紅花雀と忘れられた皇子

猫宮 雪人

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2. 少女は白状する

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「……ということがありまして」
 一通り話し終えて、リーギルはしょんもりとうつむいた。
 真月宮の美しく整えられた庭、その隅にひっそりと在る東屋。リーギルはそこに居た。テーブルの向こう側からびしばし突き刺さる好奇心たっぷりの視線が痛くて、ちらりと視線をあげて様子をうかがう。
 小ぢんまりとしたテーブルを挟んで座っているのは、栗色の髪を緩く結い上げた美しい女性だ。二十歳になる息子が居るとは思えない若々しい美貌はもちろん日ごろの手入れの賜物だろうが、それだけではないだろう。闊達で生き生きとした表情、楽しいことを探してきらきらと輝く双眸。『皇帝の側妃』という立場は、決して笑っているだけでは務まらないだろうに、それでも全力で人生を楽しむような姿勢は、子供であるリーギルから見ても素直に素敵だなぁと思えるものがあった。
 座っているのはサラキアとリーギル、二人だけだ。侍女が主と同じ卓に着くなど本来あり得ないことだが、リーギルがこの宮で連れてこられた初日にサラキアが命じて以来の習慣となっており、今となっては他の侍女たちにとっても見慣れたものとなっていた。新しく宮に来た侍女がぎょっとするのも、それに古参の侍女たちが説明するのも、真月宮の日常風景のひとつだ。
 対外的には侍女という立場ではあるが、実際は「サラキアの話し相手、兼弄られ役」というのが、リーギルの役目である。他にも雑用やらなにやらあるけれど、主な役目は言ってしまえば「愛玩動物」のようなものだ。
 主人にひとりだけ特別贔屓にされる、となると通常はやっかみを受けるものだが、リーギルに対しては『あの』サラキアの好奇心を一身に引き付けているということで、むしろ古参の侍女たちから同情されることのほうが多い。
 もっとも、リーギルとしては苦労なんてしているつもりはさらさらない。美しく優しい女性とお話をして、お茶を飲んで、お菓子をつまんで、ご飯を食べるだけの簡単でとても楽しい仕事。時折、サラキアの話の進め方が突拍子もなくてびっくりすることもあるけれど、基本的にこれが仕事ということを忘れてしまうぐらいには幸せだらけなことだ。
「その子、男の子だったの? それとも女の子なのかしら?」
「……えっと、それはちょっとわからなかったです。背もわたしよりは高かったですけど……」
「そう。それじゃ、手掛かりはほとんど無い状態なのね」
 リーギルより背が高いから少年だった、とは限らない。ある程度年を重ねるまでは、身長などちょっとの年齢差や個人差でだいぶ異なる。しかも基準が、年齢のわりに小柄だとよく言われるリーギルとなれば、なおさらあてにはならない。
 サラキアの言葉に、リーギルは言われてみれば、とうなずいた。そういえば、声も聴いていなかったことを思い出す。少しでも会話をしていれば、もうちょっと手掛かりが増えていたかもしれないが、今のところあの子供についてリーギルが知っているのは、髪と瞳の色ぐらいしかない。
 帝宮には幾つもの宮があり、そこで働く者たちも多い。同じ年ごろの子供に絞れば少なくなるが、たまたまその日誰かが連れてきていた子供だった場合には、詳細をあとで知る手段はほとんどなくなる。せめて名前だけでも聞いていればまだよかった、と思ったところで、リーギルはあれ、と首を傾げた。
「サラキア様、探したいってことは、会ってみたいってことですか?」
「あら、もう一度会いたいのは私ではなく、私の紅花雀リーギルのほうじゃないのかしら?」
「それはまぁ、失礼なことしちゃったので、ちゃんと謝りたいなぁとは思ってますが……」
 勝手にほっぺたつまんだ挙句に悲鳴を上げての逃走である。思い返せば、やってしまったことはめちゃくちゃだ。悲鳴を上げて逃げ出してしかるべきなのは、あの時不審者に触れられた相手のほうだったのではないだろうか。
(手も汚れてたし……)
 逃げ出した後、なんとか見かけた警備兵に真月宮への道を尋ね、ようやく戻ってきたリーギルを出迎えたのは、ものすごくいい笑顔のサラキアと侍女たちだった。どうやらリーギルが思ったよりもだいぶ時間が経っており、かなり心配させたらしい。おまけにあちこち生垣を潜り抜けて、髪や手足にちぎれた葉っぱや泥やらをつけた状態だったから、よほど危険な目に遭ったのではないかと何度も確認された。最終的に、リーギルが『探検』した結果であることがきちんと伝わり、問答無用で湯殿に放り込まれた挙句なぜだか真新しい服に着替えさせられ、髪まできちんと整えられ……サラキアの待つ東屋に連れてこられて、今に至る。
「あ、そうだ、あのサラキア様。……心配かけてすみませんでした」
「いいのよ、貴女が危ない目に遭ったのでないのなら、それが一番なのだもの」
 改めて頭を下げたリーギルに、サラキアがふんわりと微笑んだ。慈愛に満ちたその笑みに、リーギルの胸がじんわりと温まったのもつかの間、すぐにサラキアの笑みが少しばかり変わる。
「それはそれとして、もっと詳しく話は聞かせてもらうけれど」
「えぇ……? これ以上お話できること、ないですけど……」
「だって、噴水のそばで見つめあったのでしょう? それって、恋に落ちたってことではないの?」
 確かに、サラキアに語った場面だけを美しく切り取ったら、そう見えないこともない……かもしれない。相手の性別は不明だが、そのあたりは「どっちだっていいわよそんなこと」らしい。それでいいのか、とは思うものの、サラキアにとって『そう』ならそれでいいのだろう。
(恋……恋ってなに……?)
 よくわからないが、適当な返事をするのも躊躇われる。うーん、と小さくうなって、リーギルはカップを手に取った。見るからに高級な陶器のカップには、猫舌なリーギルに合わせて温めの茶が注がれている。
 一口飲むと、すっきりとした香りと少しの甘味とともに、どっしりとした苦みが舌に残った。リーギルにはまだわからない、大人の味だ。サラキアと同じものを食べてるのだし、もっといろいろサラキアに似て味覚が鋭くなってもいいはずなのだが、相変わらずリーギルには茶葉の産地やらはちみつの種類やらは分からない。
(大人になったらわかるのかなぁ……)
 香茶の良さも、恋も。今の自分にはさっぱりわからないけれど。
 ――ただ。
「……すごく、綺麗だなって思ったんです」
 それが、一番最初の正直な気持ちだった。
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