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第四章(8)
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「シア嬢。このまま送っていこう」
「え、いえ。そこまでしていただくわけには……」
シアは遠慮しようとしたが、ジェイラスの言葉がそれを遮った。
「俺は殿下から言われているんだ。シア嬢を怪我させたのは我ら騎士団の責任。君の怪我がすっかりと治るまで、支えるようにと」
夕陽がジェイラスの黒い髪を橙色に染め、彼の真剣な瞳がシアを捉えた。その熱い視線に、シアの心臓はいつもより大きく鼓動した。
それは先ほど、テリーが指摘した言葉も原因かもしれない。
(ジェイラスさんとヘリオスは似ている……)
今だって、ジェイラスと彼の腕に抱かれるヘリオスと交互に見れば、親子と言われても違和感はないし、知らない人が見たら誰もがそう思うだろう。それくらい二人には共通点が多い。こうやって二人並ぶと、よけいにそう感じるのだ。
シアは失われた記憶に手が届くようなもどかしさを覚えた。
「シア嬢……? どうした? 顔色がよくない」
ジェイラスの心配そうな声に、シアは我に返る。
「あ、ごめんなさい。なんでもありません。ヘリオス、帰るわよ」
「や。ラシュ、いっしょよ」
意地でも歩かないという意思表示なのだろう。ジェイラスの上着をしっかりと握りしめている。
「そういうことらしい。ここは素直に俺に送られてくれないか?」
ジェイラスの声には、シアを安心させようとする優しさが込められていた。彼に甘えたい気持ちと、遠慮すべきだという葛藤の間で揺れた。なぜこんな感情が湧くのか、シア自身もよくわからない。
「まま、かえるよ」
ジェイラスに抱かれたまま、ヘリオスが偉そうに言う。その天真爛漫な声に、シアは笑いを抑えきれなかった。ヘリオスがこんなにも楽しそうなら、それでいいのではないか。
「では、よろしくお願いします」
「承知した」
だが養護院からシアの暮らすアパートメントまでは歩いてほんの数分。暗くなる前に家路を急ぐ者たちとすれ違う。年齢も性別もさまざまな人たち。中には親子連れや夫婦、恋人たちの姿もある。沈みかけの太陽が背中を押し、身体もぽかぽかと温かい。
他の人たちから見れば、シアたちも親子に見えるのだろうか。
ジェイラスが近くにいると、心が乱される。
「あ、ここで、大丈夫です。リオ、おうちに着くから、ここからは歩いていきましょう」
「や。おうちまで」
ヘリオスは絶対に離さないという強い意志を見せ、ジェイラスにしがみついた。
「どうしちゃったの? リオ……」
「まあまあ、俺は気にしないから。家まで送る」
シアはヘリオスにじっと視線を向けてみたが、幼い息子はジェイラスに顔をすり寄せて今にも眠りそうだった。
「すみません。ありがとうございます。多分、眠いんだと思います」
「なるほど。たくさん遊んできたんだろう。子どもは遊んで食べるのが仕事だからな。でも、寝るのも大事だ」
ヘリオスを抱き直したジェイラスは、その背をぽんぽんと優しく叩いた。
家に着いたシアは、ヘリオスをソファに寝かすようにとジェイラスへ伝える。室内は、木の家具と柔らかな布の匂いが漂い、夕陽の光がカーテンを通して穏やかな色を投げかける。
「では、俺はこれで」
「あ。あの……」
ジェイラスが帰ろうとした瞬間、シアは無意識に彼を引き留めた。
「あの……夕食、食べていきませんか?」
もう少し、ジェイラスと話をしたいと思っていた。わけもわからずざわつく胸の原因が、彼にあるような気がしたからだ。
それにヘリオスを迎えにいってくれたことへの礼のつもりでもあった。何も持っていないシアにとって、お礼と言えば食事に誘うことくらいしか思い浮かばない。
ジェイラスの驚いた顔が、モンクトン家の屋敷で、みんなで誕生日を祝ってもらったときのびっくりしたヘリオスの顔と重なる。
「あ、えっと……その、特別やましい気持ちがあるわけではなくて……ヘリオスの面倒をみてくださったから、そのお礼のつもりなのですが……」
どんな顔をしたらいいかがわからず、シアは下を向き、言い訳のような言葉を口にした。
だが、ジェイラスはしばらくの間、無言だった。困らせてしまったのだろうか。
「だから、あの。決して無理にとは言いませんので」
慌てて言い繕い、彼の顔を見上げた。
「あっ」
ジェイラスは先ほどと変わらぬ驚いた表情のまま、口をぽかんと開けていた。
「ジェイラスさん? あの……その、今の言葉は忘れてください」
「いや、忘れない。是非ともご相伴にあずかりたい」
真剣な面持ちでジェイラスは答える。シアの心臓は、激しく鼓動を打つ。
「あ、はい。どうぞ。えっと……これから用意しますので。ええと、座ってお待ちください」
緊張のあまり、シア自身も何を言っているのかわからなかった。
ジェイラスは、ヘリオスが寝ているソファに座る。そのまま、慈しむかのような眼差しをヘリオスに向け、金色の髪をやさしくなでていた。
「え、いえ。そこまでしていただくわけには……」
シアは遠慮しようとしたが、ジェイラスの言葉がそれを遮った。
「俺は殿下から言われているんだ。シア嬢を怪我させたのは我ら騎士団の責任。君の怪我がすっかりと治るまで、支えるようにと」
夕陽がジェイラスの黒い髪を橙色に染め、彼の真剣な瞳がシアを捉えた。その熱い視線に、シアの心臓はいつもより大きく鼓動した。
それは先ほど、テリーが指摘した言葉も原因かもしれない。
(ジェイラスさんとヘリオスは似ている……)
今だって、ジェイラスと彼の腕に抱かれるヘリオスと交互に見れば、親子と言われても違和感はないし、知らない人が見たら誰もがそう思うだろう。それくらい二人には共通点が多い。こうやって二人並ぶと、よけいにそう感じるのだ。
シアは失われた記憶に手が届くようなもどかしさを覚えた。
「シア嬢……? どうした? 顔色がよくない」
ジェイラスの心配そうな声に、シアは我に返る。
「あ、ごめんなさい。なんでもありません。ヘリオス、帰るわよ」
「や。ラシュ、いっしょよ」
意地でも歩かないという意思表示なのだろう。ジェイラスの上着をしっかりと握りしめている。
「そういうことらしい。ここは素直に俺に送られてくれないか?」
ジェイラスの声には、シアを安心させようとする優しさが込められていた。彼に甘えたい気持ちと、遠慮すべきだという葛藤の間で揺れた。なぜこんな感情が湧くのか、シア自身もよくわからない。
「まま、かえるよ」
ジェイラスに抱かれたまま、ヘリオスが偉そうに言う。その天真爛漫な声に、シアは笑いを抑えきれなかった。ヘリオスがこんなにも楽しそうなら、それでいいのではないか。
「では、よろしくお願いします」
「承知した」
だが養護院からシアの暮らすアパートメントまでは歩いてほんの数分。暗くなる前に家路を急ぐ者たちとすれ違う。年齢も性別もさまざまな人たち。中には親子連れや夫婦、恋人たちの姿もある。沈みかけの太陽が背中を押し、身体もぽかぽかと温かい。
他の人たちから見れば、シアたちも親子に見えるのだろうか。
ジェイラスが近くにいると、心が乱される。
「あ、ここで、大丈夫です。リオ、おうちに着くから、ここからは歩いていきましょう」
「や。おうちまで」
ヘリオスは絶対に離さないという強い意志を見せ、ジェイラスにしがみついた。
「どうしちゃったの? リオ……」
「まあまあ、俺は気にしないから。家まで送る」
シアはヘリオスにじっと視線を向けてみたが、幼い息子はジェイラスに顔をすり寄せて今にも眠りそうだった。
「すみません。ありがとうございます。多分、眠いんだと思います」
「なるほど。たくさん遊んできたんだろう。子どもは遊んで食べるのが仕事だからな。でも、寝るのも大事だ」
ヘリオスを抱き直したジェイラスは、その背をぽんぽんと優しく叩いた。
家に着いたシアは、ヘリオスをソファに寝かすようにとジェイラスへ伝える。室内は、木の家具と柔らかな布の匂いが漂い、夕陽の光がカーテンを通して穏やかな色を投げかける。
「では、俺はこれで」
「あ。あの……」
ジェイラスが帰ろうとした瞬間、シアは無意識に彼を引き留めた。
「あの……夕食、食べていきませんか?」
もう少し、ジェイラスと話をしたいと思っていた。わけもわからずざわつく胸の原因が、彼にあるような気がしたからだ。
それにヘリオスを迎えにいってくれたことへの礼のつもりでもあった。何も持っていないシアにとって、お礼と言えば食事に誘うことくらいしか思い浮かばない。
ジェイラスの驚いた顔が、モンクトン家の屋敷で、みんなで誕生日を祝ってもらったときのびっくりしたヘリオスの顔と重なる。
「あ、えっと……その、特別やましい気持ちがあるわけではなくて……ヘリオスの面倒をみてくださったから、そのお礼のつもりなのですが……」
どんな顔をしたらいいかがわからず、シアは下を向き、言い訳のような言葉を口にした。
だが、ジェイラスはしばらくの間、無言だった。困らせてしまったのだろうか。
「だから、あの。決して無理にとは言いませんので」
慌てて言い繕い、彼の顔を見上げた。
「あっ」
ジェイラスは先ほどと変わらぬ驚いた表情のまま、口をぽかんと開けていた。
「ジェイラスさん? あの……その、今の言葉は忘れてください」
「いや、忘れない。是非ともご相伴にあずかりたい」
真剣な面持ちでジェイラスは答える。シアの心臓は、激しく鼓動を打つ。
「あ、はい。どうぞ。えっと……これから用意しますので。ええと、座ってお待ちください」
緊張のあまり、シア自身も何を言っているのかわからなかった。
ジェイラスは、ヘリオスが寝ているソファに座る。そのまま、慈しむかのような眼差しをヘリオスに向け、金色の髪をやさしくなでていた。
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