大人になる約束

三木

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 車中で良はしゃべったりしゃべらなかったりで、笑ってみせることもあったけれど、内心落ち着かないでいるらしいことは感じ取れた。
 平気なふりをしてみせなくてもいいのに、と思いながら、矜持のためなのか遠慮ゆえなのか、己を保とうとしている良をわざわざ揺さぶるようなことは言いたくなかった。そしてそれ以上に、早く安心させてやりたかった。
 自身の不安がなくなったわけではないけれど、良が重い気持ちを押し隠しているのだと思うと、自分のことなどどうでもいいという気になってきた。
 窓の外を眺める横顔には、寂しいような悲しいような、しんとした空気がまとわりついているのに、裕司が呼ぶといつもの顔をしてこちらを向く。嘘をつくのは下手なくせに、良は自分の感情を隠すことが癖づいているようだった。そしてそんな癖が身に付いたわけを考えると、胸の深いところが鈍く痛んだ。
 親元へ帰ることを裕司なら帰省と呼ぶし、それは多少面倒ではあっても決して気が重くなるようなものではなかったが、良にはそんな概念も感覚もないのだと理解するまで、裕司にはいくらかの時間が必要だった。
 裕司の両親も決して完璧ではなかったし、十代の頃は早く実家を出たかった。実際裕司は、進学することでそれを実行した。喧嘩もしたし、今考えても理不尽なことを言われたと感じることだってある。けれど、それらを抱えたままでも親子という関係でいられる存在こそ、裕司にとっての親であり家族だった。
 裕司がいつまでも──両親は裕司がゲイセクシャルであることを知らないから──独り身であることには多少不満もあるようだが、それでも健康で不自由のない暮らしをしているのならいいと折れてくれる程度には寛容だった。もしも裕司が大きな怪我や病気をすれば肝をつぶすのだろうということはたやすく想像がついて、それを考えると不憫に思えたし、せめて親より先に死ぬような不孝はしないでおこうと思っていた。
 そんな自分の感覚に何の疑問も持たずにいたけれど、良という存在に触れて彼の世界を垣間見て、裕司はこの世の裏の顔を見たような心地がした。
 良のような、あるいは良よりもはるかに悲惨な境遇の人間がいくらでもいることは知っていたつもりだったけれども、自分はその世界の匂いも温度も知らなかったのだと思う。
 家出して行方の知れなかった息子の居場所がわかっても、淡々とした返信しかよこさずに電話の一本もかけてこない母親という存在が、良にとってほとんど唯一の肉親であることを、裕司はまだ実感として理解できていなかった。今まさに彼女に会いに行くためにハンドルを握っているというのに、どこかでそれが本当に起きることだとは感じていない自分がいる。
 良の優しさや温かさや、きっと生来のものだろう好奇心の強さや賢さを見る度に、彼には彼にふさわしい家族がどこかにいるのではないかという錯覚を覚えた。
 みにくいアヒルの子がアヒルではなかったように、彼が家族だと思い込んでいる人々は彼の本当の家族ではないのではないか、と、つまらない夢想をする瞬間がある。
 ──だってそうじゃないと、おかしいだろう。
 裕司は良を愛しているし、その気持ちが誰に劣るとも思わないけれど、彼を愛する者が自分だけのはずがないという気持ちがどうしても頭をもたげた。
 彼の成長を見守って、慈しんで、幸せを願っている人間がいないわけがない。青臭い少年のようにそう主張する己の心を持て余すほどに、その思いは日に日に大きくなってすらいた。
 休憩がてらに寄ったコンビニの駐車場で、良は炭酸水のキャップを捻りながらこんなことを言った。
「駐車場代って高いんだっけ」
 何の話だろうと見返した裕司に、良は少しばかり躊躇ってみせてから、言い直した。
「あんたの車売っちゃったって言ってたから……維持費? とか高いのかなって」
 良はなんだか気まずそうに目を伏せて、視線を合わせてはくれなかったが、言いたいことはなんとなく察せられて裕司は微笑んだ。
「税金とか色々かかるけど、出せないほど貧乏じゃねえぞ」
「そんなこと言ってないじゃん……」
 ふいとそっぽを向く仕草が可愛かった。声色で機嫌を損ねているわけではないとわかったし、むしろ逆なのだろうと思われた。
「仕事以外で人乗せたの久しぶりだけど、いいもんだな。どっか遠くまで行きたくなる」
「……そう?」
「うん、お前がいるなら、また車買ってもいいかもなぁ」
 良は裕司を見つめて、何か言おうとするように口を開けたが、それをゆっくりと閉じてしまった。その目が裕司から逸れないので、裕司が黙って見返していると、良はいたたまれなくなったように自分の首を撫でて、小さな声で呟いた。
「…………自動車免許取るの、けっこうかかるよね」
 金の話か、時間の話か、どちらとも取れたが、どちらでも構わないと思って裕司は返す。
「免許必須の仕事もあるし、取って損はしないんじゃねえか」
「……」
「お前と交替で運転できたら、遠出するのも楽になるな」
 良は黒くて綺麗な瞳を裕司に向けて、泣くような微笑むような顔をした。そして黙って頷くので、裕司も黙って手を伸ばしてその頭を撫でてやる。
 太陽は良の静けさに不釣り合いなほど、大きく強く輝いてアスファルトを焼いていた。

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