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右ストレート事件
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ミスボラ城での仕事にも慣れ、体も健康になってきた頃のことだ。
フレンが問題を起こした。厨房で他のメイドと掴み合いになったという。
「おのれッ! よくもダレット様を侮辱したなッ!」
僕が駆けつけた時には、既にフレンの右ストレートが飛んでいた。
「フレン!!! やめるんだ!!!」
さらにマウントポジションを取ろうとする彼女を後ろから拘束し、何度も声をかけて落ち着かせる。
やがて正気に戻ったのか、フレンは振り返って僕の顔を見た。
な、泣いている。フレンは顔を真っ赤にして涙を流していた。
「フレン、落ち着いたか?」
「ダレット……様……」
フレンの涙が、さらにぽろぽろと落ちていく。
僕は何を言ってやればいいのか分からず、厨房にいた男どもの方に顔を向けた。
「料理長! 他の者たちも! どうしてこうなるまで放っておいたんだ!」
「「「「怖くて」」」」
「それでも男か!!!」
僕が言えた口ではないが、情けない……。
殴られたメイドの方の手当ては他の者に任せ、僕とフレンは早々にその場を後にした。
先んじてゼバース執事長にこのことを報告したが、
『ほっほっほ! この城の城主はダレット様でございますし、そのような小さな問題はダレット様がお決めになればよろしいですよ!』
ということだった。それはそうだ。ただ、書面上の立場はそうだが事実上の城主はゼバース執事長であり、使用人の多くもそのように思っている。言質を取っておくのに越したことはないのだ。
執事長のお墨付きをもらった僕は、フレンと城の上層にある個室に招いた。
「さて、フレン……事情を説明してもらってもいいかな」
「はい――」
聞けば、フレンはずっと僕の陰口を聞かされるような日々を送っていたらしい。気がつかなかった。これまで彼女がそんなそぶりを見せたことは一度もなかったから。
僕も毎日のように陰口を言われていること自体は知っていた。城の中を歩いていても、執事やメイド問わずひそひそと何かを話し始める。わざと僕に聞こえるように陰口を言うものもいた。もはや陰口ではないか。
ともかく、僕はまったく気にしていなかった。陰口など言われて当然であり、それを聞き流すのも僕の仕事だと思っていた。
だが、フレンにとっては違ったのだ。自分が仕える主人のことを馬鹿にされていることが、彼女にとってはたまらなく辛かったらしい。
「フレン、すまなかった。僕のせいだ」
「ダレット様に謝ってほしくなどありません……! ダレット様は何も悪くないではありませんか! 悪いのは……わたくしです」
「……フレン、本来なら僕は君を罰さなければならないのだけど、僕のために怒ってくれた君を罰する気にはなれないな」
「……ダレット様」
「ただ、本当に陰口を聞いたことが理由なのかな。何か、きっかけがあったんじゃないか?」
この際、全て吐き出させてやった方がフレンのためになる。そう思って僕は、彼女の言葉を待つことにした。
「あの子が……ダレット様のお食事を誤って床に落としておきながら、何食わぬ顔で皿に戻して……」
フレンはそこまで言って口をつぐむ。
「戻して、どうしたんだい?」
「これ以上は……言いたく……ありません……」
「いいから。言ってくれ。僕のために」
さて、どんなことを言われたのだろうか。もう大抵のことでは驚きはしないぞ。
ずいぶんと長い沈黙の後、フレンはようやく口を開いた。
「『貴族もどきにはちょうどいい』と、そう言ったのです……」
フレンはそう言って、目を伏せた。
はは……貴族もどきときたか。なかなか面白い響きだ。
僕の笑い顔が気に入らなかったのか、フレンは目をキッとさせて僕を睨むように見た。
「何がおかしいのですか……!」
「す、すまない! 決して、君の苦しみを軽んじているわけではないんだ。僕はただ、大して傷ついていないと、安心させたくて」
口から適当な言葉が流れ出てしまった。それをフレンも察しているのか、鋭い目を保ったままだ。
「ダレット様は、ご家族のことをそのように呼ばれたら、どう思われるのですか」
「……それは――」
――許せない。想像するだけで、ふつふつと腹の中でなにかが煮えたぎるような気がした。
「フレン、本当にすまなかった」
「ですから……謝らないでください……」
この感情を、フレンも感じているというのだろうか。だとすれば僕は、今回の件を笑って流すわけにはいかない。
フレンが殴りかかったメイドの名はミレーナというらしい。
冷静に考えて、騒動を起こしたフレンも罰するべきだが、城主の料理を床に落としておきながら平気な顔でいるという方が大問題だ。首にされてもおかしくはない行為ではある。
ただ、安易に労働力を減らすのもよくない。ただでさえマクガイル家の評判は落ちているのだから。
さて、想像してみよう。長兄殿ならどう判断するかな。
『論理的な指導を行った上で給与の差し引き、といったところか』
アレフ兄さんにしては優しい。論理的指導という名の理詰めの説教は恐ろしいが。
次兄殿はどうだろうか。
『はっはっは! 気のすむまで殴り合わせる!』
うーん、ギメール兄さんは頭の中まで筋肉でできている。でも、ある意味平和的だ。
と、ヴェート姉さんが割り込んできた。
『死刑』
姉上、厳しすぎます。いや、そうでもないのか……?
食事は命の源であり、食べる者の健康に直接関わってくるものだ。それをないがしろにする行為は、許されるべきではないだろう。
……姉上なら陰口を聞いただけで追放しそうだが。
もっとも、僕の陰口を言った人間を全員追放してしまうと、ミスボラ城がもぬけの空になってしまうのではないか。そんなやり方ではだめだ。根本的にこのことを解決しなければ。
そういうわけで、僕は兄上方に向けて一筆手紙をしたため、アイアール城へと送った。
フレンが問題を起こした。厨房で他のメイドと掴み合いになったという。
「おのれッ! よくもダレット様を侮辱したなッ!」
僕が駆けつけた時には、既にフレンの右ストレートが飛んでいた。
「フレン!!! やめるんだ!!!」
さらにマウントポジションを取ろうとする彼女を後ろから拘束し、何度も声をかけて落ち着かせる。
やがて正気に戻ったのか、フレンは振り返って僕の顔を見た。
な、泣いている。フレンは顔を真っ赤にして涙を流していた。
「フレン、落ち着いたか?」
「ダレット……様……」
フレンの涙が、さらにぽろぽろと落ちていく。
僕は何を言ってやればいいのか分からず、厨房にいた男どもの方に顔を向けた。
「料理長! 他の者たちも! どうしてこうなるまで放っておいたんだ!」
「「「「怖くて」」」」
「それでも男か!!!」
僕が言えた口ではないが、情けない……。
殴られたメイドの方の手当ては他の者に任せ、僕とフレンは早々にその場を後にした。
先んじてゼバース執事長にこのことを報告したが、
『ほっほっほ! この城の城主はダレット様でございますし、そのような小さな問題はダレット様がお決めになればよろしいですよ!』
ということだった。それはそうだ。ただ、書面上の立場はそうだが事実上の城主はゼバース執事長であり、使用人の多くもそのように思っている。言質を取っておくのに越したことはないのだ。
執事長のお墨付きをもらった僕は、フレンと城の上層にある個室に招いた。
「さて、フレン……事情を説明してもらってもいいかな」
「はい――」
聞けば、フレンはずっと僕の陰口を聞かされるような日々を送っていたらしい。気がつかなかった。これまで彼女がそんなそぶりを見せたことは一度もなかったから。
僕も毎日のように陰口を言われていること自体は知っていた。城の中を歩いていても、執事やメイド問わずひそひそと何かを話し始める。わざと僕に聞こえるように陰口を言うものもいた。もはや陰口ではないか。
ともかく、僕はまったく気にしていなかった。陰口など言われて当然であり、それを聞き流すのも僕の仕事だと思っていた。
だが、フレンにとっては違ったのだ。自分が仕える主人のことを馬鹿にされていることが、彼女にとってはたまらなく辛かったらしい。
「フレン、すまなかった。僕のせいだ」
「ダレット様に謝ってほしくなどありません……! ダレット様は何も悪くないではありませんか! 悪いのは……わたくしです」
「……フレン、本来なら僕は君を罰さなければならないのだけど、僕のために怒ってくれた君を罰する気にはなれないな」
「……ダレット様」
「ただ、本当に陰口を聞いたことが理由なのかな。何か、きっかけがあったんじゃないか?」
この際、全て吐き出させてやった方がフレンのためになる。そう思って僕は、彼女の言葉を待つことにした。
「あの子が……ダレット様のお食事を誤って床に落としておきながら、何食わぬ顔で皿に戻して……」
フレンはそこまで言って口をつぐむ。
「戻して、どうしたんだい?」
「これ以上は……言いたく……ありません……」
「いいから。言ってくれ。僕のために」
さて、どんなことを言われたのだろうか。もう大抵のことでは驚きはしないぞ。
ずいぶんと長い沈黙の後、フレンはようやく口を開いた。
「『貴族もどきにはちょうどいい』と、そう言ったのです……」
フレンはそう言って、目を伏せた。
はは……貴族もどきときたか。なかなか面白い響きだ。
僕の笑い顔が気に入らなかったのか、フレンは目をキッとさせて僕を睨むように見た。
「何がおかしいのですか……!」
「す、すまない! 決して、君の苦しみを軽んじているわけではないんだ。僕はただ、大して傷ついていないと、安心させたくて」
口から適当な言葉が流れ出てしまった。それをフレンも察しているのか、鋭い目を保ったままだ。
「ダレット様は、ご家族のことをそのように呼ばれたら、どう思われるのですか」
「……それは――」
――許せない。想像するだけで、ふつふつと腹の中でなにかが煮えたぎるような気がした。
「フレン、本当にすまなかった」
「ですから……謝らないでください……」
この感情を、フレンも感じているというのだろうか。だとすれば僕は、今回の件を笑って流すわけにはいかない。
フレンが殴りかかったメイドの名はミレーナというらしい。
冷静に考えて、騒動を起こしたフレンも罰するべきだが、城主の料理を床に落としておきながら平気な顔でいるという方が大問題だ。首にされてもおかしくはない行為ではある。
ただ、安易に労働力を減らすのもよくない。ただでさえマクガイル家の評判は落ちているのだから。
さて、想像してみよう。長兄殿ならどう判断するかな。
『論理的な指導を行った上で給与の差し引き、といったところか』
アレフ兄さんにしては優しい。論理的指導という名の理詰めの説教は恐ろしいが。
次兄殿はどうだろうか。
『はっはっは! 気のすむまで殴り合わせる!』
うーん、ギメール兄さんは頭の中まで筋肉でできている。でも、ある意味平和的だ。
と、ヴェート姉さんが割り込んできた。
『死刑』
姉上、厳しすぎます。いや、そうでもないのか……?
食事は命の源であり、食べる者の健康に直接関わってくるものだ。それをないがしろにする行為は、許されるべきではないだろう。
……姉上なら陰口を聞いただけで追放しそうだが。
もっとも、僕の陰口を言った人間を全員追放してしまうと、ミスボラ城がもぬけの空になってしまうのではないか。そんなやり方ではだめだ。根本的にこのことを解決しなければ。
そういうわけで、僕は兄上方に向けて一筆手紙をしたため、アイアール城へと送った。
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