紅花雀と忘れられた皇子

猫宮 雪人

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1. 少女は逃走する

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 リーギルがその日その場所を通ったのは、大人たちの思惑など一切関係ない、本当にただの偶然の産物である。

 あるじの遣いとして黒曜宮へ行った、その帰り道。普段なら真っすぐに主の待つ真月宮へと戻るのだが、その日はあんまりにもきれいな青空が広がっていて、リーギルは思わず足を止めた。
(ちょっと寄り道してみようかなあ)
 リーギルが侍女として仕えている主、サラキアは多少気まぐれなところもあるが、基本的には鷹揚で好奇心旺盛だ。もちろんその後の予定が詰まっていれば別だが、寄り道してリーギルの帰りが遅くなったところで、短気を起こして叱りつけることは無いだろうと思えた。むしろ、寄り道して見聞きした景色や出来事などを報告できるのなら、そのほうが良い。皇帝の側妃という立場ゆえか、宮からほとんど出ることないサラキアは、だからこそ外のちょっとした細やかな変化や下らない出来事を楽しんで聞いてくれる。
(だって、こんなにいい天気だし。もったいないよね)
 暑くもなく寒くもない上に、ほど良い湿度の風がゆっくりと吹き抜けていく、とびっきりの散歩日和なのだ。おまけに、きれいな蝶が目の前ではためいて横切って行ったとなれば、ついうっかり釣られてしまっても仕方がない。ひいらりひらり、揺蕩うように飛ぶ蝶につられて、リーギルも右へ左へとふらふらと動く。
 皇帝やその家族の住まう後宮は、出入りこそ厳しいものの、内部自体の警備は存外緩い。もちろん、皇帝や皇太子の居住域は厳重な警備がされているが、それ以外はわりと警備兵の姿も少ない。さすがにリーギルが体格の良い成人男性だったら、露骨に怪しすぎてすぐに捕らえられていただろうが、十歳になったばかりの貧相な小娘が能天気に蝶を追いかけてる程度では見咎められることもない。
 これ幸いと小柄な体を活かして幾つかの生け垣を突っ切ったところで、リーギルはぴたりと足を止めた。
(わ、あ……)
 そこにいたのは、リーギルと同じぐらいの年頃の子供がいた。それも、ただの子供ではない――美人は見慣れているはずのリーギルですら息を呑むほど、飛び切り美しい子供だった。儚げな少年のようにも、凛々しい少女のようにも見える上に、とことん感情の抜け落ちた無表情のせいで、余計に人外めいた美貌を印象付けている。水でもひっかぶったのか全身ずぶぬれで、常識的に考えれば異様な風体のはずなのに、銀の髪からほとりと落ちる水の雫まで含めて、完成された絵画か彫像のようだとさえ思えた。
「……」
 どこかぼんやりとした琥珀色の双眸が、リーギルに向けられる。それに引き寄せられるように、リーギルはふらり近寄った。先ほどまで懸命に追いかけていた蝶のことなどすっかり脳裏から抜け落ちて、リーギルの意識は目の前の子供でいっぱいになっていた。
(これ、本当に生きてる人間なのかな……?)
 そう思うぐらいには、現実感が乏しい。いっそ夢か幻だと言われたほうが納得できるほどだ。浮かんだ疑問に突き動かされるように、リーギルは無意識のうちに手を伸ばしていた。
(やわらかーい……)
 むにょり、とリーギルの指先が滑らかな頬をつまむ。さすがにリーギルの動きが予想外だったのだろう、長い銀のまつ毛に縁どられた双眸がぱちりと瞬いて、リーギルに焦点が合わされる。同時に、どこか夢心地だったリーギルの意識が、すうっと現実に戻ってきた。
「……え、あ、ひゃああああああ!?」
 すっとんきょうな悲鳴を迸らせながら、とっさに後ろに飛びすさった。見知らぬ他人の顔に断りなく触るなど、無遠慮にもほどがある。
(どうしよう……!?)
 自分が叱責されるだけならば、自業自得で当然だ。だが、目の前の子が誰かの従僕であればまだしも、もし皇子か皇女であったなら確実に身分の問題が出てくる。そうなると、ことはリーギル個人の無礼にとどまらず、主であるサラキアの管理責任にまで発展しかねない。
「あんまり綺麗だったから、ついうっかり…!」
 適当な嘘を咄嗟にひねり出すこともできず、リーギルは全力で頭を下げた。ついうっかり、で済む話ではないが、それでも正直にそうとしか言いようがない。
 そして。
「……ごめんなさい! 失礼します!」
 そのまま逃走したのだった。
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