンスに誘われたら踊りなさいと、母からきつく言われているものの、そもそもエリサリナに声をかけるような異性は、うんと年上の男性か見るからに不誠実そうな男性くらいしかいない。つまり、家族が望むような「適齢期で家柄の良い独身貴族」は、まるで現れない。
恐らくエリサリナの年齢と肩書きが原因だろう。行き遅れの一歩手前の状況。さらに、王国騎士団の元女性騎士。騎士団に所属していたときはさほど気にならなかったが、やはり華やかな社交の場となれば、元騎士という肩書きは「守るべき者」の対象から外れるようだ。どちらかといえば「守ってくれる者」。いや、国と通じている者だったからこそ、下手をすれば自分に「害をなす者」と考えている人も多いらしい。
「はぁ……」
騎士を辞めて戻ってきたというのに縁談は一向にまとまらない状況では、ため息もこぼれてしまう。せめて剣でも振り回せれば気分転換にもなるのだが、それすら家族からは禁じられている。とにかく、見た目だけでも可憐な女性になれるように、というのが理由である。
こんなことなら騎士を辞めず、一生を騎士道に捧げればよかったと考えてしまったが、女性が結婚をせずに仕事に生きたという前例はない。となれば、このまま結婚できなければ、神に生涯を捧げ、修道院で慎ましく暮らす道しかない。
この際、相手を選んでいる場合ではないだろうと、誰もが思い始めたそのとき、一通の手紙が届いた。
「カルデナ侯爵家からです」
家令が口にした名は、歴史ある名門だ。そんな家から、田舎貴族のリュミエール伯爵家に手紙とは、いったいどのような内容か。
「……縁談だ。エリサリナを妻に望むと」
信じられないと言いたげな父親は、その場で放心していた。信じられないのはエリサリナも同じである。なぜなら、カルデナ侯爵家とは今まで縁がなかったのだから。
もしかしたら、社交の場で見かけたかもしれないが、かもしれないというものであって、はっきりそうだとは言えない。つまり、エリサリナはカルデナ侯爵家を認識できていない。
「カルデナ侯爵家って、確か……」
義姉が言うには侯爵は五十代。長年、子に恵まれず、昨年、夫人を病で失ったとか。
「この際、年上だろうが後妻だろうが、関係ない。この縁を逃すな!」
どうやら父は、カルデナ侯爵家という家柄に屈したようだ。いや、リュミエール伯爵家から修道女を出したくなかったのかもしれない。未亡人でもないのに、修道女になるというのは、それだけわけありだと認識されるからだ。
だからリュミエール伯爵が急いで返事を書き、また相手から手紙が届き、十日後に顔合わせが決まった。
となれば、母と義姉がああでもないこうでもないと、エリサリナのドレスを選び、また厳しく指導する。この家族は、エリサリナによってカルデナ侯爵家と縁続きになるのを望んでおり、かつ修道女を輩出したくない。それがひしひしと感じられた。
だが、連日の準備でエリサリナも自分で気づかぬ間に疲労がたまっていたらしい。顔合わせを三日後に控えたとき、真っ青な顔をして気を失ってしまったのだ。
「サリー!」
母親が名を呼ぶ声からは、娘を案じる様子が伝わってきた。
お母様、大丈夫です……。
そう言いたかったのに、エリサリナの意識は真っ黒に染まった。
エリサリナが次に意識を取り戻したときには、自室のベッドで横になっていた。右手にぬくもりを感じる。
「サリー。気がついたのね?」
そう声をかけてくれたのは母親だ。ずっと手を握っていてくれたのだろう。右手が母親の両手で包まれていた。
「お母様。心配かけてごめんなさい」
「疲労だそうだわ。こちらに戻ってきてからというもの、あなたを振り回してばかりだったわね」
そんなことない、と言いたかったがそれは事実であるため、言葉を呑み込んだ。嘘はつきたくない。
「ところで、サリー。いい人がいるならば、どうして紹介してくれないの?」
「ん?」
「あなた。妊娠三か月だそうよ」
母親の言葉が信じられず、エリサリナは大きく目を見開く。
「相手はどなた?」
声は穏やかなのに、母親の笑顔は不自然だ。目が怒っている。
ひゅっと周囲の気温が五度くらい下がった気がした。
リュミエール伯爵領に戻ったエリサリナを待っていたのは、母と義姉による立派な淑女になるための教育だった。つまり社交の場で、意中の殿方を振り向かせるための振る舞い方や、社交界を生き延びる話術など。もちろん、今までそういった縁とほど遠かったエリサリナにとっては、騎士団での訓練よりも血反吐が出るような気持ちで授業を受けていた。
夜会や茶会の誘いを受けた母や義姉は、ここぞとばかりにエリサリナを連れ出す。華やかな場に馴染みのないエリサリナにとって、話を聞いては相づちを打つくらいしかできない。
異性からダンスに誘われたら踊りなさいと、母からきつく言われているものの、そもそもエリサリナに声をかけるような異性は、うんと年上の男性か見るからに不誠実そうな男性くらいしかいない。つまり、家族が望むような「適齢期で家柄の良い独身貴族」は、まるで現れない。
恐らくエリサリナの年齢と肩書きが原因だろう。行き遅れの一歩手前の状況。さらに、王国騎士団の元女性騎士。騎士団に所属していたときはさほど気にならなかったが、やはり華やかな社交の場となれば、元騎士という肩書きは「守るべき者」の対象から外れるようだ。どちらかといえば「守ってくれる者」。いや、国と通じている者だったからこそ、下手をすれば自分に「害をなす者」と考えている人も多いらしい。
「はぁ……」
騎士を辞めて戻ってきたというのに縁談は一向にまとまらない状況では、ため息もこぼれてしまう。せめて剣でも振り回せれば気分転換にもなるのだが、それすら家族からは禁じられている。とにかく、見た目だけでも可憐な女性になれるように、というのが理由である。
こんなことなら騎士を辞めず、一生を騎士道に捧げればよかったと考えてしまったが、女性が結婚をせずに仕事に生きたという前例はない。となれば、このまま結婚できなければ、神に生涯を捧げ、修道院で慎ましく暮らす道しかない。
この際、相手を選んでいる場合ではないだろうと、誰もが思い始めたそのとき、一通の手紙が届いた。
「カルデナ侯爵家からです」
家令が口にした名は、歴史ある名門だ。そんな家から、田舎貴族のリュミエール伯爵家に手紙とは、いったいどのような内容か。
「……縁談だ。エリサリナを妻に望むと」
信じられないと言いたげな父親は、その場で放心していた。信じられないのはエリサリナも同じである。なぜなら、カルデナ侯爵家とは今まで縁がなかったのだから。
もしかしたら、社交の場で見かけたかもしれないが、かもしれないというものであって、はっきりそうだとは言えない。つまり、エリサリナはカルデナ侯爵家を認識できていない。
「カルデナ侯爵家って、確か……」
義姉が言うには侯爵は五十代。長年、子に恵まれず、昨年、夫人を病で失ったとか。
「この際、年上だろうが後妻だろうが、関係ない。この縁を逃すな!」
どうやら父は、カルデナ侯爵家という家柄に屈したようだ。いや、リュミエール伯爵家から修道女を出したくなかったのかもしれない。未亡人でもないのに、修道女になるというのは、それだけわけありだと認識されるからだ。
だからリュミエール伯爵が急いで返事を書き、また相手から手紙が届き、十日後に顔合わせが決まった。
となれば、母と義姉がああでもないこうでもないと、エリサリナのドレスを選び、また厳しく指導する。この家族は、エリサリナによってカルデナ侯爵家と縁続きになるのを望んでおり、かつ修道女を輩出したくない。それがひしひしと感じられた。
だが、連日の準備でエリサリナも自分で気づかぬ間に疲労がたまっていたらしい。顔合わせを三日後に控えたとき、真っ青な顔をして気を失ってしまったのだ。
「サリー!」
母親が名を呼ぶ声からは、娘を案じる様子が伝わってきた。
お母様、大丈夫です……。
そう言いたかったのに、エリサリナの意識は真っ黒に染まった。
エリサリナが次に意識を取り戻したときには、自室のベッドで横になっていた。右手にぬくもりを感じる。
「サリー。気がついたのね?」
そう声をかけてくれたのは母親だ。ずっと手を握っていてくれたのだろう。右手が母親の両手で包まれていた。
「お母様。心配かけてごめんなさい」
「疲労だそうだわ。こちらに戻ってきてからというもの、あなたを振り回してばかりだったわね」
そんなことない、と言いたかったがそれは事実であるため、言葉を呑み込んだ。嘘はつきたくない。
「ところで、サリー。いい人がいるならば、どうして紹介してくれないの?」
「ん?」
「あなた。妊娠三か月だそうよ」
母親の言葉が信じられず、エリサリナは大きく目を見開く。
「相手はどなた?」
声は穏やかなのに、母親の笑顔は不自然だ。目が怒っている。
ひゅっと周囲の気温が五度くらい下がった気がした。
376
あなたにおすすめの小説
嫌われたと思って離れたのに
ラム猫
恋愛
私は、婚約者のカイルに嫌われたと思った。冷たくそっけなく、近づくたびに避けられる日々。
距離を置くことを選び、留学の準備も進めて心を落ち着かせようとするけれど——。
『婚約破棄された令嬢ですが、王国は私抜きでは立てなかったようですね』
鷹 綾
恋愛
「愛しているのは彼女だ」
王太子ロネスにそう告げられ、婚約を破棄された侯爵令嬢エルゼリア・クローヴェル。
感情をぶつけることも、復讐を誓うこともなく、
彼女はただ――王宮を去った。
しかしその直後から、王国は静かに崩れ始める。
外交は滞り、判断は遅れ、市場は揺れ、
かつて「問題なく回っていた」はずの政務が、次々と行き詰まっていった。
一方、エルゼリアは帝国で新たな立場を得ていた。
帝国宰相ハインリヒ・ヴォルフの隣で、
彼女は再び“判断する側”として歩み始める。
やがて明らかになるのは、
王国が失ったのは「婚約者」ではなく、
判断を引き継ぐ仕組みそのものだったという事実。
謝罪も、復縁も、感情的なざまあもない。
それでも――
選ばれ、認められ、引き継がれていくのは、誰なのか。
これは、
捨てられた令嬢が声を荒げることなく、
世界のほうが彼女を必要としてしまった物語。
冷酷侯爵と政略結婚したら、実家がざまぁされました
鍛高譚
恋愛
「この結婚は、家のため。ただの政略結婚よ」
そう言い聞かせ、愛のない結婚を受け入れた公爵令嬢リゼット。
しかし、挙式後すぐに父が「婚約破棄しろ」と命じてきた!?
だが、夫であるアレクシス・フォン・シュヴァルツ侯爵は冷たく言い放つ。
「彼女を渡すつもりはない」
冷酷無慈悲と噂される侯爵が、なぜかリゼットを溺愛し始める!?
毎日甘やかされ、守られ、気づけば逃げ場なし!
さらに、父の不正が明るみに出て、公爵家は失墜――
リゼットを道具として利用しようとした者たちに、ざまぁの鉄槌が下される!
政略結婚から始まる、甘々溺愛ラブストーリー!
「愛なんてないはずなのに……どうしてこんなに大切にされるの?」
「君を愛することはない」と言われたので、私も愛しません。次いきます。 〜婚約破棄はご褒美です!
放浪人
恋愛
【「愛さない」と言ったのはあなたです。私はもっとハイスペックな次(夫)と幸せになりますので、どうぞお構いなく!】
侯爵令嬢リディアは、建国記念舞踏会の最中に、婚約者である王太子レオンハルトから婚約破棄を宣言される。 「君を愛することはない!」という王太子の言葉は、国中に響く『公的拒絶誓約』となってしまった。
しかし、リディアは泣かなかった。 「承知しました。私も愛しません。次いきます」 彼女は即座に撤退し、その場で慰謝料請求と名誉回復の手続きを開始する。その潔さと有能さに目をつけたのは、国の行政を牛耳る『氷の宰相』アシュ・ヴァレンシュタインだった。
「私の政治的盾になれ。条件は『恋愛感情の禁止』と『嘘がつけない契約』だ」
利害の一致した二人は、愛のない契約結婚を結ぶ。 はずだったのだが――『嘘がつけない契約』のせいで、冷徹なはずの宰相の本音が暴走! 「君を失うのは非合理だ(=大好きだ)」「君は私の光だ(=愛してる)」 隠せない溺愛と、最強の夫婦による論理的で容赦のない『ざまぁ』。
一方、リディアを捨てた王太子は「愛さない誓約」の呪いに苦しみ、自滅していく。 これは、悪役令嬢と呼ばれた女が、嘘のない真実の愛を手に入れ、国中を巻き込んで幸せになるまでの物語。
『恋心を凍らせる薬を飲みました』 - 残りの学園生活、どうぞご自由にお遊びください、婚約者様
恋せよ恋
恋愛
愛されることを諦めた。だから、私は心を凍らせた。
不誠実な婚約者・ユリアンの冷遇に耐えかねたヤスミンは、
伝説の魔女の元を訪れ、恋心を消し去る「氷の薬」を飲む。
感情を捨て、完璧な「人形」となった彼女を前に、
ユリアンは初めて己の罪と執着に狂い始める。
「お願いだ、前のように僕を愛して泣いてくれ!」
足元に跪き、涙を流して乞う男に、ヤスミンは冷酷に微笑む。
「愛?……あいにく、そのような無駄な感情は捨てましたわ」
一度凍りついた心は、二度と溶けない。
後悔にのたうち回る男と、心を凍らせた冷徹な公爵夫人の、
終わりのない贖罪の記録。
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
婚約破棄された侯爵令嬢ですが、帝国の次席秘書官になりました ――王の隣ではなく、判断を誤らせない場所へ
ふわふわ
恋愛
王太子の婚約者として王宮に仕える侯爵令嬢ゼクレテァ。
彼女は華やかな場に立つことはなく、ただ静かに、しかし確実に政務と外交を支えていた。
――その役割が、突然奪われるまでは。
公の場で告げられた一方的な婚約破棄。
理由はただひとつ、「愛している相手がいるから」。
ゼクレテァは感情を見せることなく、その決定を受け入れる。
だが彼女が王宮を去った後、王国には小さな歪みが生じ始めた。
些細な行き違い、遅れる判断、噛み合わない政策。
それらはやがて、国家全体を揺るがす事態へと発展していく。
一方、行き場を失ったゼクレテァの前に、思いもよらぬ「選択肢」が差し出される。
求められたのは、身分でも立場でもない。
彼女自身の能力だった。
婚約破棄から始まる、
静かで冷静な逆転劇。
王の隣に立つことを拒んだ令嬢は、
やがて「世界を動かす場所」へと歩み出す――。
-
【完結】男装の側近 〜双子の妹は腹黒王子の溺愛からは逃げられない〜
恋せよ恋
恋愛
「お前、なんだか......女っぽいよな?」
病弱な兄の身代わりで、男装し学園に入学したレオーネ。
完璧で美麗な騎士「レオン」として、
冷徹な第二王子・マクシミリアンの側近となったが……
実は殿下には、初日から正体がバレていた!?
「俺を守って死ぬと言ったな。ならば一生、俺の隣で飼い殺されろ」
戦場では背中を預け合い、寝室では甘く追い詰められる。
正体がバレたら即破滅の「替え玉側近ライフ」は、
王子の執着全開な溺愛ルートへと強制突入する――!
🔶登場人物・設定は筆者の創作によるものです。
🔶不快に感じられる表現がありましたらお詫び申し上げます。
🔶誤字脱字・文の調整は、投稿後にも随時行います。
🔶今後もこの世界観で物語を続けてまいります。
🔶 『エール📣』『いいね❤️』励みになります!
ブスすぎて嫁の貰い手がないから閨勤侍女になれと言われたので縁を切ります、完全に!完全縁切りの先にあったのは孤独ではなくて…
ハートリオ
恋愛
ルフスは結婚が決まった従姉の閨勤侍女になるよう父親に命令されたのをきっかけに父に無視され冷遇されて来た日々を終わらせようとブラコン父と完全に縁を切る決意する。
一方、従姉の結婚相手はアルゲンテウス辺境伯とのことだが、実は手違いがあって辺境伯が結婚したいのはルフス。
そんなこんなの異世界ファンタジーラブです。
読んでいただけると嬉しいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる