サクササー

勝瀬右近

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第1章 第31話 黒い炎

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■焼き飯の味

「あなたとこうして一緒に歩いているだけで僕はこの世に生を受けたことを神に感謝したくなりますよ」
 そう言われたカレラはフッと微笑みます。
「まあ、お上手ですね。いつもそうやって何人の女を口説かれたんです?」
「そんな。僕はそれほど節操無しではありませんよ・・・と、自分で言っても信憑性がないですね」微笑むシャアル。「僕はあなたと会って話をしたいと心から思ったからお誘いしたんです。それはわかってほしいな」
「私のような女が公爵様からお誘いを受けるなんて身に余る光栄です」
 受け答えがまだまだ他人行儀である事にシャアルは少し胸を躍らせました。
 もしかすると親しい関係になれるかもしれない。そのために何をしようかと少ない過去の経験からあれこれ考え始めていたのです。
 見えない未来というのは時に甘美な夢を見させてくれるもの。シャアルはそういうことを楽しむタイプの若者だったのです。
 
 やがて歩く先に見え始めた建物を見たカレラは、その料理店が城下都市の中でも高級な部類に入ることを知っていました。
 この店には世界を渡り歩いてきた料理人が集まり技を競い合うような店で、さすがに晩餐は高くてなかなか庶民が入れるような所ではありませんでしたが、昼食はそこそこ安い値段で食べられるとあってなかなか人気がある店だったのです。
 窓からの眺めも最高の立地で、満月の晩などはアシア湖に映る幻想的な演出に浸りつつ食事をしようという恋人同士の予約でいつもいっぱいでした。
 しかし入口に『貸切』の札を見つけたカレラは足を止めたのです。
「貸切・・・これは公爵様が?」
「ええ。さあ中へ」
「お待ちしておりましたお客様。用意は整っていますよ」
 給仕がシャアルたちを迎え入れようと店から出てきて頭を下げ、それを見て「ありがとう」ニコリとするシャアルにカレラは凛とした表情になって言いました。
「すみませんが公爵様。今回のお誘いは辞退させていただきます」
「え?」
「あなたは国主のご子息なのにわかっていらっしゃらないわ。料理店というのは公共の場なんです。このような私的な事でほかのお客を締め出すようなことをしたらどうなると思います?」
 シャアルは言葉を失い、頭の中が真っ白になります。
「あ、でも予約したのは僕で・・・」
「そうだとしても・・・」誰もが思うのは私の美貌がそうさせたということ。それがまずいのです。とはとても言えなかったので言葉を飲み込んで踵を返しました。
「え、カ、カレラさん!?・・・まって!」
 いつも冷静なシャアルが冷や汗をかきながらカレラを追いかけようとしましたが、店主が呼び止めました。
「お客様。お料理の方はいかがします?」
「け・・・契約は取り消し!料金は返さなくていいから!ごめんよ!・・・カレラさん!」
 後ろの方で今日のまかない飯は超豪華だぞぅというはしゃぐ誰かの声が聞こえてきたような気がしましたが、シャアルにとってはそんなことより、何としてもカレラに追いついて、汚名の上塗りを避けなければならないということのほうがずっと大事でした。
 ”貸切にしたのがまずかったらしい。余人を交えたくなかっただけなんだが、しまった。考えが回らなかった。これほど実直な人とは思わなかった。”
 事実は彼の考えとは少し違いましたが、自分の犯してしまった配慮のなさと浅はかさに後悔しながらようやく追いついたシャアルは白い息を弾ませながらカレラに言いました。
「気分を害されるようなことをしてしまったことは謝ります。やりすぎてしまったんだと反省もします。だから機嫌を直してもらえませんか?」
 公共心とは個人的尺度によるもので、誰にでも押し付けることはできません。それでもカレラは本心から大衆の場をどのような理由があっても独占することは嫌だったのです。それはとりも直さず自分が住んでいる街を大切にしたいという思いからであって、だから金持ちが嫌いなわけではありません。
 では貸切を取り消せば良いではないかとは誰でも思うことでした。しかしシャアルの一目惚れした相手がカレラだったことが不運でした。カレラはとにかく自分の価値を下げる事をするのもされるのも大嫌いなだけなのです。にしてもシャアルが金にあかして、ではなく純粋に自分を喜ばせたかったから出来ることをしたという事も良く分かっていました。
 済まなそうな顔をしているシャアルを見てふっとため息をつくカレラ。
 しばらく黙り、周りを見回してから「それじゃ・・・」シャアルに振り返りました。
「あの店の焼き飯をご馳走していただけるなら」
「え?・・・焼き飯・・・」
 庶民の利用する豪華とは言い難い、大衆料理店を指し示すカレラにシャアルは少々戸惑いました。
「嫌ならこれで失礼しま・・・」
「いえ!喜んで!行きましょう!」
 用意した花も、豪華な料理も、窓から見える素晴らしい景色も全て台無しになってしまったことの残念感も手伝って、シャアルは何でも来いという情けない気持ちで笑顔を絞り出したのです。


 店の扉を開くと、昼時は過ぎていたのでお客はポツポツといる程度で店内はガランとしていました。入ってすぐ左手には10人ほどが座れるカウンターがありましたが客席にもカウンター内にも誰もいませんでした。
「おばさぁん!」
「え?」
 カレラがそう呼びかけると、店のカウンターの奥にある厨房か配膳室の入口から誰だという感じで初老のマシュラ族の女が顔を出し、カレラを認めざまに叫ぶように言いました。
「おやまあ!カレラちゃんじゃないの!ご無沙汰ねえ!近衛隊の仕事はどうなの?最近来ないから心配してたんだよ。・・・あんた!カレラちゃんが来たよ!」
 厨房の方で調理器具が崩れる音を立てるとすぐにぬっと顔を出したシカメ顔が「おじさん。久しぶりね」笑顔で手を振るカレラを見て破顔しました。
「おぉ!カレラちゃん!なんだよ元気そうじゃねぇか!聞いたぜ!なんだかしらねぇがこの前街中で岩巨人出してポルカのやつとやりあったって?!」
「おかしいんだよ。この人ったら最近カレラちゃんが来ないのはこんな場末の大衆酒場料理には飽きちまったんだろうって、・・・いい年して拗ねちゃってさぁ」
 片目をつぶってニヤと笑う女房に「ばばば、ばかやろぃ!余計なこと言うんじゃ・・・!」
 いかつい顔に似合わず頬を赤くした店主にカレラは微笑みました。
「ゴメンネおじさん。最近いろいろ忙しくて・・・。でもね、おじさんの作る焼き飯の味はずっと忘れてないわよ。いつもあの味に恋してるの」
 その言葉に店主はホロリとしたあとに非常に気をよくしたように満面に笑顔を貼り付けました。
「ほら見ろ!そうだろうとも!おれぁカレラちゃんのことを信じてた!」
 呆れ顔の女房はカレラに肩をすくめて見せます。
 微笑み談笑に興ずるカレラと店主たちにシャアルは少し居心地が悪そうにしながら店内を目線だけでぐるっと見回しました。
 もとは白かっただろう煤けた土壁、カウンター以外の席は5~6というところで決して広くはなく、太い梁が天井を縦横に廻っています。それらを低い角度で窓から差し込む自然光が照らし出しています。
 うらぶれてはいるものの、手入れの行き届いた状態から食事時や夜はきっと賑やかなのだろうとシャアルは想像しながら、これはまいったと思い始めていました。
 どう見ても既にこの昼食の誘いに託(かこ)つけた口説き落とし作戦の主導権は自分にはない、と。
 自分とそれほど年の離れていない年上の女の手玉に取られていることを薄々であるにしろ感じ始めていたのです。





■恐醜出現

 バキバキバキ!ばりばりばり!
 剣を構えて石組みの入口を見つめるミニとエデリカの耳に届き始めたプランテの防御壁を打ち破ろうとする破壊音と、怪物の吠える声が徐々に大きくなり、戦いの始まりが迫っていることを嫌が上にも悟らせます。
「ウゴォアアアアアア!」
「来るわよ」
 ミニはエデリカが持ってきた剣を構えハッと息を吐いて霊牙力を込めたその時、爆発するような勢いで石組みの洞窟への入口が粉々になった木片と一緒に吹き飛ばされたのです。
 飛び散った木屑を踏みしめながら現れたのは、身の丈は人の2倍ぐらい。体毛は一切なく、肌は気味の悪いまだら模様で濃い紫色。方々に撒いた発光クリスタルの光を反射してヌラッと光っています。
 顔はその肌の気味悪さ以上で、目は退化しているのか眼球が白く、低い鼻をクンクンと動かしていました。資格がないのなら戦いようがあるとエデリカが思ったとき、彼女の期待が裏切られました。
 嗅覚によって獲物の匂いを嗅ぎつけた化け物の眼球に悍ましい変化が訪れました。白い眼球に血管が浮き出て黒い穴を形作りそれが瞳孔となりました、そのまなこに光が宿るとぎょろぎょろッと動き始め、標的である二人の女に狙いを定めると同時に四つん這いになって狂ったように突進してきたのです。大きく開かれた真っ黒な口が獲物を食えるという喜びに笑っているように見えます。
「姫!」
 捕食の目標になってしまったミニは、怪物が飛びかかってくると同時に両手で構えた剣を一旦片手に持ち替えて横っ飛びで跳躍して攻撃を回避しました。ミニがいた場所に長い腕が空を切り、逃れたミニがどこへ行ったかとキョロキョロします。
「作りたての目は良くないみたいねっ!」
 避けた直後に上空高く飛び上がっていたミニが怪物の頭めがけて下降しつつ剣を振り下ろしました。
「だあああ!」
 ガアアン!
 剣の激突音とともに霊牙力が閃光となって飛び散ると、一瞬やったかと思われましたが、剣はまるで鋼鉄に当たったように弾き返されてしまったのです。
「痛・・・!」
 ミニは怪物の頭を蹴って宙返りして着地。頭を攻撃されて怒り狂った怪物の手が襲います。ミニをつかもうと広げた手のひらは1m四方もあります。それが目の前に迫ったとき今度はエデリカの振り下ろした剣の一撃で怪物の腕は床に叩きつけられました。
「離れて!」
「岩塊形質の怪物?!・・・にしたってなんて硬い」
 怪物が棍棒のような両腕を振り上げて今度はエデリカに叩きおろしました。しかしエデリカは目にも止まらない速さでそれを避け、そして背後に回って怪物の短い足に木を切る斧のように斬撃を叩き入れます。しかしまた鋼鉄をたたくような音がして剣が弾き返されました。が、エデリカはそれを予見していたかのようにすぐに間合いをとって、振り返った怪物と距離を稼ぎました。
「こっちよ!ほら!!来なさい!」
 腕を振って怪物を誘き寄せます。怪物はエデリカを捕まえようと口を大きく開けて「ボァァァァ!」咆哮し、四つん這いで追いかけ始めました。
 追いつ追われつの怪物とエデリカを見ながらミニは剣を握り直します。
「やっぱりこんななまくら剣じゃダメね・・・」
 ぼやきながら怪物の動きを目で追い、「役に立ちなさいよサリ!」走りだしました。





■封じ込め作戦

「なんですって!?」
 突然駆け込んできたサリにカル、アレス、カーヌの三人は何事かと驚きましたが、彼女の話を聞いたカーヌは慄然とした表情で椅子から立ち上がりました。
「ミニのやつめ!またやってくれたか!」
 いきり立つカルにカーヌは。「いいえカル殿下。これは我々の不手際です。あの結界がそう簡単に破られるわけがありません。おそらく石版が寿命を迎えていたのでしょう。姫殿下は運悪くそこにいあわせてしまっただけだと思います。でもどうしてあんな場所に・・・」
 最近の出来事ですっかり管理を怠っていたとカーヌは反省していましたが、その思いの中で違和感も同居させていました。しかし今それを考えている時間はありません。
「とにかく行きましょう。陛下はここで待っていて・・・」
「カーヌ!僕も行くよ!」
「陛下。いけません」
 愛する人が危険な目にあっているのにジッとしていられない。アレスのその気持ちはじゅうぶんに理解できました。しかしそんな危険な場所に君主を連れてゆく事は出来ない、というのは、カーヌならずとも家臣であれば同じ思いです。
 カーヌ=アーのそんな思いを見透かしたかのようにカルが言いました。
「アー先生。ここはひとまず全員で行きましょう。危険があるとわかったらアレスは私が命をかけて守ります」
「しかし」
「カーヌ。カルを信じてあげて。僕なら大丈夫。向こうには僕の守護天使がいるんだ」
 アレスはそう言うと、返事も待たずに走り出しました。カーヌは意を決した表情をしてアレスに続き、カルもそれに続きます。
「アレス!」
 カルはアレスに追いつくと言いました。
「アレス。気持ちはわかるが落ち着くんだ。こんな時は闇雲に急いだりしてはいけない。急ぎすぎれば冷静な判断ができなくなる」
「でも・・・」
「カル殿下のおっしゃる通りです陛下」
「でもエデリカが・・・」
「事は急を要しますが、大丈夫。エデリカさんほどの達人ならそう易易(やすやす)と怪物の餌食になどなりませんよ。それにグランダ中尉の話だとまだ怪物は結界を破れないでいるようですし」
「アー先生。先ずは私の部屋へ」
 カルは小走りしながら自分の部屋を指し示しました。
「ニックス!」
 カルは自分の部屋の隣の部屋の扉を叩いてニックス近衛隊長を呼び出します。
「殿下。どうなされたのです?」
「説明はあとだ。私の剣をもってついてきてくれ」
「剣を?」
「そうだ。早く!」
 ただならぬ様子にニックスは慌てて室内にとってかえすと、すぐに一本の剣を持って出てきました。それを受け取るとニックスをはじめとした自国の近衛隊士達にも同行するよう命令します。
「よし。行こう!・・・ん?・・・サリはどこへ行った?」
「中尉は姫の部屋です」
 カーヌが言うと、サリは重そうに大斧を引きずって部屋から出てくるところでした。
「サリ!なんだそれは!」
「姫の武器です。きっとこれが必要に!」
「ったく、馬鹿みたいなものをこしらえおって・・・ええい。誰か!持ってやれ!」
「ハ!」
 ニックスの部下が二人がかりで大斧を担ぎ上げます。
「ありがとうございます」
「さあ行くぞ!」
 カルを先頭にして皆が地下に続く扉の中へ入ってゆきました。
 階段を下りながらカーヌは2枚の掌大の石版を握りしめてブツブツと呪文を唱えながら考えていました。
”十ある石版のうちの2つが壊れたのだとしたら、結界の効果はかなり落ちる。これが間に合えばいいのだが・・・”
「螺旋階段か・・・」
「殿下、この螺旋階段は城の地下50メートルまで続きます。足元に気をつけて」
「そんなに?」
 なぜという疑問がわきましたが、問答している余裕はありません。
 暫くして一同が螺旋階段を降りきり、あの小さな扉の前に立つとカーヌは取手に手をかけてすっと開きました。その途端、怪物の拳が地面に叩きつけられる音が響き渡りました。カーヌ=アーの表情が硬くなります。
「なんてことだ。間に合わなかったのか・・・」
「姫!」
 小さな窓ならぬ扉から覗いた全員が恐ろしい怪物の姿に驚きました。
「エデリカ!!」
 怪物はエデリカを捕まえようと恐ろしい形相で腕を振り上げますが、素早い動きのエデリカはそれをものの見事に避け続けていました。
「アレス?!来ちゃダメ!来ないで!」
 エデリカはアレスの声を聴いて叫びます。
「アー先生。あの怪物は殺せるのですか?」
「わかっていることをお教えします。まずあの怪物と戦ったという記録は残っていますが、現在生きている者であれと戦ったことがある者はあのお二人だけです」
 カーヌはそう言ってエデリカとミニを示します。それはつまり少なくともノスユナイア王国の最年長であるディオモレスの年齢である約500年はこの結界が破られたことはないという事です。
「そして、誰かがここに結界を張らせた時から現在に至るまで約1900年の間、破られたという記録はありませんが、アレを倒したという記録もありません」
「わかりました。わかりましたがここでこうしているわけには行きません。ここを開けてください」
 カルは焦(じ)れるような顔でカーヌに言いました。
「お願いします先生」
 妹を案じている兄の気持ちを食い止める事はできませんでした。カーヌは入る方法をカルに告げ、そして言いました。
「殿下。私の防御膜魔法は封じ籠めが完了するのに3秒かかります。怪物の居場所を固定してその時間を作ってください」
 それを聞いたのかわかりませんが、カルはフッと消え失せました。







「ちょっとぐらい欠けたらどうなの!」
 ミニは文字通り全く歯が立たないのに苛立ち、そう叫んで怪物の伸ばしてきた腕に渾身の一撃を与えました。ところが。「あぁ!」バキン!という音と共に剣が折れ飛んでしまったのです。
「なんてなまくら・・・!」
「ミニ!避けて!!」
 ハッとして避けようとしましたが空を切って横殴りに襲い来る怪物の振り回す長い腕があたってしまいました。
「キャア!!」
 咄嗟に霊牙力で防御しましたが、広間の壁際まで吹っ飛ばされるミニ。
 壁に激突してしまうとおもわれたその刹那、彼女をガッと抱き留めたものがありました。
「お兄様!?」
「ミニ!サリが持ってきたものを受け取ってこい」
 ミニはニコッとして入口へと走り出しました。それを見た怪物はミニを追いかけようとしましたがそれは叶わず斬撃に吹き飛ばされました。
「わたしが相手をしてやる。覚悟しろ!」
 下からかちあげるような斬撃を怪物の顎に食らわせたのはカルでした。怪物はそのまま弧を描いて宙を飛んで壁際まで飛ばされます。
「エデリカさん!・・・3秒足止めすれば先生が封じてくれます」
「はい!」
「何とかして時間を稼ごう!」
 怪物は一瞬のけぞると腕で足を抱えるように前転するとそのまま勢いよく転がり始めました。大きな球が転がるようにカルとエデリカに迫ってきたのです。
「小癪な真似を!化物め!」
 カルがエデリカを制して立ちはだかり大剣を構えました。「ウオオオアアアア!」気合を入れると同時に刃が金色の光を帯び、その輝く刃が禍々しい球体に叩き込まれると、球体はものすごい音を発して反対方向へと吹き飛ばされました。
「・・・霊牙仭・・・すごい」


「姫!」
「サリ!」
「大丈夫ですか!?」
「遅い!」
 ミニが周りを見渡すと、小さな扉あたりにいたカーヌを守るようにニックスをはじめとしたフラミア連邦王国の近衛が次々と身構えているのが見えました。
「姫。さあこれを!」
 サリが傍らに置かれたあの大斧を指し示しました。
「でも今回は褒めてあげる!」
 お礼なんて言ってくれないのはわかっていました。それでもサリは彼女の無事な姿を見てホッとしたのです。
「姫!あとは我々近衛にお任せを!」
 ニックスがそう言いますがミニはフウッと息を吐いてにこりとしました。
「何言ってるのよニックス。これから面白くなるの!」
「しかし・・・」
 焦るニックスに背を向けたミニにサリは言います。「姫。あまり無茶はしないでくださいね」
「無茶をするのはちょっぴりだけよ」
 ミニは自分の背丈をゆうに超える両刃の大斧を掴んで起き上がると、ブンブンッ、ブンブンッという風切り音をたてて軽々と振り回しました。
「さあ、ここからが本番よ!」
 危機的状況だというのにお気に入りの武器を手にして嬉しそうなミニを、そして少し離れた位置にいたエデリカの体を淡い光が包み込みます。力が回復するのが感じられました。
 そして続けて差し込むような直線的な光の筋がミニ、カル、エデリカの3人を貫くと、魔法陣が現れて体に吸い込まれるように消えました。
「防御印・・・」ミニとサリが顔を見合わせます。
 サリが魔法の出処(でどころ)を見るとカーヌが体の前で手の平を軽く広げて二人同時に回復魔法をかけ、3人同時に防御印を放っているのが見えました。
「二つの魔法を3人同時なんて・・・さすがはアー先生・・・」
 力を得たカルは微笑みました。
「でも姫、防御はこのペラペラの布服にです。鎧じゃないんですから気をつけてください」
「ああん!やっぱりあの新作鎧を持ってくるべきだったわ。アー様の魔法がもったいない!」
 がっかりするミニとは対象的に、サリはまたあんな破廉恥な格好をしたらカルの怒りが再燃してしまう所だった、と持って来ていないことに心からホッとしていました。
「ミニ!あの怪物の動きを3秒間止めるんだ!私たち三人でやるぞ!」
「姫、封じる魔法が特殊なのでカーヌはもう支援魔法は使えないんです。私も頑張りますけど、なんとかやってみてください」
「任せておきなさーい!」
 言うが早いかミニは水を得た魚のように走り出し、大斧を横に低く構えて怪物に突進しました。
「さっきのお返しよ!」
 怪物は両腕を振り上げてから叩き込むように振り下ろします。しかし。
「ヤアアアア!」
 上から叩き込まれる両腕に下から大斧を振り上げたミニ。金属の弾ける音と共に怪物の片腕が鈍い破壊音と共に折れ曲がったのです。
「イヤッハアアアアア!」
 万歳するような格好になった怪物のがら空きになった腹部にコマのようにグルンと回ったミニの体から大斧のフルスイングが叩き込まれ、またしても怪物は吹き飛ばされました。
 カルの霊牙仭といい、この兄妹の馬鹿力にエデリカは驚きを通り越して呆れてしまいました。
 怪物が動かなくなったその時、カーヌの放った膜魔法が怪物をシャボン玉のように包み込み始めました。これで封じてしまいあとは膜を伸縮させれば洞窟の奥へと追いやれます。しかし。
「だめか・・・」
 カーヌはあと1秒あればというところで怪物がまたブルンと首を振って起き上がり、牙を剥きだして怒りの雄叫びをあげ腕を振り回して魔法膜を引きちぎってしまったことに口惜しいという表情を浮かべます。
「もう少しだったのに!」
「なんて頑丈な奴なんだ。我々の攻撃を二度も食らっているというのにっ!」
 カルは手加減など全くしていなかったので、怪物の頑丈さに半ば呆れ、そして恐怖しました。「あんなものがこの洞窟の奥にもっといるというのか・・・」出来る限り早く結界の向こうに追いやらなくては大変なことになる。
 カルは改めて剣の柄を握り直しました。





■口説き文句は苦い味

「おまえさん、カレラちゃんを口説こうとしてたのかい?」
 カレラがトイレに立ったあとにカウンターの向こうから料理店の女房がシャアルに笑いながら訊きました。
「え!・・・いや、僕はその・・・」
 シャアルは突然聞かれてどう答えたものかと視線を泳がせますが、女房はお見通しというふうに答えを待たずに言ったのです。
「隠すことはないさ。誰でもあんな綺麗な子を見たら一度は口説きたくなるってもんさね。・・・でもね。やめといたほうがいいよ」
 訳知り顔でいう女房の言葉にシャアルは興味を抱きました。
「どうしてです?」
「それはねえ・・・。あたしゃああの子が小さい頃から知ってるけど、近衛に入る前はから周囲の注目を集める美貌の持ち主だった。でも近衛に入ってからますます綺麗になってね。それからというものまあ軍人やら貴族やらが言い寄って来ること来ること」
「じゃあ誰かとお付き合いを?」
 胸の前で小さく手を広げた女房はそれをゆらゆらと左右に振りました。「全然よ」
 男を相手にしない。それはシャアルにとって小さな衝撃でした。まさか同性愛者なのか、と。
「同性愛者かって考えたでしょう?」
「え・・・いや・・・」
「ま、誰でもそう思うわよね。でも違うのよ。あの子はちゃんと自分が男にモテるってことをわかってる。わかってて相手にしないの」
「なんでだろう・・・」
「なんでだかはあたしもわからないけど、案外・・・心に秘める王子様がいるのかもね。あははは」
「え・・・」
 シャアルは自分が絶世の美男子だとは思っていませんでしたが、それでも24歳という年齢の若者が普通に自分の容姿に一定の自信を持つほどには自覚がありました。つまり、それほど悪くはないんじゃないか、と。
 しかし心に秘める王子とやらに自分は勝てず、つい先日もミニから好みじゃないと宣言されたことを思い出すと、さすがに心境は複雑になります。
「そうがっかりしなさんな・・・」
 女将が慰め混じりにそう言った時に店の入口からどやどやと数人の男たちが入ってきました。
「ほぅら、あんたのお仲間が来たよ。いらっしゃい!おやケンドル、さっき昼を食べたばかりじゃなかったっけ?」
「おばちゃん!カレラが来てるって?!」
 ケンドルと呼ばれた屈強な体つきの男が太い声で女房に言うと、ちょうどその時カレラがトイレから出てきました。
「あら、ケン。仕事は?」
「仕事なんていつでも出きらァ!カレラァ!久しぶりだな!」
 ケンドルは岩のような表情を不似合いに微笑ませました。
「こんなところで油売ってると親方に叱られるわよ?」
「ツレねぇなあ・・・ああ、俺ァカレラの近くにいるだけで生まれてきて良かったって思うぜ・・・」
「あんたそれ言うの何度目よ。聞き飽きた」
 その言葉を聞いたシャアルは穴があったら入りたい気持ちになりました。
 この店の女将の言うとおりカレラがモテるなら男の口から出る口説き文句はまさに星の数ほど聞いているに決まっています。このケンドルという男の言った言葉など、まさに在り来りなセリフです。ついさっきそれと同じようなことを自分が言ったのを100年先まで後悔しそうでした。
 しかもそれに対するカレラの受け答えが『聞き飽きた』ときては目も当てられません。過去に戻れるならそこで自分を殴り飛ばしてやりたくなるほど耐え難い気持ちに頭を抱えます。
「今日はいつにも増して綺麗だなカレラ。着飾っちゃってさ」
「ありがとコデル。あなたも相変わらず小さくて可愛いわよ」
 ケンドルと一緒に来た仲間の一人のコデルという小男にカレラはいたずらっぽく笑い、コデルもまんざらではなさそうに笑い返します。
「僕はきっとずっと小さいままさ」
「コデル!俺がカレラと話をしてるんだ。邪魔すんなよ!」
「いいじゃないか。僕だって話がしたい」
「なにい!」
「よせよケンドル!」
「やるなら外でやっとくれ!」
 ケンドルがコデルの胸ぐらを掴み、それをほかの仲間たちが仲裁に入ったその時。
「ケンドール!!!」
 怒鳴り込んできたのはシワだらけの厳しい顔つきをした、これぞ職人頭という老人でした。老人とは言えその声の勢いには屈強な体躯のケンドルを慄かせるほどの迫力がありました。
「やべ!お・・・親方」
「貴様ら!またサボってやがるのか!さっさと仕事場に戻れ!うちは役たたずを養っていけるほど余裕はないぞ!」
 そう言ってケンドルの脛を蹴飛ばします。
「痛ぇ!」
「もっと痛い目みたいか!ああ!?さっさと仕事に戻れ!お前らもだ!この穀潰しども!!」
「わ・・・わかったよぉ!・・・ちぇ!・・・じゃあなカレラ!たまには顔出せよ!愛してるぜ!」
 渋々去りゆくケンドルにふざけたような笑みを浮かべて手を振ったあとカレラは怒鳴りこんできた老人に挨拶します。「こんにちは。相変わらずね、パッツィオさん」
「・・・久しぶりだなカレラ。今度からもう少し時間を考えて来てくれんか。お前さんがココに来るとうちの製材所の若いもんがみんな仕事をほっぽらかしちまう」
「ごめんね。気をつけるわ」
 鼻息を吹き出したパッツィオは「・・・ま、元気そうでよかった。じゃあな」シワだらけの厳しい顔を微笑ませて手を上げ仕事場へ戻ってゆきました。
「みんな元気ねぇ・・・」
「あんたの幼馴染はみんな元気さ。酒が入れば一度はあんたの話が出るからね。養母さんも心配してたから近いうちに行くといいよ」
「うん・・・わかってる」
 翳りのある笑を浮かべたカレラはハッとして振り返りました。
「すみません公爵様」
 シャアルは未だショックから立ち直れない弱々しい微笑みで応えます。
「公爵様?どこの公爵様だい?」
「あらいけない・・・私ったらつい」
「いいですよ。隠すようなことでもないですから。私はシャアル=サンフェラートと申します」
 女将は眉を動かしてから、あっと言って手を打ちました。
「弔問の?!」
「ええ」
「あらまあ。それじゃあなたケルファール大公国のぼっちゃま?」
 おぼっちゃま。そういわれるのは慣れていましたが、苦笑いを浮かべました。
「ありがとう。陛下のために遠路はるばる来てくれて」女将は寂しそうに微笑みますがすぐに表情を戻すと。「でも公爵様がこんな大衆酒場で食事なんて。よかったのかい?カレラちゃん」
「え・・・ええと・・・ふふ」
「女将さん、どうかお気遣い無く。こうしてカレラさんとお会い出来たし、この焼き飯もとても美味しかったです。それにさっきの騒ぎでカレラさんの事が少しわかった気もするし、僕としてはこのお店に来て大収穫ですよ」
 シャアルは笑顔でそう言いながら、存外機嫌の良い自分自身に少し驚いていました。
「そう?で?この子を口説き落とす自信がついたかい?」
「ははは」
「おばさん?」
「はっはっは。初めてってわけじゃなし。いつものことだろ?」
「もう・・・。すみません公爵様」
「・・・はは」決まり悪そうにちらりとカレラを見たシャアルはそろそろ引き上げどきだと思い、腰を上げました。「さて、そろそろ帰ります」
「あらもう?」
「ええ。あ、カレラさんはどうぞごゆっくり。ごちそうさまでした女将さん」
「また来てね」
 一旦は立ち上がって別れを告げたものの、カレラは店を出たシャアルに追いついて呼び止めます。
「ごめんなさい」
「え?」
「きっと公爵様に私・・・失礼なことしてしまいましたよね?でも・・・」
「悪気はなかった?」
 先を読まれたカレラはうっと言葉を詰まらせました。それを見てシャアルはフフと笑います。
「謝らないでください。どちらかといえば謝らなきゃいけないのは僕の方ですから。ほんの僅かな間でもあなたの気分を悪くさせてしまったのは僕の落ち度です。次は・・・次があればもう少し違った所をお見せできるようにしておきます」
 カレラはとことん人の良い年下の男になんだか申し訳ない気持ちになりましたが、気を取り直して微笑み「期待してます」シャアルもそれに微笑み返しました。
「今日は無理を聞いてくれてありがとう。いろいろ面白かったです。それじゃ」
 カレラに手を振って別れ、歩きながらシャアルはこう考えました。
”不本意な形だが自分という男を印象づけることはできた。今はこれでよしとしよう。運命の導きがあるならカレラさんとはまたどこかで会えるかもしれない。・・・とはいえ。船長にこの話をしたらきっと大笑いされるだろうなあ。”
 若さとはめげない事、とは今のシャアルのためにあるような言葉なのかもしれません。
 さてこれからカルに何を言われ、それにどう答えるかを考えなければ、と彼が思ったとき、向こうから駆け足でやって来たノスユナイア王国近衛隊士がシャアルに気が付き、駆け寄ってきました。
「失礼します。公爵閣下」
 その隊士が努めて平静を保とうとしているのは明らかでした。「?」その様子にシャアルはどうしたのかとキョトンとした顔で目の前の近衛隊士を見ます。
「すみません。ご一緒と聞いたもので、ドルシェ少尉の居場所をご存知ですか?」
「どうしたんです?」
「実は・・・」
 近衛隊士から知らされた事に驚愕の表情になったシャアルはカレラの居場所を伝えるとすぐに弾かれたように走り出しました。
 王城に向かって。






◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆■◆


 片腕を失った怪物がその不利を補うためかまた丸くなってエデリカとミニを襲い、彼らがそれを飛び退いて避けると壁面に激突した怪物は苛立たしげな歯ぎしりにも似た雄叫びを上げました。
 それを見ていたカルはエデリカにに駆け寄ります。
「私が動きを止める!」
「どうやって?!」
 カルは今ある状態に似つかわしくない表情で言いました
「やつは私たちに向かって丸くなって突進してくる。それを受け止める。そのあと君たち二人で怪物の頭を上から思い切り叩け!そうすれば3秒は稼げる!」
 うっすら微笑むカルにエデリカは息をのみました。
「でも危険です殿下!」
「危険でもそうするしかない。お前のバカ力が頼りだミニ」
「まあ。仮病の時といい、最近頼りにされる事が多くて嬉しい限りですわ兄上」
「減らず口を叩くな。来るぞ!ギリギリまで引き付けて上に跳べ!」
 カルの思惑通りに3人が固まっているところに怪物が丸くなって突進してきました。それを見たカルは大剣に赤く光る霊牙仭(れいがじん)を発生させます。
 サリはその様子を見て重ね合わせた両手を前にかざして身構えました。
「うまくいって・・・お願い・・・」
 緊張で動悸が早まったサリのこめかみを汗が伝います。
「ウオオオオオ!!」
 怪物とカルの霊牙仭(れいがじん)が激突しものすごい音がして、一瞬押されたもののカルの踏ん張りはそれに耐えて遂に怪物を食い止めたのです。
 カルと怪物の激突の一瞬前、真上に跳躍したエデリカとミニはそのまま武器を構え、渾身の力で怪物の頭めがけて剣と戦斧を叩きおろします。怪物が床に叩きつけられると動きが止まった刹那、魔法膜が怪物を完全に包み込んだのです。
「やった!」
 誰もが喜んだ次の瞬間、カルが立っていた場所のすぐわきにあった結界に通じる入り口から別の怪物が飛び出し彼を大きな掌で叩き飛ばしたのです。
 油断していたのかその衝撃はあろうことか彼の右腕を肘の関節から折り飛ばしてしまったのです。
「兄上ぇ!!」
「殿下ぁ!」
 カルはそのまま広間の中央にちぎれた腕ごと吹き飛ばされ動かなくなりました。鮮血が腕から流れだし、その光景に全員が戦慄します。
「殿下ああああ!!」
 あまりのことに思わずカーヌは倒れているカルの方へ駆け出しました。洞窟から現れた二匹目の怪物は最初の怪物と形は同じでしたが、皮膚の色が銀色で体中が鋭く短い棘で覆われていました。
「兄上!兄上ぇ!」
 ミニも兄の惨状に我を失って走り出します。エデリカは霊牙力を足に集中して走りだし、ミニを追い越して跳躍。そして新たに現れた怪物に一撃を加えました。怪物はエデリカを追いかけ始めます。
「カル!しっかり!」
 駆け寄ったミニの他にもうひとつの人影を見たカーヌは驚きました。
「陛下!?」
 アレスがあまりのことに広間に入ってきてしまったのです。カーヌは焦りました。が。
「アー様!」
「!」
 驚いたカーヌの視線の先にいたのはローデンでした。
「アー様。治療は私が!」
 一瞬の戸惑いの表情を見せたカーヌ=アーでしたが、そのローデンの背後にいた人物の姿に思ったのです。間に合ったのだと。
「ノーディ!お前たちはエデリカを助けてやれ!残りは他にいないか確かめてこい!油断するな!」
「了解!」
 モルドの指示で十数人の近衛隊士が散ってゆきました。
「ローデン!どうだ!」
 カルに手をかざしていたローデンは厳しい表情ながらも自信に満ちた感じで応えます。
「大丈夫だ。問題ない。気絶しているだけだ。腕も今・・・」
 モルド大佐はそれに頷き「アー様。すぐにツェーデルも来ます。ここは我々が守りますので兵士たちの支援を」そういうや否やにモルドは持っていた先端に鉄球のついた鈍器を構えて怪物の来襲に備えました。
「兄上・・・腕が・・・」
 ぐったりとしたカルを悲壮な表情で見るミニにローデンは。
「姫。腕は大丈夫です」
 ローデンはちぎれた腕をカルの元の場所に添えると手をかざしました。
 魔法で作り出された絹糸のような線が切り離された腕と腕との間に無数に現れるとキラキラと光を放って徐々に出血を止めながら近づき、遂にはぴたりと合わさると傷口も残さず何事もなかったかのように繋がったのです。
「ふう・・・。半月ほど回復訓練が必要ですが、今までどおりに動くようになりますよ。お若いから後遺症もないでしょう」
「よかった・・・。ありがとう先生」
 ほっとした表情を見せたミニはガッと大斧の柄を握ると立ち上がり、カルを傷つけた怪物の方へ走り出しました。


 サリはあまりの出来事に入口あたりで立ち尽くしていましたが、後ろから突然呼ばれ振り返りました。
「グランダ中尉!中尉!!」
「あ!こ・・・公爵様!」
「中へはどうやって?!」
「そ、あ・・・そこで『覗く』って言ってみてください!」
 言われたとおりにしてシャアルが中に入ると、「中尉いったいどうなって・・・」と言うや否やにカルに気が付き、戦慄した表情になって倒れているカルのもとに駆け寄ります。
「カル!」
「公爵閣下。大丈夫です。殿下の腕の傷は治療しました。ただ出血が酷かったので、しばらく起き上がれないでしょう。腕が千切れてしまいましたが繋げました。命にも別状はありませんからご安心を」
 シャアルは「腕を?」そう言うと怒りをはらんだ目で立ち上がりました。
「公爵?」
 シャアルはフウっと息を吐いて近衛たちやミニが戦っている二匹の怪物の方へゆっくりと歩き出しました。その表情はいつもの柔らかな物腰の彼とは違っているように見えたサリは背筋が寒くなるのを感じたのです。
 シャアルは怒りを覚えていました。親友を傷つけられたことにも、自分がそばにいてやれなかったことにも。もちろんそれはとりも直さずシャアルのせいではありませんでした。が、彼の若さはそう簡単には割り切らせなかったのです。
 シャアルは両手を軽く体の前に差し出して詠唱を始めました。
 ツェーデルがカレラを伴って現れたのは、シャアルの両手にボウっと揺らめく真紅の縁取りのどす黒い魔法陣が現れたときでした。それを見たツェーデルは目を見開き、背筋に悪寒を感じました。
「まさかあれは・・・!」
 それぞれの手のひらに現れた二つの黒い魔法陣の周りを黒い炎の揺らめきに混じって赤い炎がのたうつ様に旋回し始めます。
「いけない!公爵・・・」
 カーヌの声はシャアルに届くことはありませんでした。彼の放った魔法は空間の元素を取り込んで現出したのです。
「フン!」シャアルが振り上げた腕から投げられたその魔法陣は広間の天井ギリギリまで上昇するとそのまま勢いよく降下し二体の怪物に叩き込まれました。怪物にベタっと張り付いた魔法陣は怪物の体を赤黒い光を放ちながら変形し包み込み浸食し始めます。それはさながら溶岩が山肌を削りながら流れているかのようにも見えました。
 ツェーデルはそれを見て思わず叫びます。
「みんな怪物から離れて!早く!」
 異変に気がついたミニや近衛隊士たちはもがき苦しむ怪物から離れ、「なんなの・・・?」顔をしかめました。
 怪物たちは苦しみから逃れようと洞窟の方へ逃走し始めましたが、しかしシャアルがもう片方の手のひらから投げつけた魔法陣が怪物の躰にめり込むと、それと同時に怪物の体が激しく燃え盛り、断末魔の叫びと共に溶解し始めたのです。
 ツェーデルは厳しい顔でそれを見つめて「なんてこと・・・」呟きました。
 怪物を仕留めた喜びに声を上げる兵士たち。怪物はドロリと倒れると盛り上がった泥山のようになって息絶えました。
 しかし喜ぶ兵士たちとは裏腹に表情を厳しくしたツェーデルはシャアルの前に立って射抜くような眼差しで彼を見たのです。
「公爵様。ご友人を傷つけられたお怒りはごもっとも。お気持ちはわかりますがカル殿下はご無事です。これ以上はおやめください」
 シャアルはハッとして、目の前にいるのが賢者だということに気がつくと後悔するような顔になって視線を落とし泳がせました。
 ツェーデルはフッと息を吐くとシャアルに背を向けてカーヌに言いました。
「再封印を」
「はい」
 カーヌが封じ込めた怪物を包んだ膜を伸ばすと怪物は体を引き擦るように膜の中を洞窟の中へと逃げていきます。

「お父さん。あれは・・・絶対防御?」
 ローデンの隣にいたエデリカがそう呟くと。「いや。あれは防御膜魔法だよ」
「ぼうぎょまく?」
「うん。絶対防御と同じで破ることはできないけれど、防御膜魔法は特殊でね。伸び縮みするんだ」
「初めて見たわ・・・」
「私もだよ。アー様から聞いてはいたけどね」
「私は見たことがあるけど、こんな大きなのは初めてよ」そう言ったのミニです。「大抵は小さな球体で雪山とか砂漠で緊急避難時に使われる魔法よ。水も通さないから海難時ににこれを使うこともあるって」
「エデリカ。この魔法は魔法書式が複雑だから単独でしか使えないうえ、魔法力を持続的に消費する。外界からの影響が激しければ激しいほど魔法力の消耗も大きくなる、そしてとても珍しい魔法なんだ。世界でもコレを使える魔法使いは数える程しかいない」
「そうなの・・・」
 だからカーヌは支援ができなかったのかとエデリカは理解し、カーヌ程の魔法使いでも慎重にならなければ使えない魔法の存在がある事に感歎(かんたん)しました。
「わが国ではこの魔法が使えるのはアー様以外ではひとりだけだ」
 モルドが言います。
「誰?」
「第八師団に所属しているロデル=メイラードだ。これほど強力ではないがな」
 
 怪物が膜内を封印の障壁があった場所より奥に行ったところで膜が怪物の大きさに縮み、カーヌは持っていた石板を外れて落ちた石板のあったところに設置します。
 残りの石板と共鳴して十芒星が現れ、それぞれの石板から芒星の中心に向かってモヤモヤとした霧状の物質が広がるとパシンと言う音とともにエデリカたちが最初に見た障壁が現れたのです。
「終わったな」
「あの二体・・・」
「ん?」
「私たちが最初に相手をしていたのは岩塊形質ってすぐわかったけど、後から来たのはどう違うのかしら」 
 ミニが疑問を口にするとモルドがそれに答えました。
「あとから現れた方はおそらく鉄塊形質でしょう」
「鉄塊形質というと失われた種族の塔に棲みついているあれらと同じ?」
「おそらく」
「どうしてこんなお城の地下にいるのかしら」
「それは教えるわけにはいかんのです。ご容赦を」
「・・・」
 国家機密に類する情報なのだとミニは理解し、それ以上は何も言いませんでした。
「それよりモルド」
「ん。わかっている」
「どうなさったの?」
 厳しい顔をしているモルドとローデンを見てミニは怪訝そうな顔をします。
「いえ。姫。カル殿下にお付き添いください。ローデンもお供します」
 近衛たちによってカルは担架に載せられて運び出され、それにミニやシャアル、エデリカとアレス、ローデンの五人が付き添って出ていきました。
 封印術を終えたカーヌとツェーデルがモルドのもとへやってくると3人ともが戸惑ったような顔つきになります。
「私がもう少し早く来ていたら・・・」
「いや、ツェーデル。後悔よりこれからのことを考えなくては」
「確かにそうですね。さて・・・」
 カーヌはフッと息を吐いてから言いました。「私はカル殿下についていましょう。サンフェラート公爵も自分のしたことは判っているでしょうし」
「そうしてくださいカーヌ」
「お願いします」
 カーヌが去ると入れ替わりにカレラがモルドたちのところへ来ました。
「大佐・・・万が一を考えてここへの入り口には近衛隊士を数人立たせてあります。今のところ反国家審問委員会と諜報部にはまだ知られていません」
 モルドとツェーデルは怪物の溶け崩れた死骸を見ます。
 規則に厳しいモルドをカレラは心配そうに見ながら思いました。
”王国法によって黒魔法を国内で使った者は厳罰とされている。でもそれは他国の人間に対しても適用されるのだろうか・・・”
「だが知られるのは時間の問題だろう」
「急いだほうがいいでしょうね」
「陛下を助けていただいた恩人に対して心苦しい限りだが・・・」
 ツェーデルは厳しい顔で答えます。
「仕方ないことです。カフラー委員長なら王族でも投獄すると言いかねませんからね」
 少なくともモルドとツェーデルはシャアルを咎めない事がわかってカレラはホッとしました。
「私はいったん魔法院へ戻ります。カレラさん。ここにいた者以外に頼めないからあなたにお願いします」
「え?」
「今晩の夕食後に、サンフェラート公爵を私の部屋へ連れてきてください」
「今晩ですか?」
「何か?」
「いえ、さっき急ぐと言ってらしたので」
「ええ、これから急いでカフラー様のところへ行くのです。ではお願いしましたよカレラさん」
 立ち去りゆくツェーデルを見てカレラは混乱しました。
 急ぐというのは一刻も早くサンフェラート公爵を国外に逃れさせるという意味ではないのか。まさかカフラーに引き渡すつもりなのか、と。




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ノスユナイア王国法
第九章 魔法管理

第十五条《黒魔法》

第一項・・・
黒魔法に関連する全ての情報はノスユナイア王国国王の名の下に魔法院にて管理され、その全責任を魔法院長が負う。

第二項・・・
国内での黒魔法使用は戦時及び緊急時と判断される事態以外で使用されることは違法とし、これを侵したものはノスユナイア王国国王の名において裁かれ罰せられる。

第三項・・・
黒魔法を国内で使用した者は生死を問わず捕縛される。また当該魔法使用者が逃走した場合、国内に存在する限り抹殺の対象とする。

第四項・・・
黒魔法を国内で使用した者は本条第二項に則り、魔法院にて為された事実調査の結果をもって王国評議会が裁判を行い処遇を決定する。

第十五項・・・
黒魔法を使用した者が治外法権所持の外国人の場合は魔法院にて事実関係を調査し、王国評議会にて処遇を決定するが使用者が逃走した場合はいかなる理由があろうとも本条第二項及び第三項に則って対処する。

第二十項・・・
黒魔法使用が反国家的思想のもとに為された事が疑われる場合その可能性の大小にかかわらず、反国家審問委員会は本条に抵触する事件に関与した個人、あるいは団体に対し、確保拘留及び審問を行う権限を有する。この権限はノスユナイア王国国王が保証する。

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 魔法院長ツェーデルは反国家審問委員会の委員長カフラーを訪ねました。
 彼女がカフラーの部屋に入ると彼は執務机から立ち上がって椅子を勧め、座面に腰を下ろしたツェーデルは向かいに座ったカフラーに静かに言いました。
「突然申し訳ありません」
「なにかお飲み物でも?」
「いえ結構」
 勧めを辞したツェーデルはひと呼吸おいて話を始めました。
「カフラー委員長」
「なんでしょう」
「私がこうしてあなたに会いに来た理由は既にお分かりですね?」
 単刀直入に切り出したツェーデルにカフラーは少し間を置き、傾げた首を頷かせました。
「驚きましたな。まさか黒魔法とはね」
 やはり知っていた。情報源は諜報部だろうか、それとも近衛の誰かが内通しているのだろうかと考えましたが、その詮索は後回しでした。今はこの目の前にいる難物をなんとか抑え込まなければならないとツェーデルは頭を切り替えたのです。
「親しい友人が傷つけられた上での激昂が判断を鈍らせたのでしょう。公爵様は本来あのような行動に出る方とは思えないほど普段は思慮深い方でしたから」
「まあ・・・若いということはそういうことなのでしょうが、ね」
「本題に入りますが、あなたのお立場から今回の件についてなんらかの・・・」
 カフラーは手を挙げてツェーデルを止めて言いました。
「今回の件については我々は口を出しません」
 関与をほのめかしてくるかと思っていたツェーデルはカフラーの意外な言葉に小さく驚き、戸惑いました。
「委員長、黒魔法の王城内での使用は反国家審問に値する出来事であると理解した上でおっしゃっているのですか?」
 カフラーは穏やかに一度頷いて言いました。
「三賢者のうち魔法院院長を含めたふたりもが現場に居合わせた、となれば国内においての黒魔法使用に対した王国法の施行は司法、即ち王国評議会の領分です。
 事態が不明瞭な場合に限って我々委員会が事実関係を明らかにするために調査をしますが、今回は黒魔法使用者が逃亡しておらず、どこでどんな魔法を使ったのかもハッキリしています。現段階では我々が出る幕はないでしょう。その場にあなたやアー様が居合わせていたのなら裏付けを取るまでもない。すべて評議会にお任せしますよ」
 カフラーの言は至極まっとうで、ともすれば、らしくないとも取れました。
「では委員会から評議会に改めて報告することは無い。評議会が下す判断がどのようなものであれ異論はない・・・そういうことでよろしいのですね?」
 カフラーは何度か頷きます。
「ええ。反国家審問委員会の職務の性質上、我々が関与すれば犯罪色が濃く出てしまいます。ですが、そうなっては後々の我が国とケルファール大公国とのつながりに支障をきたすかもしれない。我々とてそれは望むところではありませんからね」
 反国家審問委員会は国王に判断を仰ぐことなく反国家的事件の被疑者を逮捕し審問の場に引き摺りだすこともできます。
 ツェーデルは自分の組織の持つ権限を放棄するのはカフラーらしくないと考えましたが、フスラン国境での出来事は他国との国交強化の必要性を強く感じさせる事です。さすがのカフラーも一歩退かざるを得ないのだろうと考えたのです。
「では一旦これで失礼しますが、もしも・・・」
「心配ご無用。委員長の名においてこの件に関しては一切口出ししないことをお約束します」
「・・・わかりました。お忙しい中をお邪魔いたしました」
 ツェーデルはそう言うと立ち上がり、扉のところで会釈をしてカフラーの執務室から出てゆきました。
 それを見計らって隣室から一人の男が出てきて言います。
「これでこの事件、公表できなくなりましたね、委員長」
「まあ、あの若者が弔問にかこつけて我が国に乗り込んできて戦争でも仕掛けるとは思えないからな。問題はあの賢者がこれを”借り”と思うかだな」
「私はそう思いますが、カフラー委員長は違うのですか?」
 カフラーは立ち上がりながら男に言いました。
「・・・まあ突発事件だ。私とてあの王族の若者たちには感謝している。だから差し引きゼロだよ」
「だから手を出さないと?」
「さすがは三賢者だよ。我々が既に情報を手にしていることを推察して真っ先にここへ来るとはね。行動の素早さには恐れ入った。女傑とはよく言ったものだ。まあ・・・最初から内々に処理するつもりであったのだろう。でなければここへは来なかったはずだよ。公表できなくなるのも先刻承知の上でだろうな」
「なるほど・・・そうするとうまく丸め込まれたのは我々の方ということになりますね」
 カフラーは皮肉な笑いを浮かべる男を見て言いました。
「そういういうことにしておいたほうが良いこともある。それより・・・」カフラーは踵を返すと執務机の椅子に座ります。「オルレゲン議員の件は?」
 その言葉に表情を固くした男はひと呼吸おいてから応えました。
「意図的に隠れているようですね。ハーリエンからはまだなにも連絡はありませんが居場所のおおよその検討はついているので間もなく見つかるでしょう」
 カフラーは親指を頬に突き立てる形で頬杖をついて息を吐きだし、男に退室を命じて部屋に一人になると立ち上がって窓際に立ちます。
 窓越しの夕空に星がひとつふたつと混じり始めた頃で、長く伸びる城の影が湖に落ちていました。
「オルレゲン・・・」








「あ!気が付いた!」
 ぼうっとした状態で目を覚ましたカルはハッとして起き上がろうとしましたが腕に力が入らず、そしてその事で絶望を表情にあらわにしました。
 おぼろげな記憶で自分の腕が千切れ飛んだことを思い出したのです。夢であればどんなにいいかと思いましたが現実であることは確実です。
 ”そうだ・・・私は腕を失ったのだ・・・”
 そこにあるはずのものがないのを見ることを躊躇ったカルは静かに目を閉じます。
「殿下。気がつかれましたか?」
「サリ・・・」
 自分が目を覚ましたことに気がついたサリの呼びかけにも目を開けず、ただ心が空虚なままでした。
「そのまま横になっていてください。いま先生をお呼びしますから」
 サリが部屋から去ってから何気なく、自分の右腕に左手を当てたカルは驚きました。
「!腕が・・・ある?」
 ローデンがエデリカやカーヌやアレス、ミニたちを伴って部屋に入ってきたのはその時でした。
「殿下お目覚めですね。よかった」
 カーヌが、そしてアレスやミニがカルを覗き込んで微笑みました。
「カル」
「兄上」
「アレス・・・ミニ。みんな無事か・・・。・・・あ!」
 慌てるように起き上がろうとしたカルを見てエデリカがそれを止めました。
「殿下。起きてはダメです。出血がひどかったんですから」
「・・・怪物は?!」
 エデリカは一瞬カーヌに振り返り、カーヌの視線を受け取ってから微笑んでカルに言いました。
「大丈夫です。殿下が食い止めた怪物はカーヌやツェーデル先生が動きを封じて、張り直した結界の中に封じ込めました。あなたのおかげです」
 カルは脱力してベッドに体を沈めました。
「不甲斐ない姿を見せてしまった・・・。アレスすまない」
「え?」
 カルはアレスの手を握って言いました。
「すまない。君を守ると言っておきながら私は・・・」
 アレスは首を振って微笑みました。
「自分に出来ないことがあれば誰かを頼れって、カルが言ったんだよ。カルを頼ったのは僕。気にしないで」
 カルはうっすらと笑います。
「ありがとう」
「ううん。僕の方こそ」
「私の右腕は・・・アー先生が治療を?」
「ううん。エノレイル先生だよ」
「エノレイル・・・。後見人の・・・あなたが・・・」
 カルは意外そうな顔になってローデンを見上げました。浅く頭を下げるローデンを見ながらカーヌが言います。
「エノレイル先生は国王陛下つきの御典医だったんです。医療技術に関しては私など遠く及びません」
「アー様それは言いすぎですよ」
 ああと感歎したカルは照れくさそうにしているローデンを見て、カーヌ=アーから知らされた事実に何度か頷きました。
「医師なのに、後見人まで・・・」
 その言葉にローデンはそれ以上触れてくれるなというような顔をしてから軽く咳払いします。
「殿下。腕は繋がっていますが、先ほどエデリカが言ったようにあなたはかなり出血されたので、しばらく安静が必要です。少なくとも数日は」
「そうですか・・・」
「たくさん食べて血が増えれば今感じている体のだるさもなくなります。・・・それから状態を診て、可能なら回復訓練をしなければなりませんが・・・」
「回復訓練?」
 ローデンはチラリとカーヌ=アーと視線を合わせてからまたカルを見ました。
「殿下。拳を作ってみていただけますか?」
「拳?・・・ええ・・・んう・・・う?」
 カルは普通に拳を作ろうとしましたが、手に力が入らずわずかに指が曲がっただけです。
「そんな・・・力をいれてるのに・・・」
「失礼」
 ローデンはカルの手を取って彼の全ての指先に順番に自分の指先を置きながら訊きました。
「どうです?何か感じますか?」
「・・・ピリッとした感覚が」
 ローデンは微笑んで手を離しました。
「殿下。筋も神経も全てつながっていますし血流も問題なさそうです。僅かとは言え指が動いたのは最大の安心材料です。訓練で元の状態に戻る可能性はほぼ100%でしょう。それにあなたはお若い。きっと早く回復できますよ」
 カルはハアッと息を吐きだして心から安堵し、そしてローデンを見て心からの言葉を口にしました。
「エノレイル先生。あなたにはなんとお礼を言ったらいいのか・・・」
 もしも腕を失っていたら、将来予定されていた自分の国王即位は決してなかっただろう。たとえあったとしてもそれは自分が考えていた形とは程遠いものになっていた。カルはそれだけは断言できました。
 しかしそれよりももっと重要なのは自分がそんなことになっていたら、ノスユナイア王国とフラミア連邦王国の間に埋められない溝が出来てしまう。それを回避できたという喜びも大きかったのです。
「私は医者です。しなければならないことをしただけですよ」
「本当にありがとう先生・・・」
 フウっと体の力を抜いたカルの体がベッドに沈みました。
「兄上。ゆっくりとお休みくださいませね」
「ミニ」
 ミニは思わせぶりににやりと笑って見せました。
「お前またよからぬことを・・・大体今回の騒ぎもお前が・・・」
「ほーっほっほほ。いやですわ兄上。それは言いがかりというもの。でも今はその腕では私の頭を叩くわけにも参りませんわね」
 得意顔のミニを見てカルはプンプンし始めました。
「何を言うか!こんなもの数日のうちに直してやる!」
「ああ、いけない!では御免遊ばせ。わたくしサンフェラート公爵様から夕食にお誘い頂いているのでこれで失礼しますわ。サリ、ついてらっしゃい」
 そう言い残して2人連れ立って部屋から出て行ってしまいました。
「シャアル。くそーシャアルのやつ、私が怪我をしたのにミニと食事だとぉ・・・・」
「殿下。ミニ姫を責めないでください」
「アー先生。先生にはわからないのですあのバカ妹は・・・」
「あの封印が解けかかっているのを最初に発見したのは姫だったのですよ」
「え?」
「あの仮病の時に姫は頭痛に襲われたのですがその原因が封印の発する不安定な波動だったのです。そばにグランダ中尉もいらっしゃったのに気が付かれたのは姫だけで。」
「本当だよカル。僕も聞いた」
 アレスがそう言っても先ほどのミニの言い草が気に入らなそうに口をへの字にしています。
「殿下。それがなければもっと酷いことになっていたかもしれません。妹君のお手柄と褒めてあげて下さい」
「判りました。アー先生がそう仰るなら。でもあの態度は・・・」
「彼女なりに心配しているのでは?」
「心配?まさか」
「殿下はミニ姫に厳しく接しておられます。いえ、それが悪いと言っているわけではないのです。ただお二人ともお若いゆえにお互い反発する気持ちもお持ちでしょう。姫があなたに労いの言葉をかけたとして、あなたはそれを素直に受け止められますか?」
 カルは言葉に詰まりました。労われてもさっきのような事を言われても自分の返す態度にそれほど変わりはない事に気が付いて。
「素直になるのは中々難しいでしょうが、覚えはありませんか?妹君に何かを言われて思わず発奮してしまったことなどに」
 カルはそう言われてひとつ思い当たったことがありハッとしました。
 それは海王の見張り台に行こうとマストを登っていた時に、あまりの揺れに降りようとした矢先

”あらぁお兄様ー!何をぐずぐずしていらっしゃるのー!?”

 こう言われてマストを登り切った事を思い出しました。
 カーヌはカルの顔つきから何か思うことがあるのだろうと察してそれ以上は何も言いませんでした。
「では後で食事を持ってこさせます。それまでゆっくりお休みください。何かあれば看護の者に。すぐに参ります」
「カル。ゆっくり休んで。あとで一緒に夕食を食べよう」
「ん」
 アレスに夕食を誘われてやっと笑顔になったカルは左腕だけを挙げて手を振りました。



 部屋から出たカーヌにローデンは、「サンフェラート公爵様のことはまだ言わない方が良さそうですね」そう言ってふうっと吐息を漏らします。
「ええ。心労は軽いに越したことはありませんから」
「ミニ姫の機転に感謝ですね」
「ふふふ。兄からはよく叱られているようですが、怪物との闘いのようなときには息の合った行動がとれる。お互いの力を信頼していなければできない事です」
 ローデンは頷き、そしてまた表情を厳しくして質問します。
「サンフェラート公爵様は・・・」
「シャアルはどうなるのカーヌ」
 アレスが不安そうな表情でカーヌに問いかけ、ローデンも少し驚きました。
 カーヌ=アーがひとつ息を吐いてから言います。
「難しいところですね」
「でもシャアルは僕たちのために怪物を倒してくれたんだよ?」
「そうですね。私もそれは大いに感謝すべきことだと思います。しかし、法は法です」
 アレスは悲しそうな目をしてエデリカをみて表情を曇らせました。
「でもアレス。罪には問わないことは既に決定してるわ」
 エデリカにそう言われてもアレスの表情は晴れません。
「うん・・・」
 アレスはカルから教えてもらった国王の存在意義を思い出し、それを噛みしめながら思いました。自分が王権を使って法を曲げるような事をしても国王だから許されるかもしれない。だけどそれは正しい権威の使い方ではない、と。
「僕にできることはないのかな・・・」
「あります」
 エデリカは言いました。
「え」
「まずはカル殿下と一緒に食事をすること。お腹が空いているから落ち込むのよ。食べよう。それにカル殿下は片腕しか使えないし、手伝ってあげようよ。迷ったときはできる事からする。そうでしょ?カーヌ」
「ええ。あなたの言う通りです」
 屈託なく笑顔で言うエデリカを見てアレスは微笑みました。
「じゃあ僕がカルの給仕をするよ」
 それを聞いて驚いたのは意外にもエデリカでした。
「だめです陛下。給仕は私の役目です。陛下はカル殿下のお手伝いをお願いします」
「うん分かった」
「カーヌ、お父さん、食事取りに行ってきます」
「ああ」
「いってらっしゃい」


 歩き去る小さな背中を見送りながらカーヌ=アーは小さく息を吐きます。
「私もツェーデル院長も現場に居合わせましたから王国評議会への報告の義務もあったのに、カフラー様の本件への介入がない事で表沙汰にしないことにはなりましたが」
「国外追放はやむなしですか」
「事が事だけに全く構い無し、という訳にはいきませんからね」
 ローデンはふと思いついたことを口にしました。
「アー様・・・」
「?」
「・・・私はその、一応は陛下の後見人です。国王陛下の代理といっても良い立場だと自認はしているんですが、こういったことに対するいわゆる裁定権というか、サンフェラート公爵様の処遇を決定する権利もあるのでしょうか」
「ええ。あります」
 ローデンはカーヌの答えに息を飲みました。
「ですが・・・。お解りになっていると思いますがエノレイル先生。王国法によって定められた決まりごとを覆す事は例え国王陛下であっても差し控えなければなりません。例外は確かに王権をもってすれば押し通すことも可能です。しかしそれは人心に与える影響をよく考えた上でなければいけません。
 特に今回の件はその違法性が王国法で明文化されていることですから、・・・ここはツェーデル院長の決定に従った方が良いでしょう」
 政治においてもそうなのだから、いわんや法律においておや自分は門外漢だと改めて思い直したローデンは、確かにカーヌの言うとおりだろうと瞼を重たそうにして何度か頷きました。
「しかしよくカフラー様が引き下がったものですね・・・。私は政治には疎いですが、こういう事態を権力誇示のために利用するというのはありそうだと思ったのですけど・・・」
 実はカーヌもローデンと同じ思いは抱いていました。そしてローデンよりは政治にも人間性にも識深いセノン族のカーヌはこう考えていたのです。
 この件より何か重要な件を抱えているなら、カフラーのらしからぬ態度にも納得ができる、と。それが国王夫妻の死に関する何かで動いているというのは考えすぎだろうか、とも。



第32話へつづく


◆設定集--------------------------------------------

【霊牙仭(れいがじん)】
武器に霊牙力を籠めて打撃力を増加させるのは霊牙力を持つ戦士ならだれにでもできるが、それに加えて武器の一部分に霊牙力集中させることで殺傷力を何倍にもできるのが霊牙仭である。
これは持って生まれた才能の為せる技。それがどうしてできるかはわかっていないが、一説には魔法力を持つ戦士ができるのではないかと噂されている。
例えば木刀にこれをやると鋼鉄ほどの硬度を持たせることができるが、かなり霊牙力を消耗してしまうため、ここぞという時に使うだけで乱用は控えるのが普通。


【岩塊形質の怪物】
体表面が岩盤のように固く通常の武器で倒すのが困難な怪物だが実際は水属性魔法で氷漬けにすれば動きを封じられる。ツェーデルが悔やんでいたのはこのため。
しかしこの種の怪物は珍しくなく、失われた種族の遺した塔の内部に棲みついている。

【鉄塊形質の怪物】
体表面が鉄塊のように固く、通常の武器では倒すのが困難な怪物。火炎系魔法に弱い。
失われた種族の残した塔に棲みついている怪物にこの系統がいる。ノスユナイア城の地下の怪物は背丈が3mほどだったが塔の怪物はもっと巨大で身の丈は5メートルにもなる者がいる。しかし関節部などに弱点となる柔らかい部分があるため倒せない事はない。
 ノスユナイア王国の怪物は詳細がわかっておらず果たしてこの分類が当てはまるのかどうかは謎である。


【防御膜魔法】
 絶対防御と同じ効力を持っている特殊な魔法。
 絶対防御を発動させると使用者はその場から動けなくなる。この魔法は発動者が動けないのは変わりがないが伸び縮みするという特殊な形で現出した防御膜内部を移動することはできる。しかし魔法書式が複雑であるのと、魔法力を持続的に消費するので使用する機会の幅が非常に狭い。
 自分の周囲だけといったごく小規模であればそれなりに持続できる。ナバの部下のロデル=メイラード曹長で1日余り、高位の魔法使いでも数日、だがこれは外部からの影響がほぼゼロであった場合で、打撃や天候などの影響があると魔法力の消耗が比例して大きくなってしまう。
 この魔法を使える魔法使いは種族にかかわらず滅多にいない。また好んで使う者も少ない。


【黒魔法】
 魔法には白赤黒があり、黒魔法はほぼ火炎系統を主体としている。赤魔法の炎系魔法ももちろんあるが黒魔法に比べると威力はかなり落ちる。
 黒魔法と赤魔法の根本的な違いは書式の違いである。現出させる魔法陣の複雑さの違いもあるが、たいていは赤と黒の配色で現れる。その様子を見れば素人でも黒魔法であることがわかる。
 シャアルのように、二つの黒魔法を同時に放つには非常に高い技術と魔法圧と魔法量が不可欠。
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